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 健人くんは、絵を描くのが好きな男の子だ。

 性格も温厚で、口数も少なく、よく夢中でノートに絵を描いている。

 話してみると、彼はとてもやさしく笑う子だった。


「健人くんは賢い子だよ。あの子は授業で学んだことと、自分の生活とをしっかりと結びつけて考えることができる。だから裏サイトに関わっているなんて気のせいであってほしいと思う」

「そう思ってるにしては、やけにうたがってるみたいだけれど?」


 私はうなずく。


「あれは入学式のときだから、一ヶ月ほど前になるかな。生徒があふれる下駄箱で、健人くんが五年生の子と話しているところを見かけたんだ。珍しいことに、そこでは健人くんのほうから積極的に話しかけていたよ。会話の内容は、なにやらパソコンの使い方についてだったように思う。そのなかで耳に残ったのは、話を聞いていた五年生が、『まるで秘密基地みたいですね』と言っていたことだ」

「ひみつきち?」

「ああ。私も不思議には思ったが、そのときはとくに気に留めなかった。そしてその日から、下校時間に二人が中庭で話しているのをたびたび見かけるようになったよ。それを見ていたときもまだ、私は健人くんに後輩の友達ができたんだなというくらいに考えていた。良いことだと思っていたよ。しかし……今週の水曜日に、気になることが起きたんだ」

「ふうん?」


 ひばりのくるりとした瞳が私を見つめる。

 続きを待つ姿は可愛らしいなと思いながら、私は続ける。


「クラスで漢字の小テストをやっていたときなんだが……教室を見回っていたら、健人くんの机の横に消しゴムが落ちていてね。健人くんの机には消しゴムがあったから、私は消しゴムを拾いあげて、持ち主はだれかと教室のみんなにたずねてみた。すると……健人くんがひどく慌てて、それは自分のだと言ってきたんだ」

「ふうん?」 

「これが妙に慌てていたのでね。ふと気になって消しゴムを調べてみたら……ぎょっとしたよ。シースを外してみたら、『本体の両面は升目状にカッターで切れ目が入れられていて、しかも片面の升目の一部は、爪でちぎられた跡がある』ような始末だったからね。勉強に退屈する生徒ならまだしも、私の知るかぎり、健人くんはそんなことをしない」

「新しい消しゴムが、傷だらけにねえ……」

「ああ。まともに考えれば、健人くんへのいじめが疑わしい案件だ。私はそこではなにも言わずに消しゴムを返して、あとで健人くんに話を聞いてみようと考えた」


 ――そして放課後、私は健人くんを探した。


 彼は、中庭で例の五年生と話していた。

 私が声をかけようと近づいてみた……そのときだった。


「健人くんは例の消しゴムを手にしながら、『念のため鍵をつけておいたから』と、後輩に話していたんだ。私は強烈な違和感を覚えて、声をかけるのをやめたよ。そして……ふと思いついたんだ。入学式の日に彼らが言っていた『秘密基地』というのは、もしかしたら裏サイトのことだったんじゃないだろうか、とね。鍵というのは、掲示板を使うためのパスワードのことだと考えられる」

「なるほどねえ」

「しかも話ぶりからすると、率先しているのはどうやら健人くんのほうだ。いじめが原因なのかどうか知らないが、彼がなにか良からぬ世界に熱をあげているんだとしたら、私は放っておきたくない。しかし……仮に健人くんが裏サイトを作っているんだとしたら、あの子はそうとう手強い相手だ」

「どうして?」

「なぜなら健人くんは、『念のため鍵をつけておいた』と話していたからだ。それはつまり、私がいじめについて気づくこと、そして私がかれの裏サイトにたどり着く可能性まで考えて、もう対策を講じたということになる。彼はちょっとしたことから数手先まで読んで、事前に行動してくるんだよ」


 私は、やさしく笑う健人くんを思い出す。 

 好ましく思っていた彼の笑みが、今は少しだけ……不気味に思えた。


「ふうん……ちなみに、その五年生の後輩ってどんな子なの?」

「うん? 後輩の子は中川修なかがわおさむくんという名前で、よく図書室を利用しているおとなしい子だよ。彼と比べると、まだ健人くんのほうが社交的だろう。二人が気があうというのは、なんとなくわかる」

