たった一時の主人公
(……え? ここは?)
「──おい、余所見してんじゃないぞ! ベイナード!」
「……はっ?」
と、目が覚めたらと思ったら、突如目の前に現れた見知らぬ男から怒鳴られた結果、そんな素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
待て。状況を整理しよう。先ず、俺は確かに、昨夜の11時まで夏休みの最後の日の八月三十日までの二週間、とある乙女ゲームをやり込んでついに全クリまで至ることが出来て、余りの達成感に打ち震えた後、泥のように眠りに着いてしまったはずだ。
それから、目が覚めたらそこにいつもの自室の天井はなく、目の前には既にこちらへすごい眼光を送りつけながら、木剣を構えている男がいた。
(──……これ。俗にいう正夢、なのか?)
「な……ちょ、待っ!」
「やあぁぁああッ!」
しかし無情にも、この夢は時間がどんどんと進んでいくらしい。突然放り込まれたこの意味わからない状況を頭の中で処理出来ずにフリーズしていると、今にも男から斬りかかられそうになっていた。目を覚ましてから数秒後、一体誰がこのようなことが起こると予想出来るのだろうか。
「……っ!」
「く、意外と動けるんだな!」
(いやいやいや動かないと今の絶対顔に当たってただろ! てかお前誰だよっ……いきなり襲ってきやがって!)
俺は咄嗟に相対している名も知らないイケメンが、木剣を斬り下ろしてきたところを寸前で後ろに後退ることで、辛うじて回避することができた。
(てか動き、にくいっ! なんだこの身体!)
自分が自分でないようだ。違和感を感じて自身の身体を見てみれば、それは明らかに十七年間を共にし、いつもゲームと勉強しかやってこなかった理由でガリ勉体型だったが、確かに慣れ親しんだ自分の身体ではなく、なんと悪代官ばりの大層ご立派な贅肉が、お腹は勿論のこと首にも腕にも、足にも付いてるではないか。
この身体では先程、攻撃を避けた際に出てきた冷や汗も脂汗と言って差し支えないだろう。
(……今更気付いたが、俺も右手にしっかりと木の剣握っちゃってるぞ。まさか俺はこのいきなり襲ってきたイケメンと闘ってる状況なのか)
何故かは知らない。正夢か、幻覚か。それとも現実なのかも知れないが、とにかく今の状況。どうやら目の前で俺と同じように木の剣を持っている男との一対一のタイマンらしい。
ここでやっと周囲を見渡すと、ここの闘技場らしき構造は中世ヨーロッパをモチーフにしたハリウッド映画でよく見るような闘技場のようだった。円形闘技場……コロッセオとも言うべきか。俺とこのイケメンの戦いを見届けまいと多くの人たちが歓声を上げて取り囲む形で観客たちは席から見守っていた。
「いけぇえ! アーレスト! そこの豚野郎をぶっ潰せぇええ!」
「いいぞぉ! あの豚もお前の剣に恐れて及び腰だぞぉ!」
「いつもそこの豚には権力にものを言わせて皆が良い迷惑してたんだ! 良い機会だしぶちのめして差し上げろ!」
「やっちまえ! 決闘試合は相手が侯爵家の豚子息でも一切権力は介入出来ない! 身の程を弁えさせろ!」
何やら俺(?)が相当嫌われていて、結果的にタイマンの相手である目の前のアーレストというイケメンが多くの観客たちに応援されているらしい。
「……ん、アーレスト?」
そんな四方八方から聞こえてくる歓声達の中で気になるワードがあった。
(……確かに言われてみれば。ヤツの髪型も顔も、その着ている制服のデザインといい。それにこの闘技場の構造だって、明らかにあのゲームに登場するものに似過ぎてるというか、もはやそれ自体というか)
「いや、でも有り得ない……よな」
しかし、今感じてる聴覚、嗅覚、視覚全てが現実に限りなく近くて、とてもではないが正夢だとしても余りにもリアリティがありすぎる。それに夢でかくはずがないこの冷や汗の感触もどう説明する。
目の前のイケメンこと──観客たちからアーレストと呼ばれている男。その名前を聞いて咄嗟に思い当たった俺が昨夜までやり込んでいたとあるゲームの予備知識が間違っていなければ、恐らく彼はアーレスト=レインルークスがフルネームだろうか。
