Ⅲ-5
終わりにしてからライオンが入ってきたので、僕はライオンに対して初めから非常に厳しい態度で接することになった。
金髪頭は、保健室の扉を開けたときは俯いていて、前髪でまったく表情が読めなくて、しかもそのまま顔も上げもせず近付いてきて、ベッド横の丸椅子に腰を下ろして、それきりしばらく何も喋らなかった。
話しかけてほしそうだったから、僕は何も話しかけなかった。
そして何も言わずにつーんとしているのもそれはそれで意地を張っているみたいで何か嫌だったので、思い切って寝てみることにした。ベッドに素直に寝転がって、金髪の逆側を向いて、布団を被った。僕の生活リズムはすでにぐっちゃぐちゃで、寝たいと思ったときには眠れるようにできている。そして痛いから眠れない、というより痛いので眠って何もかも忘れたい、というタイプの生き方をしているので、まさに絶好の睡眠タイミングだった。心地よくなってくる。
「ごえっ」
ぶっ叩かれた。
最初、何が起こったのかわからなかった。ぼすっ、という鈍い音がして、その後急に脇腹のあたりに重みと痛みが現れた。まさかまさか、と思う。まさか僕を殴った上に、拗ねてさらにぶっ叩いてくるような人間がこの世にいるというのか。いるらしかった。さすがに二回、三回と重ねてきたら、知らないふりも続けられなくなった。
「何」
答えはない。代わりにもう一度布団の上から叩かれる。さすがにちょっと怒りが湧いてきた。
「警察呼んだから」
「…………」
「光倉さん警、いってえ!」
ぼすっ、とかそういうレベルじゃなかった。ばこっ、と叩かれた。上から叩くとかじゃなくて、普通にグーパンの感触がした。思わず痛みのせいで痛みを忘れて、がばっと布団を跳ね上げるようにして起き上がる。
どうやら僕は殴り返してやろうと思って拳を握っていたらしいんだけど、未だに叱られた子どもみたいに顔を伏せたままの榛名を見て、なんだかそういう気持ちがきれいさっぱり、とはいかずとも、雨上がりに泥まみれの靴が乾いていくみたいに、微妙な不快感だけ残して薄らいでいった。ぼすっ、と握ったままの拳が、やや鋭い軌道を描いてベッドに落ちたのが、そのやりきれない気持ちの残滓らしい。
「何」
なんも言わない。
たぶんこういうとき、僕はもっと怒るべきなんだろうな、と思う。そうじゃなかったら、どうしたの?とかそういう理解ある態度を取るべきなんだろうな、と思う。でも残念ながら、僕にそういう誠実さはない。
そして別に、榛名もそういう誠実さを必要としないと思う。怒るのも、理解してもらうのも、もう別に僕以外の人にやってもらえるだろうし。
それでもやっぱり榛名は話しかけてほしそうにしていたけれど、それでもやっぱり僕には話しかけるべき言葉がひとつも思い浮かばなくなってしまった。優しい言葉も、厳しい言葉もかけられそうになくて、傷つけるための言葉は口にしたくない。なんだかひどく疲れたような気持ちだけがあって、実際すごく疲れていて、ぼうっと壁ばかり見て、榛名はときどき僕の身体を叩いて、そのたびに鈍く痛んで、ただそれだけで時間が過ぎていく。流れていく時間が作り出すのは、窓の外の水たまりだけだった。
不意に、風を感じた。ので、そっちの方向を見た。入口の扉が、薄く開いていた。目が合った。見えたのは顔のほんの一部分だったから、そんなに自信はないれけれど、たぶんクラスメイトたちだった。見ていたのなら、さっきのも止めてくれればいいのに。このクラスは全体的に暴力に対する抑止力になろうという気概が欠けているように思われた。
でもまあ、榛名もこうしてみんなから心配されるようになるくらいには、僕がだらだら家で寝ている間に青春していたんだな、としみじみしてしまって、僕はこういうことを言った。
「迎え来てるし、もうそろそろ行ったら?」
