12:ある王城の部屋にて
私室の扉が叩かれる音に、椅子に座っていたアーサラムは顔を上げた。
「シモンか、入れ」
アーサラムが扉に向ってそう呼びかけると、扉が開いて一人の男性が入ってくる。その表情には言い当てられた驚きなどは全く無い。無表情があるだけの彼は、アルノーと共に王太子補佐官を務める人物だった。
シモンと呼ばれた彼はアーサラムの座る傍へ寄っていくと、膝をつく。
「どうだった?」
「やはり、狙われました」
彼の答えに、アーサラムはため息をついて「……そうか」と返した。
「女の嫉妬は恐ろしいと聞くが、まさかここまでとはな」
それから苦々しげな表情でそう言う。それに対してシモンの表情は、やはり無のままだった。
アーサラムはシモンに密命を下していた。それは、シビルの登城時と下城時の警護である。それも公にではなく、秘密裏にだ。
そしてその報告によれば、やはりシビルは狙われたという。しかしシビルは自分が襲われそうになったことなど知る由は無い。シビルを狙ったその人間が彼女を襲う前に、シモンが始末したからである。それもまたアーサラムの命令であり、シモンの担う仕事だった。
いったい誰が、とは思わない。
アーサラムがシモンに密命を下したのは、カロー伯爵令嬢が王城に現れてアルノーに詰め寄ったという話を聞いたからだ。
「男は酒場で、ツケを肩代わりする代わりに女を襲ってほしいと頼まれたようです。気を失わせる薬だと言われ、毒も渡されていました」
「……命までとるつもりだったか、本当に恐ろしいな。それで、お前が手ぶらで報告しにきたということは、頼んだ人間のことはまだ掴めていないわけか」
アーサラムがそう言えば、シモンの無であった表情がわずかに動く。視線が下に向けられ、申し訳無いといったようだ。しかしそんな彼に向けるアーサラムの表情は責めたようではない。むしろ「では引き続き頼んだぞ」と言ったその姿には信頼が見える。シモンはわずかに伏せていた目を上げ、「はい」と答えた。
「それと、カロー伯爵ですが、少し」
そして、もう一つの報告をする。
「父親の方も何かあるのか」
「近頃落ち着かない様子でいることが多いらしく、他の連絡官が少々不審がっていました」
「落ち着かない、か」
「それと、すれ違ったときに、伯爵からかすかに甘い香りがしました。香水の香りです」
「香水……」
一般的に、香水を身に着ける男性はいない。加えてかすかに香るということだから、女性のそれが移ったのだろう。
カロー伯爵は後宮連絡官だ。後宮連絡官は、王族の他に後宮に出入りできる唯一の男性である。そこで接した後宮の女官がきつすぎる香水の香りをまとっていて、それが移ったのかもしれないと考えることはできる。まあ、そんな女官はめったにいないのだが。
あるいは仕事の合間に夫人に会ったか、もしくはそれ以外の女性と会っていたのか。そう考えることもできるが、そうだったのならわざわざシモンが報告するはずは無い。
彼が引っかかった、何かがあるのだ。アーサラムはそれをわかっていた。
「あれは、ロラック様が時々身にまとっているそれと同じものでした」
その言葉に、アーサラムは小さく息をのんだ。
アーサラムの半分血がつながった弟であるロラックが、時々身にまとっている甘い香り。それは、彼の母親である側室が身に着ける香水の香りだ。嬉しそうに「かあさまのかおりだよ」と教えてくれたロラックの顔が頭に浮かぶと、アーサラムは複雑な気持ちだった。
後宮連絡官の次官とはいえ、その香水の香りが移るほど側室の傍に寄ることなどは許されていない。側室付きの女官と顔を合わせる事すら、叶うはずはないのである。
では、シモンが確認したというその香りはいったいどこで移ったというのか。
「……側室と、会っているということか。それもよりによってロラックの、……いや、ロラックの母親だから、か」
アーサラムはそう言って、深いため息をついた。
カロー伯爵がかすかにまとう香水の香りは、仕事の合間の逢瀬によって女性から移ったものだった。
そして、その逢瀬の相手はロラックの母である側室だ。恐らく男女の仲だろう。
言い切るには証拠が少ないが、そう疑う必要はある。後宮というのは、得てして欲望の渦巻く場所だ。
もしもカロー伯爵と側室が密会を重ねているのだとしたら、そこには愛と共に陰謀も育っている可能性が非常に高い。
この国では王妃の産んだ子が優先されるが、側室の子にも王位継承権は発生する。だからロラックは、この国の第二王子なのだ。
王は数年前に王妃を亡くして以降、新しい王妃を据えることはしていない。王妃の子は後にも先にも、アーサラムただ一人である。
側室がロラックを次の王にと望んだとしたら、必要なのはただ一人の邪魔者の排除と、手駒の調達だろう。
「伯爵の実家であった男爵家の関係者も、調べようと思います」
「ああ、そうしてくれ」
アーサラムが何を案じているのか察したシモンがそう言えば、アーサラムは再びシモンに信頼の目を向けた。
「そして万が一のときは、お前が俺を殺せよ」
言われたそれに、シモンが驚く様子は無かった。
「私も、そう申し上げようと思っていました。万が一のときには私が殿下を殺します、と」
むしろ落ち着いた様子でそう返したシモンに、アーサラムは満足そうに笑った。
対するシモンの表情もまたわずかに緩んだことに気付けるのは、彼を信頼し、彼に信頼されるアーサラムただ一人の為せる業である。