5~6:聖女様に思い出を(前編)
5
朝の一件が嘘のように、つつがなく奉納祭の宣誓が終わる。
司教として一つの山場を終えたアリスは、疲れたから休むと告げて、用意されていた軽食を食べ終えてから部屋へと戻った。
そうして、窓の側に立って、前夜祭で賑わう町――カントランドを見つめていた。
前夜祭は本来、奉納祭の前日におこなわれる打ちあげ花火の日を言い、この花火が、奉納祭の開始合図であった。
もちろん、後夜祭も存在し、奉納祭が終わった晩の花火を指す。
しかし、どの国であっても祝祭の前日の方が、気分が高揚し、準備期間も長引いていくものである。
それに期間が長くなれば、旅行者を呼び込むのにも都合がいい。
こんな理由から、前夜祭は宣誓が終わった日から開始される、という暗黙の慣習ができていった。
準備を進めていたカントランドの人々は、宣誓後にこぞって祭りを楽しみ始める。
必然的に町が活気づき、賑やかになっていく。
夕日に暮れたカントランドには、あちこちに明かりが灯され、声があちこちから飛んでいた。
町の外れにある大聖堂にも、盛況が伝わってくる。
それをアリスは、ずっと窓から眺めているだけだった。
同年代の子達が、友達と一緒に祭りを楽しんでいるのを眺めているだけだった。
眺めるたびに、自分が本当に子供なのか、あの子たちと同じ存在なのか、それを疑った。
疑っては自分の姿を鏡で確認していた。
――でも、今回は違う。
アリスは、ユリエルが手を振りながら大聖堂から出て行くのを見送って、窓から離れた。
彼はいつも、アリスのことを気遣ってくれて、祭りで『戦利品』なるものを持ってきてくれる。だけど、それを見終わったときに訪れるのは楽しい思い出ではなく、悲しく虚しい思い出であった。
――そんな思い出は、もう終わりにする。
彼女はおもむろに王冠を手に取って、それを見つめた。
フゥっと大きく深呼吸をしてから、王冠を頭へかぶる。
そして、あの呪いを唱えた。
あらかじめ用意してあった子供用の服に着替えて、部屋にある暖炉の横の石を、三つほど押し込んだ。
すると、反対側のところにある戸棚が移動して、隠し扉が現れた。
この扉は代々、司教となる者にだけ伝えられてきた秘密の隠し通路と階段に続くものであり、何かあったらここから脱出するために存在していた。
バレたら大目玉どころでは済まない…… だけど、それ以上に囚われ続けている状態の自分でいるのがイヤだった。
「よし……!」
覚悟を決めたアリスが、前夜祭の世界へと続く階段を下りていった。
6
大聖堂の美しく整った墓地に、バルバランターレンの霊廟がある。その霊廟の側にある小さな石造建築から、子供のアリスが出てきた。
服装は至って普通で、髪型は長さが足りないから、ワンサイドアップになっていた。
周囲を警戒しながら墓地を抜けて、裏口から大聖堂を脱出した。
明るい時間帯なら観光客で賑わう大聖堂の周辺も、さすがに今の時間は誰もいない。
アリスは足早に大聖堂を離れていく。
まずは、町の中心へと向かった。
町の中心に着いた頃には、すっかり陽が落ちて、空が薄ら明るいだけとなっていた。
すでに町中が、篝火や蝋燭、ランタンなどの明かりで煌めいていて、この町の特産品である、青白い光を放つ『発光石』も使われている。
本来なら片付けられている市場の屋台がまだ並んでいて、行き交う人々が散策していた。
「――お嬢ちゃん」
振り返ると、男性が立っていた。眉に傷があって、それが目立っている。
「どうしたの? 迷子かい?」
「あ、いえ……」
フッと、大聖堂のことが頭をよぎった。
もし、自分が聖女であるとバレたら……
「と、友達を待たせてあるので、これで……!」
アリスは逃げるように走り去った。
町がどこもかしこも明るいから、どの場所を走っているのか分からなくなるということは無かったけれど、普段、それほど町を出歩くことの無いアリスにとって、いつもと違う光景と道なりは迷路と同じであった。
疲れて自然と足が止まる。
両膝に手をやって、息を整えた。
「おい」
また男の声だったから、ビックリして顔をあげた。
「具合でも悪いのか?」
――ユリエルだ。
「それとも、迷子か?」
こうも言われると言うことは、思っている以上に迷子が多いと言うことなのだろうか。
「わ、私……」と、恐る恐る話すアリス。「ちょっと町を見て回ってるだけです……」
ユリエルが笑った。
「そんなに怖がるなって。――ああ、その辺の蝋燭のせいで、怖い感じの、影が付いた顔になってるのか?」
そう言って、イタズラっぽく笑みを浮かべるユリエル。
少し様になっているから、アリスは自然と笑みがこぼれる。
「ユリエルさ~ん!」
少し年下の少年が、手を振っているのが見えた。
「向こうで迷子発見で~す!」
「おう! 詰め所に連れて行ってくれ~!」
「は~い!」
「――あの子は?」とアリス。
「孤児院出身のヤツだよ。年長者はいっつも、祭りの警備に協力してっからな」
「あなたも?」
「まぁな。今年は特に、妙なヤツが出てるらしいし……」
――それで、毎年この時期に町へ繰り出していたわけか。
「それより……」
ユリエルが言って、アリスをジッと見つめる。
「なんか、見覚えるある顔だな?」
心臓が高鳴った。
「わ、私、友達を待たせてあるので、これで……!」
また走り出すアリス。
「お、おい……!」
ユリエルは小さくなっていく彼女の背中を見て、ハッと何かを思い出したように、目を見開いた。
「あれ……? これって確か……」
どうやら彼には、過去に似た光景を見た記憶があるらしかった。