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じゃあ逆に君以外がみんな死んでしまうとしたらどうするんだって話  作者: quiet
Ⅰ どうせ死ぬのに生きてるし秘めている
1/22

Ⅰ-1



 陽性って書かれてるってことはもうすぐ死ぬってことなんだけど、どう考えてもこれは身長が二センチ伸びましたって情報の横に書かれてていいことじゃないと思った。



 保健室の外に出ると『⑨採血』と書かれた大きな紙が貼られていて、その下には『血が止まったら捨ててください』と段ボール製のごみ箱が置かれている。中身をちょっと覗いてみると、午後の部の遅い順番にしてはどう見たってそのごみの数が少ない。自分の腕に貼り付けた止血用シールにはうっすら赤い色が滲んでいて、結局、それを剥がさないまま、まくり上げていた袖を下ろして、通り過ぎることにした。


 廊下は明るかったけれど、次のクラスと移動の繋ぎが上手くいかなかったのか、待合用の椅子には誰も座っていなかった。窓から注ぐ光がやけに強くて眩しい。目を細めて外を見ると、黒っぽい色が強いアスファルトは、まだ濡れて輝いていた。最近は夜のうちに、知らない間に雨が降る。


 視力検査や聴力検査、それから尿検査みたいな細々した項目が載った結果表は、最後に顔を突き合わせて「なんか不安なところとかあるかな?」「いえ、特に」「うん、若いっていいね」なんて言葉を交わしただけのおじいちゃんドクターに没収されてしまったけれど、代わりに真っ白い一枚紙が指の間に揺れている。


『氏名:待鳥 遥  検査結果』

『項目:身長・体重・セッカ病』

『170.4cm(+2.1)・52kg(+0.2)・陽性』

『※詳細な結果については三月頃に通知します。』


 ちょっとだけ広げて、また折りたたむ。

 あんまりにも中身がない情報だったから、もう覚えてしまった。


 僕の戻るべき二年七組の教室は三階にあって、中央階段よりも、校舎の奥側の階段から上った方が早い。踊り場に小さい窓があるだけの奥階段は、ずいぶん狭くて薄暗い。エナメルバッグをかけた運動部だったら、ふたりがすれ違うのでギリギリ。こっち側の階段を使うようになって半年とちょっと。なんとなく職員用のトイレと雰囲気が似てるよなあと常々思っているけれど、人から同意して貰えたことは今までに一度もない。


「あ、」

「お、」


 三階まで辿り着くと、榛名が壁によりかかって立っていた。明るく染めた金髪と、薄い紅茶色のカーディガンを羽織った姿は、全体的に色が淡くて、階段脇の薄暗さの中では浮き上がって見える。目が合うと、にっ、と笑って、いじっていた携帯をカーディガンのポケットにしまう。その重みでカーディガンの裾が、少し下がった。


「どうだった?」

「二センチ伸びた」

「マジかよ。俺全然伸びてなかったんだけど」

「もう伸びなくていいでしょ。むしろ縮んだ方がいいと思う」

「一センチプラスで一七九だったわ」

「縮んだ方がいいと思う。ていうか、なんで教室入ってないの?」

「めんどくせえもん」

「は?」


 七組の教室は階段を上り切って、左にまっすぐ、ちょっと歩くだけで辿り着く。だから榛名に「何言ってんの?」と続けて質問しなくても、二、三歩足を動かすだけで、すぐに教室の中がどんな状況になっているのかわかった。


 というか、教室の中を見る前からわかった。

 机と椅子が、ぜんぶ廊下に出されている。椅子は大量に重ねられて、机は面と面を合わせるように上下に重ねてふたつずつ。ひとりだけが歩けるスペースだけを残して、廊下を占領している。


「うわ」


 と、声に出してしまったときはしまった、と思ったけれど、誰にも聞こえなかったようで安心した。もう少し近づいて中の様子を窺ってみると、ジャージに着替えたクラスメイトたちが、どたばたと作業を続けている。


