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前編

 スズランには弱いですが毒があるので、触ったあとは必ず手を洗うようにしましょう。本編では毒がない希少種という事で納得していただきたい。もしくは、二人とも知らなかった、で。

 命には関わらないらしいんで。まあ、いいでしょう

吉野山 峰の白雪 ふみわけて


入りにし人の 跡ぞ恋しき






 山の中。それは私の秘密の隠れ家。人目を忍んで私はそこで暮らしている。住み始めた頃は埃がたまっていた。ボロボロで、木が腐っていた。穴が空いていてそこから風がヒューヒューと漏れる。雨の日にはポタポタと天井から垂れてくる。寝苦しく、本当に住めたものではなかった。


 でも、今は違う。私は建築の技術などはないのだが、一人で改築した。ここは山の中だ。資源が豊富だ。だから私は木を伐採し、そこから木材に仕立て上げ、改築した。時間はかなりかかった。でも完成した時の感動は今でも忘れない。


 この家はいったい誰が建てたのだろうか。私は廃屋を勝手に借りて、おまけに改装までしてしまった。その間に持ち主が現れることはなかった。そしてこれからも。だから、私はここに永住する事を決意した。


 もちろん、同居人はいない。私だけだ。それ以外は誰もいない。しかし、それで私は幸せなのだ。誰とも会わずに静かにこの小屋で日々を重ねていく。それが私の安らぎでもある。


 人里には下りたくない。それは人に会いたくないから。


 寂しいとは思ったことはない。といったら嘘になる。でも、これが不幸にならない唯一の方法なのだ。一人静かに暮らす。これでいいのだ。


 ここでも楽しいことは沢山ある。私はそれで満足している。





 小屋を出てしばらく歩いたところに私のお気に入りの場所がある。そこには辺り一面に花が広がっている。赤、黄色、緑……色鮮やかな花畑が広がっているのだ。花の絨毯だ。花の種類も豊富だ。私は花に詳しくはないからこれらがどの種類かは分からない。でも、私は眺めているだけで幸せな気持ちになれる。


 私はそこで寝転がるのが大好きだ。はしたないけど、手を大きく広げ、足も投げ出し、その場に寝転がる。暖かい日差しの元で私は自然の空気を堪能する。香りもよく安らげるいい空間だ。


 ここは春が一番綺麗だ。当然だけど。蝶やてんとう虫やら、たくさんの虫がここに集まる。もちろん、虫だけではなく動物たちもよってくる。私はその子たちと遊んだりもする。この子たちは私によく懐いてくれる。友達でもあり、家族でもあった。私に食べ物を運んできてくれたりした。私は何もしてあげられないのがもどかしかった。


 夏になると私は川で水遊びをする。夏は暑いのでそれがちょうどいいのだ。地中から出てきたセミが一生懸命に鳴く声の音。川のせせらぎの音。風に揺られ、木々や葉がそよぐ音。それは心にしみわたる良い音色だった。私は川に足をつきながら目を閉じて、耳を澄ます。心が浄化されるようだ。


 山の中にはもちろん小鳥もいる。小鳥は大体小屋によく集まってくる。私を見るとすぐに私の頭の上や肩の上に乗っかる。私を見ても怯えたりはしない。寄って来てくれる。私はそれが嬉しかった。彼らも成長をしていくのが少し物寂しいというのもあった。でも、そういった変化が私にとっていい刺激となるのだ。


 秋は暑い時期が過ぎて涼しくなる。過ごしやすくて快適だ。秋になると紅葉がつき始める。小屋からそれは見渡せる。隣の山々が赤く色づく。葉は茶色くなっていき、木から零れ落ちる。自然に葉の絨毯が出来る。踏むとカサッと音が鳴る。その上で寝るのもまた一興である。


 私は四季の中で冬が一番好きではない。どれも素晴らしいのは間違いない。季節ごとに楽しみ方が異なる。でも、私は冬になると寂しい気持ちが湧き出てきてしまう。その事が原因だろう。動物たちも冬眠に入る。木も物寂しい。孤独を感じやすい。でも、花畑は相変わらずだ。それが唯一の救いではある。


 準備期間だと思えばいい。そう。冬を乗り越えればまたあのあたたかさに触れる事が出来る。私はそれでいい。


 雪は神秘的で美しい。私の世界に一面に銀世界が広がるのだ。雪遊びも充実している。白い息を吐きながら、銀色の空間を歩き続けるのだ。


 そして季節は巡る。春夏秋冬。これは決して崩れることがない。理だ。そう。昔も今もそれは瓦解しない。変化がしない。私は少し、嬉しいようで、寂しいようで、複雑な気持ちだ。






 もう、これはいつの話だろうか。ずいぶんと昔の話だけど、昨日の話と言われれば信じてしまいそうなほど近くに感じる。目を閉じればすぐそこにあの時の思い出がある。この閉じた瞳を開いたとしても同じ景色がそこに映るような。


 それは私の希望でもある。淡い期待のようなものだ。


 私は人を忌み嫌い、忌み嫌われていた。


 私は人里を離れ、山に身を置くことを決めた。そして、今いる場所を見つけた。ここは人が住んでいた跡があった。でも、それは昔のこと。しばらくそこを宿にしていたが、誰一人来なかったので、自然と私の家になった。食事は少し困った。なんの知識もなくいきなり山籠もりをしたためどうやって暮らしていけばいいのか戸惑った。だからどれも手探りだった。私の持てる知恵をふんだんに使って生活をした。一番難しかったのは火をおこすことだったが、なんとか慣れた。狩りもした。動物たちを殺してしまうのは心が痛んだが、それでも空腹には耐えられなかった。キノコ探しは少々苦労した。毒を口にしてしまった時、随分寝込んだ。今となれば笑い話になるけど。


