第六話 贈物
「流石でございます! やはり貴方は僕の先生と呼ぶに相応しい!!」
フードを被った正しく魔法使いといった格好をした緑髪の小柄な少年は嬉しそうに大きな声でそう言った。両手は目の前の人物の手を握っており、その可愛らしい顔は満面の笑みと羨望の眼差しを向けている。
「そ、そうか……」
そんな少年に先生と呼ばれた黒髪と赤目を持つ少年――ハルは若干呆気にとられたように返事をする。
「まさかこんな発想ができるなんて思いもしませんでした! 僕が長年研究していた転移魔法を、斬新なアイデアで解決してしまうなんて!! 魔力も無いのに……いや魔力がないからこそ、こういった発想が出来るんですね! いやむしろハーロルド様だからこそ――」
「ああ、うん。分かったから、そろそろ手を放してくれないかな、サロモン?」
「ああ、申し訳ございません!!」
慌てて手を放した緑髪の小柄な少年――サロモンであったがその目の輝きは保たれたままだ。
(……やり過ぎたかな)
サロモンには長年研究をし行き詰まって悩んでいた魔法がある。それは転移魔法だ。しかしそれを実現するためには数々の問題があり、サロモンはずっとそれに悩まされていた。
『ゲーム』であればそれを『主人公』と共に時間を掛けつつ解決策を探していく事が彼のルートの話だ。その解決策を『記憶』によってすでに知っていたハルはその解決策を教えたのだ。人見知りの激しいサロモンであるがこの話をすれば少しは警戒心も薄れて話しやすくなるのではという思いつきからだった。その結果は見事に上手く行ったのだが、少し上手く行きすぎたようだ。
本来であれば、その魔法は時間を掛けられて解決策を見出され完成するはずだった物。すべての解決策を教えた訳ではないが、それだけ複雑で難しい魔法であるにも関わらず魔法が使えもしないハルが一瞬で一つの解決策を出したのだ。そんなハルはサロモンにとって先生と呼ぶに相応しい。
「先生! どうかこれからも僕の研究を手伝ってくれませんか? この転移魔法を完成させるためには先生の力が必要だと僕は思います!」
「……いいけど、その代わりに俺に魔法を教えてくれるか?」
「はい! もちろんですよ!」
そう答えたサロモンはまたしてもハルの手を取ると嬉しそうに上下に振るのであった。
(手伝うけど……全部は教えないからな。転移魔法なんて完成されたら冗談じゃない)
嬉しそうにするサロモンに少しだけ罪悪感を持ちながらもハルはそう思う。もし転移魔法が完成すればは未来で起こる可能性のある戦争で使われる事だろう。彼の魔法は脅威でしか無い事は『記憶』によって分かっている。手伝うと口では言ったが邪魔することが本当の狙いであった。ついでにモニカとのルート入りの妨害も入る。
そして彼から魔法を教わることも重要な事だった。これから戦争するかもしれない相手の力を調べる必要があるからだ。
ハルがこんな事をするのはもちろん、自分が死なない為に。もし戦争が起こっても勝てるようにするためにだった。
◆◆◆◆◆
「はぁ……」
なんとかサロモンの制止を振り払って研究室から出てきたハルは疲れたようにため息をついた。
「お疲れのようですね、ハーロルド様」
「まぁな……。でも情報は手に入れた。後は適当に相手すればいい」
後ろをいつもの様に歩くギルに振り向かずに返事をする。
サロモンは知りたかった情報を簡単に教えてくれた。特に軍に組織された魔法師団に関しての情報は機密事項であり簡単に手に入るものではない。つまり立派な情報漏洩なのだが、サロモンはその事に気づいていないだろう。彼にとってはその情報よりも転移魔法のほうが重要なのだ。
「そう言えば、ハーロルド様」
「なんだ、ギル?」
「先程サロモン様に頂いた物、どういたしますか?」
研究室から出てくる際にお礼にとサロモンから渡された物がある。それは甘い物が大好きなサロモンが愛してやまない焼き菓子、マドレーヌだった。箱に記されたマークは貴族御用達の高級店の物。解決策を教えてくれたお礼にとサロモンから貰った物だ。
「そうだな……」
ハルは少しだけ困った表情をしながら箱を見つめる。このお菓子をどう対処したものか。別にこの焼き菓子に毒が仕込まれている事を警戒しているわけではない。そんな事はサロモンがするはずないだろうし、第一毒味ならギルがやってくれるから食べても大丈夫なのだが……。そんな風に焼き菓子の箱を持つ従者にそれを押し付けようと思った所で声が聞こえて来た。
「あ、ハーロルド王子!」
「ああ、フィリップ王子」
ギルの背の向こう側からこちらに歩いてくるのはフィリップ王子だった。その後ろにはいつもの様に近衛兵である赤毛の騎士がいる。普段ならばこの二人の組み合わせなのだが今日はもう一人、青髪の神官がいた。
