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私は私に恋をする。

作者: 桃文化

 鏡をそっと撫でる。

 そこにあるのは私の顔で、鏡に映った私の顔で、その輪郭を優しく、ゆっくりと撫でていく。かたい。鏡だから当然だけど、人の感触はなく、ただ冷たい無機質な感触があるだけだった。

 私が笑うと鏡の中の私も笑って、私が悲しげに目を細めると鏡の中の私も悲しそうに、伏し目がちになる。だから私が目を瞑ると、何も見えないけれど、鏡の中の私も目を瞑っているのだろうと思う。

 それは事実として、きっと反射する鏡だからとか私が笑ったら笑うのだから目を瞑ると瞑るだろうという事実として認識しているわけだけど、ある意味それは鏡の中の私に対する信頼とも言える。

 私は見えなくても、鏡の中の私ならそうするだろうという信頼。

 それがたまらなく嬉しかった。

 朝、高校に行く前に洗面所で、1人鏡と見つめ合って過ごす時間が1日の中で一番好きな時間だった。

 同級生のみんなが好きな人とメールをしていたり、恋人と電話していたりする時間のように、私は鏡と向き合っているこの時間が一番好きだった。

 私は、鏡の中の私に恋している。











名花(めいか)ってさあ、休み時間の度にトイレ行くよね」


 友達がそう言った。

 まさにトイレで、身なりを整えているふりをして鏡の中の私を見に来ている、そんな時の一言だったから、思わず、不意打ちをくらったような気持ちになって「あえ」なんて言葉を発してしまった。


「もしかして、頻尿とか?」

「ひ、ひん…ち、違うから…」


 まさか好きな人に会うため、なんてそんなこと言えるはずもなく。でも頻尿って…。しかし、そんな『鏡の中の自分のことが好きでそんな自分と会うためにトイレに来ている』ことなんて私以外の誰も思いつきもしないだろうから真っ当な考えではある、よね、頻尿…まだそっちの方が現実味がある。

 