 山の生活に慣れてきたとき、私はあの花畑で寝そべっていた。日向ぼっこをしていた。


 ウトウトと眠くなり、重たい瞼を閉じようとしていた時だった。私は彼女と出会った。


「何をしているの?」


 私は目を開ける。そして、彼女の存在を遅れて認識した時、私は思わず悲鳴をあげて飛び起きた。


 彼女はそれに驚いてしまったようで、同じく悲鳴をあげて、しりもちをついた。


「え? え?」


 彼女は困惑していた。私もそうだった。互いに硬直した。見合った。


 沈黙が訪れる。鳥が羽ばたいた。風が靡く。私と彼女の長い髪が風によって踊らされる。


 彼女を見た感じだと私と同じぐらいの齢だ。十五か十六といったところか。彼女は細いからだで、整った顔つきだ。少し幼さが残るが大人のようなたくましさが伝わってくる。


 彼女は桜の刺繍が入った濃紫の女袴に青海波の模様をした桃色の半着を身に着けていた。それはとても似合っている雰囲気だった。


「えっと……?」


 最初に口を開いたのは彼女の方だった。私は目を大きく見開いてまだ驚いていた。


 彼女は口元を押さえて、くすりと笑った。


「ごめんね。驚かせちゃったわ。こんな山奥に人がいたからつい声をかけてしまったわ。でも、ごめんなさい。起こしちゃったわね」


 私は何とも言えない恐怖が胸に押し寄せてきていた。畏怖という魔物が私を襲いにかかってくる。私は動機が早くなるのを感じた。私はその魔物を一時的に追い払った。しかし、それはその場しのぎでしかなく、いつまた襲来してくるのかは見当つかない。


「あ、いや……私の方こそごめんなさい。みっともない所を見せてしまったわ」


 私は震える声で言った。久々に出会った人だ。十五、六の娘だとしても、油断はならない。警戒するに足る相手である。


「立てるかしら?」


 彼女が手を差し伸べる。私はその手を取ろうとした。でも、それを一旦止めた。私は彼女を信用していない。だから、その手は取らなかった。


 人には会いたくない。私はそう常々思っていた。だから、早く立ち去ればいい、と私は願う。


「どうしたの?」


 彼女が心配して私の顔を覗き込んだ。私はさっと顔を横にそらした。どうせこの子も私を嫌う。石を投げ蔑むのだ。そう違いない。


 私の心はひどく凍えてしまっていた。


 でも、凍えているのは私の心だけではない。


 私は無言で立ち上がった。彼女の手は取らなかった。私はきものについた土の埃をはたいて落とした。


 そういった冷たい態度を取る私に彼女は戸惑っていた。「えっと」と困惑していた。何か話題を作らなければ、と思い至ったのか、何かを話し始めた。


「家を抜け出して山の中を歩いていたら、変なところに出てしまって。そうしたら、綺麗なお花畑を見つけたものだから、その中を歩いていたら、貴女がいたの。だからつい声をかけてしまったの」


 彼女は経緯を丁寧に説明するのだった。


「……そうだったの。でも、女一人でこの山奥に入るのは危険でしょう?」


 私はとりあえず、話に乗っかった。笑顔は見せない。


「それは貴女も同じでは? 貴女はどうしてここに?」


「私は……暇だったから」適当に言った。


「私も同じね。ねえ。それよりもお話をしましょう! 私、最近、同じ年の女子とお話しをしたことがないの。いいでしょ?」


「え、ええ……?」


 唐突に彼女がそのような事を言ってきて困惑してしまった。私がつっけんどんな態度を取っているのにもかかわらず、こういった事を軽々言うのだから驚きだ。


「嫌かしら? 無理は言わないわ」


「い、いえ。……いいわ」私は思わず、了承してしまった。私は断ろうと思っていたのに、出てきた言葉がそれだった。私は心と言葉の微妙なずれに当惑する。「……いえ、あの……私なんかでいいのかしら?」


 私は怯えながら尋ねた。言葉を訂正するつもりであったのにもかかわらず、何故こんな事を聞いてしまっているのだろうか。私は彼女に何を求めているのだろうか。


「大丈夫よ」と彼女はくすりと笑った。


「私……こんなのよ」


 私は自分の身なりを見た。そして腰まで伸びている長い髪を持ち上げた。私が人から嫌われている原因の一つがこの髪の色だ。


「だからどうしたのよ。確かに、普通の人とは違うけど、関係ないわ」


「本当に?」


 私は目を大きく見開いた。そして、口元を両手で覆った。


「ええ。むしろ、私は好きよ。他の人は真っ黒ですもの。貴女のような髪を持つ女性は珍しくて美しいわ」


「あ、ありがとう……」


 私はドキッとした。これを褒めてくれた人は彼女が初めてだった。


 私は老婆のように髪が真っ白だ。私の肌は子供のようにもちっとしている。けっして老婆のような醜く、うろこが出来たようなカサカサとした肌は持ってはいない。それでも、普通の娘が持たない髪の色である。


 私はそれが嫌いで仕方がなかった。でも、彼女はそれがいいと言ってくれている。私は自分の存在を認められたような気がした。


「しばらくはここでお話をしましょう? さあ、座りましょう」


 私は彼女なら少しくらい心を許してもいいのではないか、と思ってしまった。それぐらい、この髪を褒められたのが嬉しかったのだ。


「そうね」


 私たちは腰を下ろした。


「私は、スズランというわ。貴女は?」


「私は……キキョウ」


「キキョウ。そう、貴女はキキョウというのね。可愛らしい名前だわ。あ、私と同じでお花の名前じゃない。これは偶然かしら? いえきっと運命だわ。貴女はそんな感じがしない?」


「そうだね。うん。す、す……」


「スズラン。名前を呼ぶ合うことが恥ずかしい?」


「いえ。そんな事は……あ、あの……な、名前で……呼んでも、いいかしら?」


「もちろん。ねえ。私たち、友達にならない。きっと仲睦まじい関係となるわ」


「友達……」


 私はその言葉を聞いたとき、胸の奥底がほんわりと暖かかくなったように感じた。それは徐々に熱を帯びていく。私の氷のように凍って固くなってしまった心からポタポタと水が滴り落ちていく。


「嫌?」


「わ、私……みたいので……いいのですか?」


「クスッ。可笑しいわ。貴女みたいな謙虚な人、そうそういないわ。私の方が無理強いさせているみたいで不安になってしまうわ」


「そういうつもりでは……なかったわ。ごめんなさい」


「いえ。謝る必要はないわよ。まあ、こんなお話を繰り返していても意味はないわ。それより、私は貴女の事が知りたいわ。貴女は以前からこの場所を知っていたのかしら?」


 スズランは可愛らしい朗らかな表情で目を輝かせて言った。スズランは私の手を握った。私はビクッとその手をどけてしまった。スズランは「ごめんなさい」と手をひっこめる。凄く哀しそうな顔だった。私は思わずその手を握った。彼女の温もりをこの手に感じた。


