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4-1 ユカリ、二日酔いの頭で族長と話す

 翌朝起きた時、ユカリが最初に感じたのは、痛みだった。

 いつの間に眠ってしまったのか、記憶が無い。


 そんなそんなそんな。


 思わず跳ね起きたら、今度はいきなり頭の中で、へたくそな軍楽隊候補生の演奏が鳴り響いているかの様な、ものすごい勢いでがんがんと痛みが響いていた。


 何なんだこれは何なんだこれは何なんだこれは。


 半泣きの状態でそれでも起きあがってみると、自分の上に軽くて暖かい毛皮が掛かっているのに気付いた。誰が掛けてくれたのだろう、と思いはしたが、せっかくだから、と彼はきちんとそれを畳む。

 そしてふと、まぶしい日射しに、天幕の上が開いているのに気付いた。傘状に開いた、その天井は、真ん中に明かり取りが開く様になっている。それは夜中、火を焚く時の換気窓にもなっているらしい。その開いた窓から、青い空が見えた。そしてその色が示すものは。

 ―――もう既に、朝どころではない時間らしい。

 ユカリは慌てて外に飛び出す。

 そして飛び出す時にあまりにも勢いが良かったので――― 頭に響いた。

 あまりにも慣れない痛みは、思わず笑いを引き起こす。笑うしかなかった。

 しかしその笑いの向こう側に、黒と白と金の姿があった。


「…何を笑ってる」


 ナギが、あの族長の側に控えていた青年と、話していた。彼女はユカリに近づくと、両手を伸ばし、くっ、と彼の顔を自分の方へ向けさせた。


「やっと覚めたか。だがあまり顔色が良くないな。何処か痛くしてないか?」

「あ、頭がちょっと」

「ああ」


 青年は、くっ、と笑った。


「すみませんね、無理に呑ませてしまいまして」

「全くだ。酒の味もそうそう判らない青少年に呑ませるものじゃない」

「いやいや、でもそれで今朝ちゃんと起きてこられるとは大したものだ」

「しかしその様子じゃ、今日移動するのはきついだろうな」

「え… いえ、大丈夫」

「馬鹿かあなたは。乗り物に乗るのだぞ? そんな顔色の奴を乗せてみろ。一駅も経たないうちに」


 こうだ、とナギは舌を出して、両手を広げる。何となくそれの意味するところに気付いて、ユカリは思わず口をおおった。


「と言う訳で、もう一晩、ここに泊めていただく」

「急ぐんじゃ、なかったのか?」

「一日二日休んだところで大したことじゃあない。だいたい、そんな、あちこちで休まなくてはならないような奴連れてた方が、よっぽど時間を食うというものだ」


 ひどい言いぐさだ、と彼は思ったが、それは間違いではない。


「とにかく今日一日、ここでぼけっとしていろ。私も少し気になることがあるから、少し出かけてくる」

「出かけてって…」

「私がお送りします。ですからもう少し休んでいればいい」


 青年はにっこりと笑った。

 何となく、その笑みにユカリは苛立ちに似たものを感じる自分に気付いた。


 しかしぼけっとしていろ、と言ったところで、実際何をしていいのか、彼には判らなかった。

 確かにまだ頭はずきずきと、動けば動いただけ、自分の心臓の鼓動と同じ速さで痛みを伝えてくる。

 だが、そうかと言ってこんな昼ひなかに眠っているというのは、何となく彼の性格上、嫌だった。

 とりあえず、ぶらぶらと天幕の周りを彼は歩いていた。

 天幕は、彼が眠っていた場所にある大きなものを中心にして、十程あっただろうか。その一つ一つに、それぞれの家族が寝泊まりしているらしく、昼ひなかのこの時間は、男達は放牧に出かけ、残されているのは女と子供、それに老人ばかりだった。

 そして、この人も居た。


「おお、起きたかね」

「…昨晩は、申し訳ありません。…いつの間にか眠ってしまったようで…」

「なあに、まあ当然だろうて」


 族長は、草の上で胡座を組んでいた。長い煙管をくわえ、時々口から煙を吐き出す。まあ座るがいい、と言われ、彼は言われるままに横に座った。

 ユカリは何となく、その煙を見つめた。青い空に、その白い煙は、ゆっくりと上昇していく。彼はぼんやりとそれを見つめる。


 しばらくの間、ぼんやりと、見つめていた。


「おぬしは」


 はっ、と彼はその時自分がずいぶんとぼんやりしていたことにようやく気付いた。ぽん、と族長は煙管の中の灰を地面に落とす。


「は、はい」

「彼女をどう思う?」


 え、と彼は一瞬言われていることの意味が判らなかった。


「イラ・ナギだよ」

「ナギ? 彼女が、どうかしたのですか?」

「いや、話に聞いていた通りであったな、と思うてな。おぬしは聞いていないか? あるじから、自分が付いていくのが、どんな者であるのか」

「聞いてはおりませんでした。…どんな人であろうが、自分の主人の命じるのであれば、自分は、付くのが仕事ですから」

「まあそれは、ある意味正しかろう」


 すう、と族長は再び煙を吸い込み、吐き出す。


「生きていくためには、それぞれに仕事がある。街の人間には街の人間の、我々草原の人間には、草原の人間の」

「はあ」

「それはそれで正しいが、しかし、街の人間は、我々とは違った意味で流れていく」

「流れて?」

「我々は大地を移動する。だが生きて行く上ですることは、昔よりさして変わる訳ではない。空を読み、風を読み、草を追いす、水を追い、移動し、馬を羊を飼う。その繰り返しだ。しかし街の人間はそうではなかろう」

