『救国の黒兎』と『ファーラン』
ファーラン視点のお話です。
(ルイ様は今頃、何してるんだろう……)
薄暗く何かが騒めき、時折恐ろしい鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。
ここは黄昏の迷宮最下層。
(なんとかここまで降りてこられた…後は、私はやれる事をやるだけだ!)
1人の知り合ったばかりの特別な男を思い出しファーランは心を奮い立たせ、その金色の瞳を輝かせた。
時は今朝まで遡る…
「おい!!バカうさぎ!!朝の仕込みは終わってんのかぁ!?」
「はい…御主人様、言い付け通り仕込みは済んでます。」
ファーランが店主の言葉に感情を殺した様に伝える。
「あぁ?じゃあ…偉そうにしてねぇーで水汲みでもやってろ!使えねー半獣!!」
「はい。申し訳ありません御主人様……」
ここの宿屋に奴隷として売り飛ばされて4年が過ぎたある朝だった。
ファーランは宿屋裏手の井戸に水を汲みに来ていた、毎日の日課だ。
(なんだか森がざわついてる…なんだろう?)
辺りを見渡し少し不気味になって水を樽に汲み、そそくさと樽を運ぶ。
満タンに水の入った樽は非力な女性には辛い仕事だった。
だが、彼女は店主にも知られていないある秘密があった。
ファーランは元冒険者である。
たった2年の冒険者経験だったが才能溢れる少女が強く逞ましくなるのには充分な時間だった。
彼女の母親は獣人族だった。
優しく真っ白い雪の様な兎獣族だった。
父親はファーランが生まれる前にとある迷宮で命を落とした。
彼女の父親もまた、冒険者だった。
そして…金髪の人族の冒険者だった。
この世界にも混血は存在する。
極めて、低い確率で産まれてくる。
そして、混血者は必ずある一つの共通する特徴が現れる。
瞳が金色に輝くのだ。
混血はこの世界では非常に強い差別の対象である。
理由は1000年以上昔、当時その世界にいた半分の人の命は一人の混血の破壊者によって惨殺された、とされているからだ。
そんな神さえも恐れぬ事をしでかしたその混血は神と聖龍の手により退治されたと物語はそこで終わっている。
この物語は、各国共通の物語なのである。
そんな逃げきれないどうしようもない差別をファーランは生まれてからずっと受けなくてはならなかった。
ファーランはそんな境遇でも負けず、腐らず一生懸命生きていた。
迷宮のある街に母親と移り住み冒険者として13歳から迷宮に潜る。
生活は非常に苦しかったが、それでも優しく愛情を持って育ててくれた母親との生活は楽しかった。
暗雲が立ち込めたのはファーランが冒険者になり少しは名が通る様になった頃、2年目の事だった。紛争が勃発したのだ。
それも人族と獣人族による人種戦争だった。
人族は獣人族を『半獣』などと揶揄し軋轢を呼び、長年虐げられた獣人族の怒りは各国で紛争を始めてしまった。
それにより、各地でテロ行為さながらの行動を取った獣人族を冒険者ギルドが取り締まる様になった。
ファーランの母親はいわれのない罪でギルドに投獄され、混血のファーランは冒険者の仕事もなく、唯一の肉親までこの世界に取り上げられてしまった。
心が壊れかける彼女は理不尽で横暴な人間を憎んだ…戦争を…差別を…そしてこの世界の全てを…
灯火すらない暗い部屋の中でファーランは震えていた。
なにも食べずただ冷たい涙を流し、眠らず、そして憎しみが溢れ出す。
10日以上も同じことを考えて繰り返した。
涙が枯れて心が折れファーランはもう…ボロボロだった、もういっそうのこと自ら命を絶つ事すら考え出した。
そして…いつからか、どこからか小さな『声』が聞こえる様になった。
怨みが足らない…
憎しみが足らない…
恐怖が足らない…
ファーランはいつのまにか黒い霧の様な物を纏う様になった。
声が聞こえる。
はっきり聞こえる。
…せ!…殺せ!…殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!!殺せ!!!