 久々の人の温もりだった。スズランは透き通った皮膚をしたしなやかの手をしていた。私は頬と同じような柔らかさをしたその手から、スズランの慈しみを知れた。いつまでもこの手を握っていたいと思った。その手は私の埃に埋もれていた生を優しい手つきで払ってくれた。


「こちらこそ、ごめんなさい。あの、もしよろしければずっと……このままでいてもよろしいかしら」


 スズランは栄養のある大地で陽光を浴びて強かに成長した花のようなあでやかさで笑った。そして、私の手を優しく包み込んだ。


「ええ。私もお願いするわ」


 私たちは横に倒れこんだ。双方の手を互いに握りしめたまま。


 見つめ合った。スズランは透き通るように綺麗な瞳をしていた。私はその瞳の奥を見通す。彼女の目は川と交わり山を下る融雪した水のように澄んでいて綺麗だった。


「貴女は温かいわ。私が出逢ってきた人の中で一番、温もりを感じるわ。穢れがない。純美な人。でも、残念だわ。とても哀しそうな瞳をしている。目を奪われるような綺麗な大輪を咲かすお花にも関わらず、開くことを事に怯え、つぼみのままでいる。私にはそう見える。とても勿体ないわ」


 スズランは私の頬にそっと触れた。


 私はスズランに私の心を見透かされた事に驚いた。私は「あ……」と何か言葉をスズランに言おうとする。しかし、言葉が喉に引っかかって出てこない。音は鳴らずに空気しか漏れて出てこなかった。


 私は針で刺されたような痛みが胸に届いた。私は言葉を飲み込んだ。私は恐れていた。真相を知った彼女が私の傍を離れていくのではないかと。里の人と同じように私を侮蔑するのではないかと。出会って間もない少女だが、私はこの手を離したくはなかった。この手を離してしまえばまた私は冷たい氷の中で眠らなければならない。


 私はただ黙る事しか出来なかった。臆病になっている。


「そう」スズランは私の頭を撫でた。「いつか、話せるときが来たら、話してくれるかしら?」慈愛に満ちた顔でそう言った。


 私は「うん」と頷いた。


「ところで、貴女はいつからこの場所にいたの?」


「私は、朝から……」


 太陽は頂上に昇っている。目を覆いたくなるぐらいまばゆい光を放っていた。


「そうなの。いつこの素敵な場所を見つけたの?」


「えっと……」私は指を折った。それで数を数えた。一本一本ゆっくりと折りたたんでいく。私が歩んできた道のりを年として数えていく。やがて私の片方の手の指では足りなくなってしまった。片方の手はスズランに使われているため、それ以上を数えられなかった。


「ごめんなさい。忘れてしまったわ。でも、少なくとも五年以上も前の事だわ」


「そうなの。私ももっと早くこの場所を見つけられていたら良かったのに。そうすれば子供の頃から貴女と友達になれていたのかもしれないのに」


「それは、私も同じだわ。でも、今はとても幸せよ。千年の孤独から解放されたような気持ちだわ」


「貴女にはご家族はいるの?」


「ううん。いないわ。だからずっとここに一人で暮らしてきたの」


「それは本当に⁉ そう……失礼な事を聞いてしまったわ」


「いいのよ。案外この生活も悪くないから」


「そういう事だったのね。私は、貴女に冷たさを感じたわ。凍えそうになるのを必死に耐えているように見えたわ。でも、安心して。私が暖になるわ。貴女の氷を解かしてあげるわ」


「……」


「迷惑だったかしら?」


「ううん。嬉しいわ」


 スズランは私をそっと抱きしめた。暖かい吐息が私の首筋にあたり、こそばゆく感じた。体温が全身に伝わる。太陽のように暖かく風のように優しく私を包み込んだ。私は細い腕の中で目を閉じる。今までに感じたことがない気持ちのいい時間だった。この感覚を私はとうの昔に、赤子の時に、すでに感じていた。あの心を唯一許せる、安心して眠っていられる憩いの空間。私はそれをスズランに感じ、求めた。




 きっと私たちが出会ったのは運命だったのだ。それは曲げる事が出来ない運命の輪。だから、この時に出逢わなかったとしても、必ず出会えたのだと思う。暗い闇の中でうずくまる私を必ず見つけてくれると。そして必ず手を差し伸べてくれると。私はそう信じている。

 要するに私たちは出会うべくして出会ったのだ。恋を追う男と女のように。

 スズランは私に面白いお話を沢山してくれた。スズランはとても色濃く綿密な時間を私に与えてくれた。私の為にスズランの貴重な時間をくれた。私にはスズランに何もあげられるものがなかった。私はそれがとても哀しかった。胸を締め付けられるような思いだった。





 二つの魅力的な花は大輪を咲かせる。そして愛でられる美しさを保ったまま落ちていく。大自然の中を切り裂き流れる、何色にも変化し輝く川の中へ落ちていく。その川は戻ることを知らずに下へ下へと流れていく。二つの花はその身を流れに任せ、旅立っていく。行く先は分からない。いつこの旅が終わるかは分からない。しかし、それでも二人は川にこの身をゆだねるのだ。





