第三十三話 予知
それはいつの時だったか。確か、まだ王国の国王が軍の指揮を取っていた頃だ。王国に残り、国王の代わりをしていたフィリップ。しかし、今いる場所は王宮ではなく、古びた小さな家の中。
軋む木の床を踏みしめて、目の前で椅子に座り机の上に置かれた水晶を覗く人物にフィリップは話しかけた。
「先読みの魔女……いいかげん我が国の為に未来を占ってくれただろうか?」
いつもであれば優しさを携えているその金の瞳はどこか怒りを含んだように、ヴェールに隠れたその顔を睨みつける。
「……申し訳ございません、殿下。以前お伝えした通り、私は未来を視ることはできません」
「何を言っているんですか? 貴女は先読みの魔女、先を見通せる力を持つのでしょう? その力を持ってして我が国の窮地を再び救っていただきたいのですよ。貴女であれば、簡単でしょう?」
その場に立ったままに、フィリップは魔女に迫るように言葉を言い放つ。その言葉は普段の彼が発することのない低い声だ。
そんなフィリップの様子に、魔女は動じること無なく話しかけた。
「……殿下、貴方様は勘違いをなされておりますね」
「何?」
魔女の言葉に眉をひそめるフィリップに、その感情の見えない無機質な声は告げる。
「私は先を知っているだけ……先を知っていただけに過ぎないのですよ。未来を視ることなど、未来予知など、この世の誰にも成し得る事は出来ません。それこそ、神のごとき所業。一介の人間ごときができるはずもありませんよ」
無機質な声であるがどこかあざ笑うように魔女は言う。そんな魔女にフィリップは警戒を強める。
「……さて、私がここに留まる理由はとうの昔に無くなっていた。ですから、殿下、貴方様とはここでさようならと言うわけですね」
「……なっ!? お待ち下さい、まだ貴女には――」
止めるフィリップの声に魔女は無視するようにして――その場から消えていった。
◆◆◆◆◆
先のアンセルヴの戦いより数週間が立った。さらに王国内の領土を取られ、このリュノールの街は次に攻められるのはここであると住人たちは囁き怯えていた。現に今ここには王国軍の指揮官であるフィリップと軍隊が駐屯している。
その街の中で大きな屋敷。そこの一室にフィリップはいた。国の自慢とも言える優美な家具が置かれ、全体的に白い部屋。そこの椅子に腰をかけたフィリップとその両隣には彼の臣下とも言える二人が立っていた。
「殿下、国王は以前床に伏せたままであります。殿下にはこれまで通り、軍の指揮をとって欲しいとのことです」
「そうですか。ご苦労様でした」
報告に来た兵士にフィリップは礼を言うがその顔には陰りが見える。平時であればよい王として立っていたフィリップの父である国王。しかし猛威をふるう帝国軍を前に怖気づいたのか、病に倒れてしまいフィリップが指揮を代わらねばならなかった。まぁ、王国軍としてはあの国王よりフィリップの指揮の方が良いので結果的には良かったのかもしれない。
「……フィリップ様、元気を出してくださいませ。貴方様ならばきっとあの帝国の軍を退ける事ができるはずです。私もその為に尽力いたしましょう!」
隣に立つ近衛兵のアーノルドが拳を握りしめて熱弁する。先のアンセルヴでは負けたが、そこで活躍したアーノルドのおかげで少しばかり軍の士気は上がっている。
「そうですよ、フィリップ様。我らには女神ルーナの加護があります。あのような邪教徒の国などに負けてはなりませぬ」
青い髪をもった神官クリストフもアーノルドの言葉に同意するように言う。そんな二人の言葉を受けて、フィリップは少し苦笑する。
「確かに、僕がこのままだと我が王国は負けてしまうね。でも……あの帝国にどうやって勝とうか。この前の戦いで兵も魔法使いも減ってしまいましたし……」
また表情を暗くしてフィリップは考えこむ。そんな国の王子に二人もどこか分かっているのか、困ったように顔を向き合わせる。
「ここに、聖女様さえいてくだされば……」
誰かがポツリと呟いた。その言葉にフィリップはなんとも言えない表情をする。聖女も魔女も何処かへ行ってしまった。その魔女が予言したあの聖女と呼ばれた彼女に、一体何の価値があったというのか。
(……いや、彼女は聖女で……僕は彼女を愛して……違う僕は――あいいあい愛してはッ!?)
