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じゃあ逆に君以外がみんな死んでしまうとしたらどうするんだって話  作者: quiet
Ⅲ 現実のことは知らない 優しさがあったら人のかたちに見える
15/22

Ⅲ-2



「絶対ここだと思った」


 思われてしまった。


 夜。絶望的に寒い季節がやってきていて、ココア缶をいくら握り締めても震えは止まらずに、腰かけた塀すらも氷のように冷たく、体温を奪ってくる。それでも寒空から雨の降り注ぐ中、渡り廊下で粘っているのは、


「めっちゃ気まずそうな顔してるんだもん。笑っちゃった」


 そういうことだった。


 校舎から出てきた東野さんは財布を片手に自販機の方に近付いて、それから自販機の目の前に降り注ぐ雨の量を見て、立ち止まって、僕に「どうやった?」と訊く。僕はそれに袖をまくり上げたびしょ濡れの右手を見せて答える。東野さんが露骨に悲しそうな表情を見せたので、僕は塀から立ち上がる。


「どれ?」

「おしるこ……」

「え、寝る前に?」

「うっさ。いいでしょ別に。最近ちょっと痩せてきたもん」


 胃に重くない?という意味で言ったのだけれど、重くない?の部分だけニュアンスが伝わってしまったらしい。部分的に僕が悪いので、すいやせんした、と怒りを享受する。自販機を見る。おしるこ一一〇円。


 ん、とてのひらを差し出す。

 無言でその上に手を置かれた。


「うわ、めっちゃ濡れてる」

「……いや、お手じゃなくてお金」

「え?」

「もうこんだけ濡れたら一緒だから」


 言うと、東野さんはちょっと迷ってから、ありがと、と言って財布から一一〇円を出して、僕の手のひらに乗せた。自販機に近付く。雨がかからない、屋根のあるギリギリのラインに立つ。左手で袖をまくって、右腕を伸ばす。ちゃりん、ちゃりん、ぽち、で、ごとんと落ちてきた。できるだけ濡れないように指先でつまみ上げるようにして、はい、と渡す。


 受け取らずに、東野さんは僕の目をじっと見た。


「え、何」

「…………ありがと」


 妙な間が空いてから、ようやく受け取ってくれる。僕は無事な左手で自分の缶を持ち上げて、ココアに唇をつける。東野さんは缶から暖を取るように手のひらと手のひらで転がしていて、まだ蓋を開けようとしない。僕は塀に腰を下ろす。東野さんも僕の隣に腰を下ろす。つめたっ、と言って一度飛び上がる。僕は笑う。それから結局、隣り合わせに座る。


「ごめんね」


 と東野さんが言った。僕はもう感覚の消えた右腕を、できるだけ空気に触れる面積が大きくなるよう放り出しながら、


「いいよ」


 と言って、


「そっちじゃなくて」


 と、即座に否定される。


「今日の方。ごめんね、無理矢理引っ張り出して」


 あんまり申し訳ないと思ってなさそうなトーンで、東野さんが言った。だから僕もあまり真剣なトーンで捉えないようにしつつ、


「まあいいよ。明後日、葬式の日でしょ。どうせ明日の夜くらいにはこっち来るつもりだったし」

「え、そうだったの?」

「一応、葬式くらいは出なくちゃまずいかなって」


 少し前までは死者が出る都度、逐次やっていたお葬式は、最近から集団生活の拠点ごと、それぞれ順番に行われるようになった。この高校の割り当ては、第三週の月曜日。


 そういえば今日は土曜日の夜なんだな、と今更になって思いあたる。土日祝日のありがたみも薄れてずいぶん久しい。


「結構減った?」


 口にしてから、あんまりにもあんまりな言い方だな、と後悔したけれど、東野さんは気にしたそぶりも見せないままで、


「うん。……一五人、くらい」


 頭の中で計算をする。クラスがひとつで四〇人。ふたつ合わせて八〇人。そのうちの一五人。四分の一よりちょっと少ないくらい。一一月にいなくなった分も合わせれば、きっとちょうどくらい。


