14:四年目の女官は監禁される?
たどり着いたのは、人気の無い川べりに立つ質素な小屋だった。
シビルとアーサラムが背中を押されて小屋に入ると、数人居た黒装束の誰も小屋の中には留まらずに扉が閉められる。がたがたと聞こえるのは扉が開かないように細工をしている音だろうか。
つまりはここに閉じ込められたということだ。
扉を押してみてそれを確認したシビルは、ひとまずアーサラムに報告した。
「扉は、開きません。閉じ込められてしまったようです」
「まあ開ける必要も無いだろう、俺たちはのんびり待たせてもらうことにしようじゃないか」
シビルの報告にアーサラムはそう言うと、小屋の奥へと歩いていく。そうして、そこにあった椅子に腰かけてくつろぎ始めるのだった。そんなアーサラムの様子に、シビルは困惑した様子で扉の前に立ち尽くすしかない。
黒装束が現れた時からずっとそうだが、アーサラムはこの状況において大変落ち着き払っている。さすが王太子たる人間の余裕といったものだろうか。しかしアーサラムの冷静さはそれだけではないような気もする。先ほど黒装束に放った言葉に感じたわずかな違和感といい、冷静というかのんきというか、まるで危険など無い事を知っているかのような。
「ほら、立ってないで座ってくれ、まだ時間はかかるだろうから立ちっぱなしだと疲れてしまうだろ。それに、俺は君に話があるんだ、ひとまずこっちに来てくれ」
椅子に座ったアーサラムが手招きをしながらそう言う。シビルは戸惑いながらも、アーサラムの命令通りにそちらへ歩いていった。そうしてアーサラムの傍までたどり着くと、再度「立ってないで座って」と言われる。シビルは少し迷って、アーサラムに指示された通りそこにある椅子に腰かけることにした。
アーサラムは満足そうに笑うと、「さてと」と言って話を切り出す。
「俺がアルノーに邪魔をされないで何を話したかったかというと、君のことだ」
驚いたようなシビルの目を、アーサラムのそれがじっと見つめる。
「まず、俺は君に感謝している」
アーサラムの話は、思いがけない言葉から始まった。王太子が自分などに、いったい何を感謝するというのか。シビルは困惑しながらアーサラムの言葉を聞いた。
「考えてみれば、俺と君にはいくつかの共通点がある。義理の弟がいること、父親が再婚していること、……実の母を亡くしていること」
自分と殿下が似ているなどというのは畏れ多い事だが、アーサラムの言ったそれは確かに事実であった。
アーサラムは、母である王妃を亡くしている。彼がまだ学生である頃だった。その頃は国全体が火の消えたような状態だったことをシビルは覚えている。
王妃の喪が明けると、王は数人の側室を持った。その中の一人が産んだ王子がロラックである。アーサラムにとって、半分血のつながった異母兄弟だ。
「まあ細かく言えば多少の違いはあるが、だいたいは似ているだろう。だからアルノーは君に似ている俺に惹かれて、慕ってくれるようになったんだと思っている。つまり君のおかげで俺はアルノーという最高の家臣、そして最高の友を得たということだ、俺はそれに感謝しているんだよ」
アーサラムの言葉に、シビルは居心地が悪いというのが本音だった。アルノーと同じだ。こういう純粋な気持ちというものを向けられたときが一番困る。
シビルは戸惑いながら、「恐縮です」と返した。
「それから、どちらかといえばこっちが本題なんだが……俺と君は似ている。だからつまり、俺は君の気持ちが少しはわかるつもりだということも伝えたかったんだ」
続いたアーサラムの言葉に、シビルは少し顔を上げた。アーサラムはこちらをじっと見ていて、少し悲しげな表情を浮かべているように見える。
「俺は、母を亡くした後、父がすぐに何人かの側室を持った時は、しばらく気持ちの整理がつかなかった。いや、王としては当然のことだし、俺も王子として生まれ、育てられた身だ、そんなことは分かっていた。分かってはいたが、未熟な俺の気持ちは追いつかなかったんだ」
実際に王が側室を持ったのは王妃の喪が明けた後だったが、身内としては『すぐ』に感じたのだろう。シビルもそうだった。父が再婚をして新しい義母と年の離れた義弟ができたのは、母の死から『すぐ』のことだった。
だが、それは必要な事だ。シビルの父には跡取りとなる男児が必要であった。王においては、むしろ今まで側室を持たなかったことが不思議だったのだ。
それはわかっている。わかってはいるが、母への想いとの折り合いがつけられないのだ。
「かといって癇癪を起こすなんて、そんなこともできるわけがない。結果俺がしたことといえば、自分の味方など誰も居ない、誰にも頼りたくない。頼れない。頼ってはいけない。そんなことばかり考えて、周りを全て拒んで、自分の殻に閉じこもることぐらいだ」
アーサラムは『君もそうだろう』とは言わないが、その語り口はまるでそう言っているようにシビルの耳に聞こえた。ぎゅっと胸が苦しくなるのは、まさにその通りだからかもしれない。
「ずっとそうだったというのに、君は今、それをアルノーにこじ開けられそうになって戸惑っているんだろう」