そして言ってから後悔した。ものすごく冷たい言い方に聞こえたから。自分でびっくりした。氷水みたいな温度だった。それで焦って、びくりと肩を震わせた榛名に、「ほら、」と扉の方を指し示してみたり、バレたことで焦り始めた空気を伝えてくるクラスメイトたちに、こっちこい、と手招きしてみたりとか、そういうことをした。榛名は顔を伏せたままだったので僕の仕草には反応しなかったし、クラスメイトたちは普通に困惑して誰も入ってこなかった。でも入ってきてほしかった。たとえどんなに気まずい空間だったとしても。
「僕、別に気にしてないからさ。あとはほら、適当にやりなよ」
なんだか何を言っても逆効果な気がしないでもなかったけれど、この言葉も、できるだけ向こうが色々考えこまないようにという気遣いを基とした発言だった。それでも榛名はその場から動こうとしなくて、そろそろ途方に暮れてきた。誰か光倉さんを呼んできてくれないかな、と思った。八木くんだとさらにこの空間の厳しさが増す気がするし、たぶん東野さんは助けてくれないんじゃないかと思う。光倉さんが求められている。光倉さんを呼んできてほしい。僕は連絡先を知らないので呼べない。
「あ、光倉さん」
あまりにも誰も呼んできてくれないので、勝手に来てくれたことにしてみた。そうしたら、ようやく榛名が動いた。しかも超機敏に。超機敏な動作で、入り口の方に振り向いた。そして、騙されたことを知ると、騙された事実なんて初めからありませんでした、みたいな動作でついさっきのポーズに戻った。あんまり気の進まない話題だったけれど、これでしか動かないなら、この話題を続けるしかない。
「榛名さ、」
「……」
「結局光倉さんのこと好きだったんだ」
「…………」
「八木くんとは何? 恋のライバル的な?」
「…………」
「え、マジ? ああ、そう……」
「……」
「それで僕、殴られたんだ。いいカッコしとこうかな的な?」
「は?」
顔が上がる。怒った顔で。
「いや、まあ僕が殴られにいったんだけど」
「そっちじゃねえよ」
「え? いいんじゃない、好かれたいって思うのは。でも暴力はやめ、」
「ふざけんなよ、お前」
ふざけてるのか、僕は。ふざけてるのは僕なのか。どっちかと言ったら絶対さっきからあんな態度を取っている榛名の方がふざけていると思うのだけれど、榛名の世界では僕の方がふざけているらしい。ものすごい勢いで睨みつけられて、思わず口を噤んでしまった。これまでの榛名くんが相手だったらまだまだ軽口を叩いていただろうけど、普通に人を殴ることが判明してからの榛名さんを前に余裕をかまし続けるのは、正直怖い。僕は気が小さいのだ。
気が小さいので、自分に抵抗の意思がないことを表すため、両手を上げてみる。
「暴力反対」
口でも主張してみる。榛名は僕をじっと睨みつけてくる。野生動物と遭遇したときは目を合わせたまま後ずされ、というインターネットで得た知識を利用して、僕もじっと見返してみる。
インターネットが勝利して、榛名の方が先に目を逸らした。ほっと勝ち誇ったのも束の間、榛名の拳が真っ白になるほど力を込めて握り締められているのを目ざとく発見してしまう。
「お前さ、」
腹立つわ、と続いて、顔面を殴られるんだと思った。
「俺のこと、嫌いなの」
「は?」
思っていたので、全然予想と違う言葉が続いた衝撃に、思わず声が出てしまった。
「何? なんて?」
「ねちねちやんのやめろ。はっきり言えよ」
「は? いや……、は? 何? なんでそう思った?」
ぎゅっと榛名が下唇を噛んだ。あ、光倉さんと同じ仕草、と場違いなことを思う。そしてこの仕草の意味が推測できた。言いにくいことがあります、とか、言いたくないことがあります、とか、そんな感じだ。
「……冷てえし」
「いつもじゃん」
「……俺に全然興味ねえし」
「人並にはあるけど」
「嘘つけよ。お前、もう全然連絡してこねえじゃん」
「それも前からでしょ。僕、基本自分からはしないし」
「前から興味ねえんだろ」
「前から興味ない人の家行って遊ばなくない?」
「…………」
「お前もしかして馬鹿?」
