第三十九話 堕落
破けたカーテンが辛うじて光を遮る暗い広い部屋。床には赤い絨毯が引き詰められている。
この部屋に入ったものはまず、顔をしかめるだろう。なにせその赤い絨毯の上には空になった幾つもの酒瓶が転がっているのだから。部屋もどことなく酒臭い。それだけでなく部屋の至る所が荒らされたようになっていた。
そんな部屋に置かれる一つ一つの家具はただの庶民が使う家具に変わりない。しかし面積だけは大きなベッドが置かれ、その上に一人の人物が眠っている。
「失礼します、ハーロルド様」
その部屋に誰かが入り込んできた。やってきたのは黒いメイド服をビシリと着込んだメイド達。彼女らは寝ている存在をどうするか悩みつつも、この部屋の惨状をどうにかすべく動きだした。
「……なんだ、入室して良いと許可した覚えはないぞ」
急に聞こえて来た低い声にメイド達はビクリと跳ね上がる。聞こえて来たベッドの方を見れば、この部屋の主である少年――ハーロルドがいた。
上半身は裸である。しかしその左肩には先の戦争で負った傷を覆う包帯が巻かれているという痛々しい姿だ。右手で頭を抱えているのは周りに散らばる空の瓶のせいか。
「も、申し訳ございません、ハーロルド様。しかしいつまでもこの状態というのは……」
「……昨日勝手に入るなと命令したよな?」
「確かにそう言われましたが……このままではあまりにも――」
「うるさい、黙れ! メイドの分際で俺に指図をするな!」
その部屋に怒声とガラスの割れる音が響き渡る。ハーロルドが酒瓶を投げたのだ。しかし流石にメイドに当てる事はしなかったのか、投げられた瓶は壁に当たって割れた。
そんなハーロルドの様子にメイド達は固まる。そして誰もが思う、カンナが居ればどれだけ良かっただろうかと。
しかしそのカンナも今や死んでしまっていない。それだけでなく、このハーロルドの親友であるギルバートも帰っては来たが死体であった。ここまでくれば普段は大人しい事で有名だったハーロルドがここまで荒れているのには納得がいくものだ……。
メイド達を追い出し、部屋に一人きりとなったハーロルド。いや、今の状況を見ればハーロルドは一人きりだ。
戦争で自国は勝利したというのにハーロルドにとって手に入れた物は少なく、逆に失った物の方が多かった。
「……こんなの……認めないぞ……俺は……俺はッ!!」
傷の痛みに耐えながら、彼は一人拳を握りしめてやるせない怒りを燻らせた。
◆◆◆◆◆
休戦から約一ヶ月が経った。殆ど負けたと言っていいこのカルフォーレ王国は、それでも民達は笑顔を絶やさない。それは帝国に一矢報いたからか、それとも死者を思い泣いてばかりではいられず復興を目指すからか――それとも、この地に聖女が戻ってきてくれたからか。
王国の民達は聖女を歓迎した。帝国に捕まっていた彼女を救い出したユベールはもはや英雄扱いだ。しかし彼女はこの戦争には何もしていない。だというのに彼らは彼女を歓迎した。それは彼女が戻ってきたから国は失わずに済んだからだと言っている。寝たきりだった国王も声を高くして言いふらす始末だ。
「……まったく持って僕には理解できません、なぜ貴女があそこまで慕われるのかを」
それをフィリップは苛つくように目の前の人物に言い放つ。それは他でもない聖女と呼ばれている彼女――モニカであった。
ここは王宮の一室。彼女のために与えられた豪華な部屋だ。国一番の職人に作らせた白い繊細なる家具に囲まれた彼女は確かに聖女と呼ぶに相応しいのかもしれない。しかし、先程も言ったように彼女は何もしていない。
「も、申し訳ございません。しかし、私にも分からないのです……」
「それは分かっています、モニカさん。一時期僕が貴女を好きになっていた事とサロモンの言う事からこれは魔法が関係していると思っています。貴女がかけた訳ではないのでしょう?」
「はい、もちろんです」
フィリップの言葉にモニカは素直に頷く。以前のフィリップとは違う彼を見てモニカもまた段々と状況が理解してきたのだ。自分にここまでこの国に求められていたのは誰かがかけた魔法が原因であると。
