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01:四年目の女官は浮かれていた

――ほら、あれが今言ってた四年目の……

――へえ、あれが……



 後宮連絡官室に入った途端、そんな囁きがシビルの耳に聞こえてくる。笑い声が交ざるそれは、明らかにシビルに向けられた悪意だった。聞こえていないとでも思っているのだろうか。それともからかって笑うためにわざと聞かせているのか。

 しかしどちらにしろ、シビルにとってそれはどうでもいいことだった。

 ひそひそと話す音だけは多少耳障りに思うが、それとて次の瞬間にはまあどうでもいいかと片づけてしまう。悪意を向ける彼らにさほど興味は無く、興味の無い人間に何を言われたってそれは全てどうでもいいのだ。

 シビルは聞こえてくるそれを聞こえていないものとして表情一つ変えず、真っ直ぐに後宮連絡官長の執務机の前へと歩いて行くと「ご確認ください」と言って手に持っていた書類を彼に手渡す。そうして、後宮連絡官長が書類を確認するのを待った。囁きはまだ止まないが、どうでもいい。

 少しして、「確認した」と言う声がする。それから「ご苦労だった」という言葉を受け取ると、シビルは「失礼します」と一礼をして部屋を後にした。

 囁きは、ついにシビルが部屋を出て行くまで止むことは無かった。





 シビルは王城に勤める女官だ。学校を卒業する年、十五になる年で王城の女官になった。

 シビルは今年で十九になる。王城の女官として働き始めて、四年目を迎えていた。



 この国では貴族女性の結婚は早く、多くは二十歳を過ぎる前に結婚を決めることになる。

 上位貴族の女性であれば社交界では華となり、より取り見取り、引く手あまたで結婚相手には困らない。まあ困らないからこそ選り好みをしすぎて二十歳間際まで結婚相手を決められない令嬢や、今しかないとばかりに男をとっかえひっかえするような奔放な令嬢が生まれたりもするのだが、それらは少数に過ぎない。多くは社交界にデビューして一年か二年で、条件の良い結婚相手を手に入れて去っていくのだ。

 だが、下位貴族の女性となると話が違う。

 まず下位貴族には同格同士の結婚に甘んじることを良しとせず、何としても上位貴族との結婚を勝ち取ろうと躍起になる人間が少なくない。しかし彼らにとってそれは苦難の連続である。なにせ我が娘の競争相手は、生まれついてあらゆる魅力を持ち合わせた上位貴族の娘だ。それに勝つまでは無理でも、何とか比肩するぐらいの魅力を娘に与えてやらなければいけない。

 そのためにある者は何とか事業を成功させるなり投資を成功させるなりで多額の持参金という魅力を娘に付加しようと画策し、ある者は上位貴族に引けを取らない美貌と教養を娘に付加しようと奮闘する。或いは上位貴族の娘が高慢がちなことにうんざりしている上位貴族の令息がいることに目を付けて、娘を常に男の一歩後ろを歩き、男をたてることだけに尽くす女性に育て上げる者もいた。

 とにかく下位貴族の当主たちは、あの手この手を使って娘を爵位以上の魅力ある少女に仕立て上げるのだ。

 しかしそうして娘の付加価値を磨いても、必ず相手が見つかるわけではない。特に社交界という場所では折角磨いた美貌も教養も、やはり上位貴族の華に負けてしまうことが多いのだった。


 そこで出てくる選択肢が、”王城の女官”である。


 王城の女官は王城に存在する唯一の女性であり、そのほとんどが未婚の下位貴族の女性である。

 王城は国政の行われる場であり、そこで働く女官は王族や側室の住まう後宮の女官とは区別される。王城の女官は、文官の補佐を仕事とする存在なのだ。

 王城の女官に対して、上位貴族の女性は『下位貴族の女性が卑しくも文官や武官として働く貴族の男子を物色するために就く仕事』と常日頃から見下している。

 それに対して下位貴族の女性は王城の女官のことを『文官や武官として働く上位貴族の令息にお近づきになって何とか気に入られて結婚まで持ち込むため、そうでなくとも文官や武官として登用される実力のある将来有望な結婚相手を探すために就く仕事』だと認識している。

 つまり上位貴族の女性が王城の女官に対して思っていることは正しいとは言えないが、間違ってもいないのだった。下位貴族は我が娘の美貌と教養、そして男をたてる謙虚さを王城で文官や武官として働く上位貴族の令息に見せつけるために、王城の女官という職へと送り出す。

