3~4:呪いを受けた聖女様
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アリスの目蓋が開く。
柔らかい光の筋が、窓から差し込んでいた。
上体を起こしたアリスは、レースの中にある肩紐がズレていることに気付いた。
それを元に戻そうとする。
しかし、紐が肩から浮いて、ちっとも収まらない。
原因は服の大きさが、体に合っていないからだ。
妙に思ったアリスが寝惚け眼のまま、ベッドの上を四つ足で移動し、際から足を垂らした。
今度は、足が地面に着いていない。代わりに、服の裾が地面に垂れ落ちていた。
普通の女性のベッドよりも、少し高めにしてあるとは言っても、足が着かないなんてことはあり得ない。
「何、これ……?」
さすがに異変が起こっていることに気付いたアリスが、服を引きずりながら、全身鏡の前に立った。
――身長どころか、体そのものが縮んでいる。
元々、一七〇センチ後半ほどあった身長が、一四〇センチよりも下回っている。そのせいで、母親の寝間着をかぶっている娘みたいな格好になっていた。
鏡に映っている自分の顔が惚けているのは、現実を現実として受け取れないからである。
混乱しているあいだに、扉のノックがして、『聖女様』と声がした。
――ハロルドである。
『じきに朝食の時間です。そろそろ下へ下りる準備をしてください』
「ま、待って!」
しばらくしてから、『どうかなさいましたか?』と声がした。
『また虫でも入ったんスか?』
「違います! その、なんと言うか……!」
辺りを見渡し、羽織る物を探すアリス。
「き、緊急事態です! 少し待ってて!」
彼女は近くのクローゼットを開いて、バスタオルを手に取って腰に巻き付けた。
それから肌着用の半袖服を、かぶるように着る。もちろん大人用だから、太ももくらいまでスッポリと入った。
『――聖女様?』
アリスはすぐにベッドへ戻り、布団を下半身にかぶせてから、
「お二人とも、お願いがあります!」
と、声を強く出して言った。
『着替えてるなら、待ってるっスよ?』
「そうじゃなくって……!」
『何かあったのですか?』
「緊急事態なんです……! とにかく、絶対に大声をあげたりしないでください。いいですか?」
『はぁ』と、気の抜けた返事を返すハロルド。
「いいですね?」
『――分かりました』
「じゃあ…… 入ってきてください」
扉が開かれる。
部屋に入った二人が、すぐに足を止めた。
「扉を閉めて!」
「は、はい!」
ユリエルがいそいで扉を閉めた。
それからベッドに座っている、小学生くらいの女の子を見やった。
「えっと……」
ユリエルが何かを言おうと、必死に考えを巡らせているのが見て取れた。
「ユリエル、ハロルドさん……」
アリスが先に言った。
「見ての通りです。――助けてください!」
4
「いや、あの、姐さんってことでいいんスよね……?」
「ユリエル!」とアリスが言った。「ここでは敬称を付けた名前か、役職の司教と呼ぶよう、いつも言ってるでしょ!」
「あっ」と言って、自分で口を塞ぐユリエル。
「――ハロルドさん?」
アリスが彼を見やって言うと、彼は固まったまま、ジッとアリスを見つめていた。
「ハロルドさん、大丈夫っスか?」
「あ、ああ……」
やっとハロルドが言った。視線はアリスに向いたままで、信じられないという顔をしていた。
「驚いたな……」
「全くっス。どうしてこんなことに……」
そう言って、ユリエルがハロルドを見る。
「どうするんスか? コレ……」
「と、とにかくだ。何が起こったのか、状況を説明して頂こう」
「そうっスね」
と言って、アリスの傍に寄った。
「姐さ…… じゃなくて、アリス様!」
小さな小首が傾く。長めの髪がサラリと肩から流れた。
「どうしてこうなったのか、分かるっスか?」
不安そうに首を横に振った。
「そうっスよね、分かってたら説明してるだろうし……」
「朝起きたら、もうこの姿だったの……!」
「と言うことは」とユリエル。「寝ているあいだに何かあったってことっスよね?」
振り返って、ハロルドを見つつ言った。
「どう思うっスか?」
「お前の言う通りだろう」
「じゃあ」と、またアリスを見た。「寝ているあいだに、何か感じなかったっスか?」
「何も……」と、首を横に振った。
「ど、どうするんスか? じきに奉納祭が始まるっスよ?」
「分かっています……!」
ユリエルは心配そうにアリスを見つめ、アリスは焦燥感からうつむいていた。
「――あの王冠」
