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じゃあ逆に君以外がみんな死んでしまうとしたらどうするんだって話  作者: quiet
Ⅲ 現実のことは知らない 優しさがあったら人のかたちに見える
19/22

Ⅲ-6



 寝てたら肩を叩かれた。


 たぶん僕じゃないな、と思って、うん、とだけ身じろぎをした。どうせトイレに行こうとした誰かの足が触っただけだろう。寒い上に人の出入りのたびに起こされるから絶対ここだけは嫌、と評判の廊下側入り口付近の布団に寝ているから、結構よくあることだった。他の人よりも若干広いスペースで寝られる代わりに、たまにこういうデメリットがある。たとえドのつく深夜でも。


 なのにまた肩を叩かれた。嫌がらせかな、と思って薄目を開く。


 ものすごいところに顔があった。


 目の前一〇センチくらいのところ。


「う、」

「しーっ」


 と、五センチくらいのところに人差し指を立てたのは、光倉さんだった。色々なはてなマークが頭に浮かんでくる。なんで深夜に。なんでこの人。どんなパーソナルスペース感だよ。僕には驚く程度の権利すら認められてないのかよ。


 そのはてなマークがひとつも処理されないうちに、顔が離れる。ほっとする。光倉さんが廊下にするする移動しながら手招きをする。えっ、と困惑する。


 嫌です、と言いたかったけれど、みんなが寝ているところで言い争いをするのも睡眠の邪魔になる。しょうがないなあ、と思って、起き上がる。寒い。ジャージとカーディガンの重ね着だけだと、もう夜には耐えられない。そういう季節が来ていて、名前を冬というらしかった。


 耐えられないけれど、まさか掛布団を肩にかけていくわけにもいかなかったので、震えながら光倉さんの後をついて歩く羽目になる。


「何?」


 と、小声で訊いた。けれど、光倉さんは困ったような表情を返してくるだけだった。その理由も結構よくわかって、みんなが寝静まった夜の廊下では、その小声すらかなり響いて聞こえた。てっきり窓の外で降り続けている雨の音にかき消されるかと思ったのに、思いのほか、校舎の壁を隔てた内側では、空気はまだ震える余地を残していたみたいだった。


 歩く。歩いた。まあまあの距離を。中央階段を使って三階から2階に下って、連絡通路を通って本館から特別授業棟に移動した。そのあたりで止まるものかと思ったけれど、光倉さんは止まらずに、階段を上っていく。よっぽど人に訊かれたくない話なのかな、と思うと、そもそも光倉さんが僕に話しかけてくる理由なんてあの関係しかないよなあ、と再認識してしまって、つらくなる。そんな重い話には付き合いたくない。


「ごめんね」


 止まった。


 屋上に続く、扉の手前で。


「寝てたのに、起こしちゃって」

「ええよ」


 寒さのあまり、口があんまり開かなくて、そんな感じの発音で僕はいいよ、と言った。光倉さんは違う季節にでも住んでるみたいに、まるで寒さを感じさせない様子で僕の目の前に立っていた。


「言うの?」


 あまりにも寒くて、布団帰りたさのあまり、単刀直入に切り出してしまう。光倉さんはそこまで速度が出ることを想定していなかったのか、目を大きめに開いた。そんな気がする。屋上扉の磨りガラスから漏れてくる、真っ青な夜の明かりは逆光で、本当はあんまり光倉さんの表情は見えなかったんだけれど、少しだけ動いた空気が、そんな雰囲気だよ、と教えてくれた。そんな気がする。


「言いたい」


 イエスノーがよくわからない返答がきた。なんだか前にもこんな会話をしたような気がする。それから一歩も前に進んでなかったんだな、とぼんやり思う。やっぱりすぐに死なない人は余裕があるな、という感想が頭を過って、僕は自分が嫌なやつだな、と改めて自覚する。


「いいんじゃない、言っちゃえば」


 光倉さんとの会話で非常にやりやすいところは、表情の変化で大体どんなことを考えているのかがわかってしまうということだったんだけれど、さすがにこの雨の夜になると、その利点もなくなってしまっている。薄ら青みがかっているだけでほとんど真っ暗な空間に、ふたりで向き合って立っている。なんだか逃げ場がないよなあ、なんて焦りに似た感情が芽生える。