 じわじわと、そして急速に、僕たちは絶滅しつつある。


「そっか」

「うん。……で、あんな感じ」

「ああ」


 頷いて、さっきまでいた教室の光景を思い出す。あれにはちょっと、面食らった。


 一一月の時点でもう僕は疎外感を覚えていたけれど、あの頃とは比べ物にならないくらい、みんなは仲良くなっていた。それは単に、友情としての意味だけじゃなくて。


 嫌な意味で、と付け加えるのは、拗ねた子どもみたいで嫌なんだけれど。どうしても、そう感じてしまうくらい、仲良く。


「ていうか教室、あれ狭くない? 僕だけ三組の方で寝てもいい?」

「………」


 困ったように黙り込まれてしまったので、まあいいけど、と付け足す。でもやっぱり、あれは狭いと思う。いくらなんでも、四〇人が定員の教室で、六〇人が眠るのは無理だ。どうやって布団を敷くつもりなんだろう、と思ったら、ただ床の表面を敷布団で埋めて、あとは各々勝手に枕を持って陣取るだけだったし。僕は陣取る場所が見つけられなくて外に逃げてきてしまったし。


 やっぱり家にいればよかったな、と思う。でもこれで東野さんにキレるのもダサいよな、とも思う。自分で決めたことの責任は自分で取った方がいい。


 どちらも、何も喋らなくなった。しばらくの間。


 雨が降っている。僕の右手からも、雨だった水が、今でも雨のままであるようなふりをして、滴り落ちている。手にしているココアだけが、まるで温度が違っていて、冬の異物のように、光るようにそこにあった。東野さんが、プルタブを開ける。


「みんなさ、」

「ん」

「怖いんだと思う。誰かと一緒にいないと」

「へえ」

「待鳥はそういうのないの?」

「別に、実際ひとりでいても大して早死にするってわけでもなさそうだし」


 そもそもあんまり死ぬのも、と。頭の中でだけ、滑らかに続きの言葉が流れだす。


「そうじゃなくて。誰かと一緒にいたいとか」


 小さな、小さな声で、死ぬ前くらい、と東野さんは付け足した。


 右腕を振って水を払った。それだけじゃまだ濡れてる気がして、塀をとんとん、と叩くようにして、滴を落とした。


 あんまり、と答えようとして、


「ない」


 そんな風に、いま感じていることのすべてを、伝えてしまう。


「マジ?」

「マジ。……なんだろ、実感ないからかな」

「今でも?」

「今でも。東野さんは?」

「ないよ」


 びっくりして、思わず東野さんの方を見てしまった。目が合った。にやっ、と。そんな顔で笑っていた。


「実は私も全然ないんだよ」

「マジすか」

「マジすよ」


 いえい、と言って、ふふっ、と笑う。東野さんがとうとう、缶に口をつける。重たそうに、ゆっくりと。


「カレンダー作りもさ、正直文化祭の延長みたいな感じでやってるだけだし。……ほら、中学のころ私、アレあったじゃん」

「……これ、重めの態度で聞いた方がいい話?」

「ふつーでいいよ。で、まあさ。なんとなく人がいなくなるのって、慣れって言ったらおかしいけど、ちょっと耐性ができたわけ。だからこれもさ、誰かいなくなっても、あー、そっかー、で終わっちゃう感じなの」


 アレ、と言われて思いつくのは、まあ一応、僕たちが中学生のころ、東野さんの両親が離婚したらしいって、しかもどうも、あんまり口には出せないことが原因でって、そんな話くらい。詳しいことはよく知らない。僕が東野さんと話すようになったのは、そのあと、たまたま席替えで隣になったときからだから。普段の会話とかそういうので、東野さんは母親の方と暮らしてたらしいこと、父親の方は、どうも教職だったらしいってこと、そのくらいは何となくわかっているけれど。


 僕は、ああ、とか、うん、とかどうとでも聞こえる相槌を打った。死んでいなくなるのと離婚で家庭から消えるのは話が違くないか、とちょっと思ったりしたけれど、僕の家からはどんな形であれ人が消えたことはなかったから、何も言えなかったりもした。