「ねえ、キキョウ。私のこと……好き?」


「ええ。好きよ。スズラン」


「嬉しいわ」


 スズランは私の唇にキスをした。それは柔らかくて、蜜のように甘く淡い味だった。


 私は恍惚とする。トロンととろけた目をする。余韻がまだ残っていた。


「楽しいときはあっという間だわ。もう日が暮れ始めてしまったわ」


「ええ。もっと一緒にいたいわ」


「でも、残念だわ。私はもう帰らなければならないわ」


 私は胸がズキッと痛んだ。この手を離したくはなかった。


「ねえ。またここに来てもいいかしら?」


「来てくれるの?」


「もちろんよ。毎日行きたいわ。そして時間が許す限りずっと貴女の横にいたいわ」


「嬉しい。でも、本当にいいの?」


 スズランはくすりと笑った。そして、私の頭を優しく撫でるのだった。


「私は必ず来るわ。貴女に会うために」


「うん。待っているわ。ここで待っているわ。貴女が来るのをいつまでも待っているわ」


「大丈夫よ。安心して。必ず。約束を守るわ。そうだわ。約束にこのお花を差し上げるわ」


 スズランは辺りを探す。そして、少し遠くにあったある花を摘み取り、それを私にくれた。


「これは……?」


 私はその花を見た。白色に染まるその花に私は見惚れた。その花はベルのように頭を垂らして連なっていた。


「多分、これはスズランというお花だわ。私の名前と同じ。これを持っていて。私だと思って。もしも貴女が私を想っていてくれるのなら受け取って」


「いいわ。でも……貰ったお花はすぐに枯れてしまうわ」


「だったら枯れてしまう前に私が新しい花を貴女にあげてしまえばいいわ。そうすれば貴女が持つ花は永遠に枯れないわ」


「……それもそうだわ。うん。大切にするわ。そして、私は貴女を待っているわ。……あ、そうだわ」


 私は適当に花を一つ摘み取った。それは青紫色をしていた。そしてそれをスズランに渡した。


「これをスズランに差し上げるわ。スズランもこのお花が枯れてしまう前に私に届けてくださる?」


「ええ。いいわ」スズランは私のお花を貰い受けた。「これは……キキョウだわ。貴女と同じ名前」


「そうなの? 偶然だわ」


「まるでそのお花に導かれたかのようだわ。私、大切にするわ。そして、交換しにやって来るわ」


「ええ。待っているわ」


 私たちは手を握る。そして指を絡めた。


「じゃあ、私はもう行かなくてはいけないわ」


「送らなくて大丈夫?」


「ええ。一人で帰れるわ。それに貴女、ここを離れたくはないのでしょう?」


「ごめんなさい。下に降りたくないの」


「いいのよ。それでは。また会いましょう」


「ええ。会いましょう」


 スズランは最後に私にキスを残して去ってしまった。


 陽は沈みかけていた。赤く燃えるそれはこの世の終わりを示しているかのようだった。そんな光が私を照らしていた。そして、黒い影が花畑に薄く長く伸びていた。


 私はスズランから貰ったお花をギュッと強く握りしめた。


「また会いましょう」と、私はこの言葉を繰り返していっていた。何度も。やがて私の声は静かな暗闇に溶けていった。






 私は目を覚ました。ずいぶんと深い眠りに入っていたようだ。どうやら昔の夢を見ていたようだ。それはとても懐かしい夢だ。


 その夢は濃密な甘みを持っていた。春の気候のように生暖かく、気持ちのいいものだった。ずっとその温もりに触れてはいたいが、長時間それに触れられていると、溶けて消えていってしまうそんな危うさもある。しかし、これはとても色濃く、この私の乾ききった心を満たすには十分であり、私はその良さに酔いしれる気分だった。


 良い夢というのは残酷である。夢を見ている時は私の望む世界が広がっていて、私はその中の主人公だ。望むものが何でもある。だからここが現実であればいいと望む。しかし、それは所詮まやかしでしかない。そう。目を覚ますとそこには冷酷な現実が待っているからだ。天国から地獄に叩き落とされるのだ。


 私は心にポッカリと穴を開けられるのだ。言いようのない不安に襲われる。そして、心に大きな穴を開けられるのだ。削られ、抉られ、空洞を掘られる。そしてそれを巣にして居つくのだ。


 良い夢なんか嫌いだ。悪い夢も嫌いだ。嫌な思いを夢でもしなければいけないのはどちらも地獄と変わりない。どうせなら夢など見ない方がいい。


 でも、私は夢に希望を持っている。良い夢を見られるようにと期待して眠ってしまうのだ。




 あの日からスズランが私の元に帰って来ることはなかった。スズランから最後に貰った白色の花は、あの美しい姿が嘘のように萎んで枯れ果ててしまっていた。もう元の姿に戻らぬそれを私は今でも大事に保管していた。いつか、またあの美しさが戻るのではないかと、そんな馬鹿みたいな幻想を抱いて、そうして喪失感を背負っていた。


 彼女との想い出の場所だけは変わらないでいた。この場所だけ時が止まっているかのようだった。


 私の時も同じで、あの時のまま止まってしまっている。私はスズランとスズランとの想い出を風化させない為だけにこの今を生きている。それはどれほど耽美なものだろうか。しかし同時に虚しさもある。はたして私はこれでいいのだろうか。夢に生きる私ははたしてそれでいいのだろうか。




「何をしてるの?」


 私はガバッと勢いよく上体を起こした。眠気が一気に吹き飛んでしまった。


 私はいつものように花畑で寝そべっていた。大の字に体を広げ、呑気に欠伸をして、すがすがしいぐらいの青い空を見ていた。色々な形をした白い雲が空を浮いていてそれの動きを観察していた。やがて、睡魔が襲ってきた。私は手を組んで、それを枕の代わりにする。そして、ゆっくりと目を閉じた。そして夢の世界へ旅立とうとしたときだった。


 誰かが私に声をかけたのだ。私はおもわず飛び起きた。


「誰?」


 私はめをぱちくりさせる。そして、少女を見て言葉を失った。


「えっと……寝てたの? 起こしちゃってごめん」


 私に声をかけたのは私と同じぐらいの少女だった。だから、十五、六の女の子だ。少女は申し訳なさそうに、謝る。バツが悪そうに頬を掻く。


「スズラン⁉」


 私の覚醒した頭は早く回転した。いや、実際はしていないのだろうが、そんな感じがした。私は勢いよく立ち上がり、少女に抱き付いた。そして、そのまま押し倒した。


「ち、ちょっと……何⁉ え? は、離してよ……!」


 少女は暴れる。困惑していた。


 私は少女の声を聞いて、ハッと我に返った。少女に抱き付くのをやめて、少女の顔をまじまじと眺めた。そうすると、少女はスズランなどではなかった。


「えっと……」


 今度は私がバツを悪くした。苦笑いをして、目線をそらした。込み上げてくる恥ずかしさに顔を赤くする。穴があったら入りたい、そんな気持ちだ。私は真っ赤に染まった顔を覆う。


