過去(断片)
賑やかな声に囲まれる。
片手で足りてしまう程の年齢の僕が笑顔を振りまいている。
それを見てつられる様に笑う父さんと母さん。
繋いだ柔らかく温かな手の感触。
遊園地、動物園、行きたいところ何処へでも連れていってくれた。
僕達は明るい光と声に包まれていた。
僕の頭を撫でながら父さんは言う。
『お前は、母さんによく似ているな』
春。
3人でお花見に出掛けた。
レジャーシートの上に仰向けに寝転び父さんが呟く。
『定年になったら田舎に引っ越して、桜を眺めながら暮らしたいな』
母さんは微笑みながら頷く。
『良いわね』
風が緩やかに吹き抜け、散り落ちた花びらがふわりと舞った
男の人の声がする。
『君のお母さんは綺麗な人だね』
小学校に上がりしばらくした頃、父さんの転勤が決まった。
母さんと二人暮らし。
スーパーからの帰り道、母さんの手を握り『父さんの代わりに僕が守るんだ』と、ヒーロー気分になったりした。
週に1度父さんは電話をくれた。
『ちゃんと学校行ってるか?』
『何か変わった事は無いか?』
僕は捲し立てる様に学校、友達、色々な事を細かく喋った。
『そうか、良かったな』
父さんの嬉しそうな声が返ってくる。
月に1度は帰ってきたし、毎年誕生日プレゼントも用意してくれた。
寂しくはなかった。
寂しくない、筈だった。
3年ぐらいで様子が変わってきた。
父さんは家に帰ってこなくなり、電話も鳴らなくなった。
それは僕が大きくなった所為だろうと思っていた。
父親が構う年齢でもないだろう、と。
僕の事を信頼しているからだろう、と。
もう大丈夫、と。
『父さん、お誕生日おめでとう』
夜、電話をした。
父さんなのに少し緊張した。
『ごめんな、父さん明日も早いんだ。ありがとうな』
久し振りに聞いた父さんに声は、一方的に切れた。
電話口から聞こえる音がこんなにも悲しいものだと、この時初めて知った。
小学校の卒業式の日。
出席はしてくれたが、その日の内に赴任先へ戻っていった。
それは、伸ばした手がその腕を捕まえられず空を切る感触に似ていたと思う。
部活を終えて家に帰る。
母さんがパート先の制服姿のまま夕食の支度をしている。
『おかえり』
手を止め、笑顔で振り向く。
少し疲れた笑顔。
『ただいま』
幼い日の僕の中に有ったヒーローの気概は何処へ行ってしまったのだろうか。
そしてあの日が来る。
中学校の卒業式の日の夜。
階下から聞こえる父さんと母さんの声。
大きな音が響いた後、2人の声はピタリと止んだ。
翌朝。
キッチンの食卓でコーヒーを飲む父さんの後ろ姿。
『母さんは?』
キッチンを出ようとした僕を父さんは呼び止める。
『母さんはまだ寝ているよ。疲れているんだ、そのままにしておいてあげなさい』
背後から近付く父さんの足音。
そして抱きしめられる。
きつく、きつく。
僕は周りの同級生に比べて少し身体が小さく細かった。
父さんも華奢であったが、その腕の力は異様に強かった。
『お前は、母さんによく似ているな』
その言葉を最後に、僕の記憶は途切れる。
『さくら……』