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じゃあ逆に君以外がみんな死んでしまうとしたらどうするんだって話  作者: quiet
Ⅲ 現実のことは知らない 優しさがあったら人のかたちに見える
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Ⅲ-4



 八木くんが俯いたまま、その硬い両手で僕の右手を握っている。だいたいもう三分くらいそうしているけれど、別に命に別状があるような怪我だったと発覚したわけじゃなくて、単に八木くんが勝手に感動し始めたからだった。


 ぶん投げられてぶん殴られてノックダウンされた僕は、ほかの男子たちによって保健室に連行された。そしてひとしきり頭の傷を見られながら、うわ、とか、痛そ、とか言われて、どうするこれ、わかんね、とか不穏なことを呟かれた。保健の先生はもう死んでいて、適切な処置ができそうな人はこの場にいなかった。すると東野さんが現れて、なんとなく手当をしてくれた。そして足にもなんとなく貼っておけ、と湿布を渡してくれた。心配そうな顔をしながら、しばらく休んでなよ、と言ってほかのみんなを引き連れて保健室から出ていこうとした。そこまでは優しい人だなあと思った。けれど、ちょっと振り向いて目が合ったとき、ふふ、と口元を押さえてこれ見よがしに笑いかけてきたので、それからはずっとひどい人だと思っている。


 ひどい人の次は僕にひどいことをした人が来た。僕にひどいことをしたふたりのうち、本来の矛先が無機物に向いていた方の人が来た。


 八木くんは、保健室の扉を開けたとき、目を伏せていた。けれど、室内に入るため、一歩踏み出したときにはもうきっぱり僕の目を見ていた。あまりの迫力に、なぜか特に表面上何も悪いことをしていない僕の方が目を逸らしてしまった。


「すまん」


 謝罪の言葉もそうなら、そのときに頭を下げた動作も剃刀みたいな鋭さだった。ただしそれで僕が一刀両断されたかというとそんなこともなくて、普段からふにゃふにゃぐにゃぐにゃしてる生き物らしく、いつもどおりへらへら笑いながら、「そんな日もあるよ」とだけ答えた。


 それがどんな風に聞こえてしまったのか。


 しばらく頭を下げたままの姿勢で彫像のように固まっていた八木くんは、マジで彫像になったんじゃないだろうな、と心配になるくらいの間を開けたあと、急にその姿勢のまま、肩を震わせ始めた。ストレスでパニックを起こして痙攣が始まったのかな、と割と深刻な心配を一瞬して、一瞬ののちに八木くんが洟をすする音が聞こえたので、なんだ泣いてるだけか、と心配をやめた。

 代わりに困惑した。


 え、なんで泣いてんのこの人。


 さすがにその場でベッドに寝転がったまま、というのも居心地悪くて、僕はベッドから足を下ろして、上履きを履いた。で、立ち上がろうとして、足めっちゃ痛、と思って諦めて、そのままベッドに腰かけ続けることにした。


「すまん……」


 ともう一度言われた。他の人はどうだか知らないけれど、僕は人から謝られるといたたまれない気持ちになって、できる限り優しくしてしまう習性がある。


「いやマジで大したことないよ。そんな痣とかなってなかったし」


 実際はなっていた。割とえぐい色に。でもまあここから突然ジャージを脱いで患部を見せる展開にはならないだろうから、僕は堂々と嘘をついた。それでも八木くんは、そのままの姿勢で動こうとしなかった。次の慰めの言葉を探す。別に今更怪我のひとつくらいしたってどうってことないよ、どうせすぐ死ぬし。封印する。さらに別の言葉を探す。そして、なんだかもうあんまり、喋らない方がいいような気がしてくる。


 僕はただ、待つことにした。すると、八木くんは泣きながら、ごめん、だの、すまん、だの、本当に、だの、ひとりごとみたいな謝罪を何度か口にした。実際に、ひとりごとだったんじゃないかと思う。


