第三十話 出立
皇帝からの命令の元、ハルは迅速にそれに対応すべく動いていた。予備兵を集め部隊に編成するのはもちろんの事、ついでに前線に持っていく補給物資や食料などを考えなければならない。さらにこのヴォルケブルク城を中心とする後方支援を指揮する指揮官への受け継ぎなどを整えなければならなかった。
(……前線に持っていける予備兵は約三万か。……ああ、今の後方支援の人数でさえキツイのにさらに前線の兵士増えるんだよな。ならこっちの部隊を回してカバーするように指示出しして……)
ハルの今の頭の中はいかに効率よく後方部隊を回させるかを考えていた。軍の中の兵士が全員戦うとは限らない。むしろ戦いはせず前線を支える兵士の数のほうが上回るだろう。なにせ前線に必要なのは彼らの胃袋を詰める食料はもちろんの事、馬の食料にマスケットや大砲の弾丸なども補給しなければ戦争を続けるのは困難だ。それを運ぶ兵士の数は必然的に前線で戦う兵士よりも上回る。それだけに補給などの兵站業務は重要なのだ。
(あーまったく、ごちゃごちゃと考えるのは面倒だ! だがしないと負けるわけで……あのクソ親父め許さねぇ!)
いつもの様に執務机を前にして椅子に座るハルは、頭を抱えた。せっかく落ち着いたと思ったらこんな仕事を押し付けられたのだから当然だろう。
そんなこんなで準備に少しばかり時間がかかり、全ての準備が整ったのは三日後のことであった。
◆◆◆◆◆
慌ただしかったヴォルケブルク城は今日はやけに慌ただしい。それもそのはず、今日はあの戦場に出ない事で有名だった第一王子ハーロルドが戦場に向けて出立するのだから。率いられる三万人の兵とハーロルドの近衛兵団五千人はどこか不安と緊張な気持ちを持ちながら出立式に参列していた。そんな周囲の不安とは裏腹に式は順調に進んでいく。それは他でもないハーロルドはいつもと変わらない態度であったからか。
(……でも少し、強ばって見えます)
そんなハーロルドことハルを遠くから見ていたモニカはそう思うのであった。あれからと言うものこの三日間はハルが忙しくしており、二人は話すことも会うこともなかったのだ。
(――このままでいいのでしょうか)
このまま彼を見送るのはなんだが納得がいかない。どうにかしてハルが出て行く前に話がしたかった。せめて見送る為の言葉を言いたい。
そう願う彼女の思い。それは同じく彼も同じ思いだったようだ。
式が終わりゾロゾロと動き出す軍の合間を縫ってハルは動くと見付けたモニカの腕を引いて人気の居ない場所に連れだした。
「……ハルさん、行かれるんですね」
「……ああ。正直言って戦場は初めてだから、少し不安だよ」
式で見た時はそんなかけらも見せなかったハルの瞳は確かに不安げに揺れている。その瞳を見つめながらモニカはどうしても聞きたかったを尋ねた。
「あの……ハルさん。やっぱり私を一番にはしてくれないのですか?」
このまま戦場に出て行く彼の身を案じる。自分が一番になったからと言って死なないという保証はないだろう。だが、もしかしたら言って欲しかっただけかもしれない。あの時曖昧にされた彼の答えを。その答えは彼の言葉を汲み取れば分かるがきちんとその言葉にして言って欲しいというのがモニカの本音であった。
「……正直言ってその予言やら自分の持つ『記憶』をどこまで信じているのか自分でも分からない。だがまぁ、一つ言えるとしたら――」
ハルはモニカの頬に手を添える。触れる指先から柔らかな弾力と体温が伝わってくる。彼女の細い横髪が手の甲を掠めてこそばゆい。
「――全て手に入れる。一番も二番も関係ない、自分の命も欲しいモノも全てを手に入れる。そのためなら予言や運命なんか退けてやるさ」
あの時出来なかった事をするように彼女の頬にキスを落とす。離れていくハルの朱に染まる顔をモニカは不満そうな目で見つめる。
「……まさか、これで終わりですか?」
「……な訳ないだろ、目を閉じろよ」
帰ってきた言葉に微笑みを返してモニカは目を閉じた。目を閉じた彼女をハルはしばらく見つめながら、少しぎこちない動きで今度は頬でなく唇にキスをする。
重なる時間は長く、その間にモニカはハルに手を回して抱きつく。それに答えるようにハルが彼女に手を回した所で――
「…………っ!? ちょモニカ!?」
気がつけば口をこじ開けられ彼女の舌が入ってこようとする。驚いて逃げようと顔を逸らそうとするハルを、モニカが頭を手で抑えながらさらにキスは続いていく。
「……っはぁ……」
そんな吐息と共にやっと離れてくれたモニカを、ハルはそれはもう顔を真っ赤にして手に口を当てながら睨む。
「もう一生できないかもしれないでしょう? 普通のキスで終わるのは嫌だったんですよ。あとあの時の仕返しです」
こちらに向かって笑顔を向けるモニカに少し怖気付いたハルであった。大人しそうな顔をしてこんな事をしでかすモニカに驚いたのだ。これは育ってきた環境の違いなのか、はたまた彼女の性格ゆえか、その違いが分からない。そんな風に慌てているハルを見てモニカはクスクスと笑う。完全に主導権はあちら側という事態にどこか腑に落ちないハルであった。
「……後で絶対後悔させてやる。だからお前はここで待っていろ」
「はい。だからきちんと帰ってきてくださいね、ハルさん」
そう言ってまた抱きついてきたモニカをハルは抱きしめ返すのだった。
秋空の下、広い平原の道を長く列をなす軍隊は少しずつであるが遠く離れていく。そんな光景をモニカはヴォルケブルク城のテラスから見送っていた。
「行ってしまいましたね」
その隣には同じく彼らを見送るアカネの姿がある。彼女の少し残念な最愛の婚約者ももちろん戦場へと向かってしまった。
「ハル様やギル様なら大丈夫ですよ」
二人より一歩離れて控えるように立つカンナが彼女達を安心させるように話す。
「そうですよね……ハルさん達ならきっと……」
モニカは手に持った花を見つめる。少し枯れたようによれた紙の花。それはあの時、ハルに貰った花であった。
(……結局、一度も好きだと言ってくれませんでした)
望んでいた言葉を聞くことはなかった。だが、いつかは言って欲しいと彼女は思う。
(だから、どうか……)
紙の花を手に、立ち去っていく軍隊にいるはずの彼に向けてモニカは祈った。
◆◆◆◆◆
戦場は変わらずオーブレリを越えた先、王国内のアンセルヴ。青い空の下、帝国よりも暖かな風が平原に吹き渡る。しかし、ここは戦場なので至る所に踏みしめ荒らされた地面、焼け焦げた跡や砲弾が抉った穴が見受けられる。そんな地の側らにいくつかの天幕が張られ、黒と赤を纏いし人々が行き来していた。
「陛下、東よりこちらに迫る軍勢が見えました。連絡のあったハーロルド王子のものと思われます」
一つの大きな天幕に報告が伝えられる。報告に来た兵士が跪くその先に、簡易に作られた椅子に座るのはこの軍を指揮する者。
「……ほぉ、やっと来たか」
どこか面白そうにその者はニヤリと笑う。それは他でもない、グランツラント皇帝ベルンハルトその人であった。
ーー開戦から約二ヶ月。停滞した戦場に新たな嵐が吹き荒れようとしていた。