「なるほど。だいぶ情報がでてきたね。ちょっと整理させてもらってもいい?」


 と、ひばりは目をつむった。

 しばし沈黙。

 さらに……沈黙。


「……ひばりくん。ところで、きみの名前はなんていうのかな」


 眠っていないかどうか確かめるために、ちらりと質問してみる。


美空みそらでいいよ――もう少し待ってて」


 ひばりの美空は目をつむったまま、もにゃもにゃと言う。

 ふと、わたしは気づく。


「……ひばりの美空?」


 もしかして私はものすごくバカにされたんじゃないかという疑念が起き始めたころ、ひばりは目をぱちんとあけた。


「もしかしたら、鍵がわかったかも」

「まさか、さっきの会話でパスワードがわかったのか?」


 にわかには信じられないことだ。

 私が驚いていると、ひばりは首を横にふった。


「鍵は消しゴムだよ」

「消しゴム?」

「まだ詳しくはわからない。先生に質問なんだけれど、二人は毎日中庭で話してるの?」

「いや、だいたい三日おきくらいだろう。そうだな……そういえば、月曜日はだいたい中庭で話しているね」

「うんうん。なるほどね」


 ひばりはなにか納得したようにうなずく。

 鳥は表情がそこまで変わらないため、話ぶりがどこか素っ頓狂な感じだ。


「先生は、月曜の放課後になにか用事はある?」

「用事? とくに手を取られるものはないが……」

「ありがと。ぼくももう少し健人くんのことを調べてみるよ。詳しくはまた連絡するね」


 学校の朝のチャイムが鳴った。

 相談はお開きになり、私は首をかしげながら職員室へと向かう。

 ……もしかしたら、ちょっと危険なことになるかもしれない。

 ひばりは、私にそう言ったのだった


 ◆


 翌週の月曜日。 

 朝、私の靴箱にひばりからの手紙が入っていた。

 えらく達筆で書かれたその文によると、なんでも、ひばりはやはり消しゴムが気になるらしい。

 確かめたいことがあるから、健人くんたちの会話をさぐるそうだ。

 あわよくば消しゴムを調べるため、協力者も呼んでいるという。


 放課後になり、私はクラスの帰りの会をはやく終わらせた。

 そのおかげで、私も、健人くんの様子を物陰からうかがうことができた。

 私は、校舎の死角から中庭を見やる。

 健人くんは、中庭の花壇で中川くんを待っていた。

 まばらに帰ってゆく生徒の顔でどのクラスが終わったのかがわかるが、まだ中川くんのクラスの顔ぶれは見えない。

 生徒の流れを目で追うと、ふと正門のほうに、見慣れない人影があらわれた。

 スーツ姿の女性。

 ほんのり明るい髪色のショートカットで、ややアヒル口のその容姿は、どこかで見た芸能人にそっくりだった。

 とてつもない美人だ。

 見ているだけで胸が落ち着かないが、いまはそんなことにかまけている暇はない。

 名残惜しいが、今は健人くんの様子をさぐるほうが大事だ。

 正門を背にして、私は玄関口へと向きなおる。

 中川くんは、まだ来ない。


「おまたせ」


 心臓が飛び出るかと思った。

 いつのまにか、私のそばにスーツ姿の美人が立っていた。


「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」


 くすくすと笑いながら、彼女が言う。

 てっきり、備品の納入業者か営業かと思っていたが、


「……もしかして、ひばりの友達ですか」


 恐る恐るたずねてみると、美人は首を振った。


「ぼくは美空だよ。わからないのも無理はないけれど」

「……美空?」


 うそだろ、お前、えらく可愛いじゃないか。

 私がそう褒めると、美空はくすぐったそうに笑った。


「さすがに鳥のままで白昼堂々、きみと話すのははばかられるからね。そこらへんを歩いてた人の体に入って、体を借りてきたんだ」

「う、うそだろ」

「うん。もちろんうそに決まってるじゃない」


 そのうそは卑怯だと思う。

 美空はころころと笑うと、


「冗談はさておき。健人くんたち、いつもあそこで話してるの?」


 私にぐいっと体を寄せて、美空は私越しに健人くんをのぞきみる。

 服越しに、体温まで伝わってくる気がした。


「近いぞ」


 私は美空の肩をそっと押して、体から離す。

 よろめいた美空は、不満げに眉を寄せた。


「もう。危ないなあ……この格好になるの久しぶりなんだから、いきなり押されると倒れちゃうってば」

「お前、子供じゃなかったのか。てっきり小学生くらいの男の子だと思ってたよ」

「まあ……ぼくたちの性別については、人はうまく見分けられないからね」


 そんな問題でもないと思う。


「ちなみにスーツを着てきたのは、この服のほうが、ぼくのことについて先生もなにかと説明がつくかなあと思って。どう? 似合ってる?」


 のんきな声で、美空は楽しそうに話す。

 鳥の姿のときとは打って変わって、美空の表情はころころと変わり、とても感情豊かに思えた。

 そういえば、美空の髪の色はひばりの色だ。