「ですが……一体誰がどういう目的で……」
「誰かというのは大体見当が付いています。今は行方をくらましていますが絶対に見つけるつもりです」
この魔法をかけた者など分かりきっている。きっとあの魔女であろう。しかし、目的は分からないままだ。
「……それで、フィリップ様。やはり私は帝国には帰れないのですか?」
「申し訳ございません。僕としては今すぐにでも帝国なりなんなりと出て行くのであれば止めはしないのですが、他の者達が……」
モニカとしてはここを出てハルに会いたかった。しかしそれを許さない者達がいたのだ。それは他でもない自分を聖女と慕う者たちだ。フィリップは魔法を解かれたこと、自分が聖女になるつもりがなくむしろ迷惑している事から協力的だ。しかし王子である彼でもどうにもならないことらしい。
「……その、一つ残酷な事をいうのですが……」
「何でしょうか、フィリップ様」
フィリップの口ぶりから良くないことだと悟ったモニカは少し身構える。そんな彼女を見て、フィリップはゆっくりと話し出した。
「……近々国王が僕と聖女である貴女の結婚式をさせようとしているようなのです」
「な、なんですって!?」
「僕だって反対しましたが……国王は聞き入れず、しかも周りの者達も反対しなかった」
フィリップは悔しそうに顔を歪めていた。実は反対したのは一人だけ居たがそれはユベールなので除外する。
「きっと……国民も反対することはないでしょう。――なら、国が望むならば僕は従うまでです」
「そんな……私は嫌です! 貴方も、フィリップ様も嫌なのでしょう!?」
「ええ、そうです。僕は貴女のことは多分一生愛すことはないでしょうね。しかしそれでも周りが望むのならば僕は従うまでです」
どこか諦めたように言うフィリップは暗い表情をしていた。その姿を見て思わず、モニカは言ってしまう。
「……貴方に自分の意思はないのですね」
「ありますよ、国のために動くという意思がね」
モニカの言葉に少し眉をひそめるも、フィリップは笑顔を一つ返してから部屋から退出していった。
「……絶対に嫌です。こんなの認めたくありません」
一人残されたモニカの手には一輪の花。それは白い花だが、本物ではなく紙で作られた花であった……。
しばらくして王国の王子と聖女の婚約が発表される。本人たちはまったく迷惑な話であるが、国民達はそんなことは知らず二人を祝福した。その発表は王国に留まらず、周囲の国にも伝わることはもちろんの事。その一つにあの国も入っている事は当然だ。
そんな二人の結婚式が近づいたある日の事。それは起こった。
「陛下! 一大事でございます!」
「どうした! 何があった!?」
国王の間に現れた慌てる兵士を前に、式の準備で頭がいっぱいだった国王は慌てた。
「――帝国が! 帝国が我が国に攻め入ってまいりました!」
「なんだと!?」
一時的な穏やかな平和はこうして崩れ去る。終わったかに見えた戦争は、帝国によってまたしても繰り返されることとなった。
◆◆◆◆◆
「全軍に告ぐ、我が帝国はこれより王国へと攻め入る。それは前皇帝の成し遂げられなかった事を完遂するためであり、先の戦争で散った者達の命を無駄にしない為に! 王国を滅ぼし、この大陸を統一するのは我が誇り高きグランツラント帝国だ! 我が国に勝利を!」
「「「我が国に勝利を!!」」」
平原に並ぶ黒と赤の軍勢は雄叫びのように声を張り上げ行進する。
その姿を若き皇帝――ハーロルドは眺めていた。
休戦が行われた時点で戦争は終わっていたに等しい。状況的に帝国の勝利に終わったと言ってもいい状態だった。つまりはハーロルドは生き残ったのだ。ずっと待ち望んでいた自国の勝利を収め、死ぬことはなかった。……しかし、彼は納得が行かなかった。
(……『ゲーム』通りにはならなかった結末だが、こんな結末認めてなるものか! 親友も親も好きな者も失って生き残るだ? こんな結末誰が認めるものか!)