「寝ぼけていたの。ごめんなさい」


「あ、うん……いいよ」


 少女は私の肩を軽く叩いた。笑って、許してくれた。


「スズランって……誰よ?」


「えっと……私の大切な友達。その人に貴女が似ていたの。でも、寝ぼけていただけみたい。可笑しいわね。……フフ」


 私は微笑する。その笑いの中には様々な含みを入れた。


「その人は今どうしているの?」


「その人は……」私は目を伏せた。そして言い淀んだ。


「あ、ごめん。変なことを聞いちゃった?」


「ううん。大丈夫。でも、口にはしたくないわ。なんだか、認めてしまうようで」


 気まずい空気が流れる。少女はやってしまったという顔をしていた。


「そ、そうだ。自己紹介がまだだったね。私はカラっていうの。ツワブキカラ。あなたは?」


「私? 私はキキョウよ」


「へえ。キキョウっていうんだ。まあ、苗字はいいや。それで、あなたの事をキキョウって呼んでいい? 私の事もカラって呼んでいいよ」


 彼女はカラという名前らしい。最近の名前は物珍しいものだ。時代は流れているのだなと痛感した。私はカラの言葉にこくり、と頷いた。


 カラは明快な女の子だった。笑顔が似合っていた。そして、何ともまあ、珍しい格好をしていた。生粋の日本人の顔立ちはしているのだが、服装が西洋のそれに似ていた。たしか、スカートというものをはき、シャツを着て、リボンを首に回していた。私はカラという少女に興味をそそられた。


 そもそも、ここに人は滅多に来ない。私がここに住み始めて来たことがあるのはスズランのただ一人。だから、カラを含めて二人しか来ていない。


 私は人と関わることを二度としないと決めた。しかし、何故か、私はカラと会話をする。そして、期待に胸を躍らせていた。


「キキョウって今時珍しいよね。袴っていうんだっけ? こんな格好する子は今時めったにいないよ。それに、髪も染めてんの?」


 カラが私の髪の事と服装を言ってきた。私にとってはカラのその格好そのものが異常に思えた。しかし、似合っていて可愛らしかった。


「えっと……私はずっとここに暮らしていたから、今下でどのようなことが起きているのかが分からないの。私にとってカラの格好が珍しいのだけど、それが当たり前なの?」


「えっ⁉」とカラはあからさまにびっくりした顔をした。その顔はスズランと同じようなものだった。「ちょっと待って。他に誰かと暮らしているの?」私は首を横に振った。「ひえ~。マジか。それは驚き。え、じゃあ、ずっと一人で? どのくらい?」


「それはもう忘れてしまったわ。人と出会ったのも随分と懐かしい事だし」


「そ、そうなんだ。寂しくはなかったの?」


「うん。……案外悪くない暮らしだわ」


「へえー。ま、まあ、あまりこの辺りは聞いちゃだめだね。よし。話を変えよう。うーんと、じゃあ、その髪は元からなの?」


「……変?」


 私は自分の髪の毛を触った。平常を保っていたが、内心はドキドキしていた。この髪を気味悪がられるのはもう散々だ。


「あ、地毛? それは珍しい。でも、今は青やら緑やらピンクやら、色んな髪をしている人がいるから。まあ、それはほんの一握りしかいないけど。でも、ちょっと驚くぐらいでどうでもいいかも」


「どうでもいいの?」


「うん。私も一回茶髪にしたし、気にすることではないよ」


「そうなの?」


 私はぱあっと明るくなった。そういう時代が来たのか、と嬉しく思った。でも、かといってこの山から下りる気などないけど。


「本当にこれを見ても何も思わないの?」


「うん。ああ、もしかして、それが理由で山に籠ってたの? 乙女だね。うん。ある意味凄い行動力だ」


 カラは腕を組んで何度も頷いた。


「でも、ここは良い所だね。まさか、こんなにも花畑が綺麗で見晴らしがいい所があるなんて信じられないよ。ひょっとすると全部の花があるんじゃない?」


「そんなにはないわよ。そうね。昔はスズランっていう花があったけど、今はなくなってしまったわ」


 私は目を伏せた。


「へえ。そうなんだ。でも、そういうのを気にする必要もないぐらいここには沢山あるじゃん」


「ええ、そうね。沢山あるわ」


「この場所はキキョウのお気に入り?」


「うん。ここは私のお気に入りの場所よ」


 私はもうカラに対して抵抗など感じていなかった。


「そうなんだ。ひょっとして私、邪魔しちゃった感じ? 立ち入られたくない秘密の場所?」


「まあ、秘密の場所ではあるわ。でも、滅多に来ない客人はもてなすわ。大したものはありませんけど」


「いやいや。この景色で十分お腹いっぱい。もう何も望みません」


「そう。ところで、カラはどうしてここに?」


「うーんとね、息抜き。学校をさぼってどこか良い所探してたの」


「まあ。せっかく学校へ行けているのに。もったいないわ」


「うーん。面倒くさいんだよね。キキョウは……行ってない?」


「ええ。誰も行けるようなものじゃなかったから」


「あれ? ああ……。今ね、義務教育って言って、誰も行けるんだよ」


「本当に? へえ。いい時代になったのね」


「いい時代って。たいして歳いってないっしょ。まあ、ずっと山籠もりしていたのなら、仕方ないけどさ」


「そうね。それで……その学校をさぼってまでこの山に来たのは?」


「うん。ある言い伝えがこの山にあったから、真偽を確かめる為に、てね」


「……言い伝え?それはどのような言い伝えなの?」


「うーんとね、鬼が住む山として言い伝えられてたの。山から下りてきては嫁御や子供をさらう、とかね。近所のじいさんばあさんたちが子供の時にそう言われた、ってだけだからね。所詮は言い伝え。子供を脅かすために作った語り話でしかないよ。笑えるよ」


