16~17:不穏な花火
16
夜になる。
議事堂での説法を終えたアリスが、宿直室の窓辺から、いつものように外を眺めた。
いつものように、空は暗いのに町並が妙に明るい。
――今日から花火が始まる。
いつもなら大聖堂の寄宿舎から、合計で五晩ほど、打ち上がっていく小さな花火を見ていた。
音も小さいし形も小さいけれど、三階にある自室の窓から花火を見ることができた。
それがどうだ…… 今年はまるで独房みたいな部屋に入っている。
しかも、議事堂の周辺には同じ高さの建物がたくさん並んでいるから、花火を見ようと思ったら、望むことも難しい空を、窓から頑張って見上げるしかない。
「何やってるんだろ、私……」
アリスは、すでに子供となっていた。
自分の両手をジッと見つめてから、もう一度、窓の外を眺める。
――ここまでしなければ、外で花火を見ることもできない。
アリスはそんなことを思った。
父親はきっと、存在したであろう実子の代替えに自分を選らんで、後継者とすることしか考えていないのだろう。
そうでなければ、もっと自分と過ごす時間を取るはずだ。
仕事だってそこまで無茶苦茶に忙しいものではないことを、アリスは知っている。
父親が大聖堂にいる自分を見たがらないことも知っている。
そして、見たがらない原因も知っている。
自分が珍しい女性司教であり、子供の頃から聖女という渾名みたいな呼称を付けられて、見世物みたいに、観光客が聖女を見に来る毎日……
――呪い染みている。
アリスには、司教という立場が、聖女という呼称が、呪いの象徴そのものにしか思えなかった。
父が自分に会いたがらないのは、こんな状況が影響しているせいだろう。
見世物の娘なんて、見たくもないのだろう。
そんな義父を見るのが、アリスには耐えようもなく辛いことであった。
そしてバルバラントのため、人柱にされる理不尽さが嫌いだった。
観光資源にしようという政治屋たちの浅はかさが嫌いだった。
「呪いの連鎖は、我々で断ち切らないといけない……」
バルバランターレンの伝記に載っていた言葉を口にしたアリスは、窓をあけて、外へと出ていった。
議事堂周辺は制限区域だから、観光客よりも警備兵がうろついている。
アリスは警備兵に見つからないよう、町の外れへと歩いて行く。
じきに花火があがるとあって、町全体の明かりが少し落ちていた。
そのせいか、空に昇っている月が明るく見える。じきに満月だろう。
アリスは事前に聞いてあった、花火がよく見える公園へ向かった。
そこはカントランドの少し外れにある、小高い丘の公園であった。
普段は静かな場所だけど、たくさんの人だかりがある。
人混みがあまり得意ではないアリスは、ちょっとだけ丘を登ったところの、茂みの側のところに立った。
――アリス以外の人々は、誰かと空を見上げている。
子供一人で見ているのは、それこそ自分だけだ。
寂しいけれど、大きな花火を見られるという高揚感が、アリスにはあった。
「花火、まだかな……」
空を見上げてつぶやく姿は、内気な女の子そのものであった。
17
突然、大砲の発射音がしたと思ったら、光の粒が尾を引いて、空へと昇っていく。
ドンッと大きな音を立てると、火花が四方八方に規則正しい間隔で散っていき、パラパラと小さな花火が入れ替わりに弾けて、すぐに消えていく。
赤色、青色、黄色に、紫や茜色、水色、桃色などが飛び出していく。
色鮮やかだった。
アリスの瞳に、その様々な色が映し出されては消えていく。
曲導が付いた親玉が上昇すると、ヒュウヒュウと音を立てているのが聞こえる。窓からだと全く聞こえなかった音だ。
アリスは、花火が終わったことに気付かなかったくらい、集中して空を見上げていた。
周囲の人たちが、移動し始める。
アリスも議事堂の方へと歩き出した。
警備の人間がどういう行動経路をたどるか知っているアリスは、なんなく制限区域の中へと入る。
そして、ついさっき終わった花火を、反芻するように思い出しつつ歩いていると、いつの間にか周囲が暗くなっていることに気付いた。
――議事堂を含む公的機関の建物周辺は、規制で催し物が無く、人通りも少ない。
必然、明かりも灯されていないから、いつもと変わらないカントランドの風景があった。
むしろ、周りが明るい分、やけに暗く感じる。
「こんなに暗かったっけ……」
祭りの明るさに慣れつつあったアリスが、ポツリと言った。
そこへ、足音が近付いてきていることに気が付く。
足音くらい、そこら中からしていたけれど、今は場所が場所だから、ほとんど聞こえることはない。
代わりに、遠くから賑やかな声がしてくるし、そちらの方が音量が大きい。
周辺に規制が敷かれているとは言っても、別に関係者以外の立ち入りを禁じている訳では無いから、誰かが通ることはある。あるけれど、近付いてくる足音が耳に付いて離れないから、さっと脇道に入って、横向きに歩きつつ、人影を確認した。
――まだ現れない。
気のせいかと思って安堵する。
不意に、上から土埃が落ちてきた。
思わず見上げる。
屋根の上から、こちらを覗き込んでいる人影があった。
アリスは思わず、ゾッとして引き下がる。
月明かりで輪郭だけはぼんやりと浮かんでいる。ただ、それだけであった。
――とにかく人のいるところへ行こう。
アリスが来た道を戻った。
すると、男性らしき姿が立っているのが見えた。
アリスは恐怖を感じながら、急いで、先程の脇道へ引き返すように走った。
男が追い掛けてくる。
アリスは別の脇道に入って、議事堂を目指した。
しかし、暗いせいかどこを走っているのか分からなくなってくる。
足音はまだ聞こえていて、振り切れていない。
アリスは、側にあった木箱や樽を引っ張って崩し、地面へぶちまけた。
そうしてすぐに走り出す。
走って、息を弾ませ、また脇道を駆け抜け、抜けた先にある建物の壁近くにあった、荷台の側にある木箱の隙間に入り込んで、身を潜めた。
――間もなく、追っ手の足音がする。
アリスはジッとして、両手で口を覆って息を殺した。
しかし、息があがっているせいで、過呼吸みたいになって苦しい。
脈も速くて、心臓の鼓動が収まらない。両肩も勝手に大きく動く。
足音が近付くにつれ、体も震えてきた。
――ピタリと足音が止む。
目をつむったアリスは、震えながら、縮こまっている。
フッと、木箱と木箱の隙間から、靴やズボンの一部が見えた。