その瞬間、頭痛が走りフィリップは頭を抱える。あの魔女が去って以来この調子だ。好きだと彼女に告白した。この気持ちは本物だったはず。だが、違う気がする。自分はそんな事を一度も思っていないのではないかと考えてしまう。その度に頭痛に悩まされるのだ。まるで自分の気持ちを縛るかのように。
「……まさか、まだ『聖女様』なんて幻想を見ていたんですか?」
どこからか、そんな呆れた声が聞こえて来た。フィリップを心配するように見ていたアーノルドとクリストフは部屋の入口を見る。フィリップもやっと痛みの引いた頭を抱えつつ前を見た。
「……どうもお久しぶりですね、お三方」
そこには魔法を使えないように封魔呪術の施された手錠をされ、拘束されたサロモンが兵士達に連れてこられるようにして入室してきた。
◆◆◆◆◆
リュノールの街から東、帝国の手に落ちたアンセルヴにある一つの街に帝国軍が駐屯していた。ここを新たな作戦基地にするようで忙しなく兵士達が街を駆け回っている。
そんな街の中心地、大きな広場でハルが兵士達に指示を飛ばしていた。
「ああ、あの物資はあそこの倉庫に……ああ、そうだ。何? 弾薬がどこかに行った? それなら第二部隊が……」
案の定というか、前線に来てもやる仕事は変わらないのかヴォルケブルク城でしていた事に近いことをここでもしていたのであった。やっと落ち着いた所で広場の端に張られた天幕の下で椅子に座って休んでいると、ギルがカップを両手に持ってやってくる。
「ほら、お疲れ様だ」
「ああ、ありがとう」
ギルからカップの片方を受け取る。注がれていたのは熱いコーヒーだ。この寒くなった時期には丁度いい、コーヒーの香りを楽しんだ後ハルは一口飲んだ。
「――!? あまッ! なんだこれは!?」
口に含んだ瞬間広がったのは、あの苦い味、まではいい。そこからさらに甘ったるい味が広がりハルの口の中は甘いんだが苦いんだか分からない味で支配され、若干気持ち悪くなった。
「あ、悪い……それ俺のだわ」
どこかイタズラが成功したのかニヤリとした笑みをしたギルが反省もなくそういった。
「コーヒーに砂糖を入れるなど邪道なんだよ!」
「あぁ? 入れたらすげぇ美味しいだろ?」
「コーヒーはブラック以外認めない! 断じて認めない!」
ギルの手からもう一つのカップを奪い取るようにして交換すると、それを一口飲む。それは明らかにコーヒーのみで構成された苦さで、先程の味で広がった口の中を浄化するようであった。
「まったく、甘い物が嫌いとか人生の半分損をしているぞ……」
ブラックのコーヒーを飲んで落ち着いたハルを見ながら思わずギルはボソリとそんな事を言う。そんな風に二人がバカをやっている間にも、目の前では忙しそうに兵士達は働いていた。
「……なぁ、一つ聞いてもいいか?」
「なんだ? 言っとくがカフェオレも認めないからな」
「いやコーヒーの話題じゃねーよ。あと認めないのかよ」
一つため息を零してからギルはハルに向き直る。そんな彼はいつものふざけた雰囲気ではないため、ハルもどこか身構えた。
「あの時、あの指揮官にヴァルターを選んだ理由が気になってさ」
「あぁ、ヴァルターか。彼は良い奴だったな」
「良い奴? 少なくともハルには敵意むき出しだったろう?」
今は亡きヴァルターを思い出しながらギルは言った。
「……だからだよ、貴族なんて表情を表に出さず常に笑みを浮かべている奴が殆どだ。その中であいつは最初っからいかにもお前の事嫌いですって言っている感じだったからな。そんな素直な奴だったからあの作戦を任せられたんだ。変に企んで気持ちを隠す奴なんかより、分かりやすい敵意の方が扱いやすい。まぁ普通に優秀な指揮官だったというのもあるぞ」
あの後、ヴァルターの部下たちが彼の首を持ってきたことにハルは驚いた。聞いた話ではあの赤毛の野郎に殺られたらしい。その赤いのに襲撃された奇襲部隊は少しの被害があったものの、殆ど無事だったのだからヴァルターがその少ない犠牲に入っていた事に驚いたのもあるだろう。