彼は『ダンテリオン帝国戦記』という物々しい名前の戦記RPGかと思いきやギャルゲーでもある異色な作品の主人公だ。戦略ゲームでもあり、ギャルゲーとしても奥深いこの作品はギャルゲーの中でも屈指の人気を誇った名作だった。
如何にも主人公らしい紅色の髪に、爽やかな風貌の好青年。背丈は平凡だが、作中に登場する強力なヒロインを次々と恋に堕としていく得体の知れない魅力があるキャラ。当初は立ち塞がるボスたちに苦戦するが、最終的にはラスボスをも凌駕する力を発揮する正に王道を往く主人公。
女神から神託を受けた『選ばれし者』として、多くの仲間やヒロインたちと出逢い共に魔王を含む凶悪なボスたちの戦いに身を投じていくことになるわけだが。
作中では『選ばれし者』と呼ばれていたが、実質彼は勇者と言っても過言ではない、作中でも成長すれば最強の一角であるキャラだ。
しかし彼がこうして怒って、このような決闘騒ぎを起こしたことは作中で二度しかない。
一人は隣国の第二王子との決闘。そしてもう一人。彼に今相対している俺は──
「お前が幼馴染であるメディナを脅した罪ッ! その責任はしっかりと払ってもらうぞ! ベイナード=アストリオン!」
「……っ!」
(やっぱり、そいつか!)
──そして、今木剣を向けられて彼に怒声を浴びせられてしばかれそうになっている豚男、ベイナード=アストリオンこと俺。
このキャラは物語の最初に平民な癖に持て囃される主人公のことを目の敵にして、彼の学園生活を悉く邪魔してくる噛ませ犬的なポジションである、テンプレの悪役貴族の豚息子だ。
ベイナードの家、アストリオン家は代々勇者の家系として語り継がれており、貴族からも国民たちからも多くの名声と実績を積み上げてきた。侯爵家ではあるが、実質公爵とも引けを取らない権力を有している名門貴族、それがアストリオン家だ。なのにも関わらず、現当主の長男であるベイナードはその家が継いできた勇者の血筋と権力と、名声を自らの力だと勘違いし、どんどんと堕落していった。その結果、いつしかアストリオン家のベイナードではなく、豚貴族のベイナードと嘲られるようになってしまった。
しかし見た目や人間性には目を瞑れば、勇者の血筋を継いでいることもあって、ポテンシャルは主人公であるアーレストにも劣らない可能性を秘めていると、公式の表向きの設定に記してあった。
そして今起きているこのイベント。
確かベイナードが子爵家の令嬢メディナに執拗に迫り、誘いを断わられた挙げ句に、権力を使って従わせようと強制したところを、アーレストが寸前で登場して助けた。そんなベイナードのあまりにも思慮に欠けた行動に激怒したアーレストが、ベイナードに決闘試合を申し込んだ結果がこのイベントになる。
これはゲームの最序盤を締めくくるイベントだ。言わなくても分かると思うが、当然この決闘は主人公が見事に勝利する。そして、それまで彼とは幼馴染として接してきたため意識していなかったメディナが、初めて好意を寄せ始めてヒロインになっていく、というのが決闘イベントの終着点だ。
因みに。ベイナードは今はこんなんだが、最終的には闇堕ちしてラスボスの側近に成り上がり、後の主人公や出身であるダンテリオン帝国を大いに苦しませることになるのは別の話である。
「次で終わらせてやる、ベイナード!」
「っ……マジかよ」
まさか、夢の中とはいえ、自分があの豚貴族ベイナード=アストリオンになってしまうとは。まあ課題もやらずに寝る時間も惜しんで二徹して昨夜に全クリしたほどハマったゲームだ。こんな妙に凝った夢を見るのも変ではない。それほど、あのゲームをプレイしてる時間は自分にとって新鮮な体験だったのだろう。
そうというのなら話は早い。俺も気になってたところだった。もし、ベイナードがこの時点で主人公に負けて居なければ、どのようなシナリオになっていくのかが。
(……夢だったらいいよな)