「セッカ病ってさ、こう、何も残らないのがずるいよね。なんかどっかで生きてそうな感じするんだもん。もう二度と会わないだけで」

「えぇー、する?」

「しない?」

「僕はあんまり。死んだらそれで終わりじゃん、って感じ」


 む、と東野さんは唇を尖らせて、


「じゃあ実感あるんじゃん」

「……確かに」

「純粋に冷たい人じゃん」

「純粋に冷たい人です」

「嘘だよ」


 そんなこと思ってないよ、と東野さんは言った。僕は本当にそんなことを思っていた。


「まあ、だからね。私はそんな感じなわけ」

「そんな感じなんすか」

「そんな感じなんすよ」


 東野さんの足がぷらぷらと揺れて、塀をこつこつと踵で叩く。寒さを堪えるように、缶を持たないもう片方の手は、足とコンクリートの隙間に挟み込まれていた。


「まあ、だからね。実は私もあの教室の空気は、最近ちょっとアレだったりする」

「あ、そうなんだ」

「うん……、まあ。男女全員一緒の部屋で寝るのとか、未だに慣れないし。夜起きると怪しい音聞こえてくるときあるし」

「うわ、マジで。もう教室帰りたくなくなったんだけど」

「しかもさ、最近こう、ほかの友達もみんなカップルになっちゃってさ。なんか、ひとりで寂しい人みたいな」

「僕の方がひとりで寂しい人だけど」

「なんでそこで張り合ってきた? ……で、まあそういうわけで、待鳥呼んじゃった」


 一瞬、やんわり告白されたのかと思った。思って、びっくりして、いや違うな、と冷静になった。


「ノリが変わんなくて安心した?」

「うん。正直すごいホッとした。このくらい感情なくてもいいんだ、みたいな」

「おい」

「だって最近榛名すらあの感じなんだもん。なんとかしてよあれ。すっごい違和感あるっていうか微妙な顔になっちゃうんだけど」


 僕も微妙な顔になった。ついさっきまで同じ部屋にいた榛名くん。市ヶ谷くんの葬式以降、すっかり変わり果ててしまった榛名くんは、カーディガンを脱ぎ捨ててジャージ姿になり、よく笑い、よく喋り、よく友達の肩を叩き、よく恋愛的な感情がこもってそうな目線を光倉さんに向けていた。数ヶ月前からは想像もつかなかった光景で、見たときは一瞬頭が真っ白になった。


「人は変わるよ」

「変わりすぎでしょ。あれすっごい焦るんだけど。あれ、もしかして私すっごい淡白な人? みたいなさ」

「意外に感情豊かだったね、あいつ」

「なんとかしてよ」

「もう無理でしょ」


 結局、今日、榛名と僕は、一言も話さなかった、僕から話しかけなかった理由は、なんかみんなきゃいきゃい青春みたいなオーラを出していて近付きにくかったから。榛名から話しかけられなかった理由は、単に僕より優先して話しかけたい人がたくさんいたからだと思う。特に嫌われるような心当たりもないので、たぶん避けられてるわけじゃない。と思う。たぶん。


 まあ別に、そろそろ死ぬって状態になって、色々自分の気持ちに素直になってるって考えれば、よかったなあ、というくらいの感想しか出てこないんだけれど、それでもちょっとだけ、実際ああいうことがしたかった榛名がこれまで学校で取ってきた立ち位置のことを思うと、無駄にしていた、させていた時間が長すぎるような気がして申し訳ないような気持ちにもなってくる。もう少し僕が社交的で明るい人間だったら、榛名ももっと理想的な高校生活が遅れていたんじゃないだろうか。過ぎたことは仕方ないけれど。というか別に僕がそこまでしてやる義理もないけど。


「市ヶ谷くんのお葬式から、もうスイッチ入りっぱなしっぽいよね、榛名。なんか思い入れあったのかな」

「中学同じでしょ」

「あ、そうなの?」

「知らなかったの?」

「全然」


 訊かなかったし。ああ、そうしたら部活も同じだったのかな、と思い当たる。榛名はどうもサッカー経験者っぽい節があった。僕の知らないところにもたくさんの繋がりがあり、そういう繋がりで世界は覆われて、たまに回っているらしい。


