第九話 魔女
「ずっと待っていたのですよ。貴方様がいらっしゃるのをずっと……」
家へとハルを招き入れた女はそう言いながら、水晶球が置かれたテーブルへと向かっていく。
向かい側の席に座ると前の席に座るように促した。警戒するのは遅いかもしれないが、ハルは警戒しつつその席へと座る。
(先読みの魔女……『主人公』を、モニカを聖女として予言したのがこの女だったな)
先読みの魔女とはカルフォーレ王国の王宮占い師の異名だ。その昔、王国が重大な危機にさらされた時どこからとも無く現れ、占いによる予言によってこれを退けたという。
そんな逸話もあってか先読みの魔女と呼ばれており、先代のカルフォーレ国王に気に入られた為、王宮占い師として王国に仕えることとなった。
今現在も王国に仕えており、重要事があるたびに王国の未来を占っているらしい。また、王国の国教であるルーナ教では神の声を聞く巫女としても扱われている。
そんな彼女がした占いの結果、モニカが聖女として祭り上げられたくらいにこの国に影響力を持つ者だ。
重要人物である彼女の存在を調べないわけないのだが、どういう訳か王宮占い師なのに王宮には居らず、ルーナ教の神殿にも居らず、城下で暮らしているという情報しかなく今までその存在を掴めなかった。
(どうも魔法でこの場所を隠しているようだ。ここへ訪れることができるのは彼女本人か、彼女が招き入れた者のみってところか)
先程までグルグルと同じような場所を歩いていたあの感覚。きっと彼女の魔法が影響しているのだろう。そして先程自分の事を待っていたと言っていたから、ここへ招いれたのは何かの理由があってのことか。
ちなみに『ゲーム』における彼女の役割は好きな人の好物を教えたり、今一番好感度の高い攻略対象を教えてくれたりするサポートキャラだ。
「さて、迷い子よ。なにゆえここへおいでになりましたか?」
先代の国王からの知り合いであるため、相当に年を重ねていると思われる。しかし、そんな年を老いた雰囲気を感じさせぬほどに澄んだ声で、魔女はハルに話しかけてきた。
「……俺をここへ招き入れたのはお前だろ。第一、お前は先を見通せるのだろう? 俺に聞かなくても分かるんじゃないのか?」
警戒心を露わにして睨みつけるように魔女を見る。魔女はそんなハルの様子にベールの下で笑みを作りながら答えた。
「つれないお人。私にとっては久しぶりの会話……少しは付き合ってくださいませんか?」
「孤独に過ごしているのはお前がしていることだろ。他人と会話したいなら他を当たれ」
きつく言い放つハルの態度に、魔女は寂しそうに微笑む。その様子に少しばかり申し訳なく思うものの、得体のしれない者と相対する恐怖の方が勝った。
「――未来を知るものよ。変化した道の先、その道が行き着く先が気になりませんか?」
出ていこうと席を立ったハルだが、魔女の一言によって体が止まる。
未来を知るとは『記憶』の事か? 変化した道とは『ゲーム』と異なる話になった今か? その道が行き着く先とは――?
気になる単語を発言した魔女に新たな警戒心を覚えるが、話している事が気になる。ハルはゆっくりと席に戻ると、魔女はニッコリと微笑む。
「では、占いましょう。この先の未来を、貴方様の未来を――」
テーブルの中央、向かい合う二人の前に置かれた水晶球に魔女は両手を掲げる。その瞬間、部屋の雰囲気が神妙なものに変わった。
どこかゆっくりと、しかし早く進んでいるかのような時間の錯覚。先程までは暖かったのに、肌寒い。そして、神秘的に光り輝く水晶球。映し出すものは水の中のようだ。そこに何処かの風景などが歪んだ状態でいくつも映しだされている。
その中に一人の少女が映しだされた。その笑顔はまるで陽の光のように暖かで優しい笑顔。
「――貴方様の望むモノは手に入る」
水晶球に見入っていたハルの耳に声が響く。その声は目の前の魔女の声。どういう意味かと問う前に、どこか感情のない無機質な声はさらに言葉を紡ぐ。
「――されど一番に望むモノは手に入らない」
その声と共に水晶球に写っていた少女が掻き消え、映しだすものが黒く濁りだした。どろりどろりと渦巻く黒い流れ。いやそれは――赤い。赤黒く色を変えていく。それはまるで血のようだ。
「終わりの世界に一人きり。辿りし道筋は血の色。行き着く先は――」
「それ以上は言うな!」
残酷な宣告をしようとした無機質な声を、ハルの怒声が遮った。その瞬間に周囲に満ちていた不思議な感覚はなくなり、水晶球の光も失われ、映し出していた赤色が消えた。
ハルは苦しそうに顔を歪める。気付けば呼吸が荒くなっており、心臓の音が嫌に耳に響く。吹き出た大量の汗で額に前髪が張り付いていた。
「……お前が何を言おうとしたかなんて分かりきっている」
血のように赤く色づいた水晶球と魔女の言葉。それを照らし合わせれば嫌でも分かる。しかし、一つだけ引っかかるものがあった。目の前の魔女を睨みつけながら問う。
「だけど一つだけ分からないことがある。お前は言った、望むモノは手に入ると。だけど一番に望むモノは手に入らないと」
「……そのままの意味です。貴方様には心当たりがあるはずですよ?」
「…………」
先程と同じく何の感情も見いだせない無機質な声で魔女は言う。
――確かに、思い当たることはある。
あの言葉が出た時に水晶球に映しだされていたのは一人の少女だった。それは紛れも無く、彼女だ。
(手に入るモノというのは彼女の事か? だけど一番に望むモノは手に入らない――まさか!?)
ハルが一番に望むモノ……それは自分が死なないこと。死にたくないから彼女に近づいていると言ってもいい。だが、あの予言に当てはめるとなると――
(彼女が俺を好きになったとしても、俺は死ぬってことなのか!?)
そのことに気付き驚くハル。その様子を見た魔女は悲しそうな微笑みを向けながらその声にも悲しさを乗せて言う。
「――運命を変えることは極めて困難です。私は今までに変えたいと願った未来が幾つもあります。しかし、その殆どは変わることはありませんでした」
薄いベールの下に隠された瞳がこちらを見つめる。どこか虚ろな光を宿す瞳は幾多の絶望を見てきたかのようだ。
「特に貴方様の運命は別格。――変えることなど不可能と言えるでしょう」
ハッキリと断言した魔女にハルは言葉を失う。自分が死ぬという運命から逃れられないというのか? たとえ『記憶』の通りに自分のルートを完璧に再現したとしても。
「…………もういい。俺は帰る」
打ちひしがれたようにハルはヨロヨロと立ち上がると、扉に向かって歩き出す。
「――ですが」
扉を開けようとした瞬間、聞こえて来た声。
「――ですが、全てを犠牲にすれば、叶うかもしれません」
その言葉を背後に聞きながら、ハルは魔女の家を出て行った。