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11:四年目の女官と少年とドラゴンと、それから

 ロラックに手を引かれて連れられてきたのは、廊下の奥にある部屋だった。

 決して小さな部屋ではなく、王太子補佐官室と同じぐらいの広さである。一目で上等とわかる絨毯が敷き詰められ、その上にはシンプルながらも意匠の凝らされた家具が揃っていた。恐らく、ロラックのために用意された部屋なのだろう。将来は彼の執務室になるに違いない。


 ロラックは部屋に入るや否やシビルの手を離すと、壁沿いに並ぶ本棚の方へと駆けて行った。シビルが歩いてその後を追うと、ロラックはすでに本棚から一冊の本を選び出したようだった。



「あのね、このほんのつづきをよんでほしいの」

「え、でも、それはアーサラム様に読んでいただきたいのではないですか?」

「ううん! はやくつづきをよんでほしいの! よんで!」



 ロラックは選んだその本をシビルに押し付けるようにして訴える。なるほどロラックが望んでいたのは『兄上に本を読んでもらう』ことではなく、『はやく本の続きをよんでもらう』ことだったらしい。

 そう理解すればシビルは早急にロラックの要望を叶えるべく、押し付けられた本を受け取った。



「はい、承知しました」

「じゃあこっち! こっちでよんで!」



 シビルの返事を聞いたロラックは嬉しそうに笑みを浮かべ、続いてシビルの手を掴むと窓際に置かれたソファの方へと引っ張っていく。シビルは手を引かれるままに歩いて行き、ロラックと共にソファに腰を下ろした。そうしてすぐ隣に座ったロラックに急かされ、しおりの挟まれたそれを開くのだった。


 挿絵の少ないそれは、少年とドラゴンの冒険活劇だった。

 しおりが挟まれていた箇所は、少年とドラゴンが沼地の怪物に挑む場面だ。



「少年とドラゴンの作戦は、沼地の怪物を沼から引きずり出すことでした……」



 シビルが読み始めると、ロラックはすぐに真剣に聞き入った。

 少年の知恵とドラゴンの機動力。二人の力を合わせた作戦で沼地の怪物に挑む場面は、息もつかせぬ展開である。一進一退の攻防に、ロラックもはらはらとしながら聞いているようだった。

 そうして死闘の末、少年とドラゴンは沼地の怪物を沼から引きずり出すことに成功した。



「陸に上がった沼地の怪物は、すっかり大人しくなってしまいました。沼地の怪物は沼の中にいなければ何にもできないのです。沼地の怪物はもはや、哀れなカエルでした」



 泣いて謝る沼地の怪物に、少年とドラゴンはもう森の生き物に意地悪をしないことを約束させるのだった。そうして、疲れ果てた体を休ませる場所を求めて森の中へと進むのである。



「疲れ果てた少年とドラゴンは、足をひきずるようにして、森の中を歩いていきます。少年もドラゴンも、へとへとでした。早く休みたいなと思いながら歩いていくと、向こうの方に大きな穴が開いているのを見つけます。近づいてみると、それは大人の象ほどの太さの大木に開いた、大きな洞でした。少年が『ここで休もう』と言います。するとドラゴンも『ここで休もう』と言って、二人は大きな洞の中に入っていきました。

 洞の中はとても広くて、ドラゴンの長い首も充分に伸ばせるほどでした。上の方には丸い穴が開いていて、そこから光が差し込んでいます。少年とドラゴンが踏みしめた地面には、干し草が敷いてありました。誰かの寝床なのでしょうか。しかしへとへとになった二人はそれを気にしている余裕はありませんでした。

 少年とドラゴンは柔らかい干し草の上に横たわります。少しして、『眠れないね』とドラゴンが言いました。少年も『眠れないね』と言います。それから少年は『子守唄を歌おう』と言います。ドラゴンも『子守唄を歌って』と言いました。少年は横たわったまま、優しい声で歌いだします」



 本には歌詞が記されているだけだ。しかしシビルは、その旋律を知っていた。



「なつかしいまち あのいえで おひさまいろの おふとんで あたたかいねと わらうぼく おふとんそらにうきあがり ぼくもいっしょにうきあがる ふわふわぽかぽか ゆめをみていたの」



 歌っている途中でロラックがあくびをしたのはわかっていた。この場面では、誰もがそうなるのだ。

 ……しかし、こうなるとまではシビルは予想していなかった。



「ぷしゅう……」



 ロラックの口から漏れ出た寝息が聞こえる。視線を下に落とせば、シビルの膝を枕にして眠るロラックの姿がそこにはあるのだった。

 まさか眠ってしまわれるとは。とはいえその寝顔を見ていると起こしてしまうのもためらわれる。少し考えて、シビルはロラックを今すぐには起こさないことにした。しおりを挟んだ本を静かに閉じると、眠るロラックの顔をじっと見つめる。



(ああ、そういえば、こんな光景は覚えがある)



 それはロラックが自分の膝枕で眠る光景ではない。ロラックぐらいの年の幼子が、自分の膝枕で眠る光景だ。それも同じ本の同じ場面で、同じ子守唄を歌ったときのこと。自分さえも、もっと幼い頃。