 もう床は、半分くらい布団で埋まっていた。


 抜き足差し足、誰にも見つからないようにこっそり階段の傍まで戻った。榛名はうっすら笑みを浮かべている。


「な?」

「準備早くない?」


 ポケットから携帯を取り出して、一瞬だけ点けて、しまって、


「まだ三時でしょ」

「知らね。なんか色々やることあるんじゃねえの。俺は帰るから関係ねーけど」

「その言い方だとまるで僕には関係があるように聞こえる」

「あるだろ、お前泊まんだから。働け働け」

「人から言われるとますますやる気なくすんだよなあ」

「元からねえだろ」

「ゼロからマイナスだよ」

「どういう状態だよ」

「ただそこにいるだけであたりが散らかるようになる」

「宇宙かよ」

「通りまーす! どいてくださーい!」

「わ」


 振り向くと、布団のお化けが立っていた。


 たぶん大きな布団を抱えて、階段を上ってきた人間だったんだと思う。さらに推測を重ねるなら、声の高さからして、たぶんこれを抱えているのは女子だろう。


 ひょい、と布団の行進を避けて、その女子の顔を見ると、案の定知っている顔だった。


「あ、サボり」

「言われてっぞ」

「どう考えても榛名でしょ」

「どっちもだよ」


 少し高い背に、まっすぐ肩甲骨まで伸びた髪、細いヘアピン。東野さんがぐらぐらと重心も不安定に、重ねた布団を抱えて、七組の教室に運び込んでいく。中から「よいしょ」と控えめな大きさの声が聞こえたあと、どすん、と床を揺らすような音が響いて、それから出てくる。


 カモン、と東野さんが手で合図した。僕は無言で首を横に振った。榛名は無言で携帯を取り出して、視線を落とした。


「働け」

「いや俺泊まんないし」

「じゃあそっちのはいいや。待鳥、カモン」

「さっき血抜かれたときにしばらく安静にって言われたんだよね」

「何分?」

「四年」

「ナメとんのか。いいから来てって。布団ぜんぶ運ばないとトラック出せないからってめっちゃ急かされてるんだから」

「トラック?」

「ああ、あれやっぱそうか」


 何のことだか、と思うと、榛名の視線が階段横の小さな窓に向いているのに気付いた。ちょっと歩いて窓から下を眺めてみると、大きなトラックが校門入ってすぐのロータリーに止まっているのが見える。


「めっちゃ働いてるね」


 真っ白な布団を、真っ黒なジャージの群れがトラックから運び出していくのが見える。働き蟻みたいだなあと思う。


「わかったら待鳥も働く、ほら」

「えー」


 後ろから東野さんに肩をつかまれる。まあまあ力が入っていた。二〇キロくらいの握力。それから前後に揺さぶられる。だけど全然これっぽっちもあの仲間に加わりたいって気持ちは湧いてこなかった。申し訳ないけど。


 冬の間にはどうせ死ぬんだから、どちらかと言えばキリギリスになりたい。


「がんばって、東野さん」

「お前もがんばるの。……あれ、もしかして本当だったりする?」

「何が?」

「四年」

「マジだったらどうする?」

「え……、気い遣うけど」

「そう? じゃあどんどん遣って」

「え、マジ?」

「マジではないけど」

「お前死んでも働かせてやるからな」


 そんな会話をしていると、また階段下から大きな布団のお化けが上がってくる。今度は単体ではなく、群れで現れたものだから、狭くて息苦しくって仕方がない。榛名も携帯に目を落としたまま、窓際、僕らの立つ近くまでよけてくる。