一瞬頭に、完全勝利、の四文字が過ったけれど、過り切る前に榛名が椅子を蹴っ飛ばして立ち上がったので、完全勝利は成立しなかった。びくっと、肩が震える。いちいち乱暴なふるまいをするのはやめてほしい。怖いので。
立ち上がった榛名は、肩をこわばらせて、拳を握って、前髪で目元を隠して、それで声を張り上げた。
「俺ばっか……!」
俺は馬鹿、という自己主張ではないらしかった。どちらかというと、自分だけが何か不公平な扱いを受けている、という不平の声。僕は素直に、首を傾げる。何が不満なのか、さっぱりわからなかった。
「榛名ばっか、何?」
「…………!」
思い切り、榛名の口が開いた。けれど、何の言葉も発されないままそれは一度閉じて、それから静かに、小さく、重く、唇だけが動くようにして、もう一度開く。
「……俺さ、お前のこと好きだよ」
そして今度は、僕の口も開いた。ぽかん、と。呆気に取られて。は、とか。え、とか。それに似た音を持つ空気が、その口から流れ出てくる。
「お前のその、乾いてるっつーか、なんでもかんでもどうでもいいみたいなところ、すげえ楽で、好きだった。べたべたしてんの、気持ちわりいし。干渉してこねえし。何やってもなあなあで流してくれるし。言い方悪いけど、ボタン押したら動く友達みたいなのが」
悪すぎるだろ、と頭の中でだけ突っ込む。前半もだいぶ褒め言葉か怪しかったけれど、最後のは絶対に貶している。だけど嫌なのは、割と図星を突かれている感じがあったことだった。
「でもお前はさ、そうじゃないだろ」
「何が」
「好きじゃないだろ、俺のこと」
「は、」
「お前、優しいもんな。光倉と話してんのでわかったけど、お前、俺が可哀想だったから声かけただけなんだろ」
話が変な方向に飛ぼうとしていた。ので、どうにか口を挟みたい、と思うのだけれど、顔を伏せて、拳を握っている相手の言葉を遮れるほどの言葉パワーは、僕にない。
「俺、自分が性格悪いのはわかってるよ。すぐ頭に血ぃ上るし。人の言うこと聴くのは大っ嫌いだし。人の好き嫌いもすっげえ激しい。お前には言ったことないけど、それで中学の頃も部活辞めてる」
突然始まってしまった榛名の自己PRを、僕は黙って聴いている。そして、ああ、本当に市ヶ谷くんと中学の頃、何かしら関わりがあったんだな、って腑に落ちたりしている。
「高校上がってもどうでもいいことでイラつきっぱなしで、髪染めて、近付くなって勝手に拗ねてた」
ちょっと驚いた。金髪が似合うから単にファッションでやってるんだと思ってたのに、不良アピールだったんだ、と。
「お前ってさ、結局そういうやつなんだろ。孤立してるやつが可哀想だから優しくしただけ。光倉にもそう。俺にもそう。他に友達ができたらそれで終わり。手がかかんなくなって、自分が優しくする必要がなくなったら終わり。本当はどうでもいいんだろ。本当は、友達だって思ってんの初めから俺だけで、お前、俺のこと、」
鬱陶しいと思ってたんだろ、と。
消え入るような声で、榛名は言った。
とりあえず、全部話を聴いてから色々言おうと思っていた。だから、僕はさらにその言葉の続きを待ったのだけれど、続かなかった。代わりに出てきた声は、言葉じゃないタイプの声で、
「……うっ、くっ…………」
嘘だろ。
まさかまさか、と思う。焦る。でもまさかのまさかで、肩が震えているのは、金髪が揺れているのは、ぽたぽたと、床に雨じゃない水が零れ始めているのは、どうも、
「おまえ何泣いてんの」
「うっせぇよ……っ!」
そういうことらしかった。なぜ泣く。今日だけでふたりも人を泣かせてしまった。僕が一体何をしたっていうんだ。むしろ僕が泣きたいよ、と思いながら。思いながら、
「僕、別に榛名のこと嫌いじゃないけど」
「嘘つけよ。じゃあなんで、」
ひくっ、としゃくり上げる声で、その先が聴こえなかったから、想像して、
「いや、だから僕、自分から連絡するタイプじゃないし」