「……鬼、ね」


「ああ、キキョウの事ではないでしょ。老人世代が言っていた事だしね。私と同い年のキキョウがその言い伝えになるのはおかしいよ」


「それもそうだわね。でも、よくそう云われている所に行く気になったわね」


「言い伝えだとそうだよ。でも私はね、勘違いだと思うんだ。独り静かに山に籠る鬼は実は話し相手が欲しかったんじゃないかって。だから子供をさらうんじゃないかな? てね。だから、話し相手になってやろうじゃないか、と凄んでここにやって来たの。そうしたら、可愛い鬼がいたよ」


 カラは笑いながら私の頬をつついた。


「か、可愛い……?」


「うん。とっても。自然に住んでいた方が美容にいいのかな? 肌とかもちもちしてて気持ちがいいし。私より、可愛いじゃん。羨ましい~」


 カラは私の両の頬をつねった。そして、口をとがらせながら上下に振った。私はやめてよ、と腕を掴んだ。


「あはは」と、カラが笑う。私もつられて笑った。




 私たちは話をする。私はそれが楽しかった。私は人を避けているが、スズランのおかげなのか、人に対する心の壁がやや薄くなったのかもしれない。でも、私はまだ人を完全に信用をしてない。まだ忌み嫌い忌み嫌われる、そういう関係である。私がこうやってカラと話すのは、スズランの面影を重ねているからなのかもしれない。




「暗くなってきたからそろそろ帰るね」


「えっ……?」


 陽は沈みかけていた。その時にカラがそう言ったのだ。私の心がズキッと痛んだ。あの時の景色が重なり、わたしのこの痛い想いを加速させていた。


「もっと、話がしていたいけどさ。大丈夫。また来るから」


 私は何も言えなかった。胸の前に手を当てて、心臓の鼓動の音を感じているだけしか出来なかった。


 陽は赤く燃え盛っていた。まるで、この世の終わりみたいに。灼熱の地獄のように。辺り一面を真っ赤に染めていた。風が靡く。それがその火を遠くに飛ばして広げていくようだった。鐘の音が山中に響いていく。


 カラは私の手を握る。小さな手で柔らかいその手で私を包み込む。


「次も来るよ。いつになるか分からないけどさ、なるべくすぐに行くよ」


 カラは私から離れようとする。そのまま、帰ろうとするのだった。


 私は、一人がよかった。でも、この人の温もりをどうしてか離したくなかった。手放したくなかったのだ。この手から零れ落ちてしまうのを、消え去ってしまうのを、私は嫌だったのだ。恐怖でしかなかった。


 だから、私はカラの手を強く握りしめた。行こうとするカラを引き留めた。この場所にとどまらせようとしたのだ。


 カラは困った顔をした。私は目を強くつぶった。変な子だと思われてしまったのではないか。厄介な子だと思われたのではないか、そういった不安が体に現れる。嫌な汗が流れる。手汗も滝のようにあふれ出る。私は気がつけば泣いていた。嗚咽を漏らしていたのだ。離れるのが嫌だった。


「キキョウの気持ちも分かるよ。ずっとここに一人でいたんだもんね。うん。でも、安心して。私は必ずここに来るから」


「そういうのは……信用、出来ない」


「うーん……。困ったな……」カラは困り顔で頬を掻く。目をつぶって低くうねりどうしたものかと思考を練っていた。「信用してほしいって言っても無理だよねぇ。なんなら指切りでもする?」


「そういうのでも、約束としては……」


「今日会っただけだから信用は薄いかもしれないけど、私は約束を守る事で有名なの。だから必ず、来るって」カラは白い歯を見せて笑った。「サプライズも期待しててね」


「さ、さぷらいず……?」


「まあ、わっと驚くようなことをしてあげる、て事。だからさ、ひとまず待ってて。すぐに行くから。ね? ホラ、指切り」


 カラは強引に私の手を取ると、小指どうしを結ばせた。そして指切りの歌を歌い、それで決着を無理やりにつけた。


「……」私は小指をじっと見つめる。細くて小さなその指にカラの体温がまだほのかに残っていた。「……ええ。分かったわ」私は指を折りたたんだ。私はとうとう根負けする。「必ず、必ず来てね」そして、カラに必死に言うのだ。


「うん」


 カラは私の肩を持つ。そして、私を抱きしめるのだった。私はゆっくりと目を閉じる。そして、手を後ろに回した。私は、スズランをカラに重ねた。あの時のあの日のスズランを。


 私はこの時間を堪能する。私の長い牢獄のような生活の時間に訪れたわずかな祝福をこの身に刻む。忘れぬように。


「それじゃあね」


 その時間はあっさりと終わってしまった。私は物足りなかった。でも、多くを望んではいけない。


 カラは手を振る。そして、消えて居なくなってしまった。


 きっと、この約束は果たされないだろう。でも、私は、このひと時を忘れない。ちょっとした淡く甘い出来事だけで私は生きていける。それだけで私は充足するんだ。


 私の時は止まったままだった。でも、また動き出したに違いない。またすぐに止まってしまうものだけど、私は少しでも進んでくれたのだからそれでいいと思う。


 私はパンジーをそっと握りしめた。潰れぬように優しく抱きしめた。


 私は小屋に帰っていく。またあの小屋の中に帰る。そこが私の居場所なのだから。






 時は戻らない。ただ進むだけである。だけど、私の時は止まったままだ。時というのは、も出らないだけで、止まったり進んだりを繰り返しているだけに違いない。私がいい例だ。それしかない。