「お初にお目にかかります、ハーロルド様。私の名前は――」
「知っている、ルーナ教の神官クリストフだろう?」
名を名乗ろうとした青髪の神官――クリストフは驚いた表情をする。それもそうだろう。会ったこともない王子に名前を言い当てられたのだから。
クリストフとはこれが初対面だ。ならばなぜハルがクリストフの事を知っているのかというと――
(こいつも攻略対象者。これで出会ったのは四人か……)
クリストフも例に漏れずあの『乙女ゲーム』における攻略対象である。その『記憶』を持っていたから彼の事を知っていたのだ。
彼は月の女神ルーナを信仰するルーナ教の神官である。神官といえば回復役、当然の如くクリストフは治療魔法の持ち主だ。その腕は確かなものでどんな難病でも傷でも治せるらしい。さすがに死んだものを蘇らすのは無理だ。さて神官といえばもう一つ、真面目でお固いイメージが付き纏うわけなのだが――
「いやはや、まさか私めの事を存じていらしたとは。……ああ、惜しいかな。これが女性であったら神が導きし運命の君との出会いだったのですがね……」
喋り方こそは丁寧なのだが、雰囲気は真面目とは程遠い。神官でありながら女好きで有名なのがこのクリストフという男だった。
「……悪かったな、俺が男で」
「ああ、すみません。男から覚えられるのはあまり嬉しくないのですが、ハーロルド様は別ですからご安心ください。――それに私の運命の君はすでに出会っていますゆえそちらも気にしないでください」
クリストフはにっこりと笑顔を作りそう言った。どうしてそんなセリフを恥ずかしげもなく言えるのだろうかと内心羨みながらも、その運命の君が誰を指しているのか思い悩む。十中八九モニカの事だろう。まったく自分の想い人にはライバルが多すぎて困る。元は『乙女ゲーム』だからだろうか、彼らは『主人公』の事が『好き』をなるように『プログラム』されているからだろうか、モニカを狙う者が多い。
(そんな自分もまた、モニカを『好き』になるように設定された者なのか)
彼もまた攻略対象。しかし死ぬ運命にある隠しキャラである。そんな彼は死なないために今まで彼女に接してきた。自分が好きになるのではなく、彼女に好きになって欲しい。そう思う気持ちは果たして、彼女に対する好意なのか死にたくないと思う生存本能なのか。今の所は後者だろうとハルは思う。
「申し訳ないハーロルド王子。こう見えても彼は職務には真っ当ですから」
申し訳無さそうに肩を竦めるフィリップに少しばかり同情する。フィリップとクリストフは幼き頃からの知り合いでありその仲は親しかったはずだ。そんな王国王子の親友であるクリストフはと言うと心外だと顔には出さず雰囲気で物語っていた。
「ああ、そうでした。ハーロルド王子、今度の食事会の事ですが」
「どうかしたか? まさか予定が入ったとかじゃ……」
「いえ、どうやら噂を聞きつけた者が数名居まして、彼らも参加したいとのことで」
フィリップがチラリと視線を向ければクリストフが声を高くして言う。
「以前から私めも庶民の料理には憧れを抱いておりました。しかもあの運命の――いえ聖女様自らの手でお作りなさるとか。これはぜひとも参加しなければなりません。ええ、神もそう言っておりましょう」
(ああ、つまりは俺にも食べさせろというやつかよ……)
やっぱりモニカの事かと、ウンザリしたようにクリストフに視線を向ければ、その奥で背筋を伸ばして突っ立ている赤毛の騎士も興味津々といった様子で会話を聞いていた。お前もか脳筋野郎。
「まぁ……構わないさ」
断りたい所だが断る理由はない。何しろ自分も後から参加した身だ。文句を言う権利は発案者であるモニカかフィリップくらいだが、この二人がそんな事をするとは到底思えない。
この分だと攻略対象が全員揃いそうだと憂うハルだった。
「ああ、そういえば」
思い出したようにハルはそう言うと先程からギルが持っていた箱を指す。
「良かったらコレ入りますか?」
せっかくの貰い物を他人に渡すのはどうかと思うもののこれはナマモノである。食べなければ腐ってしまう。ギルか屋敷の使用人にでも配ろうかと思っていたが、確かフィリップはサロモン程ではないが甘いモノが好きだったはずだ。これが貰い物だとは黙っていればバレやしない。多分。
「良いのですか? ありがとうございます。結構好きな物なんですよ」
フィリップは嬉しそうにそれを受け取る。ああ、このセリフは確か贈り物アイテムをあげた時のセリフだ。このセリフの内容は好きなものを貰った時の反応だから、きっと好感度メーターも上がっていることだろう。
(好感度……って俺何やってんだか!?)
