第三十八話 死闘
帝国はリュノールの街を手に入れた。これによって王国の首都まで攻め落とせる所まで来たのだ。しかし、そうした矢先問題が起こる。それは前線より遙か後方に位置するヴォルケブルク城が襲われたのだ。後方支援の要となっているこの城が被害は少なかったとはいえ立て直すのに少々時間がかかる事態に見舞われた。そのためしばらくは軍に対する補給物資、特に銃弾などの補給が来ないだろう。
「……だが、ここまでくれば王都など目と鼻の先。今ある物資で十分だ。このまま攻め入るぞ」
この事態をどうするべきかという作戦会議をしていたが、皇帝の一言によって片付けられた。どうやらヴォルケブルクの支援は受けずにこのまま突き進むようだ。
「異存はないな?」
皇帝の言葉に誰ができようか。いや今まで連勝続きのこの帝国軍ならばすぐに首都を落とすことなど容易いことだろうとその場に居る誰もが思う。
だが、一人だけこのことに反論しそうな人物がいた。しかし、その者は会議の最初から何も言わず突っ立ったままだ。
「……ハーロルド、貴様も異存は無いのか?」
「……えっと」
名を呼ばれたハルは答えようとするものの、言葉に詰まる。なにせ今の彼には他の事に囚われていたからだ。
「…………聖女の行方が気になるか?」
「――ッ!? なぜそれを!?」
皇帝に言い当てられ、ハルは酷く動揺した。
「なんだ? 我が知らぬとでも思っていたか? お前が匿っていたあの女の事など初めから知っておった」
甘く見るなとでも言いたげに皇帝はハルを睨む。しかし緋色の瞳はいつものように鋭いがどこか今日は違って見えた。
「ハーロルド、あの女は王国で特別な扱いを受けていた聖女だったな?」
「は、はい、そうでございますが……」
「聖女がもし王国に戻った場合、きっと兵士どもの士気は上がるだろう。何せ国を救いし光の聖女なんて呼ばれていた存在だからな。そう思うだろう、ハーロルド」
「……た、確かにその可能性もあります」
「ならば聖女が王国に戻るのは阻止せねばならんな」
その言葉にハルは今一度皇帝を見た。いつもの厳つい顔だが、どこか違って見える気がする。
「北に動く妙な軍勢の姿が報告されている。……きっと聖女を迎えに行っている王国軍だろう。貴様にはここに出向き、その聖女とやらをこちらに連れ戻してくるがいい」
「えっ……」
ハルは驚いた。なにせこの皇帝ならば、こんな事は無視してしまうだろうと思われる事態だ。なのに自分を向かわせて、あまつさえ彼女を連れ戻してこいと言っている。厄介な存在だというのに殺せとは言っていない。
「……返事はどうした、ハーロルド。それとも行きたくないか? 言っておくが今のお前が我らと共にきたとしても使い物にならぬから拒否は許さんぞ」
「…………いえ、行かせていただきます」
ハルは皇帝に敬礼を返して答えた。顔が引きつるのは自分の気持ちが全部皇帝にバレているからだろうか。
「……死ぬことは許さんぞ、手間のかかるバカ息子よ」
会議が終わり続々と人が出ていく中、その呟きがハルの耳に届いた。
「……あんただって死ぬなよ、クソ親父。俺はあんたに言いたい文句が沢山あるんだからな?」
怒りを乗せた声でハルが呟くと、そのまま背を向けて部屋を退出していく。その背を皇帝はどこか面白そうに笑いながら見守っていた……。
◆◆◆◆◆
王都を背に王国軍の青と白の軍勢は並ぶ。その反対側には皇帝率いる帝国の黒と赤の軍勢。
今よりこの地では最後の戦いが始まろうとしていた。負ければ国が滅び、勝てば滅びは免れるかもしれない。そんな瀬戸際に立つ王国軍であったが、兵士達の士気はそこまで下がっていない。
確かに負け続きの王国である。だがその国には国を愛する民が多く、愛国者ばかりだ。それ故に死んでも国を守ろうとする兵士達が多いのだろう。例え魔法という武器が無効化されようが、国教であるルーナ教の聖地が取られようが彼らは諦めずにこの場に立ち上がった。
そんな兵士達を見て、フィリップもまた決意を固めると声を張り上げる。
「……王国軍全軍に告ぐ、我が国はすでに喉元にナイフを突き立てられたも同然。絶対に負けてはなりません。リュノールでは奇襲隊は全滅、天才と謳われた魔法使いのサロモンも命を落とし、そしてルーナ教の神官達は哀れにも大聖堂を砲撃され生き埋めに。それは他でもない帝国のせいです」
奇襲隊の件には王国側にもフィリップにも責任はあったかもしれないが、今はその言葉を飲み込んで話を続ける。
「奇襲隊の仇を、神官達の仇を、それだけでなく今まで散った兵士達の為にもこの戦いを生き抜きましょう! それは他でもない、我が国のためでもありますが――」
フィリップはそこで一旦言葉を区切った。この先を言うべきか言わざるべきか、しかし言えばきっと兵士達の士気は上がる。ならば言わなくてはならない。
