11:遅れた反抗期
11
翌日。
昼のまぶしい光が、ステンドグラスを輝かせている。
大聖堂のドームに、「アリス」と呼ぶ男性の声が響いた。
内陣にいたアリスが振り返ると、遠間に養父のグレイが立っている。彼は娘よりも背が高いため、目立っていた。
「ちょっといいか?」
「大丈夫です」
彼女は内陣からグレイがいるところへ移動した。
「何かご用でしょうか、お父様」
「ああ。――ここだとアレだから、お前の部屋へ移動しよう」
「分かりました……」
二人は、寄宿舎にあるアリスの部屋へと移動した。
「どうぞ」と言って、扉を開いたアリスが振り返る。
グレイが入室したのを見計らって、アリスが扉を閉じた。
「どういうことだ?」
開口一番、グレイが言った。彼は背中を向けたままである。
「執事に言付けてもらった通りです」
「相手はロンデロントの名家だし、別にやましい噂がある男ではないぞ? むしろ立派な方だ。どうして婚約を見送るなんてことを……」
「――逆にお訊きします」
アリスが父親の背中を見つめて言った。
「結婚する相手は、どうして名家でなければならないのですか?」
「その方が、色々と安心できるからだ」
「どのように安心できると?」
グレイが振り返った。
「経済面にしろ、政治面にしろ、安泰だからだ」
「私が世間知らずなのは認めます。だって、この大聖堂の近くからほとんど離れたことが無いのですから」
「自覚があるなら、私の心配の種を少しは減らしてくれ」
「お父様が心配なのはどちらに対してでしょうか?」
「どちらとは……?」
「私を心配なさっているのか、それとも家柄の後継がつつがなく終わることなのか……」
「どういう意味だ?」
「お父様も、ここで司教をなさっていたわけですけれど…… ここを出たあと、やはり世間知らずだったのですか?」
「そうだな…… 恥ずかしい話だが、あまり世相に強くは無かった」
「では、家柄を継ぐために存在している法が、今はもう機能していないと言えるのではないでしょうか?」
「それは……」と言葉を切ってから、続けた。「私もそう思ってはいる」
「でも、変えられない……?」
「法とは簡単に変えるわけにはいかないものなんだ」
「一個人や一家族にだけ適用されるような、狭い範囲の法律を、国民全員のものとして扱うのはおかしいと思います」
「…………」
「お父様も、そうお考えなのですね?」
「何か、吹き込まれたのか?」
「いえ。これは子供の頃から、ずっと思っていたことです」
アリスがキッパリ言った。
「――伝統というのは、簡単に変えてはならないんだ」
グレイがアリスの傍に寄って、言った。
「お前が寂しい思いをしているのは分かっている…… だが、今はどうしようもない」
「それじゃあ、もし……」
「――なんだ?」
「もし私が司教ではなくなったら、私のことはどう思いますか?」
「何だと?」
「強制的に離縁することになりますよね? それだと、もう親子では無くなるのですよね?」
グレイは何か言いたそうにしていたが、口を閉じてしまった。
「お父様、私はこのままでは人形です。人生の伴侶さえも選ぶ権利がないなんて…… 前時代も甚だしいです。とても了承できません」
「しかし……」
「お父様は勝手に決められた結婚だったのですか?」
グレイは答えない。
「お父様がお母様を愛していたのは知っております。それがもし、決められた結婚だったとしたら…… 滅多にない、幸せなことだと思うのです。
それに…… 私はお父様に拾われた養女です。
お父様から受けた恩義は忘れていませんし、私の父親はあなただけです」
「…………」
「だけど、人形にされてしまうのなら、私は元の孤児に戻ってしまった方が…… その方が人間に戻れるのでは…… そう考えることもあります」
「どうにもならんものは、ならんのだ……!」
「私は聖女の前に、あなたの娘…… そう思っていてもいいのですよね?」
「当たり前だ! 私だってこんな馬鹿げた仕来りなんて、無くしたいんだッ!」
アリスがグレイの目の前まで進んだ。そうして、ジッと彼を見上げた。
「――嘘を言っているか?」
「いえ……」
「アリス、お前の不満はもっともだ。この現状は、我が祖先バルバランターレンも望んではいないだろう……
しかし、あと半年ほどで司教の役目も終わる。そうなればお前が正統な後継者なんだ。お願いだから、それまでは我慢してくれ。頼む……」
アリスは何も言えなかった。父親が必死に懇願していたからだ。
「そろそろ時間だ。――婚約の件は、また改めて話し合おう」
グレイが部屋を出て行こうとするのを、
「お父様!」
と呼び止めた。
「なんだ?」
「今日、花火があがりますよね? 一緒に見ませんか?」
グレイは、顔だけアリスに向けた。
「すまない。この時期は忙しくて時間が取れないんだ」
そう言って、彼は扉をあけ、出て行った。
アリスは寂しそうな目を扉に向けながら、
「ごめんなさい、お父様…… 私は高潔な聖女ではないの……」
と言った。