Ⅲ-7
「実は僕、死なないんだよね」
ということで、言葉ではなく行動で解決してみることにした。
あの一件以降、何かのノルマみたいに一日に一回は僕のところに来て喋るようになった榛名くん。その榛名くんが、トンカチ片手に口をぽっかり空けている。
「…………は?」
トンカチは怖いから下ろしてほしい。
教室はびっくりするほど静まり返っていた。榛名を始点してソフトに攻めていこうと思ったのに、どうしてこんなにタイミング悪くみんなの耳に届いてしまったのか。午後三時、教室中の視線はぜんぶ僕のところに集まっている。
光倉さんのも。信じられない、と言いたげな温度で。
「いやなんか雰囲気に流されて言えなかったんだけどさ、僕、陰性だったんだよね、あの結果」
検査の、と付け加える。びっくりするほど虚しく響く。それでようやく、なるほどなあ、と納得する。確かにこの空気になることを予想していたら、自分からはとんでもなく言い出しづらいだろう。もし僕が光倉さんだったら、たぶんこの段階まで引っ張っちゃったらもう言わないでおしまいにしていたと思う。どうせみんなもうすぐ死ぬんだし。ちょっとの辛抱なんだし。僕だったら別に罪悪感とか抱えたりしないし。後悔とかもしないし。
「マジで言ってんの?」
「マジマジ」
榛名の問いかけは、まあ結構軽い。本当に心底びっくりしてるんだろうけど、あんまり物事を深刻にしないようにしている、そういう配慮の感じられる声色だった。
「お前……、早く言えよ」
「自分でもそう思う」
不思議なくらい、教室中の誰も会話をしなかった。注目だけが集まっている。それにしても、よく榛名は一言で簡単に信じたな、と疑問に思う。みんなが罹ってる死病に、実は自分だけ罹ってません、ってあんまり信憑性が高いカミングアウトじゃないと思うんだけど。
「親とかは知ってんのか、それ」
「やー、言ってないわ」
「なんでだよ」
「なんでだろ……。タイミング逃したからとかじゃない? たぶん」
すごく曖昧な回答になったけれど、日頃から曖昧に過ごしているだけあって、僕にしてみればそんなに違和感のない言い方ができた。
「てか、ほかにもいるんじゃないの? そういう人。実はセッカ病陰性だったけど、周りの空気読んでましたみたいなさ」
「いてたまるか」
「いや、絶対いるね。間違いない」
「なんの自信だよ」
「いや絶対そうだよ。たとえば僕の目の前とかにいる」
は、と。榛名は言った。それからようやく、事態が飲みこめた、という風に、呆れたように笑った。
「んだよ、お前わかりにっくいわ」
「ミステリアスな男だからね」
あはは、と笑い合うと、それで教室の中に漂っていた空気が弛緩する。
「榛名、どうだった? 健康診断」
「一七九センチ」
「縮めよ。体重は?」
「去年と同じ」
「成長しろ。セッカ病は?」
「罹ってねえ」
「いえいじゃん」
「いえいだろ。お前は?」
「罹ってるわけねえー」
僕たちはいえい、と言った。へらへらしながら。僕たちはハイタッチをした。へらへらしながら。
それから僕は、近くにいた男子に聞く。
「ねえ、セッカ病どうだった?」
いきなり話を振られたことに向こうは戸惑いつつ、「いや、罹ってるわけなくね」と半笑いの、期待通りの回答が返してくる。ひとりに伝播させたら、あとはあっという間で、教室にまた賑やかさがが戻ってくる。セッカ病の検査、どうだった? 陰性だった。
雨の中、終わっていく世界に閉じ込められた僕たちは娯楽に飢えていて、これは口先だけの、一瞬だけのごっこ遊びだった。
もしも僕たちがセッカ病に罹らずに、普通に高校生をやっていたら。もしも僕たちがこれから死ぬという現実を受け入れられなくて、目を逸らして、病気に罹っていたという事実をなかったことにするよう錯乱を始めたら。
もしも生き残ってしまうのが、
「光倉さんは?」
たったひとりだけじゃなかったら。
誰かの問いかけに、光倉さんが何と答えたのかはよく聞こえなくて、代わりに榛名が僕に、なんの遊びだよ、と。楽しそうに訊いた。
僕はこう答えた。
「普通に現実逃避だけど」
笑いながら。