「だって学校、」
すん、と洟をすする音。
「東野に呼ばれてきてんだろ」
「あれ連絡東野さんからだし。別に榛名から連絡来たらおんなじように返してるから」
「でも東野じゃなくて俺だったら来なかった」
「いや、何その自信。来たから。気分次第で。ていうか葬式の前後は家から移動すんのめんどくさいし、呼ばれなくてもたぶん来たよ」
榛名の反応がない。から、また僕が話す。
「あと僕、別に優しくないし。それ東野さんにも似たようなこと言われたけど、普通に勘違いだからね。なんか同情とかしてるわけじゃないから」
たっぷりの沈黙の後、
「……じゃあなんだよ」
「多人数で喋るのが苦手なの」
「は?」
そこで、ようやく榛名の顔が上がった。
目元は真っ赤で、瞳は潤んでいる。だけど表情は悲しみじゃなくて、不意打ちを食らったみたいな、それで全部の感情が一瞬ぽっかり抜けてしまったみたいな、そんな顔だった。
「いや……、バレてなかったんだ。それもちょっと意外なんだけど。僕、みんなでワイワイみたいな場面になると急に喋らなくなるでしょ。アレ」
「…………、わざとじゃねえの」
「なんの意味があってだよ。普通に苦手なの。なんか喋るタイミングとか、声の大きさとかわかんないし。なんかこう、複数人で喋るときってなんか、それぞれ役割みたいなの持ってるっぽいでしょ? この人中心、この人よいしょ、この人おもしろ、みたいな。人のはともかく自分が何の役やればいいのか全然わかんないから苦手なんだよ」
「…………お前、変なやつだもんな」
「え、そうでもなくない? 榛名よりは普通だと思うけど。あ、あとついでに、これはみんなそうかもしれないけど、出来上がってるグループに入るの苦手なんだよね。それで中学から一回も部活とか入ったことないし」
なんだかこういう話をちゃんと人にしたのは初めてのことかもしれない、と記憶を探る。やっぱり、思い当たる場面が他にない。
「グループ作るの苦手なんだよ。基本、一対一でしか上手くコミュニケーション取れないの。だから席替えとかあるたびに近くの席の友達いなそうな人に話しかけて時間潰してるだけ。同情とかそういうのじゃなくて、そういう人と話してる方が楽だからそうしてるの。そんだけ」
言葉にしてみると、へえ、自分ってそういうやつだったんだ、と自分で思ったりもする。自分で意識してなかった理屈を言葉にしたのか、特になかった理屈を言葉が勝手に作ってしまったのか、どっちだかはよくわからなかったけれど。
まっすぐ言葉にした言葉はまっすぐに向かったらしくて、榛名は戸惑ったような、戸惑ってないような、腑に落ちたような、腑に落ちなかったような、そんな微妙な、それでもなんとなくすっきりした顔をして、言う。
「……じゃあ、お前が最近、話しかけてこねえの、」
「だって榛名友達できてんだもん」
榛名はもにょっ、とした表情をした。何か、すべてのことに納得したくないのに、納得してしまいそうだ、みたいな顔。しろよ。
「……いや、そうだ、東野」
「そうだってなんだよ。認めろ」
「東野、友達いんじゃん」
「中学の頃はそういう時期があったの」
「いや、今」
「東野さん基本僕と話すときひとりだし、」
なぜか、と続けようとして、いやこれはなぜかじゃないぞ、と気付く。三年も四年も交流が続いているのに、なぜか、で済むわけがない。普通に見透かされて気を遣われてるに違いない。待鳥くん係だ。
榛名はまだしばらく、もにょもにょした顔をしていた。もにょもにょしながら、頭をかいて、もにょもにょして、で、そのうち、
「マジか……」
と言って、恥ずかしそうに、それを溜息で誤魔化そうとしながら、丸椅子に再び腰を下ろした。
「解決した? なんか泣いてたけど」
「してねえ」
「しろよ」
「お前マジで腹立つわ」
「何がだよ。ていうかさっきから思ってたんだけどお前、ちゃんと僕に謝れよな。勝手にすっきりしてないで」
「は?」