不意に、ハロルドが指差して言った。だから、他の二人も王冠が置いてある机を見やる。
「あっ……」
というアリスの声に反応して、ユリエルが彼女に視線を戻す。
彼女はバツが悪そうに、またうつむいた。
「ま~た箱から取り出したんスか?」
「べ、別にいいでしょう……! 盗って売るって訳じゃないんだし……!」
「ひょっとすると」ハロルドが言った。「王冠伝説の通り、呪いが掛かったんじゃないですか?」
「「呪い?」」
ユリエルとアリスが同時に言った。
「豪族の長が、子供になったとか言う話…… あったでしょう?」
「そんなはず……!」
アリスが身を乗り出すようにして言った。
「あれは単なる童話ですよ……?!」
「しかし、勇者にまつわる童話や伝説は、一概に作り話とは言えません。王冠にまつわる伝説には、必ず呪いの類いが出てきますし…… 現に今、アリス様は子供になってしまわれているでしょう?」
「そ、それは……!」
「そもそもの話、誰かがここへ侵入して、直接、アリス様に何かをしたなんて…… 考えられますか?」
そう言って、ハロルドはユリエルを見やった。
「エッ?! お、俺は昨日、非番っスよ?!」
「――と言うわけで、昨日は我々以外の人間が警備にあたっておりました。
しかも、大司教様もご滞在されていますから、通常時よりも警備は厳重になっております。よって、パッと思い付く原因はそれくらいかと……」
「しかし、そんな……」
アリスが言って、机にある王冠へ目を向けた。
朝日で宝石の一部が光っている。
「どうやったら解除できるんスか?」
ユリエルがポロッと言うから、ハロルドが首を横に振った。
「えっ? まさか解除できないんスか?」
「伝説通りなら、エルエッサムの魔法使いが出てくるわけですが……」
「それこそ、今の時代にいるわけないっスよ!」
「ま、待ってください!」
ユリエルとハロルドが、アリスを見やった。
「ちょっと試してみたいことが…… 申し訳ありませんけれど、外に出ていてもらえますか?」
「いえ」とハロルド。「このような事態になったからには、アリス様を一人にはできません。万が一、というのもあり得ますので」
「だ、大丈夫ですよ……!」
「解呪方法に心当たりがあるんスね?」
ユリエルがうまいこと話の間合いに入って、言った。
それで、ハロルドが黙り、アリスが何回もうなずいた。
「じゃあ、俺たちはそっちの部屋の隅にいるっス。
あと、耳も塞いでいるっス。アリス様は、何かあったら大声をあげる…… これで問題ないっスよね?」
問われたハロルドが肩をすくめ、「俺もそれで構わない」と答えた。
二人は部屋の四隅に移動し、アリスへ背を向けてから両手で耳を塞ぐ。
「こっちはオッケーっスよ~」
ユリエルがハキハキした滑舌で言った。
ハロルドはユリエルへ目配せをし、『本当に心当たりなどあるのか?』と言うように、心配そうに見ていた。だから、ユリエルは心配するなと言うような笑顔になっていた。
一方、二人が背中を向けていることを確認したアリスは、いそいでベッドから下りると、机の上の王冠を頭に乗せ、全身鏡の前に立った。
「――まだですか?」
ハロルドが言った。
「も、もうちょっとだけ待って!」
耳を塞いでいても聞こえそうなくらいの声量で、アリスが答えた。
そうしてすぐ、彼女は息を吸ってから呪文を唱えた。
「カシコミ、カシコミ、ロコンセイジョ、コノメノミスガタ……」
またしばらく、時間が過ぎた。
「――もぉ~いぃ~かぁ~い?」
ユリエルが、隠れんぼのときの掛け声で尋ねた。
すると、二人の両肩に女性の手が乗った。
「も、もういいです」
振り返ると、そこにはサイドテールに聖職者の服をまとったアリスがいた。
二人とも、しばらくアリスをジッと見つめているから、その視線に押されたアリスが、少し後ずさって、
「も、元に戻って…… いますよね?」 と言った。
「元に戻ってますね……」
ハロルドが独り言のように言った。
「マジで戻れたんスね……」
まだ信じられないと言うような顔で、アリスを見つめるユリエル。
「さ、さぁ、時間がありません。朝食を頂きに行きましょう!」
そう言ってアリスが、扉の方へ歩いていく。
「――お二人とも」と言うなり、素早く振り返った。「この件は…… どうかご内密に……」
「聖女様も」とユリエル。「この件に懲りたら、あの王冠を箱から出して遊んだりしないようにするっス」
ぐうの音も出ないアリスは、紅潮しながら恥ずかしそうなジト目で、ユリエルを睨んでいた。