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04:四年目の女官は諦める

 その日、シビルは早めに帰宅した。約束した通り、父親に結婚相手である『侯爵令息』の詳細を聞くためだ。いや、約束を果たすためだけならいつもの時間に帰宅しても良かった。早めに帰宅したのは、早すぎる『侯爵令息』の接触に少なからず焦っていたからだ。



「お帰りなさいシビル、今日は早いのね」

「あの、すみません、父は部屋にいますか?」



 いつものように出迎えたスケサン夫人に、シビルは少し食い気味に父が在宅かどうかを聞いた。



「え? え、ええ、旦那様はお部屋にいらっしゃいますよ」



 夫人は驚いたような顔をしたが、すぐにそう答えを返す。シビルはそれを聞くと「ありがとうございます」とだけ言って、そのわきを通り過ぎていった。






 父の部屋の扉を叩くと、「どうぞ」と言う声がする。シビルが扉を開いて中に入ると、父は書斎机に着いていた。



「ああシビル、今日は早く帰ってきてくれたのか」

「あ……はい」



 そう言った父に、シビルはどう答えるべきか迷う。先に侯爵令息本人に会ってしまったから慌てて聞きに来たと言うべきか、それとも言わずに詳細を聞くか。迷いは沈黙となり、その間に男爵が座るよう促したので結局シビルは黙っていた。

 シビルが座ると、男爵は昨日よりもすんなり話を切り出した。



「シビル、お前に結婚を申し込んだ方はインロウ侯爵の御令息、アルノー・インロウ様だ」



 やっぱり、とシビルは思わず頭の中でつぶやく。とはいえそれが確認できたところでほっと息をつくことなど出来るはずも無かった。むしろ間違いだったらよかったのにとさえ思っている自分に気付くと、シビルはため息をつきたい気分だった。



「インロウ侯爵から手紙を頂いたんだ。その内容は、御令息がどうしてもお前との結婚を望んでいるので、どうか承知していただけないかということだった」



 そう言われ、シビルは次に困惑する。なぜ。どうしてもと請われるほどの理由など、何もあるはずがないのに。



「だがシビル、今すぐに結婚ということではない。アルノー様はお前がもともと結婚を望んでいなかったことも御承知だ。だから、お前の気持ちの整理がつくまでは婚約期間ということにしようと仰ってくださった。それにお前が望むなら女官の職もすぐに辞める必要は無いと、アルノー様はおっしゃっているんだ」



 続く父の言葉を聞いて、シビルはますます困惑した。聞かされたそれは、シビルにとってありがたい話だ。しかしだからこそ、なぜそこまで、という疑問が止まないのだった。


 そこまでして、どうしてもと望んでまでシビルを妻に迎える理由が果たして侯爵家にあるだろうか。

 スケサン男爵は軍の会計官室に勤めるだけのしがない男爵だ。いや、むしろそういう男爵を便利な手駒にするためなのか? 数々の気遣いは恩を売れるだけ売って逆らえない様にするためなのか。しかしそれにしては恩を安売りしすぎてはいないだろうか。もしかするとそれだけではなく、他の理由もあるのかもしれない。

 例えば上位貴族が行き遅れの娘を引き取る場合、その目的は主に何だろうか。

 年老いた当主が行き遅れの娘を引き取ってやるという名目で、まあまだ若い娘を手に入れるということもある。しかし結婚を申し込んだのは適齢期の息子の方だ。いや、もしかすると父であるインロウ侯爵にはそういった目的があるのかもしれないが。

 シビルはそう考えて、はたと気づく。

 むしろその目的を持っているのは、息子の方なのでは?

 今日の出来事が思い出されて、シビルの考えを後押しする。セクハラと思った第一印象は間違いではなかったのかもしれない。



「シビル、どうした? ……やはり、不安か?」



 聞こえた父の声にはっとして、シビルは唇をかみしめた。



「……いえ、不安というわけでは」



 そう言葉を返しつつシビルは膝の上で拳を握りしめる。

 ”なぜ”などと、それは考えても仕方がないことだった。自分は父に負けた。だから父に従って嫁ぐだけだ。相手がどういうつもりだろうが、そんなのはかかわりの無い事ではないか。

 男爵は不安というわけではないと言いつつやはり不安そうな様子の娘を心配するように眉根を寄せたが、俯いてしまったシビルにその心配が伝わるはずは無かった。



「二日後には、インロウ侯爵の邸で顔合わせがある。そこで、アルノー様とゆっくりお話をしなさい。そうすればきっと、不安も少しは無くなるだろう」



 だから、不安というわけじゃないと言ったのに。心の中でそう反論をすれば、少し冷静さを取り戻せた気がした。そうして小さく息をつくと、シビルは落ち着いて「わかりました」と答えることが出来たのだった。








