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17:四年目の女官は愛される

 やがて涙が止まると、シビルはゆっくりと我に返った。

 目の前の視界は狭く、その狭い視界いっぱいに見えるのは衣服だろうか。視線を少し下にやると、それをぎゅうと掴んだ自分の手が見える。



「あ……す、すみません」



 シビルはそう言うと慌てて体を離した。

 アルノーの胸に縋り付いて、しかも泣いてしまったのだ。こんな場所で。すべての事実が恥ずかしい。



「いえ、少しでもあなたの助けになれたのだとしたら、嬉しく思います」



 更にその恥ずかしさに追い打ちをかけるように上から降ってきたアルノーの言葉がずしりとのしかかる。ちらりと見上げたアルノーが微笑んでいるのがまた恥ずかしい。しかし不思議なことに、今までのような戸惑う気持ちは無かった。答えるべき言葉がすんなりと頭に浮かぶ。



「……ありがとうございます」



 確かに感謝の意が込められたその言葉は、すんなり頭に浮かんだ反面ぎこちなく響いた。戸惑う気持ちは無いとはいえ、恥ずかしいことには変わりないのだ。



「あ、あの、それで、アルノー様はどうして、こちらに?」



 そう聞いたのは、恥ずかしさをごまかすためだったかもしれない。

 しかし多少冷静になったシビルには純粋にそれを疑問に思う気持ちもあった。アーサラムと共にシモンの報告を待つと言っていたはずのアルノーが、なぜここにいるというのか。

 シビルの問いに、アルノーは多少表情を引き締めた。



「あの後、殿下の部屋へ戻る最中にシモンが帰ってきました。……カロー伯爵と、仲介人を連れて」



 アルノーの答えに、シビルは先ほどアルノーの腕の中で聞いたことを思いだした。カロー伯爵が、アーサラムの暗殺を企てた犯人だったのだ。



「伯爵は、どうして……」

「伯爵は何も語りませんが、その態度は誰かを庇っているということです。それはこれからシモンが暴くでしょう。そして、これは予想していたことですが、あなたの暗殺を企てたのもカロー伯爵でした」



 シビルは思わずえっと声を出す。カロー伯爵がどうして、と思った直後にシビルの頭に浮かんだのは、カロー伯爵令嬢だ。



「カロー伯爵はそのことについて娘の名前を出すと明らかに動揺しました。それからカロー伯爵令嬢が後宮に居ないという報告を聞いて、あなたの元へ駆けつけました」

「そうでしたか……」



 その瞬間、シビルは心臓のあたりがきゅうとする。その理由はなんとなくわかる気がした。認めるのは恥ずかしいが、もはや仕方がない。きっと、自分ではどうしようもないのだ。

 アルノーが自分を心配して、駆け付けてくれたということが嬉しい。心臓がきゅうとしたのは、そういう理由だ。



「すみません、私がもっと早く駆け付けたなら、あなたに怖い思いはさせなかったでしょう」



 だというのに、アルノーはまた謝る。それも見当違いのことを。

 シビルは眉を下げたアルノーの顔をじっと見つめて、そっと手を持ち上げた。そうしてその手で、アルノーの手に触れる。



「いいえ、アルノー様に謝っていただく必要はありません」



 はっきりとそう告げれば、アルノーが驚くのがわかる。



「わたしは、アルノー様が来てくださったのだとわかったとき、とても安心しました。それから、アルノー様の腕の中にいるときは、他のことはどうでもいいとさえ思って……あ、愛されていることが、嬉しいと……」



 愛されている、と口にした途端に恥ずかしさが舞い戻り、シビルはたまらず目を伏せてしまった。



「……触れても、構いませんか?」

「……ど、どうぞ」



 それでもアルノーがそう問いかけるのが聞こえたので、そう返す。

 すると、火照る頬にアルノーの手が触れた。優しく視線を上へと向けられる。アルノーのオニキスのような黒い瞳が、まっすぐにこちらを見ている。ああ、アルノーの瞳はこんな色だった。今までそんなことにも気が付かなかったのだ。

 シビル、と名前が呼ばれる。頭がしびれたようになって、少しずつ黒い瞳が近づいてくることなど気にならなかった。



「あー、取り込み中のところ悪いが、廊下ではそこまでにしてくれ」



 第三者の声が聞こえて、シビルは我に返った。すぐそこまで近づいていたアルノーもまた目を丸くしたのが見える。



「無事に想いが通じ合ったらしいことは喜ばしいが、さすがに場所は選んでくれよ」



 呆れたように笑いながら言うのは、アーサラムだ。なぜアーサラムまでもがここに。いや、それよりも。

 シビルは途端に体に熱が上がるのを感じた。自分はなんて恥ずかしいことを、廊下のど真ん中で受け入れようとしていたのか。



「……そうですね、こんな場所では、シビルの愛らしい姿が私ではない他の誰かにも見られてしまうかもしれないということを失念していました。殿下には感謝の意を申し上げなければなりません」

「だったらもう少し感謝の意を申し上げる顔をしろよ、アルノー」



 なにやらアルノーがそう言いアーサラムが呆れたように答えているのが聞こえるが、それすら恥ずかしい。



「いいから、アルノーは俺と執務室に戻るぞ。まだまだやることがたくさんあるんだ」

「……はい」

「ミス・スケサン」

「は、はい」

「君は、今日はもう帰ってくれ」



 アーサラムに笑顔を向けられ、そう言われる。シビルはその意図がわからず、えっと驚いてしまう。



「いろいろとあって、もう仕事ができるような気持ちじゃないだろう。それに、家族に会いたいと思っているんじゃないか?」



 アーサラムはやはり、シビルの心を見透かしたかのようなことを言う。



「女官長には話をつけてあるから心配はいらない。男爵もきっと、今日は早く帰ってきているだろう」



 更には心を見透かすばかりではなく、先手まで打っている。ちらと隣に立つアルノーの表情をうかがえば、にこりと微笑まれた。

 シビルは姿勢を正すと、アーサラムに向って深く頭を下げるのだった。







 シビルが家に帰ると、義母が出迎えた。



「お帰りなさいシビル」



 義母はいつものように、シビルに優しく微笑みかける。

 そうだ、義母はいつも、優しく笑いかけてくれていた。それは血のつながらない娘に媚を売る笑顔でもなければ、気を遣う笑顔でもない。本当に、心から、娘に向けるものだ。



「……ただいま帰りました、お母様」



 シビルが義母の瞳をまっすぐに見つめてそう言うと、彼女は驚きに目を見開いた。しかしすぐに表情を和らげると、嬉しそうに笑うのだった。



「あの、お父様は」

「ええ、旦那様はお部屋にいらっしゃいます。あなたの帰りを待っていたのよシビル、さあ、はやく顔を見せに行ってあげて」

「あの……お母様も一緒に、来ていただけませんか」



 えっと少し不思議そうな顔をした義母に、シビルは照れくさいのを耐えながら笑った。



「わたし、二人に伝えたいことがあるんです」



 義母としっかり目を合わせたシビルは、心に決めていた。

 自分をずっと愛してくれていたこの両親に、心からの感謝の言葉を伝えると。








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