「もうすぐこの地に聖女様が戻られます。その為にも我らは勝たなくてはなりません」
聖女という言葉に兵士達はざわつく。そしてどこか期待をするように、喜ぶような声があちこちから響き渡る。
(……どうして喜ぶんですか? 彼女は何もしていないでしょう)
それを苦々しく受け止めながらも、フィリップは最後の言葉を紡ぐ。
「――悪しき帝国を討ち滅ぼせ、王国軍の勇敢なる兵士達よ! 正義は我ら王国にあり!」
「「「正義は我ら王国にあり!!」」」
フィリップの言葉に兵士達も声を上げて応えた。この戦における正義は王国であると主張し、そして正義は悪を討たねばならぬ。その悪など言わずもがな、帝国以外に何があるというのだ。
◆◆◆◆◆
王都を前にして繰り広げられる戦場とは少し場所を離れた所。その場所にハルは自身の近衛兵団を引き連れて馬を飛ばしていた。
「……見付けた!」
その前方になにやら同じく馬を飛ばす団体を見つける。数はそれほどでもなく、あれは探していた者達であろう。馬上には軍服を着ていないが隠密がしやすい格好をした者達。その中に見知った顔を見付けその者と共に乗馬している人物の姿を見てハルは確信する。
「……やはりユベール達だ、モニカもあそこに居る」
「そうか、ならば……」
ハルの言葉に隣を走っていた馬上のギルが一つ頷くと命令を飛ばす。前を走る者たちを取り囲むようにして近衛兵団は動き出した。
「クソッまさか追手がここまで早いとは!」
ユベールのイラつく声が囲んだ者達の中から聞こえてくる。そのユベールに囲われるようにしているのは一人の少女――モニカであった。
「……モニカ! 無事か!」
「ハルさん!」
ハルの姿にモニカは安堵の表情を浮かべるもすぐに表情を曇らせると必死に叫んだ。
「ハルさん! 早くここから逃げたほうがいいです! だってここには――」
「聖女様! ご無事でございますか!」
その瞬間、ユベール達を囲う近衛兵団の一角が切り崩される。その先に居たのは赤い髪を持つ騎士の少年――アーノルド。その少年の後ろにはハルの近衛兵団よりも数の多い王国軍の姿。
「……なんだあの数は! 迎えにしては人数が多すぎじゃないか!?」
こちらに向かって来る軍勢を前にギルが驚くように声を上げる。確かにあの軍勢は一万に近い程だろう。しかし、そんな大軍をまさかこの地に投入してくるとは思いもしなかった。なにせ今王国は首都が危機に晒されており、兵力はそちらを優先させると思っていたのだ。
(そこまでして彼女は、聖女という存在は王国にとって重要なのか!?)
少しばかり王国を誤算していたハルにとってこの状況は最悪だ。聖女である彼女を人質に取るような真似は彼らはしないだろうが、兵力の差が酷い。ハル達近衛兵団は五千ほどしかいない。
今まで兵力の差など覆してきたが内側にユベール達の部隊を囲んだ近衛兵団を更に囲む形で王国軍が展開している。このような状況では外側はもちろんのこと内側からの攻撃もあり得る。
ミニエー銃でもあれば違ったかもしれないがあの銃は皇帝の軍に預けてきた為にないし、今回は馬での出撃だったのだ。
いつしか目の前では敵味方入り乱れても斬り合いの戦場が繰り広げられていた。だが圧倒的にハルの率いる近衛兵団の方が不利である。
「ハルさん!」
その時悲痛な声が聞こえて来た。そちらを見ればモニカを引き連れたユベールがこの戦場から脱しようと馬を走らせている。
「モニカ!」
目の前の王国兵を引きぬいたサーベルで斬り捨ててそちらに向かおうとするが――
「行かせない!」
目の前に躍り出たアーノルドによって遮られる。それどころか、彼は乗っていた馬から飛び出す様にしてこちらの馬上に剣を向けて迫った。慌てて回避するもすぐに命令を馬が聞き分けず、ハルはアーノルドの剣によって左肩を斬られた。
「ぐッ――!?」
ハルは肩を斬られた勢いでそのまま馬上から転落した。地面に転がり、肩から血を流すハルを目の前で綺麗に着地したアーノルドが静かに見つめる。
「……憎き帝国の王子め! 今までの兵たちの仇、取らせてもらう!」
アーノルドがハルの息の根を止めようと剣を突き立てようとするが、何かに気づいたのかアーノルドがとっさに後ろに下がる。するとアーノルドが居た位置を銃弾が通り抜けていった。
「悪いが、これ以上ハルを傷つけてもらったら困るね」
ハルを庇うようにして現れたのはマスケットを手に持ったギルだ。
「すまねぇなハル、ちょっと目を離した隙にそんな重症負わせちまって……近衛兵失格だな」
「油断していた俺が悪いんだギル。とにかくここを脱出してモニカを連れ戻さないと……」
「……その事だがあいつを連れ戻すのは無理だと思うぜ。俺達の身も危ないってのにさ」