 何となく、三人ともじっとそのお化けの大行進を見守りながら、そういえば、と口を開く。


「結局、部屋ってどう分かれるの?」


 東野さんが答える。


「三組と七組合同にして、男子が七組、女子が三組だって。布団運びだけはクラスごと」

「やっぱ男女別か」

「そりゃそうでしょ。問題になるわ」

「女子を向こうに固めて男子がこっちね」


 そうそ、と東野さんが頷く。床が小さく揺れる。布団を教室に置いていったジャージ姿たちが、また僕たちの前を横切って階段を下りていく。


「じゃ、私たちも、」

「あ」


 東野さんの機先を制するように声を上げたのは、何も上手いこと誤魔化して逃げようと思ったからだけじゃない。


 単純に、声を上げるような驚きがあったからだ。それはまた、階段の下からやってきた。


「真のサボり魔だ」


 すっごい久しぶりに顔を見た気がする。それから記憶を少しだけ辿れば、気がするだけではなくて、実際に一ヶ月ぶりくらいに見る顔だったと再確認する。


 肩に触れるくらいの長さの髪に、ダッフルコート、手袋、マフラー、学校指定の鞄。ついさっきまでずっと外にでもいたのか、露出した顔の肌は、血の気が失せたようにすっかり真っ白になっている。


 目が合った。やほ、と手を上げてみる。向こうも小さく手を上げて、近づいてくる。目線は教室や、窓の外を行ったり来たりしながら。


「ねえ、これ何してるの?」

「私、手伝い戻るね」


 光倉さんと言葉を交わし始めると、東野さんが僕らの脇をすり抜けるようにして階段を下りていく。うん、と声をかけたときにはすでに、東野さんの背中は、それを追いかけるようにのろのろ階段を下っていった金髪頭の後ろ姿に遮られていた。


 光倉さんが僕の近くで立ち止まる。身長は僕の方がまあまあ高くて、ふたりともまっすぐ立っていれば、僕の目線は光倉さんのつむじのあたりにある。光倉さんはまだ、あたりをきょろきょろと見回し続けていた。


「合宿?」

「何の?」

「え、何の?」

「いや、合宿ではないけど」


 と、言ってから本当にそうか?という疑問が頭をもたげてくる。合宿、合わせて宿る。集まって泊まり込むなら全部合宿と言えないこともないんじゃないか。


 まあ別に、今はどうでもいい疑問なんだけど。


「ほらあれ、なんだっけ名前。避難生活みたいなやつ。今日から始まるから」


 これで伝わると思ったのに伝わらなかった。伝わらなかったんだと思う。何言ってんだ、みたいな顔で光倉さんがじっと見つめてきているから。


「え、わかんない?」

「う、うん……。わかんない」

「全然?」

「全然」

「どのへんから?」

「いや、その……。避難生活って、何?」


 何言ってんだろこの人、と思って見るけど、光倉さんの顔はとてもふざけているようには見えなかった。真面目に言ってるんだとすると、話の噛み合わなさに不安になってくる。


 あ、でも。


「そっか。光倉さん休んでたからか」

「あ、うん。そう。今日来たらいきなりこれで……」

「なんで休んでたの? なんかバタバタしてたからよく知らないんだけど」


 そこまで口にしてから、不登校、という三文字が頭を過ったので、「言いたくないなら別にいいけど」と付け加える。


 ただそれは、無用の心配だったみたいで、


「あ、えと。インフルエンザになっちゃって……」

「インフル?」


 光倉さんは頷いて、


「そう、しかも二回。A型で入院してたらそのあと院内感染もしちゃって……」

「マジ? 一ヶ月で二回? てか入院してたの?」

「うん。四一度まで熱上がっちゃって……」

「彷徨ってんじゃん、一足早く生死の境」


 全然そんなこと担任から聞いてなかった。まあ、担任も担任で最近はずっといつにも増して大忙しで、日に日にやつれて見えるくらいだったんだから、仕方のないことかもしれないけれど。