どうせゲームの世界のベイナードに自意識だけが転生した、なんてそんな奇天烈な現象は起こり得ない筈だ。これはゲームのやり過ぎで見ている夢。ならばこの不可解な状況にも納得がいく。
俺は集中して、未だに多くの観客たちが総じてアーレストを応援し、俺を卑下している声を上げているが、全てシャットアウトする気で臨む。
目の前で息を潜め、こちらの様子を伺っている彼を見据えながら、両手でしっかりと木剣を握り締める。
「……雰囲気が、変わった」
アーレストは先程まで及び腰だったベイナードが纏う空気の劇的な変化に不思議そうだったが、迷わず幼馴染のメディナを無理矢理従わせようとした目の前の外道に打ち込まんと、大きく踏み込んだ。
「……っ、やあ!」
「くっ!」
今度は隙が少ない袈裟斬りを繰り出してきたアーレストに舌を巻く。
(ちっ、流石は主人公。さっきよりも速度が上がってる。まだ本気じゃなかったってことか)
正直、今の一撃を避け切るのに精一杯でこの鈍重な身体では次の攻撃を避け切ることなんてできない。
ましてや、武道も運動さえも遊び程度で、まともにしてこなかったツケがもう出始めていた。
(……考えてみれば、いくら身体の方は勇者の血筋でポテンシャルや才能があったとしても、自分の意識的な部分と経験がそれに比例しないのは当たり前のことじゃねえか!)
実戦的な剣術の稽古なんて、平和な日本で平凡な学生生活をしていれば絶対に経験することは叶わない。だからアーレストの攻撃に反応がワンテンポ遅くれて、回避に精一杯になっているのも、この鈍重な身体を加味しても、自分の圧倒的なまでの経験不足のせいだった。
「隙を見せたな!」
「──!」
(まずい!)
……正直、俺は『ダンテリオン帝国戦記』の主人公アーレスト=レインルークスのことを全クリした後でもそれほど好きにはなれなかった。
いくらギャルゲーとは言っても、この作品はそれぞれのキャラクターに背景があって、それぞれのキャラクターが起こした善行も、悪行にもちゃんとした理由があった。主人公のアーレストは確かにこの作品では様々場所で多くの善行を繰り返して、その過程でヒロインたちに見初められていく。彼は女神から寵愛を受けし『選ばれし者』で、ヒロイン以外にも多くの人たちを救っていくが、では彼と戦い、敗れた敵キャラたちに差し伸べられた救いの手はあったのだろうか。
「……っ!」
「何!」
(よし! 咄嗟にだが弾けた!)
──中には救済された敵キャラもいた。しかし、それはあくまで敵側のヒロイン限定だった。多くの敵キャラたちはこういうギャルゲー主人公特有の《《甘さ》》で生き長らえることは出来たが、その後の人生は不遇と言わざるを得ないものだった。
だが、主人公に敗北した敵キャラの中でも、特に扱いが酷かったのがベイナードだった。主人公は幼馴染のメディナに対する彼の悪行に良かれと思って決闘試合で負かした。そこまではいいだろう。そんな善行の裏で、この決闘試合を境に水面下でベイナードは落ちぶれていってしまう。
それまでベイナードに取り入っていた貴族たちは全員見切りを付けて、トカゲの尻尾きりの如く簡単に見放し、親戚や家族からも追放という形で見放された。
──さらに重要なのは、普段はまるで自ら悪役を演じていたかのような暴虐な彼が唯一、素のベイナードとして優しく接してられていた婚約者の令嬢シャルルとの関係も、婚約者側の家の心象が悪くなると本人たちの同意もなく引き裂かれてしまったことだ。
「豚貴族ー! さっさとくたばっちまえぇええ!」
「アストリオン家の面汚しが!」
「しぶといわね! 早くみっともなく負けたらどうなのよ!」
戦っている最中だというのに多くの心無い罵声が、俺の耳の奥に響く。
「……」
そして思わず、俺のことでもなくベイナードに対して言われている悪口なのに、歯を噛み締めてしまう。
(何も、こいつのことを……ベイナード=アストリオンという人間のことを知らねえ癖に)
確かに、こいつがしてきたことは紛れもないクズの所業だ。
「──でも、こいつは……」
(ベイナードは性根まで腐ってる正真正銘のクズなんかじゃねえ!)