なんで『主人公』の好感度を上げずにフィリップの好感度を上げているのやら。なんとなく手近にあった物をなんとなくの思いつきで渡して見たのだがなんだか選択肢を間違った気がする。戻ることなら選択肢を選ぶ前に戻りたい所だが、生憎とここはもう『ゲーム』ではない。
好感度と言えば自分の主人公に対する好感度はどうなっているのだろうか? 『ゲーム』であればいつでも確認できた。それぞれの攻略対象者とどれだけ仲良くなれたかを示す値。と言っても見えた所で隠しキャラ扱いのハルの好感度は見えないのだが、他の攻略対象者がどうなっているのか気になるのだ。
今の所『主人公』であるモニカは特に誰と決めないまま誰に対しても満遍なく対等である。このまま行けば大団円ルートなのかもしれない。大団円ルートではハルは主人公側について戦う。つまりは祖国を裏切るわけだ。だが結局は死ぬ。主人公を庇って。本当に大団円ルートなのだろうか?
「焼き菓子と言えば、この前モニカさんからサブレーを貰いましたね。手作りのようでとても美味しかったので今度の食事会がとても楽しみです」
ふと思いついたようにフィリップが零した言葉にハル含む周りの男達も反応する。
「なんと!! フィリップ様は聖女様よりサブレーの差し入れをされていたとは……! しかしながら私めは以前に満月草を頂きました。我がルーナ教において満月草は神聖なる花。それを聖女様からの私めへの贈り物とはまさに――」
「お、俺もモニカ様からはハンカチを貰った! しかも名前の刺繍入りだ!」
青髪の神官が興奮気味にモニカからの贈り物について語っていると、後ろから大きな声で遮るのは赤髪の騎士。
いつのまにやら話はモニカから何を貰ったかを言い合う流れになっている。その様子をハルは冷や汗を流しながら眺めていた。それは今彼らが貰った名前はすべて『ゲーム』においてプレゼントすれば好感度の上がる物ばかりだ。しかもそれぞれが好きなものと一致している。
(な、なんだよこれ!? どいつもこいつも好感度上がりまくりじゃねーか!)
そんな焦るハルにも今までモニカの話をしていた者達の矛先が向けられる。
「もしかして、ハーロルド王子にも何か聖女様から物を貰いましたか?」
少しばかりキツイ目線でハルを見るのは青髪の神官ことクリストフ。
「え!? あ、ああ、貰ったことはある……」
「何!? どんな物だ! どんな物を貰ったんだ!」
クリストフの質問に答えたハルに掴みかかろうとするのは赤髪の騎士ことアーノルド。が、寸前でギルに抑えこまれ、主であるフィリップに止められるのであった。一時乱れた場が収まった所でハルは口を開ける。
「えっと……俺はフィナンシェを貰ったな」
この前勉強を一緒にしてくれたお礼にと貰った物だ。金塊のような形をしたフィナンシェはこの国でよく食される焼き菓子だ。モニカは料理が上手いらしく、その中でもお菓子を作るのが得意であると見た目だけで思わせるほど綺麗な形をしていた。
「ああーフィナンシェか! いいな俺も食べたいな、聖女様のフィナンシェ……」
「まったくですね。しかし今度食事会があるのでその時を楽しみに待つとしましょう」
赤髪と青髪の男たちが羨ましそうにハルを見るがすぐにその思考は今度の食事会の事に飛んで行く。
「ハーロルド王子も僕と同じくお菓子を貰ったんですね。彼女の作るお菓子は美味しかったでしょう?」
「ああ、そうだな……」
フィリップの言葉に同意するように頷く。しかし、その笑みは引きつるのを我慢していた。
(ああ、彼女の作った物だった。さぞかし美味しかったんだろう。でもそれが俺の嫌いな物となれば話は別なんだよな……。なんでフィナンシェなんだ。なんで甘いものを俺に……俺甘いもの嫌いなのに……)
そう、ハルは甘いものが苦手だ。だから先程サロモンから貰ったマドレーヌをフィリップに譲った。
(ああ、俺の好感度下がってなきゃいいな……)
嫌いなものをプレゼントすれば好感度は下がる。そうならないようにハルは貰った時は好感度が上がるときのセリフを無理やり言ったし、貰ったフィナンシェも吐きそうになりながらも全て食べた。ここまでしたのだ。好感度は下がってないかと心配なハルであった。
(そういえば……モニカの好きな物ってなんだ?)
ふと浮かんだ彼女の顔。その彼女が好きな物はなんだっただろうか?
頭を巡らせど、その答えは――何も浮かばなかった。そんなことはないと思い、『記憶』も頼りにしながら思い出そうとするのだが、彼女が好きな物が分からない。いや、それだけではない。彼女が好きな物はもちろん、嫌いな物、彼女が学園に来る前はどんな生活をしていたのか、家族構成その他諸々、一切知らない。『記憶』には他の攻略者達の情報が事細かく要らないほどにどうでもいい情報すらあるというのに、彼女の情報はこの学園に来た直後の最低限のものしか持ち合わせていなかった。
(なんだよこれ……俺、何も知らないじゃないか。あいつの事何にも……)
知った気でいた。だって彼女は『主人公』なのだからと。違う、そもそも『主人公』だからか? プレイヤーの分身であるから彼女の情報は『記憶』にはなかったというのか?
いくら考えようにも、彼女の事は何一つ分からなかった。
ただ分かっているのは、『記憶』によれば、彼女は『聖女』で自分の運命を左右する存在であるという事だった……。