「人生色々だね」

「うわ」

「何」

「今ちょっと、榛名が可哀想になった」

「なんで」

「すっごいどうでもよさそうだったもん。友達でしょ」


 友達。はあ、とその言葉を口の中で咀嚼してみて、なんだかすぐに、笑いが出てきてしまう。


「まあいいじゃん。そういうこともあるって」


 東野さんは、じとっ、とした目で僕を見た。たぶん僕は、へらへら笑っていたと思う。でも本当に、まあいいじゃん、って。そう思う。義務で友達をやってるわけでも、やってたわけでもないのだから。いちいち道徳の教科書に出てくるようなお友達の役回りをしなくたって、別に。


「待鳥さ、絶対卒業式で泣かないタイプでしょ」

「ああ、うん。泣いたことないや」


 葬式でも、今のところは。


「え、逆に東野さん泣くの? いや泣きそうだったわ。絶対泣くね」


 脇腹をつつかれた。


「なんすか」

「泣くけど。なんか言い方ムカついた」

「てかよく考えたら見たことあったし。中学の卒業式めっちゃ泣いてたじゃん」

「え、見てたの」

「イメージ通りめっちゃ泣いてたからめっちゃ笑っちゃった」


 脇腹を殴られた。


「腹立つ」

「うす。……でもいいじゃん。卒業式で泣けるならさ」

「なんで」

「葬式のときも卒業式みたいなものだと思って泣いとけば、とりあえず傍から見たら実感湧いてないのバレないよ」


 東野さんは、こいつひくわ、という目で僕を見た。僕も正直言いすぎたな、と思った。口に出していいことと、出したあとになって悔やまれるものがある。


「まあ別にいいじゃん、別にさ」

「……まあいいけど。待鳥がそういうこと言えば言うほど、なんか安心するし」

「感謝して」

「ありがと。毎日学校来てね。そんで毎日孤立してるとこ見せて」

「鬼か?」

「鬼だもん」


 鬼がおしるこを飲んだ。ので、僕も合わせてココアに口をつける。全然飲み進まない間に、いつの間にかほとんど冷え切ってしまっていた。ただその濃さばかりが喉に残る。自動販売機の表面を、大きな滴が、きらめきながら、つう、と流れた。背中の方で、屋根から水が急に溢れ出して、アスファルトの上に零れ落ちた音がする。背中にちょっと冷たい感触がしたのは、気のせいだったらいいな、と思う。


「なんかさ、」

「うん」

「待鳥といたら寂しくなってきた」


 どんな反応をすればいいのかわからなかった。はあ、と曖昧に頷けばいいのか、すんません、と特に何が悪かったかもわからないままとりあえず謝っておけばいいのか、ひどくない?と軽口をたたいてみればいいのか。東野さんの横顔は少し俯き気味で、自販機に照らされて光る睫毛の奥では、少し細められた目が、特にどこというでもなく、雨粒が地面に触れて砕け散る場所のあたりを捉えていた。


 僕が何かを言う前に、東野さんが声を発した。


「ここの自販機さ、使ってる人ほとんどいないから今度電源抜くって」

「え」

「省エネ」


 そうなんだ、と相槌を打つ。切羽詰まってきてるのかな、と他人事みたいに思う。


「あのさ、」


 なんで、と訊く意味もないような気がして。


「あとどのくらいで、死ぬと思う?」

「最後のひとりはやだな」

「そう?」

「だってなんか、気まずいじゃん」

「誰もいなくなるんだから平気でしょ」

「お前は?」

「僕は別に、いつでもいいよ」

「今でも?」


 一瞬だけ、悩んだ。だけどそれは、単に悩みたくて、悩むために悩んだみたいな時間で、答えは初めから頭の中にちゃんとあった。


「今でも」


 そ、と。小さな相槌。それから、ふふ、とこぼれでたような笑い声。


「今でもいいんだ」


 面白そうに、東野さんが言った。そっか、と続けて。僕はうん、とそれに答えて。


「あのね、待鳥、私さ」


 そこで声は途切れる。雨は途切れず、降り続ける。時間も途切れず、流れ続ける。


 流れ続けていく時間の中で、言葉と、僕たちだけが止まる。手の中にあった温かさが失われていく中で、それでも温度を保ったまま、止まる。


 何、と尋ねれば、どこかに進んでしまいそうで。


 僕はただ、東野さんの隣に、座り続けている。



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