「……? お喋りする余裕はないぞ! ベイナード! いや、豚貴ぞ──」
「──その名前で、ベイナードのことを呼ぶんじゃねえぇッ!」
柄にもなく、俺はそう叫んで、我武者羅に強く握りしめた木剣をアーレストに叩き込む。
「くぅ! どこにそんな力が!」
だが、しょうがないだろう。ベイナード=アストリオンの本当の顔を知れば、ここまで必死になってしまうのも当然のことだ。
全ヒロインのルートをクリア後。ゲームの全貌を知ることが出来る設定資料が見れる。そこでは主要キャラ以外にも敵キャラの幼少期からストーリー開始時期に至るまでの、簡単なシナリオが綴られているのだが、ベイナードの過去はとても切ないものだったのだ。
……そうだ。ベイナードは確かに落ちぶれていた。しかしいくら見た目がストーリー開始時点で豚のように堕落していても、本来の彼の本性は少し我儘ではあるが、心優しい好青年だったと言われている。婚約者であるシャルルは当時の彼の唯一理解者だった。そんな彼女の前で見せる彼の仕草はとても学園で振る舞う悪役な豚貴族の様相ではなく、紳士然としていて心優しい騎士のそのものだったと。
では何故彼は進んで身体を太らせて、ベイナードは彼女以外には悪役を演じるようにしていたのか。それは、ベイナードの弟であるターナー=アストリオンの存在が要因になった。
ベイナードのアストリオン家は代々当主から長男へという完全な世襲制ではなく、世襲制ではあるが、その能力も加味して次期当主を決めていた。何故なら、勇者の血筋という他の貴族にはない特別な力があったからだ。
しかし当初のベイナード、ターナーの本人たちは乗る気ではなかったのだが、周囲の大人たちの熾烈な後継者争いによって、昔はとても仲の良かったそんな兄弟関係も険悪になってしまった。
その理由は昔から心優しく、聡明で尊敬していた兄であるベイナードより自分を特別扱いする家庭内の雰囲気と空気が、いつからか弟のターナーの自尊心を大いに増長させていき。更には、家内で不遇な立ち位置にいたベイナードの心の支えでもあったターナーも、いつしかベイナードを見下し始め、それから剣の稽古の度に執拗に痛めつけるようになってしまった。
そこから、ベイナードの心も病んでしまって、身体も心も堕落していった。
愛していた家族から平凡だと分かった瞬間、不遇な扱いされて、心の拠り所にもしていた弟にまで裏切られた挙句に嘲られて。
終いには学園でもそんな噂が流れて、アストリオン家の優秀な弟と平凡な兄として常に比較され、ベイナードの自尊心というものを容赦なく踏み荒らしていく周囲の人間たちに、ついに彼の心にも限界が訪れた。勉学では学園で五位以内維持してきた成績を、テスト自体を受けない事によって成績を最下位にさせ。また戦闘の実習試験でも態と負けてとことんまで成績を落とし始めた。普段の生活でも、多くの子息たちを脅して金を巻き上げ始めたり、令嬢へセクハラ紛いのことを恥を忍んでやり続けた。それは当時の彼なりのアストリオン家の評判を陥れる反抗であると同時に、普段は見向きもしてくれない親や親戚たちの年相応な気を向かせたい子供特有の年相応なサインでもあったのだ。
しかし、それでも家族はベイナードなど歯牙にも欠けず、優秀な勇者候補であるターナーのことだけを気にかけ続けた。
だから彼は太って見た目を醜くすることで更に家の名誉と評判を陥れようとした。しかし、それでもまだアストリオン家は居ないものとして扱った。
そんな状況下でも。いくら見た目が豚のように太ってしまったとしても。最後の最後まで味方してくれていた、昔から婚約者であったコールマン子爵家の令嬢──シャルルは正に彼の良心の最後の砦だったのだ。
しかしそんな状況に耐えきれなくなったベイナードは血迷って最終手段に出てしまったのだ。
