第四話 疑問
なんだかんだで学園生活が一ヶ月ほど経った。これだけ経てば嫌でも学園生活には慣れるものだ。
毎日のようにハルにとっては眠くなる授業の数々をそつなくこなしていく。確かに留学生として彼はここに居るが、王子としての教育をなされているのでこのような学園に通わなくても良かったりする。
さて、そんな勉強には不安は何もないハルだが、一つだけ不安事がある。
それはもちろん――
(ああああ! てめぇこの野郎、何手をとってやがる! ああッ! キスしやがった! あいつ手の甲にキスしやがった! 何が騎士の忠義だ! あの赤い脳筋馬鹿め!)
建物の影から盗み見るハルの視線のその先。そこは中庭で腰に帯剣をした赤髪の少年がモニカの目の前で膝をつき、彼女の手を恭しく取りその手の甲にキスをしている光景が見えた。学園内で帯剣などをして良い人物など限られている。その中で赤髪の騎士といえばフィリップ王子の近衛兵アーノルドしかいない。そんな赤髪の騎士は例の如く、あの『乙女ゲーム』における攻略対象の中の一人だ。
「あの野郎……いつまでモニカにくっついてるつもりだ。離れろ! 今すぐ離れろぉぉぉ」
相変わらず建物の影から二人を盗み見ていたハル。
だからなのか後ろから近づく人影に気付かなかった。
「あの騎士殿が気に食わないのでしたら、引き剥がしに行けばよろしいのでは?」
「うわっギル!?」
驚きながら後ろを振り返れば、冷ややかな目をしたギルがハルを睨んでいた。
「毎度、毎度、私の目を盗んで何をしているのかと思えば……好いた女性のストーカーでございますか?」
学園内ゆえに完全に従者モードで話しかけるギルだったが、その言葉の端々は刺々しい。
「す、ストーカーじゃねぇし! これはあれだ……その……ちょっと廊下歩いてたらたまたまあの二人の姿が目に入って……ちょっと気になったから見てただけだし!」
「左様でございますか。ですが盗み見の様に見えましたので次からは気を付けてください」
明らかに歯切れの悪いハルにギルの疑いの目は増すばかりだった。仮にも一国の王子であるハルがこのような行動をしているからだろう。
「分かったから……もういいだろ」
顔を引きつらせながらハルはギルの目から逃れるようにあの二人が居た中庭の方を見る。しかし二人の姿はない。まさか二人一緒に何処かへ行ってしまったのだろうかと先程見たあのイベントに関する『記憶』を頭の中で探しながらハルはその場を立ち去ろうとする。
「どちらに行かれるおつもりですか?」
「どこでもいいだろ。付いて来るなよ」
「それはなりません。私は貴方の護衛なのですから」
当然の如く護衛としてハルの後を付いていくギル。その証に彼は学園内での帯剣を許されている人物だ。今までも、いや学園に来る前からギルはハルの護衛として何処へ行くにも一緒であった。しかしながら彼と常に一緒ではダメだとハルは考えている。なにせ『ゲーム』におけるギルという存在は影も形もないのだ。だからイベントなどでモニカと会う際は極力ギルの護衛を振りきっては一人で会っていた。
「兎に角付いて来ないでくれよ」
だがギルの足は止まらない。もう一度言おうとハルが口を開こうとしたが、それよりも早くにギルが口を開いた。
「……なぁハル。俺何かしたか?」
「な、なんだよいきなり」
従者としてではなく、いつもの口調で喋りかけてきたギルにハルは驚く。
「最近俺の事避けてないか? 何かお前の気の触ることをしたのなら謝るからさ」
どうやらギルは最近彼の護衛を避けるハルの行動を自分が何かをしたから避けているのだと思ったようだ。だが彼がハルを怒らせるような事は何一つしていない。もちろんその事はハルが一番知っている。
「……そうじゃないんだギル。お前が悪いとかじゃないし、俺がお前を嫌いになったりとかじゃないから」
「じゃあどうして、俺を避けるんだよ」
「それは……」
ハルは口ごもる。あの『記憶』に関して言うべきか、悩んだのだ。
今までのハルの行動はすべて『ゲーム』通りに動こうとした結果だ。その通りに動き、彼女に自分を選んで貰わなければ、近い将来で自分は死ぬのだから。しかし、この話は誰にも言っていない。もちろんギルにもだ。言った所で信じてくれるか分からないものであり、ハルでさえこの『記憶』に関しては完全には信じていない。こんな話をすれば医者の元にでも連れて行かれるだろう。
「ハル、お前この国に来てから少しおかしいぞ? 最初は他国だし慣れてないからとか思ってたけどよ」
「気のせいだ。兎に角俺はもう行く」
「おい、ハル!」
ギルを無視して早足で歩き去ろうするハル。しかし、数メートル進んだ後に急に立ち止まった。