 別に、僕にしたことが申し訳なくて泣いているわけじゃないらしい、と気付いた。


 ただ人前で泣きたくて、泣くために泣きたくて、それを許してくれそうな人がたまたま目の前にいたから、そいつの前で泣いてるらしいぞってことが、わかってきた。


 そうくれば、こっちが罪悪感を覚える必要はないわけで、僕は余裕を取り戻して、うっすら微笑んでみたりすらしてしまう。大丈夫、わかっていますよ、的な雰囲気を醸し出しつつ。ステンドグラスが嵌めこまれていないのが不思議なくらい、この保健室は懺悔室だった。


 泣き声がだんだんと収まってきて、やがて、小さく洟をすする音を最後に、完全に静かになる。静かになったのになんとなくいつもよりうるさく感じたのは、今日の雨が小降りだったからだと思う。


「大丈夫だよ」


 と、僕はできる限り、優しい声色で言った。これですべてが解決するように。もう残り少ない時間なのだから、今さら長々と、僕と八木くんが喋ることもないだろう、と思って。この言葉に、ありがとう、と返してくれれば、それで終わりにしようよ、という誘いを込めて。


 けれど、八木くんは、それで終わりにはしなかった。


 近づいてきた。上半身はもちろんまっすぐに立て直したけれど、顔だけは特に上げないまま。ベッドの傍まで来た。跪いた。布団の上に置かれていた僕の右手を取って握った。祈るように、両手で。


 率直に言って、何を考えてるんだかわからなくて、ちょっと怖かった。けれど、噛みしめるような声色で、


「すげえよ、お前……」


 と言われたとき、どうも八木くんの目から僕はかなり素晴らしい人物に映っているらしいな、ということがわかり、怖いという気持ちが、やめてくれよ、という気持ちに変わった。まあ確かに、表面を見れば今日の僕は結構いい人だと思う。絶対後悔する羽目になるであろう勢いの破壊行動を身体で止めて、凶暴なライオンのパンチを代わって受けた。それで怪我して保健室送りになっているのに、謝りに来られたら最初から優しくする準備ができている。


 もしかして僕はめちゃくちゃいい人なんじゃないだろうか。


 この保健室にステンドグラスが嵌めこまれていたら本当にそう思えたかもしれないけれど、この保健室にはステンドグラスが嵌めこまれていないし、そんなわけがないのは自分がいちばんよく知っていた。


 結局、そんなに真剣に生きてるわけじゃないから、こういうことができるのだ。なんかもっとこう、死を前にしてやりたいことが噴水のように溢れ出したりだとか、友人知人の死で深刻な気持ちになったりだとか、そういう人間なら、もっと余裕をなくすはずなのだ。この状況で余裕綽々なのは、たぶん生きる気力みたいなのが足りていない。でも、まあ。


「そんなこと、ないよ」


 それっぽい声色で、それっぽいことを言って、優しさっていうのがその程度で誤魔化しが効くものなんだったら、そういう余裕も悪くないと思う。


 僕はゆらゆらと、握られた手を揺らす。しばらくしてから、八木くんが、「お前みたいになりたかった」と、たぶん一時間前までは生まれてこの方一度も思ったことがないだろうことをその場の雰囲気に流されて言って、それに「僕は八木くんみたいになりたかったなあ」とうっすら実感のこもった言葉を返して、八木くんがさらに泣いて、謝罪の印になんでもするからなんでも言ってくれ、と言うので、空気を読んで「僕が死んだら泣いてよ」と答えてさらにさらに泣かせたりした。


 泣き明かした八木くんは、顔を上げたときには非常にすっきりした顔をしていた。憑き物が落ちたような顔、というのを僕は生まれて初めてこの目で見て、そしてさっきまで八木くんに憑き物がついていたことを知る。たぶん、昨日葬式を上げた人たちのうちの誰かだと思う。幽霊とかではなく、記憶として。


「俺、絶対あれ、完成させるから」


 という宣言を最後にして、八木くんは去って行った。僕は最後までどうとでも取れるような笑みを浮かべていた。そしてぱたり、と静かに扉が閉められた後、僕が自分ではどうとでも取れるような笑みだと思っている表情が実際には他人からどう見えているのか、気になって携帯を取り出してセルフカメラで確認した。思ったよりも思っていたような表情にはなっていなかったので、その表情はそれきり終わりにすることにした。



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