アルノーの名前が出ると、シビルはどきとした。複雑な気持ちだ。胸の内を見抜かれているというのは、こうも心臓がざわつく感覚になるものなのか。
「君は強い人だ。俺はアルノーの選んだ女性が君のような強い人で、正直安心しているよ。……だが、君はもう少し、弱くなってもいいな」
いつの間にか悲しげに見えていたアーサラムの表情には笑みがある。まるでシビルを安心させようとするように。
「君は、君を甘やかしてくれる人に甘えていいし、頼っていいんだ」
心臓がぎゅうと掴まれるようだった。
シビルが何も答えられないでいると、アーサラムがははと笑った。
「いや、今すぐ理解する必要は無いんだ、これからアルノーと付き合っていくうちに理解してくれたらいい。だがそのためには、どうかアルノーを受け入れて、きちんと向き合ってやってくれ。これは王太子としての頼みでもあるが、アルノーの友人としての頼みでもある」
そう言ったアーサラムの言葉に、シビルはようやく弱弱しい声で「はい……」と答えることが出来た。
「さて、まだ来ないようだから話を続けるか。そうだなあ、君の知らないアルノーの話でもしてやろう」
アーサラムは朗らかに笑ってそう言うと、楽しそうにアルノーの話を始めるのだった。
しばらくして、小屋の扉が叩かれる音がした。
「おっと、来たか……入れ」
話をしていたアーサラムはそれを中断すると、躊躇なく扉に呼びかける。
すると、開かなかったはずの扉がぎいと音を立てて開く。そこから姿を現したのは、アルノーだった。
「殿下、シモンは尾行を開始しました」
「そうか、では俺たちも急いでシモンを追いかけるとするか」
短い会話の後にアーサラムが椅子から立ち上がったので、シビルも慌てて立ち上がる。
とはいえ状況が理解できない。扉は開かなかったはずで、アーサラムと自分はここに閉じ込められていたはずで。それがどうして何も無かったようにアルノーが入ってきて、アーサラムはそれを受け入れているのだろうか。
困惑するシビルの前に、手が差し出された。
「馬車に戻りましょう」
こちらに笑いかけるアルノーを見上げると、先ほどのアーサラムの言葉がシビルの頭に蘇る。
『君は、君を甘やかしてくれる人に甘えていいし、頼っていいんだ』
それを聞いて真っ先に浮かんだのは、アルノーが自分に笑いかける姿だったのだ。そんなことを思いだすと、シビルは途端に恥ずかしくなる。
とはいえ、恥ずかしがってその手を取ることを迷っている場合では無い。そう気持ちを切り替えて、シビルは素直にその手に自分の手を重ねた。
「さて、君に状況を説明もしないで巻き込むような形になってしまったことは悪かった」
再び動き始めた馬車の中で、アーサラムはそう話を切り出した。シビルは慌てたように「いえ……」と言う。状況を説明されなかったことで困惑したのは確かだが、王太子に謝罪されるのは畏れ多い。
「まず、俺の暗殺が計画されたのが始まりだ」
衝撃の事実に、シビルは息をのむ。まさか自分の知らないところでそんな思惑が動いていたとは。
「事前にそれを察知したシモンから報告を受けたんだが、どうも一筋縄ではいかないらしい」
曰く、王太子の暗殺を請け負う殺し屋を探している男がいるとシモンが報告をしたという。シモンの調べたところによると、その男は他の仲介人から依頼を受けたらしい。更に調べると、その仲介人というのもまた別の仲介人から金を貰って依頼を受けていた。何人もの人間が介在しており、中々首謀者にたどり着かないのだという。
「そこで、いっそ暗殺されてみることにしたんだ」
アーサラムは笑顔でとんでもないことを言う。
「シモンに俺の暗殺を引き受けさせて、この視察で俺を狙わせる。それが俺の考えた、俺の暗殺計画だ」
自分の命が狙われていたというのに、そう語るアーサラムがどこか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「そして、シモンに依頼完了の報告を受けた仲介人を追わせて首謀者を突き止めるというのが目的だ。それに君を巻き込んだ理由は二つある。一つは、君も命を狙われているからということ」
軽い口調で衝撃の事実を伝えられ、シビルは目を丸くする。なぜ自分などの命が狙われるというのか。
「シモンが君を狙っていた人間からその仕事を横取りして、この視察で君も狙われることになっていたんだ。だからシモンの仕事が済むまで、俺と一緒に身を隠しておく必要があった」
自分の命が狙われる理由はわからないが、アーサラムがわざわざ自分をこの視察に同行させた理由は理解することができた。やはり公私混同などと、そんなものではなかった。少しでも疑った自分が恥ずかしい……。
「もう一つは、さっきの話を君にするいい機会だと思ったからということだ。中々二人で話をする機会というのも難しいからな。立場的な事もあるし、何よりいろいろとこじらせている男がいるからなあ」
……そう思えたままならどれだけよかっただろう。二つ目の理由はまるで私用のようではないか。いや、いや、もちろん前者の理由が前提としてあるのだ。むやみやたらに公務に私用を持ち込んだわけではない。きっと、そうだ。
王都へと急ぐ馬車の中、シビルは目を閉じて自分にそう言い聞かせるのだった。