それは、今回のイベントを引き起こす原因にもなった、アーレストの幼馴染であるメディナに執拗に迫ったことだった。
勿論、ベイナード自身にメディナへの気があった訳ではない。そもそも彼は婚約者のシャルルを一途に愛していた。だがどうしても幼少期の頃に向けられていた家族からの無条件な愛が、叱責という形だけでも欲しかったのだ。
犯すつもりも毛頭なく、執拗に迫ったあと、いつものように権力で従わせれば解放するつもりだった。それだけでも相当な風評被害がアストリオン家に降りかかることになるとベイナードは予想していた。
しかし、そんな所をアーレストに見つかってしまい、計画は頓挫してしまった。
挙げ句にはそれを見て激怒したアーレストに決闘試合を申し込まれて、ゲームではそのままアーレストの主人公補正を前に敗れてしまう。
そしてその後、行く先々で『没落した豚貴族』として多くの差別や鬱憤の捌け口とされたベイナードは闇堕ち。ダンテリオン帝国の腐敗していた貴族たちを虐殺し、またアストリオン家の父や母をも手をかけて、順調にラスボスの側近まで上り詰めた。最終的な局面でラスボスを討伐してきた主人公たちと死闘を繰り広げるも、いつの間にかアーレストに絆されてハーレムに加わっていた元婚約者のシャルルが、その手でトドメを刺したことで、ついにベイナードは死亡するのだ。
──本当に、とても救えない。だからこそ、ベイナードは『ダンテリオン帝国戦記』でもアーレストより主人公の資質があったと多くのプレイヤーやファンから言われているほど人気があった。だからこそ、二次創作でなんとか救済しようとしたアマチュア作家もいるほどに、彼は作中でどんなヒロインよりも救われることを、全クリして真相を知った多くのプレイヤーたにに望まれていた。
「……っ! この、やろう!」
「あぁぁあぁああぁあぁぁッ!!」
そして俺も、全クリしてベイナード=アストリオンという一人の男の救えなさすぎる運命を知ったプレイヤーの一人だ。だからこそ、自然と力が入り、無我夢中に剣を振るい続けていた。素人のような剣筋でも、鬼気迫る俺の気迫に押されている様子だった。
(へへ、ざまあみろ)
そう簡単に負けてはやらない。ああ、そうさ。このイベントでのベイナードは典型的な噛ませ犬だ。実績も実力もない癖に学園では権力を傘に傍若無尽な態度をひけらかし、挙げ句には見た目も豚のように醜い、とんでもない典型的なクズ貴族だったよ。
アーレスト。これからもお前ような主人公の前に立ち塞がってはどうせ負けていく、最後の最後まで噛ませ犬な立ち位置なキャラだよ。
「ひぃッ、ふぅっ! はぁあッ!」
主人公に負けると分かっていても、俺は最後まで見っともない声を出してでも、この剣を振るい続けるぞ。
……せめて俺の夢の中だけは、ベイナードは主人公であってほしい。今ここで、お前に勝てばこいつのクソみたいな人生も幾らかマシになるかもしれねえんだ!
「豚が鳴いてやがる!」
「ぷふっ! 傑作だわ」
「でもなんかアーレスト、押されてねえか……?」
「どうした! そんな素人丸出しな剣なんてお前なら簡単だろ!」
「がんばれぇ! アーレストくぅぅん!」
「豚貴族なんかコテンパンにしちゃってぇ!」
果たして俺は今、見るに耐えないほど、大衆の面前で醜い声を発して醜い剣を披露しているのだろうか。
皆から嫌われていて、誰も応援されない中で、豚のように太った身体の肉を揺らしながら、アーレストというイケメンに向けて剣術もクソも無い、とても勇者の血筋とは思えない紛い物の剣術を振るっているように見えているのだろうか。
だが、それでも構わない。俺はこの勝負に、勝てば良い。どんなにみっともなくとも、勝利は勝利なのだから。
「調子に、乗るなぁ!」
「……!」
しかし、そう簡単にはいかないのも現実だ。アーレストはこの時点でも既に二年生の中では上位の位置にいる。
(だめだ避け切れない!)