「待鳥くんってさ、前もそうだったけど、こういうとき他人事だよね」

「そりゃそんな短い間に性格変わんないし」

「……今ね、私結構本気で困ってるんだよ」

「なんで?」

「え?」


 心底驚いたような、え、が返ってくる。


「いや、なんでなのかなって」

「なんでって……、そりゃあ、悩むよ。だって私、ひとりだけ病気じゃないんだよ?」

「いいじゃん。健康体で。いいことだと思う」

「……あんまり適当なこと言わないでよ」

「いや、真面目にさ。別にいいじゃん。みんなが病気になったからって光倉さんまで病気に罹る必要ないし」

「でも……、ひとりだけ死なないって、罪悪感、あるよ」

「死なないわけじゃないでしょ。死ににくいだけで」


 言いながら、そういう話じゃないな、と自分で自分の言ったことを否定する。あと言い方も。思ったより寝起きで不機嫌なのかもしれない。光倉さんの心情に共感できないのが自分の今の実際のところだけど、理解は普通にできている。たぶん。だから、あんまり怒ったような言い方はしたくないよなあと思う。相手が僕しかいないからとはいえ、自分のところに相談しにきた相手に取るような態度じゃないよな、と反省する。


「ごめん。口悪くて。言い過ぎてる」


 なので、とりあえず謝っておく。ううん、とか細い否定が返ってきたけれど、か細すぎて、精神的なダメージを与えてしまったことは間違いなくわかった。


「でもみんな、いつまでも生きてるわけじゃないから」


 言ってから、致命傷を与えた感触がした。やっちゃった、と。心の中で呟く口調は軽かったけれど、結構な焦りはあって、寒いのにじんわり身体に熱が入る。もう人を泣かせるのは嫌だ。つい最近もふたり泣かせたのに。


 泣き声が聞こえてくる前に、と僕はさらに言葉を口にする。


「どっちでもいいと思うよ。言ったら言ったで後悔するかもしれないし、みんなに嫌な思いをさせるかもしれないけど」


 言いながら、なんで他人が生き残るってだけで嫌な思いをするんだよ、と思う。人の勝手だろ、と。傷つきたいならひとりで勝手に傷ついてろよ、と。そう思うけど、光倉さんが想定しているみんなの反応っていうのはたぶんそういうものだろうし、実際みんながどんな反応をするかみたいなことを正確に想像できるほど、僕はみんなのことをよく知らないので、とりあえずそういうことを言っておく。


「言わなかったら言わなかったで、後悔するんでしょ」

「……言わなければ、みんな、傷つかない、よね」

「幽霊になってから傷つくかもね」

「…………え」


 長い沈黙の後の、え、だった。


「何したって誰かは傷つくよ。何もしなくてもそうだと思う」

「……うん」


 か細い相槌は、か細かっただけに、それがよっぽど上手く伝わったらしい、ということがわかる。扉の向こうで、雨が屋上で弾け続ける音の方がずっと大きかったのに、その頷きの方が、ずっと耳元で聴こえた。


「何をしても、しなくても、誰かを傷つけるなら……、あとは、誰をどう傷つけるか、選ばなきゃいけないんだよね」

「ん? あぁ……」

「……?」

「別にそんな、自分に厳しい選び方、しなくていいと思うけど。自分のやりたいようにやればいいじゃん。どうせ、何しても誰か傷つくんだから」


 息を呑むような、震えるような、そういう気配がした。寒そうな気配。光倉さんから。


「できないよ、そんなわがまま……」


 生きづらそうな人だな、と素直に思った。これから僕たちのうちの誰よりも、長く生きることになるのに。


 あれ、なるんだっけ。


「そういや結局、光倉さんって自殺はしないの」


 やっちゃった、と。空気が凍ったのを感じて、僕は思った。沈黙。沈黙が破られるときっていうのは、大抵その沈黙の長さに応じて、破る言葉の重みが増す。


「…………」

「……………………」

「…………やっぱり、した方がいい、よね」


 言ってない。僕は。そんなこと。一言も。すぐに否定したかったけれど、やわらかい否定の言葉が思い浮かばなくて、一瞬間が空いてしまう。空いたところに、光倉さんの言葉が差し込まれてしまう。