「はぁ……まさか死ぬとはな。本当、惜しい奴を亡くしちまった……。確か家族居たよな……補償金結構出さなきゃなぁ……ヴァルターに限った話じゃないけど本当、補償金どうしよ……」
皇帝になんとかして頼みたい所だが、この国には遺族に払える程余裕があるのだろうか。ただでさえこの戦争を維持するのに予算がキツかったような気がして頭を抱えるハルであった。
「……そんな事考えてないでまずは勝つための事を考えておけよ」
「そんな事ってわりと重要なんだぞ。勝つのも重要だけどさ」
ハルはギルとそんな会話をしつつ、コーヒーを飲んで一服。それからまた仕事に戻ろうとした所で、兵士に呼び止められる。
「ハーロルド殿下、これより作戦会議を行います! 陛下から招集がかかっていますのでどうかご同行願います」
「分かった。ギル、後は頼んだぞ」
「ハッ、了解しました!」
後この事はギルに任せるとハルは呼びに来た兵士と共に会議場所まで移動した。
◆◆◆◆◆
ハルの踏み入れた部屋にはいつものごとくこの軍をまとめ上げる厳つい顔をした者達が机を囲んでいた。その中にはもちろん父親にして皇帝であるベルンハルト、そして弟の第二王子ヘルフリートの姿もある。
「……揃ったか、では始めるとしよう」
皇帝の言葉によって作戦会議は始まった。
現在敵の王国軍はリュノールの街に駐屯している。そこから次の戦場となるのはこのリュノールの街の手前。街を守るように王国は軍を展開するだろう。何せリュノールの街が落ちれば次は王都にまで帝国の侵略を許すことになるのだ。
「やはりここは真正面からの真っ向勝負となりましょうな……」
一人の軍人が発言する。確かにリュノール一帯は先のアンセルヴの様に森があったりせず、隠れられる場所はない。しかし真正面からの戦闘となるときっと彼らの方が有利だろう。なにせ街からの支援が受けられる位置を取れるのだ。こちらの帝国はすでに敵地の奥深くまでこれたが、それだけに本国との支援が受けづらくなっていた。
そんな風に話し合う者たちの会話に耳を傾けながら、机に置かれた布陣図をハルは凝視する。
(……この布陣どっかで……そうかあの『記憶』か)
この場面を思い出したのかハルは一歩前に出ながら話しだす。
「……敵は転移魔法を使用するかと思います」
「ほぉ?」
ハルの言葉に皇帝は視線をこちらに向ける。いや皇帝だけでなく他の者達もハルの事を見ていた。
「……転移魔法はまだ実現段階ではありませんでした。しかし、時がたった今それは分かりません。もしかしたら完成している場合もあります。ですから今回の戦いにその力を使用してくるかもしれません」
「ふむ、あの資料にあったあの魔法か。確かに使われたら厄介だが、今まで使用しなかったのはなぜだ?」
「……魔法は万能ではありませんから。それに先程も言いましたように今まで完成していなかった可能性もあります」
「では、なぜ今回の戦いで敵が使用すると分かるのだ? 完成していない可能性もあるんだろう?」
「……それは」
皇帝の言葉にハルは口ごもる。なぜこの戦いで使用してくるか分かったかというともちろん『記憶』によって使用してくると知っているからだ。
(……サロモンがあの魔法を完成させていない可能性もある。だが、もしも完成していた場合、絶対に俺達の方が不利になる)
「……そう、全ては可能性の話です。そうなるかもしれないという可能性でしかない。しかしそれが実現すれば我が軍はきっと窮地に立つことでしょう」
「まるでそれが起こる事を予知しているように言うではないか。ならば……もしもその可能性が起きた場合、敵はどのようにして動くのだ?」
どこか面白そうに皇帝はハルを見ていた。その重苦しい視線を感じつつもハルは話を続ける。
「そうですね……転移魔法で我が軍に奇襲をかけるでしょう。きっとこの辺りに……」
机に広げられた地図のとある場所を指差そうとして、ハルは固まる。思い出した『記憶』は確かに、転移魔法を用いて帝国軍に奇襲をかけていた。問題はその場所。
(なんだこれは……? どうして場所が二つも出てくるんだよ!?)