そんな実力者のアーレストの剣筋は今の俺では到底避けきれないし、受け切れない。ならば──
「「「……!?」」」
「──!」
「ぐぅうッ……ぁ!?」
その時、勢いよく振われたアーレストの木剣が、俺の脇腹の溝にまともに入ったことで、声にならない呻き声を上げてしまう。
とんでもない激痛が脇腹を襲う。どうして夢の中のはずなのに、痛みを感じるのか。
いや、そんなことはどうでも良かった。
これで奴の渾身の攻撃を抑えることができた。
俺の目にはもう、アーレストしか映ってなかった。避けることもなく、目の前で剣で弾く事もせずに身体で受け切った俺の行動に、驚愕している様子の彼しか映ってなかったのだ。
「ぐッ……ぉおおっ!」
だから、そんな彼がしたように俺も脇腹を狙って思い切り木剣を振り抜く。完全な虚を突いた、はずだった。
「っ!」
「チィっ!」
しかし、彼はそれでも咄嗟に半身にして強引に剣を滑り込ませたことで、俺の渾身の剣を弾いた。
そしてまだまだ足りないと言うふうに、アーレストは容赦なく俺には見切れない速度で振るって身体のあらゆるところに木剣を打ち込んでくる。
「ッッ!?」
しかし、俺はそれでも倒れず、打ち込まれては彼へ剣を振るい、また打ち込まれては剣を振るうの繰り返していた。
「……何故だ!」
当然、アーレストも本気だった。決して加減しているわけではない。しかし、何度もその木剣をベイナードのだらし無く太っていて筋肉という鎧も無いような身体に打ち込んでも、彼はその場に立ち続ける。
「ベイナード! 何故そこまで!」
「……うる、せぇッ!」
「いいぞー! アーレスト!」
「やっちまええぇえ!」
脇腹だけではなく、膝の関節、腕の関節、胸など戦闘続行を不可能にさせようと的確に弱点を突いているはずなのに、それでもなお、ベイナードは倒れなかった。観客席にいる学園の生徒達はボロボロになっていくベイナードに良い気味だと嘲け笑う。教員たちもが、ベイナードの必死に抵抗する姿を見て静かに嘲笑していた。
──しかし、それから何分経ったのだろうか。
「「「──」」」
それまで、学園一の嫌われ者がアーレストによって痛め付けられていることで熱狂していた観客席が、いつしか静寂の空間に成れ果てていた。
「──ッ、もう、立つな! ベイナード!」
「ベイナードくん! もう勝負は決しています! これ以上は辞めなさい!」
幼馴染を脅されて、あれほどまで激怒していたはずのアーレストも。今まで彼が一方的に痛めつけられていたというのに、意図的に決闘を止めさせなかった審判を務めていた教員さえも。
多量の血を流しながら、痛みに苦悶しながら、それでもなお立とうとするベイナードを制止するように呼びかけていた。
「ハア……っ、ハァッ……」
額から血が流れ、顔もアザだらけで元々醜かった顔が更に痛々しく腫れ上がって醜くなっていた。彼が着ている制服も破け、恐らく骨折もして内出血も起こしているだろう。しかし、立つことすらままならないはずなのに、それでもなおベイナードはただアーレストの顔を見て立とうとしていた。しかし、このままではほんとうに彼が死んでしまうだろう。
「ベイナード……もう終わりしよう! お前の意思は分かった! だからこれ以上は、もうっ……やめてくれ」
「ベイナードくん! 審判である私がアーレストくんの勝利に決めた。もう試合は終わったんだ! これ以上君が戦う必要は無いんだぞ」
闘技場は、アーレストと審判である教員以外に、出血多量で朦朧としてる中で必死に意識を繋ぎ止めようと肩で息をしているベイナードの荒い息遣いだけが響いていた。
