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08:四年目の女官の罪悪感

 中庭での昼食を終えると、アルノーはシビルを女官室まで送ると言った。



「いえ、それは……」

「正直に言うと、少しでも長くあなたと居たいのです。申し訳ないとは思いますが、どうか私のわがままに付き合っていただけませんか」


 シビルは反射的に断るが、すぐに余計な事だったと思い知らされてしまった。また恥ずかしいことを言われてしまう。何も考えず素直にはいとだけ言っておけばよかったのに……と後悔しつつ、シビルは弱弱しく「……はい」と返事をした。

 そうして女官室まで並んで歩き、ようやく着いた扉の前でやっと別れようとしていた時だった。



「アルノー様!」



 大きな声でアルノーを呼んだのはシビルではなく、また扉の隙間から覗いていた野次馬根性猛々しい新人の女官たちでもない。それは廊下の向こうから現れこちらに駆け寄ってくる、華やかな身なりの少女の声だった。

 ドレスのようなその服は、後宮に仕える女官の制服だ。手には何か紙の束を持っているようだったが、用件はそれについてではないことは彼女の様子から明らかだった。

 少女はアルノーの前まで来ると、不安げな瞳でアルノーを見上げた。



「アルノー様、私、妙な噂を耳にして……いてもたってもいられず来てしまいましたの。本当に妙な噂で……アルノー様が王城の女官と、その、婚約した……と。ただの噂ですわよね?」

「いいえ、真実です。私はシビル・スケサンと正式に婚約をしました」



 アルノーがきっぱりと答えると、少女は大きく息を呑んで目を見開いた。



「どうしてです? だってお父様は私を必ずあなたと結婚させてくれるって……」

「カロー伯爵からは何度も手紙を頂いてはいますが、いずれも父を通じてはっきりと断っています」

「そんな、でも、お父様はそんなことは言っていませんでした!」



 お父様は、お父様は、と幼い少女のような言い訳を繰り返す彼女は、カロー伯爵の娘らしい。カロー伯爵といえば後宮連絡官の次官を務める人だが、それを思い出したところでシビルはこれがいったいどのような状況なのかはわからなかった。

 その時、ばたばたと音が聞こえたと思うと少女が現れたのと同じ方向から一人の男性が駆けてきた。



「シモーヌ! 何をしているんだ!」

「お父様!」

「お前が王城に向かったと聞いたから探しに来たら、まさかアルノー様に直接会おうとするとは……」

「ねえお父様、断られていたってどういうことなの? お父様は私とアルノー様を必ず結婚させてくれるんじゃないの!」

「シモーヌ、落ち着いてくれ、ああアルノー様、娘が大変失礼をいたしまして……」



 すがる娘をたしなめつつアルノーに謝罪をする彼は、彼女の父たるカロー伯爵だ。もっとも、こんなにもうろたえた様子の伯爵を見るのはシビルにとって初めてである。そんな彼を見据えるアルノーの目は、厳しいものだった。



「カロー伯爵、あなたはこちらが何度断っても同じ内容の手紙を送ってきますが、私の答えも侯爵家の答えも変わりません。あなたの娘との結婚はお断りします。それを、ご自分の娘によく言い聞かせておいてくださると助かります」

「は、はい……大変失礼しました……」



 丁寧な口調ながらも、アルノーの声は威圧的だ。厳しい目で睨まれそれをはっきりと感じ取ったカロー伯爵は気圧されてしまい、絞り出すような声で謝罪の言葉を述べる。

 父とアルノーのやりとりを伯爵の隣で聞いていたシモーヌは、真っ青な顔をしていた。



「で、でもアルノー様私はっ……」

「シモーヌ、やめなさい」



 それでも尚アルノーに自分の想いを訴えようとしたのを、父に止められる。そうしてシモーヌがきっと父を睨んだ時に、彼女の視界にシビルの姿が映った。

 アルノーから一歩下がったところに立って、アルノーの傍に居る。服を見るに、王城の女官だ。シモーヌが、まさか、と思うとアルノーが一歩前に出てくる。

 まるで、シモーヌの視線からその女官を庇うように。



「どうして……」



 そうつぶやいた後にシモーヌの瞳に宿ったのは絶望というより、敵意だったかもしれない。自分よりも劣った女官に対しての。



「わたしの方が、身分も、美しさも、何もかも上のはずなのに……」

「シモーヌ、もう……」



 カロー伯爵が娘の肩を掴んで下がらせようとするが、シモーヌは動かなかった。それどころかアルノーに詰め寄るように一歩前に足を踏み出す。



「アルノー様、その女に何か、脅迫をされているのですか、でしたらわたしが、わたしがアルノー様を御救いします、だから、そんな女に屈する必要はありません、そんな卑怯な手を使う女……」