 それは、下位貴族の野望と駆け引きとの交差点上に存在する職なのである。






 シビルが女官室に帰ると、女官長はおらず今年入った新人の女官が二人いるだけだった。どうやら女官長の目が無い隙に、噂話に興じているようである。



――やっぱり私の一押しはアルノー様かな、一度廊下でお見かけしたのよ、お噂通りのすらりとしたお姿、綺麗な銀色の長い御髪、ああ、もはや芸術品だったわ……。

――それはわかるけど、でもほら、アルノー様って。

――そんなことは知ってるわよ、あくまで見た目が一番ってこと。ああ、でもあのご容姿で迫られたらって想像すると……そんなこと、些末なことに思えてしまうかも。

――まあ、それもわかるけどね、うふふ。



 浮ついた会話がシビルの耳に聞こえてくる。シビルはどうでもいいそれを聞き流すと、大量の紙が積み上げられている女官長の机へと向かった。女官長は仕事のできる人だが、整理整頓ができない人なのだ。机に大量の紙が積み上げられた時点でシビルが片付けるのは、もはや暗黙の了解になっていた。

 そうしてシビルが女官長の机を片付ける一方で、シビルが戻ってきたからといって彼女たちの噂話は止まないようだった。



――それに、そういう噂はあってもアルノー様は王太子補佐官だもの、未来の王補佐官よ。見初められたら未来の王補佐官の妻……ああ、なんて甘い響きかしら。

――でも、インロウ侯爵は好色で有名なお方よ。もしかしたら息子の妻に手を出すことだって……。

――あれだけお年を感じさせない素敵な紳士なら、それも悪くないかもしれないわ。

――もう、ふふ、何を言っているのよ。

――あら、わたしは存外本気よ?



 そう言って笑い合う彼女たちは、恐らく二年後までには王城内で結婚相手を見つけてこの仕事を辞めていくだろう。

 むしろ二年まで続けば長い方である。最も短かったのは、きっかりひと月で婚約を内定させて辞めていった少女だっただろうか。それまでの記録を十二日更新したと話題になったのは記憶に新しい出来事である。そしてそれは、シビルを除く王城の女官たちの間で武勇伝として語り継がれているのだった。



 王城の女官の寿命は、社交界の平均と同じく二、三年だ。

 なにせ貴族の令嬢は二十歳までに結婚を決めるのが一般的なのだ。女官になるのは社交界デビューと同じ十五歳。女官でも社交界でも二年目までに結婚相手を決めるのが理想的である。三年目になるとなんとなく肩身が狭くなってきて、四年目になるといわゆるワケ有りの結婚しか残っていない状態になってしまうのだった。

 女官の場合、三年目までに結婚相手を決めることが出来ないと、もはや城勤めの上位貴族との結婚は望めなくなる。そうなると諦めた父親によって同格、もしくは裕福な平民との結婚が用意され、職を辞していくことになるのだ。そのため女官として四年目の春を迎える存在は稀である。

 シビルは、その”稀な存在”だった。

 『あれが四年目の女官だ』『地味だなあ』などと噂されるのはそのためだ。更には『あんな陰気くさいのじゃ確かに引き取り手は無いよな』『同格にも平民にも相手にされてないってことだろ?』などとも噂されていることをシビルは一応把握している。

 まあさほど興味の無い人間に何と言われようと、どうでもいいのだが。


 そもそもシビルが女官になったのは結婚相手を見つけるためではなく、父親に請われたためだ。


 シビルは結婚などしたくはない。そう思う貴族の女性は稀に存在して、その場合は家を出て孤児院の教師になるなり家庭教師になるなりといった道があるのだ。シビルもまた学校を卒業してからはそれを目指すはずだった。

 しかしシビルがそれを父に伝えたところ、十九歳になるまでは王城の女官として働いてくれと頼みこまれたのだ。

 父は出世欲や野心のある人間ではないが、結婚こそが娘の幸せだと思っている節がある。その反面娘に気を遣う父親なので、自分から結婚相手を用意することは出来ない。葛藤の末の手段が、シビルを王城の女官にすることだったのだ。シビルにその気は無くとも、王城で女官として働いているうちに誰かに見初められることを期待したのだろう。

 だがそんな父の期待も空しく、シビルは女官としての四年目を迎えたのだった。これで結婚は絶望的だ、とシビルは内心喜んでいる。ワケ有りの貴族だって、社交界に一度も出たことの無い小さな男爵家の娘などに目を付けるはずが無い。

 幸いスケサン家には跡取りとなる嫡男もいる。シビルの弟だ。シビルとは血はつながっていないが、現夫人の子供なので彼は正統な跡取りだ。



 さて、無事に十九の歳を迎えたらどうしよう。

 ここ最近シビルが考えることはそれだ。

 女官を辞めて孤児院の教師を目指すのもいいし、家庭教師を目指すのもいい。女官の職で得た蓄えはあるから、職を探す間の生活はなんとかなるだろう。或いは女官を続けて、女官長のようになるのも悪くない。女官長は上位貴族の出ながら王城の女官を勤める人だ。そして、適齢期をとっくに過ぎているにもかかわらず結婚していなくて、しかしそれを恥じることなく堂々としている。シビルにとってあこがれの人だ。

 そんな女官長の机の上を片付けつつ、シビルはひとり密かに浮かれていたのだった。










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