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15/18

15:四年目の女官は腕の中に閉じ込められる

 馬車は間も無く王都についた。そうして一行を乗せた馬車が向かったのは、王城であった。



「さて、君は女官室に戻って待機していてくれ。女官長は事情を知っているから心配しないでいい」



 止まった馬車の中で、アーサラムはシビルにそう言う。



「俺たちはこれからシモンの報告を待つ。その報告次第では首謀者のところへ乗り込むことにもなるだろう。さすがにそこまで君を巻き込むわけにはいかないからな、そうだろうアルノー」

「はい、あなたはどうか、女官室で待っていてください。すべてが終われば、迎えに行きます」



 アルノーにもそう言われ、シビルは「わかりました」と答えた。気がかりではあるが、自分が同行したとて力になれるはずはない。むしろ邪魔になってしまうだろう。



「どうか、お気をつけて」



 シビルはそう言い残して馬車を降りると、深く頭を下げて出て行く馬車を見送った。






 廊下を歩きながら、シビルは自分が落ち着かない事を自覚していた。

 当然、アーサラムとアルノーの身を案じているのも理由の一つだ。アーサラムは、場合によっては首謀者のところへ乗り込むことになるだろうと言った。その場合は当然危険が伴うことになる。そうならないことを願うしかない。

 それに、落ち着かない理由はもうひとつあった。

 歩きながら、あの小屋でアーサラムに言われた言葉がよみがえる。


『君は、もう少し弱くなってもいいな』

『君は、君を甘やかしてくれる人に甘えていいし、頼っていいんだ』


 じわりと何かをむしばまれるような心地がする。頭がその言葉を拒否するかのように、うまく考えられない。



「あら、あなた……ごきげんよう、ミス・スケサン」



 家名を呼ばれ、シビルは足を止めた。

 はっとして見れば、目の前に見覚えのある少女が立っているではないか。後宮の女官の制服を身にまとう彼女は、確か、カロー伯爵の令嬢だったか。シビルは咄嗟に『シモーヌ』という彼女の名前を思い出すことはできなかった。

 シビルが「ごきげんよう」とあいさつを返すと、彼女はじっとシビルを見据えて口を開いた。



「先日はごめんなさい、わたし、あなたの事情も知らないで勝手な事を言ってしまったわ」



 彼女は謝罪の言葉を口にしたが、顔に浮かんだ笑みやその口ぶりからはまるでその意は感じられない。シビルは、何か心臓のあたりがざわつくのを感じた。



「あなたって、可哀そうな人だったのね。どうしてあなたみたいな女官がアルノー様に取り入ることができたのかと不審に思っていたけれど、そういうこと。アルノー様は可哀そうなあなたに同情されたんだわ、あの方はお優しいから」



 くすりと笑う音が、妙に気持ち悪くシビルの耳に聞こえる。ずくん、と心臓が気持ち悪い鼓動をした。

 立ち去った方がいい。立ち去りたい。そんな言葉が警鐘のように頭に鳴り響くが、声も出なければ足も動きそうにない。



「あなたの母親、殺されたのですってね。ええ、そういえばそんな事件があったわ。スケサン夫人が乗る馬車を男が襲って、夫人を殺した後に自分も同じ短剣で命を絶ったと……そんな事件だったわね」



 痛ましい事件だわ、と言うシモーヌはやはりそんなことなどまるで思っていないような笑みを浮かべながら言葉を続ける。



「それに、可哀そうなのはそれだけじゃないわ、心無い噂が随分と流れたそうね。例えば、あれは男爵に仲を裂かれた恋人同士の心中だったとか……。恋仲だった二人を、男爵が無理やり夫人をめとる形で引き裂いたのだって、そういう噂が随分と広まったみたいね」



 また、くすくすと笑う声が聞こえる。耳障りな音だ。



「無理やりにでも妻にしたのに夫人の心を手に入れることができなかった哀れな男爵は、気を病んでしまって廃人同然になってしまったとか、今のスケサン夫人はそんな男爵につけこんで、まんまと自分の子供を嫡男にした悪女だとか……」



 拳をぎゅうと握りしめながら、シビルは血の気が引いていくのを感じていた。



「あなたも、そういう心無い噂に傷つけられたでしょう。あなたは男爵との子ではなく、本当はその男との子ではないかって……男爵が再婚したのはそんなあなたを疎んじての事でもあったとか、そんなことを心無い人たちがよく噂したそうね。……ああ、今でも噂されているのだったかしら。そういう噂があるから、四年目になっても結婚相手が見つからないのだって」



 苦しい胸の内で、シビルは、今更どうして、と思う。こんなのは、何でもないはずなのに。



「人って不思議よね、ほんの少しの事実から次々にそんなことを考え出してしまうんだもの。でも、案外そういう事実があるからそんな噂が流れるのかもしれないわね。……あら、ごめんなさい、決してわたしがそう思っているわけではないのよ、噂っていうのはあくまでそういうものだという話なだけ」