 私は、時が戻ればいい、そう思った事が何度もある。スズランと出会ったあの頃に戻りたいと何度も願った。だけど、それは無理なのですね。


 どうせなら私はもっと前に戻りたい。山暮らしになった原因になる前に戻りたい。そうすれば、今よりも幸せだったかもしれない。


 しかし、そうすると、スズランには会えていなかったかもしれない。私が、こうして山籠もりしたからスズランと出会え、悦びに気づけたのだ。


 なんだか、複雑だ。糸が縺れているような心境だ。それが運命という奴なのだろうか。


 私がこうなってスズランと出会うのが運命であり必然であったのだろうか。


 私は欲しがりだ。あれは嫌だ、これが良い、とわがままを言っている。でも、言って何が悪いのか。もしかすると、これは、そんな私への天罰なのでしょうか。


 誰か教えてください。私の運命。これから進む道を。


 誰かお願いします。進ませてください。私の時を。多くを望みません。




「キキョウ! 来たよ!」


「わっ!」


 私は飛び起きた。あの花畑で睡眠を取っていたら、起こされた。それも、思わぬ相手に。


「カラ!」


 私はカラに飛びついた。カラを押し倒した。


「よかった……よかった……」


 私は喜びのあまり涙を流していた。カラの小さな胸に顔をうずめさせて泣くのだ。


「だから、約束は守るって言ったでしょ?」


 カラは「よしよし」と、優しい声で私の頭を撫でた。


「うん。ごめんね。カラは、ちゃんと、守ってくれた」


 私は、あれっきりだと思ってしまった。カラを信用しきれていなかった。私はそんな私を恥じた。カラの言葉や気持ちを信じていなかった。偽りだと思っていた。


 あれから、四回、あの太陽が回っただろう。私はもう駄目だろうな。と半ばあきらめていた。その時に、カラが現れたのだ。何やら変わった服装を身に着けて、明るい声の調子で登場した。


「ホラ。これ」


 カラは、私が与えた花を渡すのだった。


「あ、ありがとう」私はそれを受け取った。そして、「私も、一応持っているわ」と、パンジーのお花をカラに渡した。


「一応って。まあ、確かにすぐには来られなかったけどさ。うん。ごめんね。待たせちゃったね」


「いいえ。いいのよ。こうやって私なんかに会いに来てくれたのだから」


「ははは。当たり前だよ。私も、キキョウとまたこうやって会って話がしたかったんだから」


「ありがとう」


「そうそう。ねえ、キキョウ。プレゼントがあるんだ」


「ぷ、ぷれぜんと……?」


 私は聞きなれない言葉に首を傾げた。


「うん! そうだよ。これこれ」


 そういえば、今日は何か大きめの袋を持っていた。そのなかにぷれぜんととやらが入っているのだろうか。


「まずは、これ!」


 カラが取り出したのは、何やら変わった布だった。模様や形状が、カラが身に着けている服と同じようなものだった。


「これは?」


「洋服! やっぱり分からないと思った。だから、今日はもう、自分のイメージチェンジをしよう。たまには和服も脱いで、こういった服も着ないとね」


「え? で、でも……いいのかしら? こんな貴重なものを」


「貴重って……。大丈夫! まあ、私のお古だけど……。ごめんね。さすがにそこまで資産が確保できなかったから」


「私の為にそこまでしてくれたのね。でも、気持ちだけで良いわ。私にそういったものは似合わないわ」


「気に入らなかった?」


「いえ。とっても可愛らしいわ。でも、私なんかが着てはいけない代物だわ」


「何言ってんの。大丈夫。きっと似合うよ。可愛いんだもん」


「う……あ、ありがとう……。でも……いいの?」


「いいって。じゃあ、着替えようよ! キキョウの家に上がってもいい?」


「え、ええ。いいわ。でも、散らかっているわよ?」


 私は気まずい顔をする。人をあげるなんて、恥ずかしかったからだ。でも、まあ、カラならいいか。と、許可を出した。


 そういう訳で、私はカラを家に招待するのだった。




「わー。こういう所で暮らしているんだ。すごい。かまどまである。畳だ。すごいな。年季が入っているわ」


「あ、床とか抜けやすいから、気を付けてね」


「うん。わかった。それにしても、こんな所でずっと暮らしてきたってすごいよね。冬とか寒くないの? 凍えて死にそう」


「まあ、案外何とかなるわよ」


「家の前には野菜畑もあるし。楽しそうでいいな。なんか田舎って感じで。和むよ。昔の日本家屋にいるみたい」


「まあ、随分と昔のだから仕方ないわね」


「自分で建てた?」


「いいえ。元からあったものを改築したのよ」


「え? 一人で」


「ええ。さすがに骨が折れたわ。そういった知識なんか一つもなかったのだから」


「ひえー。尊敬しますわ」


 カラはぱちぱちと拍手を送ってくれた。


「あれ? 枯れた花が置いてあるね。それも、随分と……」


「これはね、ちょっとしたものよ」


 私はその横に、カラが返してくれたお花を添えてあげた。


「なんかもう、原型がなにか分からないね。二つ、かな。どうしてこうなってまで持っているの?」


「……」私は少し考える。それから「なんででしょうね」と曖昧に答えた。そして、「それで、着替えてもいいかな?」と、話題を変えた。


「あ、うん。私、手伝うよ。前と後ろを逆に着そうだし」


「えっと……」


 私は顔を赤らめた。人前で着替える所を見られるのは恥ずかしかった。だけど、カラの言い分も分かるので、しぶしぶ、それを了承した。私は、顔を真っ赤にしながら、服を脱いでいく。そして、長襦袢の姿になった。そして、あの洋服を着ようとする。すると、カラに止められた。


「えっと、その服も脱ぎなよ」


 カラにもっともらしい指摘をうけた。


「そ、そうよね。当然のことよね」


 私は慌てふためく。そして、カラの前で全裸になり、肌を露出させた。


「え、もしかして下着つけてないの? さらしは」


「で、でも……これが当たり前……だよ? そもそも、さっきのがそれだったのだけど……」


「き、着物の下は何も着てないって本当だったんだ。よかった。念のために持って来て」


 カラは頬を赤らめて、袋をあさり始めて、何かを取り出した。


「それは?」


「これが、今の下着。私だってつけてる。こんな……感じに……」


 カラは恥ずかしそうに服を広げ始めた。ボタンを取り外していた。そうやって肌を露出させていった。そして、カラの胸元だけを隠す白色の下着が露わになる。そして、おもむろに下も脱ぎはじめる。それは上のものと同じ白色のV字のものだった。それを穿いていた。


「それでもいいだろうけど、付けた方がいい気がする。多分、つけ方が分からないだろうから、私がつけてあげるね」


 カラは私の背後に立つ。カラの荒い息が首筋に当たった。まず、下に身に着けているものからだった。


 カラの指先が私の太ももに触れた。そして、線を描くようにして、それを足の踝まで描く。


「片足、あげて」と低い位置で私に指示した。カラは私の腿の横に頬をくっつけていた。こそばゆい息があたり、私は知らぬうちにカラの頭を押さえていた。心臓がばくばくとなる。ものすごい勢いで。