 脳裏に過去のそれがよみがえった瞬間、扉を叩く音がしてはっとした。

 誰かが来たらしい。恐らく、アーサラムだろう。

 しかし膝の上ではロラックが眠っているのだ。シビルは声を出していいものかとためらった。すると、扉は返事を待たずして開かれる。



「あ……そういうことか」



 扉を開けて入ってきたのは、やはりアーサラムだった。すぐに状況を把握したようで、小さな声でそうつぶやくとシビルに向って『そのままでいてくれ』というように手のひらを向ける。そうしてソファの方へと慎重に近寄っていく。



「ロラックは寝てしまったか」



 囁くようにそう言ったアーサラムに、シビルは持っていた本を差し出した。アーサラムは不思議そうにそれを受け取ると、しおりの挟まれた場所を開いてああという顔をする。



「よっぽど心地いい子守歌だったらしいな」

「いえ……」

「ご苦労だった、ミス・スケサン。後は俺がやるから、君は女官室に戻ってくれ」



 アーサラムはそう言うとシビルの膝を枕にして眠るロラックの体に手を伸ばし、優しく抱き上げた。起こさないよう抱き上げたのはさすがというべきか。そこに居たのは王子としてのアーサラムというよりは、一人の兄としての彼であった。

 シビルは静かに立ち上がると、兄の腕の中で眠るロラックを起こさぬよう小さな声で「失礼します」と言って部屋を出た。






「殿下から聞きました。ロラック様はあなたの子守唄を聞いて眠ってしまわれたそうですね」



 この日の中庭での逢瀬は、その話題から始まった。



「はい、その、ロラック様に本をお読みしていて、子守唄を歌う場面がありまして」

「余程心地よかったのでしょうね、ロラック様が羨ましいです」



 羨ましいとはどういうことか、と一瞬思うが、シビルは口に出さない。そんなことを口にすればきっとこちらが恥ずかしいことになるだけだ。



「あの本の子守唄をご存じだったのですか」

「はい。……弟に、昔のことですが、読んだことがあったので、覚えていました」

「ああ、弟さんがいらっしゃるのでしたね」

「はい」



 眠るロラックを見下ろしたときにシビルが思い出した、同じように自分の膝を枕にして眠る幼い頃の弟だった。シビルの、血のつながらない弟。



「昔のこと、というのは?」



 掘り下げられて、シビルは一瞬戸惑った。だが答えないわけにはいかない。



「……弟が、家に来たばかりのころです。あ……その、父は再婚をしていまして」

「ええ、その辺りのことは男爵から聞いています」

「あ……そうでしたか。それで、弟に読んでやったらどうかと父に渡されたのが、あの本でした」



 少年とドラゴンが冒険をする物語。ありきたりと言えばそうかもしれないが、何年経っても少年少女に愛される物語である。



「私も、幼い頃に父に読んでもらった本です」

「夫人ではなくて男爵が、ですか」

「父も、自分の父に読んでもらったそうです。なので自分が子どもに読んでやりたいのだと言っていました。だから弟にも自分が読んでやりたいはずなのに、それをわたしに読んでやれと言ったのは、わたしと弟の仲を取り持とうとしたのでしょう」

「弟さんはあなたを慕っていると、男爵から聞いています。男爵の思惑は成功したようですね」

「……はい、そのようです」



 アルノーの言葉に、シビルの頭には義弟の顔が浮かぶ。最も鮮明に浮かぶのは留学先から帰省した時の記憶に新しいものよりも、留学に行く前、髪を切ってしまおうかと言うシビルに切ってはだめだと懇願してくる姿だった。


『姉様は長い髪が似合うから! 短く切ったりなんかしたら、絶対にダメですよ!』


 思えば、その時義弟の言った台詞は小恥ずかしいものだ。長い髪が似合うなんて、そんなことをどうしてこの義姉に言えるのだろうか。そんなことを思えば、自然に言葉が出た。



「わたしは、特別弟に酷くしたつもりはありませんが、特別優しくしたつもりもありません。それなのに、申し訳ないと思うほどに弟は、……こんな姉を、慕っていると言ってくれます」

「それは、きっと、そのままのあなたを慕っているのでしょう」



 アルノーの言葉に、シビルは思わず顔を上げた。するとアルノーの瞳と視線が合う。アルノーが、真っ直ぐにシビルを見ていたからだ。



「特別優しくしてくれるからとかそういう理由では無くて、あなたがあなただから慕っている。私がそうであるように、きっと弟さんもそういう理由なのだと思います」



 胸がぎゅっと締め付けられて、鼓動が早くなる。恥ずかしいのだ、とわかった。けれど今までのそれよりは少しだけ感覚が違うことにシビルは気づいていた。具体的に何がとは言えないのだが、少しだけ、何かが違う。



「……ありがとうございます。そう言っていただけると、少し気が楽になる思いがします」



 シビルがそう告げると、アルノーは「よかった」と言って笑った。嬉しそうに。


 ただ黙って耐えるのではなく、そう告げたいと思う感情。それは『恥ずかしい』とは違うものだということだけはわかっていたが、それの名をシビルはわからないままだった。











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