「……これから図書室に行く。中には入らずに入口で待っているなら付いて来てもいい」
言い終わるやいなや、ハルはまた早足で歩き出す。
「まったく……畏まりました」
先程の言葉をもちろんしっかりと聞いていたギルはやれやれとため息をつきつつも主の背を追いかけて行った。
◆◆◆◆◆
言いつけ通り、図書室の入口から中には入ろうとしないギルを見てからハルは図書室の奥へと進んでいく。先程中庭でモニカを見かけており、その時の彼女はあの赤髪の騎士のイベントをしていた。『ゲーム』であれば、そのイベント終了後はすぐに場面が切り替わり一日が終わっていたのだが、今のここは『ゲーム』ではない。その後も飛ばされる事無く時間は流れており、まだ夜にはなっていないのだ。
であるならば、もしモニカがこの後何処かへ行くのであればとハルが目を付けたのがこの図書室だった。
『ゲーム』での図書室といえば知識のパラメーターを上げる場所だ。他にもいくつかパラメーターが用意されており、このパラメーターが不足しているとハッピーエンドに行けなかったりとシナリオに関わってくる。そのため『ゲーム』の『主人公』はここへ幾度と無く訪れていた。
そんな『ゲーム』における『主人公』であるモニカもまたよくこの図書室に訪れているのをハルは知っている。もちろん彼女の行動を監視していたから分かった事だが。
(良かった、ここで合っていたか)
時々本をめくる音しか聞こえないくらいに静かな図書室にハルの予想通り彼女が居た。
本棚の前に立ち、目当ての本を探しているようだ。
「何の本を探しているんだ、モニカ? 俺も手伝うぞ」
すかさず声を掛けるハル。最初の頃であればまだ少しばかり話しかけるのに躊躇していたことだろう。それも本国ではこうして女性に話しかけるという機会があまりなかったからだ。話しかけなくても王子という身分故に寄ってくる女は居たが。
「あ、ハーロルド様」
話しかけられたモニカはハルの姿を認めると笑顔で答えた。しかしすぐに困ったような顔をする。
「えっと一緒に探してくれるのですか? ですが王子である貴方様にこんな事を頼むのは……」
「なんだ、俺の手は借りたくないって」
「いえ、その……」
「俺が王子だからって遠慮するなよ。で、何を探しているんだ?」
このような事をハルに頼んでいいのか悩んでいたモニカだったが、ハルの言葉を聞くと申し訳無さそうにであるが探している本を伝えた。どうやら今日の授業で習った魔法についての本を探しているようだ。
この世界には魔法と呼ばれる摩訶不思議な力がある。しかし誰でも使えるわけではなく、生まれつき体に魔力を宿した者しか使えない力だ。ハルの故郷であるグランツラント帝国ではこの魔法が使える者は全くと言っていいほどに居らず、得体のしれない力、所によっては悪魔の力と呼ばれ恐れられている。
反対にこのカルフォーレ王国はというと他国から魔法使いの国などと呼ばれるほどに魔法に精通した国だ。軍の組織に魔法使いだけで構成された軍隊があるくらいである。しかし他国よりも魔法に詳しい王国であるがそれでも魔法が使えるものは国の中でもほんの一握りにすぎない。
「あ、あったぞ」
モニカの探していた本を見付けたハルはそれを本棚から取り出すと彼女に渡した。
「ありがとうございます! 助かりました!」
モニカは両手で本を受け取ると、嬉しそうに礼を言う。
「魔法か……俺は使えないからよく分からないんだよな」
ハルはもちろん魔法は使えない。魔力を持っていないのだから。魔法には疎い帝国で育った故かこの学園の授業の殆どは特に問題はないのだが、唯一魔法に関する授業だけ時々分からなくなる。
帝国でももちろん魔法に関する勉強もしてきたのだが、この学園の授業を受け魔法に関する知識だけは勝てないとハルは思ったくらいだ。
そんな思いからか、思わず呟かれたハルの言葉にモニカは答えた。
「私も魔法は使えないのでよく分からないんですよ。だからこうやって調べておかないと時々授業について行けないんです」
「――えっ? 魔法が使えないのか!?」
「はい。魔力はあるようなんですが、どういう訳か全く使えないんですよ」
モニカは魔力はあるが魔法が使えないらしい。今思えば今まで彼女が魔法を使っている姿を見たことはなかった。しかしゲーム中における『主人公』は魔法の才に恵まれた者だったはずだ。だからこそ光の聖女と呼ばれていた。
(どういう事だこれは?)
『記憶』との違いに戸惑うハル。けして今まで完璧に『記憶』通りの事が続いたわけではないのだが、こればかりには驚かされたハルであった。