双対の影話
第五話 双対の影話
雪先沙織は今、教室の隅にしゃがみ込んでいる。
前髪の隙間から見える、その顔は羞恥に染まり、目の端には薄らと涙が溜まっていた。そして、そんな彼女の目の前には、
「な、なぁ……その、俺も悪かった。だから、そろそろその機嫌直してくれないか?」
背中に中の入った竹刀袋を背負った男子学生の少年が今、ゲンナリした表情で何度か謝っている。
だが、雪先は頬を膨らませながら顔を反らし、一向に許してくれる気配がない。
とはいうが、そもそも誰もいないと思っていた校舎の教室で演劇の練習をしていた雪先が、偶然と男子生徒の彼に見つかってしまったのが原因なのだが…、
「っていうか、お前がさっきやってたのって演劇だろ? 演劇役者のくせに、なんでそんなに恥ずかしがって」
「うるさいッ! 役者っていって皆が皆、練習は見られて恥ずかしくないわけじゃないのよ!!」
中学時代の先輩たちは、生き生きとした様子で演劇練習に取り組んでいた。
周りの生徒たちが集まり、そんな練習風景を見られてなお、彼女たちは平然とやってのけていたのだが、雪先はというと、
『わ、私は一人で練習してきますっ!?』
演劇メンバーから離れ、日々一人で演劇の練習に投じる毎日だった。
あがり症という事もあって、特別本番以外で演劇を誰かに見られることを避けていたのだ。
「っーそれより! もう下校時刻間近だっていうのに、貴方は何やってるのよ!」
「いや、それをお前が言うのか?」
この時間までいる時点で同罪だと思うのだが。
少年は溜め息をつきながら、近くの机上に腰を下ろし、背負っていた竹刀袋も下げた。
「で? 俺の記憶が正しければ、ここって魔法部だよな?」
「っう、……えっと、それは…」
「いや、まぁ…別に人の趣味をどうこう言うつもりはないんだけど、ただちょっと気になったことがあってな」
「…え、…き、気になったって?」
この教室で、雪先沙織が演劇の役としてやっていた動き。
武器を振る素振りもなく、自身の体、その一点のみを使う移動方法。今、この学園では見ることのない、魔術が発展したこの時代でいうなら時代遅れのスタイル。
それは、
「さっきの……『武拳』だろ?」
「!?」
「別に武拳を使うやつがいても特段おかしくはない。だけど、この魔法部に加えて武拳っていったら、まさかって思ってな。……なぁ、お前がやってたのは」
「ッそうよ、………この学園の創立当初にいたとされる魔術拳闘士、蓮河 緋音の役よ」
蓮河緋音
その名は、かつてこの学園が創立された当初にいたとされる、データ上の記録として存在する魔術拳闘士という名を持った女子生徒の名前だ。
その動きは凜々しくあり、人を魅了し、武器を持たず己の肉体のみで戦う彼女はその当時、学園最強とまで呼ばれるほどだった。
そして、その彼女が立ち上げた部活―――――それが魔法部だったのだ。
「なるほど、それでお前は魔法部に」
「で、でもアレよ!? その蓮河緋音の話を知ったのも入部した後だったし、それにルトワにどうしても入って欲しいって言われたからであって」
そう、一人慌てふためく雪先。
だが、その時。
「…でも、お前。この学園の内情をわかってて、この部活に入ったのか?」
「だから、別に悪い考えで入ったわけでじゃ……………って、え?」
少年の言葉に雪先の口が止まる。
その意味ありげな言葉もそうだが、それよりも先に気になったのは少年が浮かべる真剣な顔つきをした表情だった。
雪先の表情で何かを察した少年は重く、溜め息をつく。
そして、彼は語る。
何も知らない彼女に対し、この学園で部活が作るということがどういうことなのかを…………………
「本来の学校なら、部活としての最低条件としてあるかぎりの人数の入部が条件になる。まぁ、どこ三人、もしくは四人といった具合だ。そこまでは理解できるか?」
「…ええ、それぐらいは…知って」
「だけど、この学園では所属部員数が二人いることで、部活としての継続、結成が許される」
「!?」
「何も生徒に優しいからって話じゃない。だってそうだろ? 二人だけの為に部室を貸すなんて普通に考えてもおかしいだろ?」
「…じゃぁ、どういう」
雪先の顔に不安が過ぎる。
対する少年――透柄タツクは視線を彼女から離し、壁に貼られた魔法部と書かれた表紙を見つめながら、その口を動かし告げた。
「つまりはこういう事だよ。…部員数が揃って、継続が認められた魔法部はその時から、この学園を取り仕切るトップ。いや、魔術連生徒会の攻撃対象になったっていう事だよ」
◆ ◆ ◆
妼峰アゲハを送り届けた後、ルトワ=エルナは私室に戻り、玄関ドアに背を預けていた。
深く、溜めていた息を吐くルトワ。
あの時はああ言って、妼峰を励ましていたが、
「大丈夫だよ……か…」
彼女の手元には、一枚の封筒が握られていた。
封筒の中には、三つ折りにされた紙があった。
そして、その中には、
『魔術連生徒会より通達 本部活 魔法部は我ら生徒会の提示する指定人数に定まったことにより、廃部への手続きに入ることをここに表記します。廃部を阻止するにあたっての内容はただ一つ。 我ら生徒会メンバーの一人と魔術戦を行い、勝つことです。魔術戦の日時は――――――』
魔術連生徒会。
その名はこの学園に限らず外の世界でも有名な名であり、またそのメンバーの誰もが貴族令嬢であると噂され、魔術の力量も高い優等生とだと聞く。
そして、学園のトップとまで呼ばれた生徒会には、学園の後ろ盾もあってある程度の勝手が許されていた。
それが、弱小部活の廃部活動、という勝手の内の一つだった。
本来なら、魔法部はいつ廃部活動に掛けられてもおかしくない位置にあった。
だが、それをされなかったのには二つの理由があった。
一つは、学園当初に作られたという事。
そして、もう一つが部員数だ。指定されていた人数が集まらず、部として相続条件に当てはまっていなかった。
だが、この年度になって魔法部の優遇扱いがなくなり、ついに廃止できる手はずまで整っていた。にも関わらず、即廃部と行かなかったことにより、魔法部を一に狙われる立ち位置になってしまっていたのだ。
結果として、魔法部はこの夏までに人数が揃わなければ廃部にするという猶予が言い渡されていた。
そう、雪先沙織が入部することがなければ…。
猶予を言い渡されてから、魔法部は皆から避けられる位置に立つことになってしまった。
入部も揃わず、ルトワ一人で部活をする毎日だった。
だが、そんな中で、入学当初で何も知らなかった彼女、雪先を招いてしまった。無知をいいことに、いつなくなってもおかしくないこの部活に入部させてしまった。
「……負ければ、廃部…」
小さな手で、手紙を強く握り締める。
負ければ、負ければ、負ければ、とその言葉が何度も頭の中で渦まく。
しかし、それでも。
「……絶対に、負けられないっ!」
この問題に、雪先は関係ない。
短い時間の中でできた、これまでの繋がりをなくさないために。
自身との繋がり、魔術に上書きされた現代の中で魔法という力を消えさせないために。
その思いを胸に、ルトワは生徒会との一騎打ちを固く決意した。