「みんな死んじゃうのに、私だけ生きてるの、ずるい、よね……」


 僕には理解できない思考だった。僕はいつだってどこでだって人より楽して生きていたいし、人より楽して死んでいきたいし、ずるをするのも大好きだから。


 なんだか相談に乗ってる格好なのに、何を話しても光倉さんにぐさぐさ刺しちゃってるなあ、という自覚はあって、どうも若干僕の中に刺そうとする無意識も存在してるらしくて、もう何を言うのも可哀想になって、何も言えなくなってしまった。だけどとりあえず、「そんなことないよ」という気休めくらいは口にしておいた方がいいよなあ、と思って、けれど、その前に光倉さんの方が動き出す。


「う、うぅうう、」


 またかよ、と思う余裕は、そんなになかった。また僕が人を泣かせてしまったことは確かで、そしてその泣き方はこれまでで一番激しかった。ので、ものすごくたじろいだ。


 ううう、と、唸るように光倉さんは泣いた。顔は見えなかったからよくわからなかったけれど、声だけ聴いてると、気性の荒い犬みたいに泣いた。たぶんどうにか泣くのを抑えようとしてたんだろうけど、正直怖かった。普通に泣いてほしかった。


 そして、泣かれてしまうと僕はもう本当に何も言えなかった。何泣いてんの、と言えるほど仲が良いわけでもないし、ここで急に焦り出してごめんねごめんね謝り始めても、その先あんまり上手い着地ができるビジョンが見えないし。


 ううう、と唸りながら、光倉さんは僕のジャージの上着をぎゅっと掴んだ。破れそうなくらい。それから縋りつくようにして、というかたぶん縋りついてるんだけど、額を胸のあたりに近付けてきた。僕は半身を引いて、両手を肩のあたりまで上げた。


 身も心もお手上げになった。


 それからしばらく、光倉さんは大泣きするのをこらえるみたいなやり方で、泣き続けた。どうせ泣くなら、もっとすっきりするやり方で泣けばいいのに、と思いながら、僕はずっと立っていた。ただ立っているだけだった。雨音が強くて、呼吸していることすら意識しないとわからないくらい、そのくらい立っているだけだった。


「……ごめん」


 と、そう言って光倉さんが、やっぱりあんまりすっきりしてなさそうな声を出したときまでに、どのくらいの時間が経ったのか正確にはわからなかったけれど、


「鼻水、ついちゃったかも」


 と言われたときに、でしょうね、と思うくらいには長い時間があった。すん、とすすり上げた音は結構水っぽくて、それを隠すようにかは知らないけれど、光倉さんはジャージのポケットからハンカチを取り出して、それで鼻から下を覆った。


「困るよね、待鳥くんも、こんなこと言われても」


 うん、まあ、と正直なところが言いたくなる。正直なところを言うべきではない、と判断したので、若干返答までに間が空く。その間に光倉さんは続きを喋り始めてしまう。


「私、やっぱり言わないことにする」


 きっぱりとした口調だった。そして、それはそれとしてものすごく痛みに耐えています、という声色でもあった。


「私の問題だもん。ただ私が、みんなのこと騙せばいいだけ。それで済むなら、自分勝手なことは、しないことにする」


 私、人より恵まれてるんだから。


 そう付け足した声は、どう聴いても「私が世界でいちばん可哀想なんです」という意味を含んでいた。僕は非常に困って、とりあえず弱めの言葉を用意した。


「言わないことで抱えてる悩みって、言うことでしか解決しないと思うけど。いやまあ、光倉さんが決めたんなら別にどっちでもいいんだけどさ」

「うん。それでも言わない。待鳥くんと話してて、よくわかったよ。自分がやろうとしてること、どのくらいわがままで、どのくらいひどいことなのか」


 なんかすべて僕のせいみたいな言い方をされている。いや、口調に当てつけみたいな感触はないし、たぶん僕の被害妄想なんだけど。


「やっぱり、私ひとりのためにみんなに迷惑かけるなんて、ダメだよね」


 そう言って、光倉さんは笑った、気がする。


 実際にどんな表情だったかはさっぱりわからなかったけれど、もしかして僕って人の相談に乗るのめちゃくちゃ下手なんじゃないか、と思った。




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