魔法への道③
キリスト教では日曜礼拝だっけ? 日曜日のお休みに教会に行く習慣があった気がする。
日本でも寺子屋、勉学を学ぶために子供が集まったりした。
今でも、夏休みなどに子供を集めてお経を読ませ、帰り際にお菓子を渡すお寺というのが……もうなくなったんだっけ? 五月蠅いのが騒ぐから。
まぁ、祭りなどなくても宗教関係の場所に人が集まるのが普通だったわけだ。昔は。
それだけ生活と宗教が密着していたわけだ。
何が言いたいのかというと。
完成した神殿の集会場。
そこには多くの住人が集まっていた。
いないのは、仕事でどうしても身動きできない連中だけだ。ガラス工房とか。
老神官が、集会場に響き渡るほど大きな声で、だけど近くにいても耳を抑える必要が無いという不思議な喋り方で語りかける。
「では、みなさん。目を閉じ、己の心のままに祈りましょう」
俺は言われたとおり、目を閉じ、手を合わせて祈りのポーズ。
ラルーニャ以下、他のみんなも同じようにしている。
俺が何か言わなくても、みんな神殿に集まっているんだ。
そして祈りを捧げている。
地球のような、神様が感じられない世界ではない。
ここは神様がもっと身近で、感じられる位置にある世界なんだ。
人と神の関係もまた、地球のそれと同一視できないのだろう。
みんな、真剣に祈っている。
しばらくすると、神官さんが手を鳴らす。
祈りはそこまでと。
これはそういう合図だ。
俺は目をゆっくり開いてほっと息を吐き、気を緩める。
こういった場では、子供のアセリアですら神妙にしている。元気印の娘であろうが、場の空気が気持ちを落ち着かせているのかもしれない。
「ちゃんとお祈りできたか?」
「うん! みんないつまでも元気でね、ってお祈りしたよ」
ただ、声をかけると落ち着いた雰囲気は霧散し、いつものアセリアに戻った。
これでいい。
場の空気とか関係なく、子供は元気な方が良い。
やっぱり宗教はそこまで好きになれないね。
堅苦しいよ、俺には。