 と……脱線している場合じゃない。

 健人くんに視線を戻すと、健人くんのところに二人の男子生徒が立っていた。


「美空。おまえの協力者って、あの子たちなのか?」

「あの子たち?」


 美空は顔だけをのぞかせて健人くんを垣間見る。


「あ。健人くん絡まれてる」


 ちょっとまずいかも、と美空は言った。


「しょうがない。私が行く」


 健人くんに絡んでいる子たちのことは知っている。同級生のなかでも中心にいる生徒たちだ。

 元気はあるが気の良い子たちなので、彼らが健人くんをいじめるとは考えにくい。

 しかし、こうなっては放っておけない。


「いや……ちょっと待って」

「うわっ」


 私は美空に胸元をつかまれ、引き寄せられた。 


「ど、どうしたんだ?」

「待って。いま会話を聞いてるから」


 美空は私にしがみつく格好のまま、目を閉じて耳を澄ましている。


「……あの二人、健人くんに、早く完成させろよって言ってる。なんだか急かしてるみたい」

「なんだって?」


 急展開である。

 まさか、健人くんは彼らに言われて裏サイトを作っているのだろうか。


「やっぱり……健人くんはいじめられていたのか?」

「うーん。でも健人くんは楽しげに笑ってるみたい。二人には、完成したらちゃんと見せるよって言って受け流してる」

「なんだって?」


 先ほどと同じ台詞を言いながら、私も健人くんをうかがう。

 二人の生徒は歩き去って行った。


「ほら、離れたよ」

「おまえも離れてくれないか……」


 さっきから、服越しに、胸が当たっている。

 ひばりのくせに、ブラを着けているのが気になった。


「よっと」


 美空は私から体を離して、手で服をととのえている。


「えらく耳がいいんだな、美空は」

「耳? んー……たしかにぼくたちの耳は感度はいいんだけれど、遠くの音が聞こえるのは人間の『これ』のおかげだよ」


 美空は、耳たぶをつまんで答える。


「外耳か。たしかにひばりの耳に集音器はないな」


 そんな他愛もない話をしていると、中川くんがやってきた。

 健人くんたちは、仲良く花壇の縁に座る。


「先生、静かにしててね」


 美空が人差し指を口にあてながら私に言う。

 会話を聞こうと思ったのだろう。 

 しかし……健人くんがポケットから消しゴムを取り出した、そのときだった。

 一羽の鳩が、二人のもとへと滑空してきた。

 あざやかな技で、健人くんの消しゴムをかすめとる。

 健人くんはなにが起きていたかわからない様子だった。


「うそ……待って!」


 健人くんが懇願する声がひびく。

 無常にも、鳩は行ってしまった。

 健人くんは信じられないといった顔で、呆然としている。


「いまの鳩が、美空の友達なのか?」

「うん。よかった、はたき落とされなくて」


 会話は聞きそびれちゃったけれど、と言い残すと、美空はぱたぱたと駆け出して健人くんに近づいた。

 健人くんを心配するように、彼の目の前で屈む。

 私も、彼らのもとへと歩く。


「なにがあったんですか?」


 素知らぬ顔の作りかたは、教員生活で学んだものだ。


「さっきこの子に鳩が飛んできて……。ね、びっくりしたね」


 美空は健人くんの背中をなでている。


「怪我はなかったか?」


 私もたずねる。

 幸い、健人くんは無傷だった。


「危ないもんだな……どうしていきなり鳩が健人くんを」


 われながら白々しかったが、生徒たちが怪しんでいる様子はなかった。

 健人くんは、今にも泣きだしそうだった。


「先生、たぶん健人さんが持ってた消しゴムを、食べ物と間違えちゃったのかもしれないです」


 健人くんが話せない様子だったのをみて、隣にいた中川くんが身を乗り出した。


「ああ……そうなのか。これからはものを持って外を歩かないように、みんなに言っておかないとね」


 鳩には申し訳なかったが、その後三ヶ月間、鳩と全校生徒の関係がピリピリとしたものになった。


「大丈夫? ごめんね……」


 美空は申し訳なさそうに、健人くんの体をさする。

 健人くんは、ぽろぽろと流れる涙を静かに拭っていた。


「ほんとうにびっくりしたな……大丈夫か? 先生が家まで送って行こうか?」

「べつに、びっくりしたわけじゃないです……」


 息をしゃくりあげながら、健人くんが言う。


「先生、ぼくが健人さんと一緒に帰ります」


 中川くんが言う。

 家は正反対だったが、かまわないそうだ。

 健人くんは介抱されながら、中川くんと帰っていった。


「健人くんには悪いけれど……消しゴムを調べてみなきゃね」


「いったいなんなんだ? あの消しゴム、泣くほど大切にしていたようには思えないんだが」

「答えはもうすぐわかるよ」


 私の仕事が終わったらパソコン室で待ち合わせる約束をして、美空は踵を返した。

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