ギルの言葉にハルは左肩を抑え立ち上がりながら周りを見る。確かにこの乱戦、自分達は数で押されている。この場からの脱出も困難だ。しかもハル達の目の前にはあのアーノルドがいる。彼の前から逃げ出すのは至難の業だろう。
「――ハル、ここはもうダメだ。せめてお前だけは逃げろ」
「何言っているんだ……俺だけ逃げるなど」
「お前は王子だろ? それを守るのが俺達の役目だ。命がけでも守るのが俺達、近衛兵団の役目さ」
ギルの合図に周りにいた数人の近衛兵達が集まるとハルを連れて行こうとする。
「貴様を逃しはしないぞ!」
「はいはい、お前の相手はこの俺だからな? 相手を間違えるなこの脳筋野郎!」
それを阻止しようとアーノルドが動く。しかしギルがその剣をマスケットで受け止め邪魔をするように立ちまわった。
「ほらさっさと行けよ、手間のかかる王子様だな?」
アーノルドを相手取りながらも、馬鹿にしたような笑みをこちらに向けるギル。そんな彼の姿は余裕そうに見えるが、どこか無理をしているとハルには分かった。
――きっとアーノルドには勝てない。それを一番本人が分かっているはずなのに、それを感じさせないように彼は今もまだ顔に笑みを貼り付けていた。
「前に言ったろう? 国を纏める王とたかが兵士達の命、その価値が同じではないって。お前はここで死んではならないんだよ! お前なら今の帝国とは違う国を作れるって俺は信じてる! だから死なすわけにはならない! 死んじまったら俺が代わりしなきゃならないだろ! そんな面倒な事をさせるな、未来の皇帝さんよ!」
あくまで自分基準で責任を押し付けてくるギルであった。しかしその言葉の真意など言われなくともハルには十分伝わっていた。
「このクソッタレが! 死んだら許さねぇからな!」
「……承知しましたよ! 殿下!」
肩を抑えたハルが他の近衛兵団によってこの場から離れていくのを、ギルはちらりと見てから前に向き直った。
「さて、確かお前もフィリップ王子の所の近衛兵だっけ? 主の側にいないとか近衛兵失格だな」
「……ふん、そんな貴様は俺の剣からハーロルド王子を守れなかったではないか?」
「うるせぇ、死んでないからいいんだよ」
ギルが手に持っていた武器をマスケットからサーベルに切り替えた。
二国の王子、それぞれに使える近衛兵が相対する。その場が凍りつくほどの静寂が辺りを包む。
「カルフォーレ王国、王太子フィリップ様を守護せし者、アーノルド」
「グランツラント帝国、皇太子ハーロルド様を守護せし者、ギルバート」
互いに剣の切っ先を相手に向け、静かに睨む。そのまま互いに言葉を発すること無く、戦いは始まった――。
◆◆◆◆◆
傷を負ったハルであったが数人の護衛とともになんとかあの場を脱出することができた。しかし、本軍に戻った彼を待っていたのは最悪な事であった。
「――皇帝が……親父が死んだ?」
「はい、残念ながら……敵の奇襲に遭遇し陛下が……」
報告にやってきた兵士の話を応急処置をされながら聞いたハルは信じられないといった様子で驚く。まさかあの皇帝が、父親が死ぬなどとは……。弟の時のように『記憶』のような前兆があったわけでもない、それにこのまま行けば勝てる戦だったというのにまさかここで父親が死ぬなどとは夢にも思わなかった。
「どうなされますか、殿下? 軍の中には酷く動揺が走っております……このまま戦い続けるのは……」
「だが、王都はもう目の前だ! このまま攻め落とせば王国は全て我らの物に――」
「陛下が亡くなられたのだぞ!? 殿下が居るとはいえこのまま戦を続けるのは得策ではないと思いますぞ!」
その場にいた将校たちが撤退をするかしないかで揉め始める。
「静まれ! 貴様達が決めることではない!」
その場に鋭い怒声が響き、将校達は口をつぐむ。まるで皇帝のような一声を出したのは他でもない――ハルであった。
「――王国に休戦の使者を。皇帝を失った我らはもう戦えまい。それに俺も、この調子……だ……」
「殿下!?」
ハルは今まで無理でもしていたのだろう。痛む傷が原因でなんとか命令を伝えた後、ハルは眠るように意識を失った。
こうして、カルフォーレ王国とグランツラント帝国の大国同士の戦争は、皇帝の死を持ってして終わりを告げた。しかし、王国側は首都こそ奪われなかったが、東側全域という国の半分を帝国に取られる結果となった。また傷を負ったハーロルドが回復次第、休戦協定が結ばれる予定だ。
戦争によって多くの命が失われた。それは両国ともに。そして二人の王子達も例外ではない。
誰もが戦争は終わったと思い、安堵し、涙し、そして怒りを露わにする。消せない傷を多く残したこの戦争。
――しかし、終わりというには、まだ早い。
燻ぶる闇はこの大陸を覆い尽くし、運命はいまだ人知れず動いていた。