彼は望み通り生き残った。しかし、一人だけ生き残ってしまった。
――彼の周りにいた親しかった大切な者達は殆ど死んでしまったのだ。
父親と弟は討ち死に。彼の近衛兵であり親友であったギルバートはアーノルドを討ったが共倒れ。帰ってきたが死体だった。
ヴォルケブルク城に戻れば母親代わりであったカンナも死んでおり、残されたアカネに婚約者の死を伝えねばならなかった。
そして最愛の者は今や側にいなく、王国の王子と結婚などという噂が飛び交うこの現実。
残されたハーロルドの手に残ったものは自分の命と皇帝という座のみ。
他に何も残っていなかった。――いや、しいて言えば一つだけ残されているのか。
「……親父が起こした戦争だった。だが、親父が起こしたんであって俺には関係ない。それに巻き込まれてこんな結末など、認めるものか! 俺の大切な者達を奪った王国など滅べ! 塵も残さず滅ぼしてくれる!」
皇帝という座についたハーロルドはその権利を用いて、この一ヶ月王国を滅ぼすために準備をしてきた。今まで以上に兵士を強化し、そしてミニエー銃よりも強力な兵器を作り出したのだ。
全ての準備を終えて、彼はまた戦場へと戻ってきた。他でもない、王国を血祭りに上げて滅ぼすために……。
◆◆◆◆◆
突然攻め入ってきた帝国に王国は慌てながらであるが軍を素早く纏めると迎え撃った。
先の戦争によって平和ボケも無くなったのか、きちんと兵は訓練を受けマスケットだけでなくミニエー銃などの武器も揃えた完璧な兵隊をこの一ヶ月足らずで王国軍は手に入れたのだ。……帝国が攻め入らずとも近いうちに戦争は再開されたのかもしれない。
――だがしかし、それもすでに前世紀の産物と成り果てていた。
広い平原を隔てた王国軍の立ち並ぶ戦列歩兵を前に、帝国軍の兵士達はあろうことか地面に伏せたのだ。
「なんだあれは? 敵を前に地面に這いつくばるなどみっともないな」
降参でもしたのかと帝国軍の奇妙な動きに誰かが言葉を零した。しかしそんな言葉もすぐに消えるほどの恐怖が王国軍を襲う。
帝国軍による射撃が開始された。それは他でもないあの地面に伏せた状態で、だ。
だがそんなことはあり得ないはずだった。なにせ戦場を占める主要な武器であるマスケットやミニエー銃というのは先込め式の銃である。
銃口から銃弾と火薬を押し込んで装填するというものだ。マスケットなどは長く、一メートルは超える。そんな長さもある銃を装填するには立った状態でしなければ不可能だ。
だというのに彼らは射撃を開始した。そして装填するならば立ってするかと思えばそのままの姿勢のまま、装填をしたのかしばらくしてまた銃声が轟いた。
「ひ、怯むな! 撃ち方用意!」
指揮官の号令によって王国軍は銃を構えた。帝国との距離は意外に近い。だが、当てられるかと言われれば無理だ。なにせ相手は地面に伏せている。普通の戦列歩兵ならば当てられたであろうが伏せているので当てにくい。
しかもこちらと違って敵の攻撃速度は尋常ではない。良く見ればどうやら銃口から弾を入れ込んでいないように見える。
「……なんだ、あの武器は!?」
ミニエー銃だけでも戦場に衝撃を与えるほどの武器を帝国は創りだしたというのに、彼らはさらに先の武器をこの一ヶ月足らずで創りだした事に王国軍は驚きを隠せなかった。
◆◆◆◆◆
王国軍を蹂躙した武器、それは前装式ばかりの銃とは一線を画する後装式ボルトアクション方式の銃であった。銃口から銃弾を詰めるのではない、後ろから銃弾を装填する事ができる銃だ。それによって立ったまま装填しなくて良くなった為、地面に伏せて敵の銃弾を回避しつつ攻撃ができるようになった。
(……『記憶』によればドライゼ銃なんて呼ばれていた銃だな)
匍匐前進しながら動き出す自軍を見つめる一人の黒髪の少年。以前よりも豪奢な軍服に身を包んだ彼は、若くしてこのグランツラント帝国の皇帝の座に継いた者――ハーロルドであった。
ドライゼ銃――王国を滅ぼすために彼はこの一ヶ月を使い出来る限りの数の武器を創りだした。それは他でもない『記憶』にあった図面と自国の職人たちを用いて。
本当はもっと強力な兵器を開発したかったがこの世界のレベルと職人たちの腕から見て不可能であった。それでもこのドライゼ銃はすでに一世紀は先の技術と言えよう。
この銃を死人が出るほどに量産させた。それだけでなくこの戦争のためにハーロルドは、税金を引き上げ、冬だというのに軍の食料として領地から備蓄を巻き上げ、欠けた兵力は家族を盾にして国民を兵士に仕立てたのだ。