 へええ、と驚いていると、光倉さんが「えと、それで?」と催促してくる。


「避難生活って……?」

「え、ああ。あれ、セッカ病のやつ」


 とまで言ってから、どうも光倉さんがわかってなさそうな顔をしていたので、


「先生とかからなんも聞いてない?」


 と重ねて訊くと、


「うん。それに私、今日何も言わないで来たから、退院したことすら知られてないかもしれない」


 と答えが返ってくる。なるほどそれなら確かに、なんにもわからないはずだと納得する。


 先生のとこ行って訊いてきなよ、という流れがいちばん楽なんじゃないかな、と一瞬思ったりもしたけれど、そんなときに限ってタイミングよく窓の外から大きな声が聞こえてくる。ちら、と校庭の方に目を向けてみると、生徒に混じってジャージ姿の担任が、トラックの周りで忙しなく指示出しをしているのが見える。


 サボりの口実とでも思うことにした。


「ほら、最近ニュースでやってたじゃん。見てないかな。セッカ病の媒介菌が、半径二〇メートル以内に人間がいると頻繁に空気中を移動する性質を持ってたみたいな話。だから集団生活してる間はセッカ病の進行が遅れるってことで、避難所みたいな場所を作って、治療法が確立されるまでみんなで暮らしましょ的なさ」


 このニュースばかりは、普段テレビなんか全然点けない、インターネットニュースすら目を通さない僕でも、腐るほど見た。国際医療機関が主導して、有名動画サイトに広告を貼り付けまくったからだ。ひとつの動画あたり一五秒。スキップ不可。あまりのストレスに口内炎がふたつできた。


「あれの学校版が今日から。だからこんなにみんなで大慌てしてるわけ。あ、で、一応学校は生徒と先生が使うくらいらしいよ。うちの体育館ほら、工事やってるから」


 これで大体のところは説明できたかな、と自分では思ったけれど反応はあんまり芳しくない。光倉さんは頭に疑問符を浮かべるみたいに口をへの字にしながら、何やら考え始めている。考え事をしている顔をじっと見つめるのもアレだなあと思って周りに目を配ったりすると、丁度よくまた布団のお化け軍団が階段を上ってくる。中にはクラスメイトもいて、一瞬明らかにサボっている僕に怪訝な目線を送ってくるも、目の前で考え込んでいる光倉さんを手のひらで示すと、どうやら納得してくれたらしく、ひとつ頷いて教室に入っていった。サボっているのは確かなので、命拾いした気分になる。


「         」

「え?」


 顔を戻すと、思いがけず近い距離に光倉さんの顔があった。うわ、とちょっと仰け反ると窓のスチール部分に頭をぶつける。冷たい。そして痛い。打撲にあるまじき鋭い痛みが走る。血が出てやしないか、なんて頭の後ろを触ってみるけれど、よかった、髪の感触しかしない。


 光倉さんが何かを言ったみたいだった。けれど、布団集団が横切る音で、何も聞こえなかった。


「なんて?」

「セッカびょ、     」


 そこから先はまた聞こえない。階段からはなんだか途切れなく生徒たちが上ってくるけれど、声が遠いのは周りが煩いからってだけじゃなかった。光倉さん自身の声も小さい。授業で教科書を読み上げるときなんかではよく通る綺麗な声をした人だなあと思ったりするんだけど、まるで今は、聞かれたくないことを言葉にしているみたいだった。


 子どもを相手にしてるみたいで何だかちょっと微妙な気分になりながら、光倉さんの身長に合わせて、少し膝を屈める。それから右耳を貸すようにして、顔を少し傾ける。


 光倉さんが、口の横に真っ白な手を当てて、また、少し距離を縮めて、囁くように言う。




「私それ、罹ってない」




 そのとき、僕の頬にかかった吐息が思っていたよりもずっと生温かくて。


 屈むのをやめて、正面から光倉さんに向き合ったときには。


 じっ、と目と目が合ったときには。


 何に驚いたんだか、いまいちわからなくなっていた。



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