ファーランは部屋から飛び出した。
母親から貰った綺麗な真っ白い雪の様な肌は赤黒くなり、唯一父親の影を残す輝く金髪の髪は、真っ黒に変色していた。
ファーランは本当に全てを失った。
ただ一つ…金色の瞳はより輝きを増した。
そして、事件が起きた。
人種戦争を当時指揮していた『ガルムド神国』の国王が1人の黒い兎の獣人に攫われた。
ファーランは敵国にたった一人で突入し、王を攫ってきたのだ。
そしてファーランは、その人族の王を獣人族の族長達が集まる城に連行した。
敵国の王 を手に入れた獣人の族長達は数で負け、敗戦濃厚な場面の切り札にした。
王を人質にして獣人の威厳尊重と各領土の確保を訴え、ガルムド神国側もそれを受託。
こうして歴史に残る紛争を本格的な戦争になる前に終わりにさせた。
そして、それを成したファーランは『救国の黒兎』と呼ばれる様になった。
だが、実際は残酷である。
紛争が終わり、ファーランに残されたのは虚しさだけだった。
母親は牢獄で亡くなったと知らされた。
理由はわからない…
すべてが…すべてが空っぽになった。
そして、ファーランは獣人族達からも人族達からも同じ仲間とは認識されなかった。
ファーランは戦後すぐに培かった魔法もスキルもすべてステータス鍵をかけられ奴隷身分に堕とされる…混血の危険性を危ぶんだ獣人族と人族が出した答えだった。
それが四年前。
ファーランは秘密裏に奴隷競売にかけられ回り回ってここラウル王国の奴隷市に出品された。
だが、ゼロになったファーランはこの四年で少しずつ、少しずつ人の心を取り戻していった。
そして今朝、水の入った樽を担ぎ宿の裏手から正面の通り出た時、さっきまで何もなかった所に人が倒れていた。
黒い髪に見たことの無い不思議な服装で、少年と青年の間の様な姿の人族の男だった。
だが…ファーランは無視をした。
こんな自分は関わってはいけない…そんな事を思ってしまった。
樽を持ち直して宿屋に足を向ける…
入り口近くで立ち止まる。
そして振り返ってしまった。
道端で横たわる男を見て何故か心から震えた。
(なんでだろう…こんな気持ち…まだ私にもあったんだ…)
ファーランは気がついたら樽を片手に、そしてもう片方に意識の無い男を運んでいた。
「お…おい!なんだそいつ??どっから拾って来たんだ!?」
宿に戻ると店主がファーランを問いただす。
「おいおい…お荷物が、お荷物拾って来てんじゃねぇーよ!早く捨ててこい!」
唾を飛ばしながら店主が叫ぶ。
「ご主人様…こっ…この方は、恐らく貴族様です…」
ファーランは震えながら店主に言った。
この四年の奴隷生活で始めて主人に自分の意見を口にした。
「…この短剣をみてくださいませっ…」
男と一緒に落ちていた、鞘も持ち手も白い美しい短剣を店主に見せる。
「あ?ちょっと貸せ!!」
ファーランの手から短剣を奪い取る。
「この感じ…たしかに魔剣だな…だが鞘から引き抜けねーじゃねーか!」
店主が顔を真っ赤にさせて短剣を鞘から抜こうとしてるかピクリともしない。
「恐らくは…短剣に魔法の封が掛けられているのだと思います…」
「封だぁ?そんな立派な短剣を持ってるって事は…そこのカギは本当に貴族のボンボンだって事か??」
店主は顎に指をかけ考える。
「所で、お前ョォ…今日はやたらと喋るな?お前とこんなに会話なんかした事なんか無いよな?」
店主の言葉にファーランは一筋の汗を流す。
「ん?そうか…そうかそういう事か…」
だが、店主は何かに納得した。
「じゃあ、しょうがねぇから一日だけは泊めてやる…」
ファーランはやけにすんなり聞き入れてもらえた事に違和感を感じた。
だけどこれで許可は取った。
意識のない男を横抱きにして二階の部屋のベットにゆっくり運ぶ。
(初めては…笑顔が一番だってお母様が言ってたなぁ…)
ファーランは昔した母との優しい笑顔と会話を思い出していた。
「ご主人様…男の人はルイ様と言う他国の貴族様の様です…」
ファーランは意識を取り戻した『ルイ』と名乗る不思議な青年と言葉を交わし、知り得た事情を店主に伝えた…他国とは言え貴族の人間と分かれば見返りを求め丁重に扱うと信じて。
「ほほう、やっぱりか!よくやったバカうさぎ…それじゃ、今日の夜にでも襲って持ち物を全部剥いでやる!!」
ファーランは目測を誤った、店主は腐ってた。
欲に塗れ命を金に換算する最低の人種だった。
(させない…自分が助けたんだ)
こんな自分がようやく助け出せた人が居た。
ファーランは我慢が出来なかった。
だから…ファーランは嘘をついた。
守るために。自分の瞳を笑って見てくれる…初めての男だったから。
(失いたく無い…)
「ごっ…御主人様…あの方はその…高価な物は一切持っていません!なので私が宿代を立て替えますので、どうか…ご慈悲を…」
ファーランは知っていた。
琉偉は魔法の鞄を持っている。
それも…聖龍の紋章が入った鞄だ。
とてつもない価値がある。
(鞄は持ち主を殺し、中身を取り出せることができる…)
(この男は魔法の鞄の存在を知ったら、かならずあの人を殺す。)
(そんな事は絶対にさせない!)
