夜明けの熱は去る
目が覚めて最初に心に浮かんだのは、数時間前の肉体的な快楽のことでも、今目の前にいる容姿端麗な男の美しさでもなく、寒い、ということだった。
ホテルの布団があまり身体を暖めてくれないのは多分、わざとそういうものを選んでいるからなんだろうと私は思う。初めてご宿泊をした時には、もっとポカポカするような毛布でも置いてくれれば、なんて思ったけど、次第にそれは間違いだったと思い直すようになった。何故ならこのベッドが想定しているのはきっと、情事の火照りを留めたまま互いに抱き合って眠るカップルなのだから。
対して今の私は、彼と殆ど接していない。ことが終わった後、眠りにつく前に向こうがそっと絡めてきた手だけが、唯一ふたりの体温を共有している。
今は何時だろう。時計を確認すると、午前5時。そういえば明日――いや、もう今日か――は1限だけ講義がある。二度寝しようと思えばできなくはないけれど、もし寝坊したら、ひとつしかない明日の授業をサボることになる。それに、布団から飛び起きたら裸で、慌てて衣服を身に付け、年下の男の前で化粧をする自分を想像するとなんとも滑稽に思えてきて、今のうちに身支度を済ませてしまおうという気になった。
手を離して身を起こす。裸体には低めの温度に設定されたホテルの空調は、私の身体を冷やす。けれど元々、そこに大した熱はない。
「かなこ、さん……」
足もとの方に転がっていた下着に手を伸ばそうとした時、背後から重たい音声が聞こえた。同時に、私の腰に2本の腕が巻き付く。すき、という音が聞こえたような気もしたが、私は無視して身なりを整え始める。服を着て、髪に櫛を通し、メイクをする。シャワーは……昨夜のセックスではほとんど汗をかかなかったから、1限が終わったらすぐに帰って浴びることにしよう。
手持ち無沙汰になった私は、寝惚けたまま身動ぎをして布団の剥がれた彼をぼうっと眺めた。綺麗な肌をしていると思う。鍛えているわけでもないらしいけど、しっかりと落ち着くような硬さを持つその身体は直線的で、彫像のような美を感じさせる。彼はあまり体毛の濃い方ではないけれど、腕にうっすらと、しかしはっきり生え並ぶ毛は、訓練された軍隊みたいに整列している。
「……うん、やっぱり」
魅力的な身体だと思う。
それでも昨日の夜、私に宿った熱は、付き合い始めた頃ほど燃え上がらなかった。
多分、潮時なのだろう。
私はもう一度ポーチを開いて、崩れてもいない化粧を直す。手鏡で確認しながら引いたアイシャドウに満足して、私はひとり頷いた。
「好き……」
その呟きは、彼女の耳に届かなかったのだろうか。それとも、聞こえていないフリをしたのか。
どちらにしろ、彼女の腰に絡めてみた腕を少しの躊躇いもなく解かれた時点で、だいたいわかってしまった。
彼女は覚えているだろうか。以前は同じことをしたら、俺の腕を優しく撫でてくれたものだった。
寝惚けたフリをしていたものの、頭ははっきりと目覚めていた。それでも暖かい布団から出る気がせず、目を閉じて、その熱に縋ろうとする。けれど、彼女の分の体温を失ったベッドは次第に冷めていく。仕方なく、もう起きようかと目を開いた。
彼女は済ませたはずの化粧を再びしていた。俺が目の周りをいじるメイクをあまり好まないことを、彼女は知っていた。