10:二人だけの思い出
10
アリスのお願いで、他の屋台も何件か回った二人が、大聖堂に戻ってくる。
当然だが、大聖堂はもうすでに閉まっており、その敷地内を囲う鉄柵の門も閉まっている。
夜の大聖堂は町の中とは大違いで、十三夜月で明るいはずなのに、薄暗く感じて気味悪かった。
これから墓地に入ると考えると、普通は億劫になる。
だが、アリスもユリエルもそんな風にはなっていなかった。
「――大丈夫っスか?」
「うん、任せて」
二人は裏門のところにいて、アリスが錠前を触っていた。
「よっと……!」
ガチャリと解錠された音がする。
「ほら、あいた」
キィッと鉄の蝶番がきしむ音がして、鉄柵の扉が開いた。
ユリエルが頭をかきつつ、
「これが聖女様の昔の姿なんて、誰にも見せられないっスねぇ……」
と言うと、アリスがムッとしながら、
「これはあなたが教えてくれたんでしょ?」と言った。「どんな鍵でもあけられるとか言って、得意気に教えてきたクセに」
「そ、その話はまた今度にするっス……! ほら、誰かに見られる前に……!」
黒歴史を晒されそうになったユリエルが、アリスを半ば強引に押し込みながら、大聖堂の敷地内へと入った。
二人が侵入した裏口は、墓地に近いところにある。
霊廟は墓地の外れにあるため、二人はそこへ向かって歩いていた。
満月前で月明かりが強いから、明かりが必要なかったせいで、用意していたランタンが暇そうに、ユリエルの腰にぶら下がっていた。
「なんだか、懐かしいね」アリスが言った。「始めて会ったときも、ここを通って来たんでしょ?」
「いやぁ…… 実は正門からなんスよ」
「よく見つからなかったわね?」
「あの当時は、まだ守衛があの爺さんだったから」
「――お爺さん、元気にしてるかな?」
「元気も元気っス。こないだなんか酒場で若い女の子に声掛けてて、奥さんにド突かれてたっスよ」
「そ、それなら…… もう少し大人しくなった方がいいかな」
「でも、あの爺さんがいなかったら、俺がここで働くことも無かったっス」
「そうだったね、確か」
「しこたま剣技をたたき込まれたし…… 姐さんも鬼のようだったっス……」
「でも、そのお陰で大聖堂の護衛兵になれたでしょ?」
「まぁ、そうっスけど」と頭をかくユリエル。「姐さんはマジで強いから、怖かったっスよ……」
「あなたの志が立派だと思ったから、どうしても護衛兵になって欲しかったのよ」
「そんなに立派っスかねぇ?」
「孤児院の子供たちのためにって、立派な理由だと思ったし、今も子供たちのために活動してるなんて知らなかったから、余計に驚いちゃった……」
「この時期は毎年、迷子が多いんスよ」
「私もお世話になってたし、何かお返しができたらいいんだけどなぁ」
「さすがに、聖女様を奉納祭の期間中にうろつかせるワケにはいかないっスよ」
「でも、院長さんもご高齢でしょ? 後継者もいないって聞くし……」
「まぁ…… そうなんスよねぇ。ベリンガールが内戦してた頃に作られた場所だけに、施設も古くなってるし…… 平和になっても、孤児はやっぱり一定数はいるっスから、悩ましい問題っスよ」
「私も色んなところに進言してるけど、ちゃんと聞いてもらえてないっていうか…… 自分の無力さを痛感させられてる」
「え? そういうこと、してたんスか?」
意外そうにユリエルが言うから、アリスは溜息まじりに、
「私だってそこの出身だし、これでも色々と気にはなってるのよ?」
と言うと、ユリエルがニッコリと笑顔になって、
「やっぱ、姐さんって素敵っスね」
「な、何言ってるの…… 私だけじゃなくて、マグニー大司祭だって毎年、多額の寄付をしているんだし、そういう活動は誰だってやってるものよ?」
「――だから憎めないんスよねぇ、あの人」
「えっ?」
「とりあえず、もうちょっとは頑張るって言ってたっスから、それまでになんとかしようとは思ってるっスよ。――今は、祭りが無事に終わるよう頑張るだけっス」
「そういえば、妙なのがいるっぽいって、言ってたもんね?」
「今のところ、具体的な被害は何もないから逮捕とかは無いっスけど…… 警戒するに越したことはないっス。やることは毎年、変わってないっスから」
「それこそ守衛さんも協力してくれてるし、心強いわね?」
「そういえば…… あの爺さんが、シェーン爺ちゃんと同期なんて信じられないっスよねぇ」
「ちょうどシェーン大司教もカントランドに来てるし、どこかのタイミングで会ってるのかな?」
「かもしれないっスねぇ~。シェーン爺ちゃん、孤児院に顔出してた頃から神出鬼没っスから」
二人が角を曲がって、霊廟に続く道を歩く。
やがて、霊廟の前に到着した。
霊廟はバルバランターレンが眠るとされている建物で、そこまで大きくは無いものの、いつも献花や奉納物が置かれてあって、人気の高さがうかがえる。
アリスはせっかくだからと、ユリエルと一緒に霊廟へ祈りを捧げた。
「――なんか変な感じっスね」
祈り終えたユリエルが、隣の小さなアリスに向かって言った。
彼女は小首をかしげている。
「昔、見たことがある人が、今もこうしてこの場所に立ってるのって…… 妙な気分っス」
「私も同じ感覚」と、アリスがユリエルの方へ向いて言った。
「昔、子供だった男の子が、こうやって見上げるような人になってるのって、変な感じ」
二人は自然と笑っていた。
「――じゃあ、気を付けるっスよ?」
「もう階段を登って行くだけよ?」
「暗いから、気を付けるに越したことは無いっスよ」
「それもそうだね…… ありがとう、ユリエル君も気を付けて」
「おやすみ」
そう言って背中を見せたユリエルへ、アリスが「あのさ」と呼び止めた。
「どうかしたっスか?」
「私、今日のこと忘れないから……!」
「何言ってるんスか?」と、ユリエルは困ったように微笑む。
「今生の別れみたいなこと、言わないでほしいっス」
「そ、それもそうだね……」
アリスは苦笑いを浮かべた。
それは、どこか不安そうなものであった。
ユリエルはその不安の正体を知ったのか、アリスのところへ戻って膝をつき、彼女を見上げるように視線を合わせた。
「戻らなかったら、すぐ俺に知らせて。一緒に考えるから」
真っ直ぐ見据えて言ってくるから、アリスは思わず目をそらし、
「う、うん……」と答えた。
「じゃあ、今度こそおやすみなさいっス」
「うん、おやすみなさい……」
ユリエルが立ち上がって、帰路につく。
アリスはそのまま霊廟の側にある建物へ入る。
不意に、静まり返った霊廟周辺の木の陰から、人影が現れた。