「は、じゃないんだけど。榛名のこと別に嫌いじゃないって言ったけど、ばこすこ殴ってきたら普通に嫌いになるかんね」
榛名は、ぐ、と言葉に詰まるように一息溜めてから、
「……納得いかねえ」
「いけ」
「だってあれ、お前が突っ込んできただろ。俺は八木をぶん殴るつもりだったんだよ」
「まず人を殴るなよ。ていうか僕に謝るだけじゃなくてむしろ感謝しろよな。僕は謝られたら普通に許すけど、八木くんとこじらせたら仲直りできる保証ないんだから」
「は?」
「は、じゃなくて」
「する気ねえから」
「あれよ。だって榛名、別にわいわいやってても嫌ってタイプじゃないんでしょ。傍から見てて最近楽しそうだったし」
「関係ねえだろ。八木が嫌いなんだよ。八木が」
うわ出た。
と思った。榛名お得意の『おれきらい』。ついこの間までは本当にこいつ人の好き嫌いはっきりしてるなあ、とのんびり聴いていたけれど、最近の光倉さんへの態度の軟化を見て、どうも言葉通りの『おれきらい』ではないらしいということがわかっている。こいつ面倒くさいやつだなあ、と今さらながらに思う。
「いや、別にそんな悪い人でもないでしょ。ちょっと思い込み激しそうなところはあるけど、」
それは榛名もだし、気が合うんじゃないの、と内心だけで呟いて、
「……あ、もしかしてあれ? マジで光倉さん狙って競合してるやつ?」
ついさっき自分で言ったことを思い出して、口にしてみる。榛名から光倉さんに好意が向いているっていうのは、最近見ていて割と確信に近いものがある。八木くんから光倉さんへの視線はあんまり気にしたことがないけれど、だいたい教室のお姫様みたいな人が相手だから、八木くんの中にまで好意が秘められていたとしても不思議はない。だけど、
「ちげえ」
きっぱり否定された。じゃあなんだよ、と思って、「じゃあなんでだよ」と訊くと、また榛名は言いにくそうな顔でもにょもにょし始める。言いたくないことばっかりだなこいつは、とちょっと呆れる気持ちが湧いてくる。
「お前、マジでわかんねえの?」
「いやマジでわかんないよ。最近学校来てなかったからなんかあっても知らないし」
「なわけねえだろ。知ってるよ」
「えー? なんだよ」
はあ、と。はぁあああ、と。榛名は深い溜息をついた。溜息をつきたいのはこっちの方だよ、と思いながらそれを聴いていたら、榛名は急に落ち着きをなくしたみたいに立ち上がって、僕をきっ、と睨みつけてきて、
「お前が、」
「僕が?」
「お前が怪我させられたから、死ぬほど頭きたんだよ」
はあ、と。
声にならない相槌が出た。言われたことを飲みこむのに時間がかかり、飲みこんだそれを消化するのに時間がかかり、消化したそれが空気に溶けて透明になりかけたのをなんとか引っ掴んで、ようやく、
「榛名、僕のこと、」
「ぜっったい謝らねえからな!」
「いやそれはもういいけど、お前、」
僕のこと好きすぎない?という言葉を振り払うように、榛名は音を立てて立ち上がる。音を立てて踵を返す。音を立てて歩く。音を立てて保健室のドアを開く。
にやにやしたクラスメイトたちが立っている。
榛名の動きが止まった。背中だけ見ててもわかった。こいつ、部屋の外に友達が迎えに来てるってわざわざ伝えてやったのに、途中から忘れてたな、って。
ひゅう、とか。かわいいねえ、だとか。にやにやしたクラスメイトたちにからかわれて、大声を出して、それでもまるで威嚇にならないくらい顔を真っ赤にした榛名を、僕は遠巻きに見ている。
めんどくさくて、性格悪くて、暴力的だけど、いいやつだよなあ、と。
めんどくさくて、性格悪くて、暴力的ではないけど、いいやつでもない僕は思い。
なんだか気が引けるような気持ちが一瞬して。一瞬だけで。
別に僕たちは、道徳の授業みたいに友達をやっているわけじゃないんだから、榛名が僕のこと好きって言うなら、それでいいだろうと思い直す。
僕だって榛名のこと、嫌いじゃないって言うんだから、それがいいと、そう思う。