「……どうしてそこまでして立つ。どうして倒れてくれないんだよ! お前はもう充分ッ……」
──どうして、か。
……答えなんか決まってるだろ。
「──まけたく、ねえ、から」
(このままじゃ死ぬ。そんなことは分かってる。でも、それでも良いんじゃないだろうか)
どうせこの後負けても、そのままゲームのシナリオ通りにベイナードは多くの人たちから忌避されて、婚約者のシャルルとも引き離されて……闇堕ちして。ラスボスの側近になった後、最終的には主人公に絆されたシャルルによって止めを刺されるっていう最悪なシナリオが待っているんだ。
そんなこの世の全ての肥溜めみたいな最悪な人生を送るより、こうして最後まで。これからどんどん偉業を打ち立ててく『選ばれし者』であるアーレスト=レインルークス相手に、死ぬまで立ち向かった、酔狂ながらも蛮勇な貴族がいたと歴史に名を残した方が百倍良いだろう。
……何より、最後の最後に。アーレストのハーレムに入った元婚約者のシャルルから止めを刺さられるところなんて、ベイナードに見せたくないし、俺自体もとても見たくはない。
「ここで、しんでも……かまわねぇ」
「なっ……」
「どうせ、お前には分から、ねえよッ……! 俺はお前とは違って、な! 落ちぶれた人生、だったし、なぁ! はっは!」
「……っ、ベイナード」
そうだ。俺が今夢の中で操っているこいつは、どうせ落ちぶれまくった人生だ。
遠い昔の家族から与えられたひと時の愛を忘れられずに、ただ勇者としての才能が開花しないだけで無視されたとしても、優秀な弟より扱いが酷かったとしても。家族からの愛をそれでも信じ続けていたバカだった。
そう、家族から。ただ、愛されたかった。気遣って欲しかった。叱られたかった。
だから豚のように太って、本当は人を傷つけるのが怖かった癖に、元々優しい心に鞭を打って自ら悪役を演じていた。学園の皆に悪さをする度に、嫌われていく恐怖と押し寄せる不安を婚約者のシャルルへ吐露して癒やして貰っていたような軟弱な奴だったんだ。でも理解者がいなくなった途端一人で背負い込んで誰にも弱音を吐けなくなった時、ついに自分で自分を壊したんだ。たとえ結末が寝取られた元婚約者に止めを刺されるものだったとしても、家族を、帝国を許せず、闇堕ちしてしまった。
「……決闘を、しかけてきたのはッ……お前だアーレスト! どちらかが死ぬまで勝負は終わらねえんだよ」
……本当に愚かで、全く報われなくて──そして、誰よりも他人からの愛に飢えた子供のような人生を送ったのが、ベイナードだったんだよ。
「アーレスト! 俺はな……お前にだけはぜったいに、まけねぇ、ぞッ。たとえこの腕が、無くなっても! 足が無くなっても──」
ここで負けて生き永らえて、そのまま生き恥を晒し続けるか。
ここで最後まで戦い続けて爪痕を残して死ぬか。
そんなの一択だろ。
なあ、ベイナード。俺はお前をひと時でも良いから主人公にしたいんだよ。
アーレストみたいに、永遠に語り継がれる王道な主人公じゃなくてさ。そんな英雄を前に死ぬまで立ち続けて、たったひと時でも観衆の注目をアーレストから奪った邪道な主人公も居ていい気がするんだ。
「──たとえここで死んでも、俺はお前に……お前らに絶対に負けねえぇッ!」
「──っ!」
どんなに醜くたって。たとえ傷だらけになったとしても、死んでも勝ってみせる。
俺が剣を構えて、ほつれそうな足を動かしてアーレストに斬り込もうとしたその時。
「──そこまでだ」
「……っ」
誰かが耳元でそう呟いた瞬間、突如として身体から力が抜かれたように、意識が刈り取られた。