ファーランは決意する。
「はぁ?なんでお前が庇う!惚れちまったのか??でも、その前に、借金奴隷のクセにどうやって払うんだよ!?」
店主は、笑みを浮かべ、ファーランに問う。
「お前を売った奴隷商は、お前の耳をそぎ落として人族に見せてお前を売ってたな?今度は尻尾でも斬り落として、娼婦でもやってみるか??汚ねぇ兎の獣人の奴隷なんか誰も買ってくれねーと思うがなっ!はっはっはっ!!こりゃ笑える!」
店主は人の皮を被ったクズだった。
「迷宮に潜ります……」
ファーランは、店主に冷静に告げた。
「…はぁ??お前…そんなん無理に…」
店主は、無理だと言おうとした所で横槍が入った。
「おい!お前は兎獣族か?…その話って本気か??」
店の前にいた3人組の男たちが声を掛けてくる。
この3人組の男たちはこの辺では有名な冒険者だ。
店主もそれは知っている。
「いゃ〜旦那ぁ、このバカうさぎはてんで素人ですから気にしないで下さいよ!」
店主は冒険者をなだめる。
「うるさい!お前には聞いてねぇ!お前は兎の獣人の速さをしらないな?」
冒険者のリーダーらしきスキンヘッドの人物は店主に殺気を放った。
店主は怯み口ごもる。
「依頼内容は黄昏の水晶石の回収だ!」
「水晶石…報酬は?」
ファーランはスキンヘッドの冒険者に問う。
「お前の借金はいくらだ?」
「金貨80枚…」
ファーランは言葉短く答える。
「じゃあ。前金で金貨90枚をくれてやる!」
「成功報酬であと90枚出すどうだ?悪い話じゃ無いだろ?」
スキンヘッドの男がファーランに交渉する。
「黄昏って…最下層のお宝か??金貨180枚の依頼だぞ!!絶対に死ぬぞ!」
店主が腰を抜かしファーランに警告する。
「分かりました…その依頼受注します。」
ファーランは覚悟を決めた…母以外すべての人が嫌悪したファーランの瞳に微笑みかけてくれた人の為に。
ファーランは、その場で魔法契約をして奴隷身分から抜け出し、更に借金返済の残金で琉偉の宿代と迷宮に潜る装備を整えた。
そして、現在に至る。
ファーランは黄昏の迷宮、最下層まで来ていた。
初めて潜る迷宮だったが奇跡的と言うより何かに導かれる様にファーランは最下層入り口にたどり着いた。
装備はボロボロ…体力は限界…回復薬も無し。
最悪な状態である。
麻痺毒性のトラップにやられ下層の魔物に何度も殺され掛けなんとか意地で最下層まで降りてきたのだ。
目の前には一本道の奥に祭壇に祭られてる透明な小さく煌々と輝く水晶石が怪しい光を放つ。
(ようやく見つけた…でも…回収は無理そうだ…)
祭壇の前には蒼く輝く龍が寝そべっていた。
(龍種…あれには速さも敵わない…あぁ…やっぱりダメかぁ…でも…でも!冒険者らしく…最後の最後まで冒険者として!)
「…奴隷でもなく!!空っぽでもない!!!…私は…私の大切な人を守って冒険者として死ねる!!!」
ファーランは全ての装備を捨てて走っていた全速力だ。
龍まであと20メートル…睡眠から覚め眼をギラつかせた龍から放たれる轟音を轟かせる衝撃波が来る、何度も何度も当たりそうになるがその足は止まらない。
「(あと5メートル………)……いける!?…………『バスンッ!!』
『ドサッ…』
(あ…あ…と少しだったのになぁ…)
ファーランは両足が吹き飛ばされた状態で地面に倒れていた…
おかぁ様…ルイさ………ま…
ファーランは最後に頭の中に残った2人の優しい笑顔を思い出し意識を手放した。