 今更こんなもので傷つくほど、自分は弱くない。

 ……弱くない、はずだというのに。



「……さい」

「あら? 何かしら」



 息が苦しい。鼓動が気持ち悪い。頭がぐるぐるする。目の奥が、何かむずむずとする。



「うるさい……」

「……え?」

「うるさい! 本当は、たいして興味なんか無いくせに、興味持ってるふりして、面白がって、そんな人間に、ごちゃごちゃ言われる筋合いは無い!」



 シビルの叫び声が廊下に響き渡った。反響した自分の声が聞こえても、シビルはしまったと冷静にはなれなかった。


 初めから、他の人間などどうでもいいと思えたわけでは無かった。


 母を殺された、可哀そうな子。引き裂かれた恋人の間に生まれた、可哀そうな子。それゆえに疎んじられた、可哀そうな子。

 そんな勝手なことばかり言って可哀そうだという目で見てくる奴らが、大嫌いだった。本当はたいして興味などないくせに。そういうふりをしているだけのくせに。可哀そうと言いながら、好奇の目を向けてくるだけの奴らが酷く腹立たしかった。

 それだけではない。無責任に噂を流す奴らも、ただ聞いただけの噂話をうのみにして語り合う奴らも、大嫌いだった。何も知らないくせに。何も知ろうともしていないくせに。母を、父を、義母のことも。自分の家族を悪く言う奴らは酷く腹立たしくて、憎かった。

 お前たちにわたしの家族を悪く言う権利が、なぜあるというのだ。



「わたしたちがどうだろうと、誰にも関係無い! わたしたちだけの問題だ! 関係無い人間が口を挟むな! 勝手にものを言うな! どうせ興味も無いくせに! 本当はどうでもいいくせに! お前たちが、わたしの家族をどうこう言う筋合いは無い!」

「ふ、ふふ……! それがあなたの本性のようね! 自分を見下してきた奴らを見返すために、アルノー様に近づいたんでしょう! アルノー様の優しさにつけこんで、利用するつもりだったのね! でもそんなことは……!」



 シモーヌが大きく息をのみ、言葉を失う。

 その瞬間、柔らかい衝撃がシビルを襲った。

 いや、襲ったというにはその衝撃はあまりに柔らかくて、優しすぎるものだ。体が何かに包み込まれているのがわかる。じわりと温かさが伝わって、衣擦れの音が聞こえた。

 ああ、アルノーだ、とわかる。

 アルノーに、正面から抱きしめられているのだ。


(どうして)


 そんな言葉がシビルの頭に浮かぶ。

 途端にシビルは頭が冴えていく気がした。それから、ぎゅうと握りしめていた拳の力が自然と抜けていく。先ほどまで体中に渦巻いていた気持ちの悪い感情が、どこかへ消え去っていくようだ。



「ア、アルノー様?」



 シビルが声を出すと、抱きしめる腕に力が込められた。不思議と体の力が抜ける心地がして、シビルは小さく息を吐いた。



「アルノー様……! 騙されてはいけません! その女は、アルノー様を利用しようと……」

「言ったはずです」



 突如現れたアルノーに訴えるシモーヌの言葉を、アルノーの言葉が遮る。



「彼女を侮辱されると、私は冷酷にならざるを得ないと」



 シビルを庇うように腕の中に閉じ込めたアルノーの瞳は、冷たく輝いていた。シモーヌがひっと息を呑み青ざめる。



「もっとも……あなたを排除するのに、私が冷酷になる必要はもはや無いようです」

「えっ?」

「カロー伯爵は、王太子暗殺を計画したとして捕えられました」



 アルノーの言葉に、シモーヌは目を見開いた。それは父親が捕らえられたという驚きとは、何か別の意味をはらんでいるようだった。



「どうして……そんなの知らない、お父様が、殿下まで殺そうとしていたなんて」

「殿下()()、ですか」



 アルノーの指摘に、シモーヌは自らの失言に気付いたのか大きく息をのむと口元を手で覆う。



「ち、違います、わたしは、アルノー様……」

「正直はらわたが煮えくり返りそうな思いではありますが、残念ながらあなたの罪を問うのは私の役割ではありません」



 アルノーがそう言うと、廊下の奥からばたばたと複数の足音が聞こえてきた。現れたのは数人の武官だ。彼らはシモーヌの前に立つと、威圧的に彼女を見下ろした。



「カロー伯爵令嬢、お話を伺いたい。一緒に来ていただけますか」

「どうして……! お父様なの? お父様がわたしを!」

「我々も手荒な真似はしたくないのですよ。どうか大人しくついてきていただきたい」



 声を荒げるシモーヌに武官が冷静にそう告げる。丁寧な口調ながらも有無を言わせぬといったその声色に、シモーヌは押し黙るしかなかった。

 そうして武官らはシモーヌを取り囲むと、元来た方へと去って行くのだった。











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