「す、スカートとか、リボンとかずれてないかなって気になるから」

「そういう性格でもないでしょうに」

「失礼な」


 私だってそういう年頃である。

 というか、私に話しかけているこの友人こそ、まさに毎回休み時間の度にトイレに来て、化粧なおしをしているのだ。私と同じではないか、と思う。


「だから、あんたは私みたいなタイプじゃないでしょ?」


 化粧もしないし、リボンがずれようが気にしないし、スカートがめくれてもパンツさえ見えなければどうでもいいと思ってそうだし。

 怒涛の攻撃であった。まさにその通りではあるから、何も言い返せないところではあるんだけど…。


「しょうがないでしょ、化粧っ気ない方が好きなんだから」

「? なんであんたの顔の好みの話になるの?」

「…」


 失言だった。

 さすがにこの失言から「もしかして鏡の中の自分が好きなのでは?」とはならないだろうけど、こういうところの積み重ねからいろいろと怪しまれるのは避けたい。

 隠し事が苦手な私がこれまで隠せてきたのは「鏡の中の自分が好きである」という突拍子もない、誰も思いつかないような事実であるからだ。

 だからといってそれに頼りっきりというわけにもいかない。


「面倒だから…化粧をするのが…」

「最初から取り繕わずにそう言えばいいのに」


 事実ではあるけれど、なんか女として敗北した気持ちになる。


「ま、私はたとえ名花が頻尿でも嫌いになったりしないよ」

「全くうれしくない」


 化粧直しが終わった友人をしっしっと手で追い払う。

 「へいへい」と言いながら友人は教室へと戻っていった。私もスマートフォンを取り出して時間を確認する。あと数分。もう時間はないか。

 教室に戻ろうとする気持ちとは逆に足は動かない。鏡の中の私に見惚れて動けない。何度見ても、何度繰り返しても、好きであるという気持ちは変わらない。

 私は小さいころから鏡や写真に写る自分を『自分』と認識することができなかった。

 自分の目は自分を映さない。

 鏡や写真を見て確認するしかないのだろうけど、だからこそ、これが、写真に写る自分が、『自分』であるという証拠がなくて、どこか『他人』であるように感じてしまうのだ。

 もちろん理屈としても理解しているし、事実として理解している。これは『自分』なんだって。でも、気持ちが追いつかない。

 いつしか、私は、鏡の中の私を、鏡に住む『他人』を好きになってしまっていた。

 ゆっくりと鏡に手を伸ばす。

 今日も可愛い。触れたくなって、でもカチンとそれを鏡に阻まれる。鏡の中の私も同じように手を伸ばしてくれているけれど、それが届くことはない。


「遠いな…」


 こんなこと誰にも言えない。

 感覚としては他人を好きになっているのと同じなんだけど、傍から見れば自分のことを好きなナルシストだし、いや、ナルシストで済めばまだいい方だ。さらに、そこをクリアしたとしても、自分の顔、つまり私は女を好きであるということになる。

 二重の意味で人には言えない。

 これが異常であることは私にもわかっている。でも、止められるわけがない。止める方法を知らない。私は気付けば『この子』のことを好きになっていたのだから。

 鏡に手を触れると、ぴったりと鏡の中の私も手を合わせてくる。私が笑うと、鏡の中の私も笑いかけてくる。どうしようもなく、惹かれていた。

 静かに顔を近づける。

 まわりに誰もいないことを確認して、私は鏡に唇を合わせた。

 これが唯一鏡の中の私と近づける方法であると思っている。

 少しして、唇をそっと離すと、鏡の中の私も同じように唇を離した。少し時間が経ってから恥ずかしくなってきた。ぱたぱたと手で仰ぐ。


「あ、いきなり、ご、ごめんなさい」


 思わず鏡の中の自分に謝る。

 傍から見れば頭がおかしい人ではあるけれど、この場には私しかいないわけだし、私の好きなようにさせてもらう。「がらん」がらん?

 足元にころころとペンが転がってきた。

 転がってきた方向であるトイレの入り口には背丈の小さな女の子がいた。小学生と見間違えるほどに小さくてぼさぼさの髪の毛を2つに結んでいる。

 大き目の眼鏡をかけていて顔を真っ赤にしながらあわあわと言っていた。

 私が逆に一周まわって冷静だった足元に転がってきたペンを拾いあげ、女の子に手渡す。


「ごめん、その、変なもの見せちゃって」

「いいいいいい、いえ、その…だ、誰にも言いませんから!」


 まあ、きっとキス顔の練習をしているとかそういう風に思われているのだろう。それをそのまま利用させてもらおう。恥ずかしいけれど、鏡の中の自分が好きとかいうわけのわからない理由と比べたら全然マシだろうと思う。

 私は今から彼氏持ちにあこがれた悲しい独り身女子高生。

 道化を演じろ。覚悟を決めた時だった。


「その…し、失礼かもしれないんですけど…あ、綾瀬さんって鏡に映るご自身のことがす、好きなんですか?」


 名探偵?

 今のでそこまでわかる?


「というか私の名前。初対面だよね?」

「えっと…、き、綺麗な方だなって一方的に知ってたんです…すみません…」

「あ、謝ることはないけど…」


 綺麗と言われて思わず照れる。

 ある意味これは私の好きな人を褒められたに等しいのだ。

 いや、違う。

 今はそこじゃない。なんで彼女が『私が鏡の中の私を好き』と思ったのか、その理由を聞かないと。


「いえ…その…鏡とき、キスしてる綾瀬さん、とっても幸せそうでしたから…」

「…」


 そんなに顔に出やすいのかな私…。


「もし、そうならどうする?」

「あ、あの…その…私、眼鏡かけてるんです…視力が低いので…」

「う、うん…」

「め、眼鏡って鏡みたいに人を映し出せて…」


 眼鏡を取り外して、私に近づける。

 確かにそこには、そのレンズには私の好きな人が映っていた。


「わ、私を綾瀬さんの鏡代わりに…と、隣に置いてほしいんです…」


 私と彼女の奇妙な関係がここから始まったのであった。


 













よろしくお願いします。

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