 私は耳を真っ赤にする。


 私は、カラの言われたとおりに足を少しだけあげた。そして、下着の円の中に足を通した。もう片方も、同じことを繰り返した。そして、カラはまた私の足に線を描く。もと来た道を戻るかのように。私は声を抑えた。身体が震えるのを懸命に耐えた。


 カラは自分の腕を私の体にまわした。そして腹部からゆっくりと胸部の所にそれを持っていく。私の背中に、カラの柔らかい乳房が当たっているのを感じた。下から上へとのぼっていく。私の体が火照ってくる。背中に熱を感じる。そこにカラという存在を感じるのだ。


「ひとまず、ね」カラがそう言った。


「初めて穿いてみたけど、なんか、違和感があるわ」


「まあ、それでいいの。みんなこれ身に着けているんだから」


「本当かしら?」


「そうだよ。ちょっとこっち向いて」カラは私を半回転させた。「うん。やっぱり可愛いよ。すごく……似合う」カラは私をゆっくりと床に寝かした。腕を抑えられる。「じゃあ、続きも、していこう?」カラは私の腕に何かを通した。そしてそれが胸の所まで持っていく。カラは自分の腕を私の背中に持っていく。私は、カラをそっと抱きしめた。カラは私の後ろで指を動かしていた。カラの顔が熱かった。その火照った頬を私の頬にすり合わせた。私はカラの後ろ髪に触れて、カラの頭を抱きしめた。カラは甘い息を吐きだす。私はそれをかけられて幸福な気持ちになった。幸せな時間だった。互いの汗が絡み合う。それは濃厚な蜜になる。


「終わったよ」


 甘い声で私の耳元で、そう囁いた。私はもう? と残念でならなかった。


「何だか、締め付けられているようで、気持ちがいいわ。とっても」


「そう。それだったらいいよ。でも、まだ、終わりじゃないよ。まだあるよ」


 カラはそう言って、先ほどの洋服を持っていった。カラは私にそれを着せるのだった。




「いいね。似合っているよ」


 着衣が終わった。


「なんだか、恥ずかしいわ」


 私は、まるで自分ではないような感じがした。新鮮味があってとてもわくわくした気持ちになった。私はその場で回った。飛び跳ねた。子供のように無邪気にはしゃいだ。


「気に入ってくれてよかった」


 カラは後ろで手を組んで、安堵した表情をした。そして、とびっきりの笑顔を私に見せてくれた。


「それでね、キキョウ、今日は私からの提案があるの」


「それはいったいどのようなものなの?」


「えっとね」カラは目線をそらしながら、頬を掻く。そしてから、おどおどした調子で、

「山から下りてみない?」といったのだ。


「え?」


 私は顔を強張らせた。緩んでいた頬が一気に締まり、固くなった。身体も膠着する。


「どうしてそういう事を言うの?」


 私は顔面蒼白になる。それ程までにひどい衝撃を受けた。


「ダメ、かな? 私、キキョウに山の下の楽しさを知ってもらいたいだけなんだけど」


「……」


 私は無言になる。目を伏せる。胸に手をあてる。心臓が不定期な感じで気味悪く鼓動を続けていた。


「ごめんなさい。私にはそのような勇気がないわ」


 私はカラに背中を向けて座り込んだ。そして首を振った。


「キキョウにどんな事情があるかは分からないけどさ、キキョウの事を悪く言う奴なんていないよ」


「カラには分からないわ。老婆のように醜いこの私がどれほどに蔑まれたか。分からないんだわ」


「そうか……。だったら……」


 カラは私に何かを被せた。それは黒く長いものだった。


「その髪が嫌なら、かつらで隠してしまえばいいよ。染めればいいのだけど、私は、その髪をそうやって壊したくないから」


「そう……。でも、例えこれで隠せたとしても、みんな私を見て虐げるんだわ。嘘はいつか分かってしまうもの」


「大丈夫。山の下は、キキョウが思っている以上に危険なところじゃないよ」


「いいえ。嘘よ。私は、ここがいいわ。そうよ。ここで、カラとずっとお話をしていたいわ。そうすれば、誰も傷つけるようなことはないし傷つけられることも無いのよ」


「ごめんね。私はキキョウの事を全然考えていなかった。私はキキョウなら喜んでくれるだろうって思ってこれを計画したのだけど、ごめんね。迷惑だったね」


「……。いえ、謝るのは私の方だわ。この服を着させてくれて嬉しいわ」


 私はうつむく。


 カラの声と表情はひどく萎んでいて、悲しそうだった。


 私はそんなカラを見ていられなかった。


「そうね……。一回だけならいいわ。カラなりに私の事を気遣ってくれたのでしょう? だったら、それにこたえてあげなければいけないわね」


「えっと、つまり……?」


「今日一日だけならいいわ」


「本当! よかった」


 カラは走り回った。それぐらいに嬉しかったようだ。私はそんなカラを見て、笑う。不安がどこかへ飛んでいってしまったようだった。


「でも、私、お金は持っていないわ」


「大丈夫。全部私が出すよ。今日のエスコートは任せといて」


「え、えす……よくわからないけど、よろしくお願いします」


 私は頭を下げた。


「いえいえ。こちらこそ、無理を言って……。じゃあ、早速行きましょう!」


「え、ええ……」


 行くとは言ったものの、やはり恐怖が居ついていた。


「キキョウは私が守ってあげるって。安心してよ。どうどうとしていれば、誰も何もしないよ。ホラ、笑って。私は笑っているキキョウが好きなんだから」


「カラ……」


 私は手を胸に押しあてた。胸の奥がキュッと締め付けられた。私はカラが言ったように、笑顔をカラに見せた。すると、カラも「そうそう!」と言って、花のように美しい笑顔を見せてくれた。


 こうして私は、気が遠くなるぐらい久しぶりかに山を下るのだった。





 とりあえず、こんな感じで前編は終了です。


 色々不慣れなものをやっています。

 正直、そこまでユリユリしていませんよね?


 ちょっと少しエロくしてみたかったのですが、どだい無理な話でした。ちょっと最後辺りはなんか恥ずかしい。


まあ、あとは後編で。

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