「…」

「たとえひと所に居着いたとしても、そこでは様々なものが動いている。巡っていく。時にはそこに居られなくなることもあるだろう」

「それが… 彼女と何が?」

「まあ少年よ、結論を急ぐではない」


 少年? 思わず言葉に頭に血が上り、ずき、と頭に痛みが走る。うめきながら彼はしばらく頭を抱える。

 そしてまた、族長はしばらく黙った。

 ユカリは途中で放り出された言葉の意味をしばらく考える。見上げると、ゆっくりと、雲が動いていく。彼の育った里、働く帝都では決して見られない、遮るもの一つ無い、広々とした空がそこにはあった。眩暈がする程に、それは彼の視界に、広がっていた。


「…ナギは、ここに来たことがあるのですか?」

「いや、彼女はここに来たのは初めてだ。しかし、彼女は、我々と同じ草原の部族の土地に居たことはあった」

「カラ・ハンですか?」


 彼は昨夜、ぼんやりとしていた頭の中で、それでも残っていた言葉を口にする。


「おや、それでもちゃんと覚えておったか」


 ほっほっほ、と族長は笑った。あまりにその笑いが軽快なものなので、ユカリも腹を立てることもできない。何となく、自分がそう感じてしまうことが、馬鹿馬鹿しくもなってくる。


「まあ、よく聞いておった、というところだろうな。では、カラ・ハンの地のことは聞いておるか?」

「辺境の部族であることは聞いています。しかしあそこに彼女は住んでいたことがあるのですか?」

「まあ、あるらしいな。わしもよくは知らぬ」

「知らない… って」


 ユカリは思わず問い返す。


「あなた方は、彼女のことは」

「知っていると言えば、知っているし、知らないと言えば、さっぱり知らないと言ってもよかろう」

「それでもああやって馬を出すのですか?」

「それはおぬしら、街の人間の思うことであろう。我々には我々の、思うことがある。…カラ・ハンの族長から、我々のたった一つの高速通信に連絡が入ったのが昨日の朝。向こうの族長じきじきの頼みであったのでな」


 あれか、と彼は駅で彼女が高速通信を掛けていたことを思い出す。確か彼女はシャファ、と相手に呼びかけていた。


「シャファ、という方と知り合いなのですか? 彼女は」

「どうであろうな。シャファというのは、カラ・ハンの副族長であり、族長のディ・カドゥン・マーイェの妻である女性のことだが」


 余計に彼には判らなくなってきた。


「ナギは俺に、第一中等に入る前は、何処かを回っていたと言ってました。…それがカラ・ハンなのでしょうか」

「とは、限らないだろう」


 族長はぽつん、と言った。


「少年よ、おぬしその姿でひとを判断するのではないぞ」


 え、と彼は顔を上げた。


「けど俺は、見た目はその人を現す鏡であるから、まずその人間をよく見て、そして判断しろ、と言われてきました。それは間違いだと言うのですか?」

「間違いではない。確かに見た目は、その人間の生まれも育ちも、その性質も、映しだしてしまうものであろう。どんなに上手く隠したところで、その人間の生きてきた何かしらが、表に現れるのは確かだ。しかし人の目というものは、非常に曖昧なものなのでな、見えているものが全てだ、と思いこむことが多い」

「…よく、言っている意味が判りませんが…」


 ユカリは少しばかり恐縮してつぶやく。


「確かに、ナギは俺の持っていた、第一中等の女子学生の印象とはずいぶんと違います。けれどそれは、きっと、あの制服を着た彼女を話しもせずに出会った人間には判らない、ということと近いでしょうか」

「近くはある。おぬしはなかなかいい所を付いているな」


 近くなのか、と彼は思った。ではそれは答えにはならない。だとしたら。彼は思う。何を一体自分は掴んでいないのだろうか。


「彼女は今日は、コルプツと出かけたようだな」

「コルプツ?」

「昨夜おぬしに酒をたんと注いだ若い者のことだよ」


 そう言うと、族長はやや意地悪げな笑いを浮かべた。


「まあ明日は移動となるだろう。今日は一日、のんびりと空を見、茶を呑み、食事をしていくがいい」


 はあ、と彼は曖昧に答えた。そしてそんな答えしかできない自分が、ひどく不思議に思えた。

 その話はそこで打ち切られた。族長は彼に、帝都の普通の暮らしについて、聞きたがったので、彼は自分の答えられる範囲で、それを口にした。

 しかし、口にしているそれが、奇妙なほどに、自分の中で実感というものが無かった。それはあくまで一般的なことで、自分自身の生活ではないのだ。言葉は宙に浮く。浮いているのだ。

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