未来
その日、父さんはまだ日の高いうちから縁側でお酒を飲んでいた。
背の高い茶色の瓶からコップに注がれる透明の液体。
そろりと口にすると、眉間に皺を寄せ少し咳き込んだ。
一息つくともう一口飲み、相変わらず曇ったままの眼鏡を押し上げ、虚ろな瞳で桜の木を見上げる。
僕はそんな風にお酒を飲む父さんの姿を見た事が無かった。
転勤が決まる前。
時々、1本の缶ビールを母さんと二人で半分ずつ分け合っていた。
いつも父さんの方が先に顔が真っ赤になっていたのを覚えている。
僕はそれをよくからかっていた。
酔ってフラフラになって帰って来た事も有ったけど、2度ぐらいじゃないかと思う。
玄関が俄かに騒がしくなり、目を覚ましてしまった僕は布団から抜け出し、階段の陰から様子をそっと窺った。
微笑みながらも心配そうな表情の母さんと、上機嫌な父さん。
あの頃はきっと、僕達は幸福だったに違い無い。
違い無い。
なのに、こんな事になってしまったなんて。
ロクに食べもせず、飲むから。
弱いくせに、飲むから。
30分も経たず、父さんは眼鏡を掛けたままごろりと横になり眠ってしまった。
父さんを揺り起こすものは何も無い。
柔らかな風が寝癖だらけの髪を梳き、白い頬を撫でてゆくだけだ。
夜中頃、父さんは突然ぱちりと目を覚ますと弾かれた様に裸足のまま庭に降り、桜の木の根元に跪くと、一心不乱に地面を素手で掘り返し始めた。
しかし5回程掻いたところで、はたと動きを止めた。
肩で呼吸をしながら、黒く汚れた手で桜の肌に触れる。
そして、充血し澱んだ瞳から一筋涙を流す。
「咲良・・・」
そう呟き、乾いた口唇を噛んだ。
夜が明け、部屋の柱に背を預け父さんは、全自動の洗濯機が止まるのを待ちながらまた眠っていた。
ここ数日、睡眠時間が異様に長い。
覚醒していても、ぼんやりとした瞳の所為でそれも定かではないように思われた。
玄関から珍しく声が聞こえてくる。
この家を訪ねる人なんていないのに、いつの間にか誰か来たようだ。
「―――さんっ!」
何度目かの声掛けで父さんはようやく目を覚まし、壁や柱に手をつきながら覚束無い足取りで玄関に向かった。
そこに居たのはスーツを着た見知らぬ男が二人。
「―――教育委員会の者ですが」
そう言って、首から下げたIDカードを父さんに見せた。
所属と名前と顔写真。
父さんは小さく『あぁ』と枯れた声を発し、じっとそれを見詰める。
「咲耶君はご在宅ですか?」
父さんはその言葉に心底安心した表情をした。
そしてゆっくりと
「息子を殺したのは、私です」
と、言った。
沈黙。
満開の桜の花が風に揺れる音だけが聞こえる。
この桜が散り終えた時、僕の命も本当に終わるだろう。
しかし、塀の内側の父さんの中で生き続ける。
乱れ咲きの桜の中、佇む僕と母さんが―――
お待たせ、母さん。
今、逝くよ。