7~8:聖女様に思い出を(中編)
7
翌日の夕暮れ時。
またアリスが子供になって、隠し階段を下りて、隠し通路を歩いて、霊廟近くの石造物から出てくる。
「――コラッ!」
飛び上がるほど驚いたアリスが、胸元にある両手を握りながら、素早く振り返った。
「うぃ~っス!」
ユリエルだ。
「はあぁ~……」
と、アリスは気が抜けるような溜息をついた。
「悪いこと考えてるから、そんなに驚くんスよ?」
右手の平を胸に当てて、息を整えるアリス。
「ひとまず、大聖堂から離れるっス。――ちょっと付き合ってもらうっスからね?」
そう言って、ユリエルがアリスの左手を握った。
「今の姐さんに、拒否権は無いっス」
「はい……」
しゅんとしたアリスが、ユリエルに連れられていった。
墓地を抜け、充分に大聖堂から離れたユリエルが、アリスの手を離し、振り返った。
「どうして王冠の呪い、使ってるんスか?」
「その……」
アリスの目が泳いでいる。
「何が起こるのか分からないんスよ? そもそも、奉納祭で使うものなんだし、国の重要文化財でしょ? 確か」
「そう、です……」
今度はうつむいていた。
「俺、姐さんのこと尊敬してるし、それは今も昔も変わらないっスけど…… 悪いことはしちゃ駄目っス」
「ゴメンなさい……」
兄に怒られる妹と言うより、父親に怒られる娘みたいだった。
「謝るのは俺じゃなくって、シェーン爺ちゃん…… じゃなくて、大司教様とお父さんに謝るべきっス。王冠に何かあったら、とんでも無い事態になるんスから」
「はい……」
ユリエルが溜息をついた。
「まぁ…… 姐さんがいつも寂しい思いをしてるのも、知ってるっス」
アリスが顔をあげた。
「――王冠は持ち出してないんスよね?」
うなずくアリス。
「もう一度、考えてみてください姐さん。本当にその姿になって、前夜祭を見て回りたいんスか?」
「私だって、本当は大人のまま回ってみたいけど……」
「そういうことじゃないっス」
アリスが首をかしげた。
「呪いを使ってまで、見て回る価値があるんスか?」
沈黙が訪れた。
「どうなんスか?」
ユリエルがまた言った。
「姐さんの、正直な言葉が聞きたいっス」
「――行きたい」
アリスがなんとか、言葉を口にした。
「だって婚約が成立したら、もう見に行けないもん……! ずっと行きたかった場所に、ずっと行けず仕舞いになるのはイヤなのッ!」
「――分かったっス」
「えっ?」
「呪いを使う価値があるって言うんなら……」
ユリエルが手を差し出した。
「俺がカントランドを案内するっス」
アリスが驚いた顔をしている。
ユリエルはあいている手で頬をかき、
「もし元に戻れなかったら、そのときはそのときっスからね?」
「ありがとう、ユリエル君」
自然と昔の呼び方で、彼にお礼を言った。
8
昨日と同じように、市場にやって来た。
人通りは昨日よりも増えていて、あちこちで買い物をしたり飲み食いしている人たちがいる。
「はぐれないよう気を付けるっス」
「これでは大聖堂まで音が聞こえてくるはずね」
「明日、明後日はもっと人が増えるから、もっと凄いと思うっスよ」
アリスがユリエルを見上げて、
「今は、普通に話してくれていいんだけど?」と言った。
「えっ? いいんスか?」
「そもそも、あなたの喋り方は丁寧語でも敬語でもないからね……?」
「いや、まぁ…… 気を付けてはいるんスけど……」
「気を付けていたら、ちゃんと言葉も変わるはずだけどなぁ」
「そ、そうだ!」
彼は誤魔化すように指を差し、
「あれ、結構うまいんスよ! 確か夕食、あんまり食べてないっスよね?」
「今日はお小遣いを持ってきたから、何も食べてきてないです」
そう言って、懐に手を当てるアリス。
「子供らしからぬ金額が入ってそう……」
「貯蓄から、少し持って来ただけ。大金だと、落としたら大変だし」
「――いくら持ってきたんスか?」
アリスが建物の壁際へ移動する。そして、後に着いて来たユリエルに、財布の中身を見せた。
突然、ユリエルが財布を抑えつつ、周囲に目配せした。
「どうかしたの?」
「なんて金額、持ってきてるんスか……!」
「そ、そうかな?」
「やっぱり世間知らずっス」
「でも、使わなかったら貯まっていくものだし……」
「とりあえず、財布はもう仕舞っておくっス」
「分かった……」
彼女は、財布を大事そうに懐へ仕舞った。
「今日はおごるっスから、食べに行くっス!」
ユリエルがアリスの手をつかんで、屋台の方へ引っ張って行った。
運良く二人が離席したから、ユリエルが導くように、
「ここに座って」と言った。
言われるがまま、アリスが椅子に腰掛ける。大人用だから、足が少し浮いていた。
「おっちゃん、二つおくれ」
「あいよ~!」
アリスの隣に座ったユリエルが、
「姐さん、こういうの食べたこと無いでしょう?」
と言うと、彼女は目を輝かせながら、
「これが粉焼き……」と、つぶやいた。「本当に存在していたなんて……!」
「な、なんスか、その反応……」
「お待ち~」
アリスの目の前に、粉焼き料理が差し出されてくる。
生地を畳むようにして、素材を挟み込んでいたから、具材が何か分からない。
彼女はそれを、ジッと眺めていた。
「食べないんスか?」
「えっ?」
「え……?」
間があく。
それで、ユリエルが生地をつまみ上げた。
「えぇッ?!」
アリスが、普通なら大袈裟と捉えられるくらいに驚いた。あり得ないという顔をしている。
「あぁ……」
事情を察したユリエルが、つまんでいる生地をアリスへ見せて、
「ナイフもフォークも、お箸も無いっスよ?」
「て、手で…… 食べるのですか?」
「これはそういう料理っスから。なんなら食べさせてあげるっスよ?」
「い、いいです。そんな子供っぽいこと……」
「じゃ、いただきま~す」
と言うなり、生地を口の中へ放り込んだ。
美味しそうに口を動かすユリエルを見ていたアリスが、恐る恐る、生地へ手を伸ばす。
「お、お許しください……」
そうつぶやきながら、手で生地をつかんだ。
――思ったよりも暖かい。
火傷しないよう注意しながら、生地を頬張った。
「んっ……?!」
――想像以上に美味しい。
「姐さん、めっちゃ分かりやすいっスね」
ユリエルがそう言っても、アリスは目を輝かせ、食べることに集中していた。