転移魔法で現れる王国軍の場所。その地点は二つもあったのだ。そのどちらも奇襲をしかけるには良い立地である。二つの地点に同時に現れるのかと考えるも、転移魔法を使えるのはサロモンだけだろう。だから転移できるのは一つの地点のみ。だから二つの地点の内どちらかに敵は現れるはずだ。
「どうかしたのか?」
突然黙りこんだハルを見て、皇帝は不思議そうに聞いてくる。その声とそしてこの『記憶』によって頭が混乱するハルであった。
(どっちだ、どっちなんだ!? もし外れたら――)
ハルが地図を凝視しながら悩んでいたその時――
「会議中失礼します。突然ながらハーロルド様に至急お伝えしたい事があり、参りました」
会議室となっていたこの部屋の扉が開けられ、その声と共にギルが入ってきた。許可を得るとギルはハルの側に素早く近寄って机から少し離れた場所に連れ出す。
「……こんな時に一体何のようだ、ギル?」
「さっき届いた手紙だ。内容的に持ってきたほうがいいと思ってな」
声を落として勝手に手紙を開けたことを謝りつつ、ギルは一つの封の空いた手紙を手渡す。手紙の主は――モニカからであった。なぜと思うままにハルが手紙の内容を読んで驚くように目を見開く。
「………………陛下、転移魔法で敵が現れる場所が分かりました」
ハルはその手紙をすぐに読み終えて懐にしまうと、こちらを不思議そうに見ている皇帝と他の者達を見渡した。
◆◆◆◆◆
会議が終わり、続々と人が退出していく。ハルも少しばかり疲れたような顔をしながら、ギルと共に息苦しかった会議室を出て外の空気を吸っていた。
「……兄上、まさか貴方がそのような訳の分からない戯れ言を言うとは」
聞こえて来た刺々しい声にハルが振り向くと、そこには予想通りこちらを睨む弟のヘルフリートの姿。
「戯れ言とは酷いな? 俺はただその可能性を指摘しただけだ。現に皇帝は俺の言葉を受けて、俺にその可能性の排除する任務をくださった」
「不確定要素の多い可能性を戯れ言と吐いて何が悪い。……本当に父上は何を考えておいでか。兄上、貴方のような戦場に出ていなかった者を急に連れて来ては、いきなり素人が立てた作戦に耳を傾けあまつさえそれを受け入れてしまうとは……」
「その素人の立てた作戦がアンセルヴでは割と効果的だったんだが?」
「あれはたまたま上手くいったにすぎないでしょう? 今回の作戦は上手くいかない。兄上の言う事は絶対に外れる。無駄足を踏むだけだ」
さらに視線を険しくさせて、ハルと同じ色の瞳はこちらを見る。
「……今まで通り後方で引きこもっていれば良かったものを……!」
それだけ吐き捨ててヘルフリートは背を向けて立ち去ろうとするが――
「――なぁ、ヘルフリート」
その背を引き止めるハルの声が聞こえて来てヘルフリートは振り返る。そこには複雑そうな表情をしたハルの姿があった。
「なんですか、兄上?」
「……次の戦場でお前は死ぬ――って言ったらどうする?」
「……兄上にとって私はそうとう邪魔な存在なのですね。そんなに皇位がもらえるか不安なのですか?」
「そうじゃない。これも一つの可能性なんだ、お前は……次の戦場で死ぬかもしれない」
ハルのどこか真剣な瞳にヘルフリートは驚く。しかし、すぐに忌々しそうにハルを見てから言い放つ。
「……父上の言っていた通り、予言者でも気取ろうとしているのですか? 生憎ですが、私は死にませんよ」
ヘルフリートはハルをまた睨むように見てから、すぐに背を向けて立ち去っていった。