 部屋に戻ると、シビルは今日もベッドに倒れ込んだ。今日は何だか酷く疲れたのだった。

 ごろりと寝返りを打って天井を見上げると、頭の中を今日起きたことが順に駆け巡っていく。ああそういえば、今日は朝から体が重たかった気がする。昨日はなかなか寝付けなかったせいか。それに、今朝は父と顔を合わせるのが気まずくて早めに家を出たから完全に寝不足だ。

 それに追い打ちをかけるようにあれなのだから、疲れて当然だ……。

 シビルは”あれ”を鮮明に思い出しかけて、はっとする。違う、あんなのは気にしなくていいのだ。自分は、ただ人形のように嫁ぐだけ。いや、それよりも仕事だと思ったほうが楽かもしれない。


(妻という、仕事……)


 目を閉じて心の中でつぶやく。



「シビル、少し良いかしら」



 扉を叩く音と共にそんな声が聞こえて、シビルはぱっと目を開けた。

 聞こえたそれは夫人の声だ。シビルは何だろうと思いつつ、体を起こすと扉に向って「はい」と答える。直後に扉を開いて入ってきた夫人は、その腕に何か布のようなものを持っていた。



「二日後にアルノー様との顔合わせがあるのでしょう、その日に着るドレスを決めないといけないと思って、いくつか持ってきたのよ」



 夫人はそう言ってシビルの方へ歩いてくると、ベッドの上に持っていた布のようなものを広げた。どうやら、それは何着かのドレスだったらしい。



「侯爵様の邸宅にうかがうのだから、相応の格好をしないとね、そうねえ、シビルに似合うのはどっちの色かしら……」



 言いながら、夫人は選んだドレスをシビルの体に当ててうーんと首を傾げる。そんな夫人を見ながら、シビルはそうかと思っていた。

 そんなことにも頭が回っていなかったのだ。嫁ぐことに対して受動的だとしても、最低限のマナーや礼儀には積極的でいなければとシビルは反省する。

 恐らく夫人が広げたこれらのドレスは新品なのだろう。侯爵家にうかがうのなら手持ちの型落ちしたドレスでは失礼に当たる。まあ代々継がれる形見のドレスとなれば話はまた別だろうが、シビルはそれを着る気にはならなかった。



「わたしはこういうのには疎いので……できれば、決めていただけると助かります」

「あら、そう? うふふ、それじゃあ任されたわ」



 シビルがそう言うと、夫人は嬉しそうに笑って次のドレスをシビルの体に当てた。

 ドレスなんて着るのは卒業式以来だった。その卒業式のドレスだって自分では選ばずに夫人に選んでもらったのだ、夫人に任せるのが一番いいだろう。そう判断したシビルは夫人が次々ドレスをシビルの体に当ててみるのを甘んじて受け入れていた。



「ねえシビル、少し髪を上げてみて」

「はい、こうですか」

「うん、いいわね、やっぱりあの時髪を切らなくてよかったわ、四年じゃこんなに伸びないもの」



 あの時というのは、シビルが学校を卒業して王城の女官として勤め始めた頃のことだ。シビルは結婚するつもりのない決意の表れに髪を切ろうとしたのだが、父と夫人に止められたのだった。夫人の言葉に、シビルはそういえばそんなこともあったなと思う。

 そういえばシビルが髪を切るのを一番反対したのは、弟だった。血のつながらない、義理の弟。彼が留学で家を離れる前のことだ。シビルは少しだけ義弟の事を思い出して、それからすぐに彼のことを頭の隅に追いやった。



「ああ……でも少し傷んでいるわね、後で私の使っているオイルを持ってくるから手入れをしましょうね」

「あ、いえそこまでは……」

「あらダメよ、アルノー様にはキレイなシビルを見てもらわないと」



 夫人の言葉に、シビルは言葉を詰まらせる。夫人の言うとおりキレイな自分を見てもらいたいと思ったのではない。型落ちのドレスと同じだ、手入れのしない髪とて失礼な要素の一つだろう、と気づいたためだった。

 ああ、もうこうなったら口答えはせずに夫人の言うとおりにするのが良いようだ。シビルはそう判断して、小さく「はい」と返事をする。



「シビル、妻というのはね、いつまでもキレイでいる努力をしなければいけないの。旦那様には一番キレイな自分を見せるという心構えが大事なのよ」



 続いた説教じみた言葉にも、シビルは「はい」と答える。言葉の内容を理解したわけでは無かったが。



「でも、あの方ならきっとどんなシビルであっても受け入れてくださるのでしょうね、……ああ、こういうことはあまりわたしが言ってしまうことではないわね」



 うふふと笑う夫人が言った言葉を、シビルはもはや深く考えたりはしなかった。











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