このハーロルドの暴走を誰も止める事はできなかった。すでにこの新しい皇帝を止められる存在はもうこの世には一人として居なかったのだ。
「……今度の技術はどこまでこの世界に影響を与えるだろうな?」
生み出した責任など知りもしない。ハーロルドはドライゼ銃が作り出した死体の山を見つつ、自分の腰に下げた物に手を触れる。それもまた彼が作り出した兵器の一つであった。
今の彼にとって全てがどうでも良かった。望んだ命も地位も国も全てどうでも良くなるほどに。
だが、一つだけ彼に残されたものがあった。たった一つだけ残されたそれを取り返しに、はたまた仇を討つためにハーロルドは進んでいく。
――その道が真っ赤に染まり、その先が暗闇であろうとも、一人きりの彼が気づく事はない……。
◆◆◆◆◆
帝国が王国に攻め入り、一週間が経過した。その間に帝国軍は王都まで攻め入っていた。それは他でもない帝国が新たに作り出した武器、ドライゼ銃の圧倒的なる力があったためだ。王国側もマスケットはもちろんの事、もう百人もいない魔法使い達の魔法を用いてなんとか応戦するも、その技術には叶うことはなかった。
すでに王都は陥落。それは王都を守るはずの結界魔法がいつの間にか壊されていた事も原因にあるだろう。もはや誰もがカルフォーレ王国に後はないと思うほどに王国は滅びようとしていた。
「……彼は我が国を何一つ残らず滅ぼすつもりなのですね」
唯一ここだけ壊されずに残っていた結界魔法に守られた王城。その王の間に置かれた玉座に座り込むは金髪の少年――フィリップであった。帝国の再度の進軍により国王は持病を悪化させ急死している為、彼が今の国を取り仕切る王だ。……本当に病気であったかは疑問が持たれるがこの緊急事態に誰も気にかけることはしないだろう。
「……しかし全てを滅ばさせる訳にはいきません」
国の者達にどこか奇妙な違和感をフィリップは覚えていたがそれでも彼の愛国心は強かった。これもサロモンの最後の言葉が影響しているのかもしれない。
「我が国は最後まで抗いますよ。そのためにも……以前君が作ったあの局面、再現させてもらうよ」
玉座の近くに置かれたテーブルの上には一つのチェス盤。
――彼は黒い駒を動かし、白いキングにチェックメイトを仕掛けた。
◆◆◆◆◆
王都はすべて制圧した帝国軍。負けを悟った王国軍もその殆どは王都の外へと逃げ出してしまっている現在、残すはこの王国を率いしフィリップを打ち倒せば全てが終わる。しかしそのフィリップは王城へと逃げこんでしまった。その王城には魔法で作られた結界が施されており、入ることが出来ない。
「……ちっ、留学中に壊せていれば良かったのに……」
城の門のまで立ち往生する軍勢を率いるハーロルドが悪態をつく。王都の街と違い、城を守る重要な装置であるからかそこの警備は厳重だった。ゆえに壊すことが出来なかったのだ。魔法を無効化する銃弾さえも弾き返すこの結界は今まで見たどの魔法よりも強力な魔法のようで簡単には壊せそうにもない。それ以前に魔法使いは一人も居ない帝国では無理な話だ。
「……まぁいい。城の周囲は囲んだ。何処にも出口はない、隠し通路も全て把握済み。俺からは逃げられんぞ、フィリップ」
篭城するのならば受けて立つといった具合にハーロルドが指示を仰ごうとした、その時。
「……待つ必要などございませんよ」
耳をつんざくような割れる音と共に――結界は破れた。その光景に驚く帝国軍の前に、城門がゆっくりと開け放たれる。
その門の先には黒いローブを纏い、顔をヴェールで隠した一人の魔女。王国に仕えていたはずの王宮占い師の姿があった。
「……なんのつもりだ、先読みの魔女よ」
「私はただ運命に従ったのみ……」
魔女が結界を壊したことは明らかだ。しかしなぜ彼女が帝国の味方をするのか分からない。警戒するハーロルドに魔女は変わることのない感情の見えない声で話を続ける。
「……どうぞ、ご自由に。私は止めはいたしません」
この魔女の目的がなんであれ、今のハーロルド達帝国軍にとっては都合がいい。ハーロルドは何も言わずに軍を引き連れて魔女とすれ違うようにしながら城へと侵入した。
大勢の兵が通りすぎる中、魔女は静かにその場に佇んだまま動かない。
「――さぁ勝利なさい、あなた自身が運命を勝ち取るのです。その為の知恵は与えたでしょう?」
誰も居なくなった城門に一人残された魔女はうわ言のように呟く。
――その手には、黒い血糊が付着した壊れた懐中時計。
けして時を刻むことのないその時計を、彼女は静かに見つめていた……。