「カロー伯爵令嬢」



 アルノーに呼ばれ、シモーヌは一瞬笑みを浮かべる。しかしそれはすぐに消え失せた。

 シモーヌに向けられたアルノーの表情は、凍てつくほどに冷やかなものであったからだ。



「私が彼女に脅迫をされているとか、そういった事実は一切ありません。……それと、彼女を侮辱されると、私は冷酷にならざるを得なくなってしまいます。例えばあらゆる手を使ってあなたを、あなたの家ごと排除する……そういうことをしかねないのです」



 アルノーが言った言葉が彼女に聞こえたかは定かではない。なぜなら彼女は、ひっと小さく悲鳴を上げると固まってしまったからだ。その可憐だった顔からは血の気が失せ、青白く浮いている。



「む、娘が重ね重ね失礼をいたしました……!」



 悲痛の叫びをあげたのは、カロー伯爵だ。深々と頭を下げる直前に見えたその顔は、娘に負けず劣らず青白い。もはや生気の無いその姿は同情すら誘うが、アルノーが『いいえ』と言うことは無かった。



「……そう思うのなら、早々にお引き取り下さい」



 冷ややかな目でカロー親子を睨み付け、そう言う。息をのんだのは、カロー伯爵だけだった。

 カロー伯爵は最後に「失礼しました!」と叫ぶと動かない娘を引きずるようにして去って行くのだった。


 女官室前の廊下に、静寂が訪れる。扉の隙間から覗いていた女官たちも、固唾を呑んでこの状況を見守っていた。

 シビルはアルノーの背を目の前にしながら、茫然としていた。例えるなら嵐の去った後のようといったところだろうか。わけのわからぬままに終わったと思うと、漠然とした疲労感が後に残っている。



「……すみません」



 静寂を破ったのは、シビルを振り返ったアルノーの声だった。

 申し訳無げに伏せたその目には、先ほどまでの冷やかさはまったく見られない。シビルは困惑するが、それは先ほどまでとまったく違うアルノーの姿に対してではなかった。

 すみませんと、謝罪される意味がわからないのだ。

 あれはインロウ侯爵家とカロー伯爵家の間の問題だ。カロー伯爵令嬢に貶められたとはいえシビルは特に気にしていないし、それに関して謝罪されるというならカロー伯爵にだろう。アルノーが謝ることでは全くないのだ。



「あなたに、見苦しいところを見せてしまいました、それに、彼女のことで嫌な思いもさせた」

「いえ、アルノー様が謝ることではありません、それに、ええと、あの方のことは全く気にしていませんから」



 シビルはそう伝えるが、アルノーの表情は変わらない。いや、実際はアルノーは悲しげに眉根を寄せたのだが、シビルはその変化に気付くことは無かった。



「気にしていないというのは、彼女の悪意をということでしょうか、それとも、……私に、言い寄る女性がいることなど気にしていないということ、でしょうか」



 その言葉にシビルはえっと驚いて、ようやくアルノーの表情が悲しげなものに変わっていることに気付いた。しかし、シビルはすぐに「いいえ」と答える事はできなかった。アルノーの言ったことは、恐らく、どちらも合っている。見抜かれた、という衝撃にシビルは咄嗟に声を出せなかったのである。

 アルノーはシビルの反応を両方に対する肯定だと理解して俯いてしまった。



「……いえ、すみません、つまらないことを聞いてしまいました。どうか気にせず……いえ、もともとあなたは、気にされないのでしょうね」



 アルノーの言うとおりシビルは気にしていない。気にしてはいないが、さすがにこれから夫になる人間の悲壮感溢れる姿に何も思わない程、シビルは人でなしではなかった。ましてそれが自分の無関心のせいであるとなれば尚更だ。



「い、いえ、あの、本当は、少しは気にしています」

「え?」

「あの、すみません、全く気にしていないというのは少し、その、言い過ぎだったと思います。あの方に突然敵意を向けられたのは、その、驚きました。それにアルノー様が他の令嬢にあれだけ恋慕されていたというのも、えっと、驚くことでした、そういう意味では、少しは気にしているのだと思います」



 シビルは必死に言い繕う反面、自分は何をしているのだろうと思っていた。他人のために、必死になって。いや、これは自分の為か?己の罪悪感を拭い去るためだろうか。それもこの状況では全く判断がつかない。

 ただ分かったのは、必死に言い繕ったその言葉にアルノーが表情を和らげたということ。そして、その顔を見て自分はほっとしたということだった。


 やはり、自分の為だったのかもしれない。


 結局そんな罪悪感を胸に残したまま、シビルは今までで最も長い昼休憩を終えたのだった。












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