第十七話 知得
「撃ち方用意!」
士官の号令の下、トリコーン帽を被り黒と赤の軍服を着た兵士達が火打ち石式のマスケットを構える。ライフリングの刻まれていない銃であるため、真っ直ぐになど飛ぶわけがなく、五十メートル先の敵に当てられるか当てられないかの性能だ。
しかし、その欠点もこの綺麗に並んだ戦列歩兵が補う。
「撃てぇ!」
その合図に、激しい銃声と共に一斉射撃が行われた。白い硝煙が辺りを見えなくさせるほどに漂う。
いくら命中率の悪い銃だとて、何十発もの集中的な一斉射撃が行われれば当たるものだ。いわゆる数撃てば当たる理論である。
そしてまた発せられる声に従い、兵士達は次の攻撃の為に装填をする。その装填作業も先込め式ゆえに時間が掛かるものだ。
「どうですかな、殿下。我が軍の訓練は完璧でしょう?」
「ああ、そうだな。戦場に出た際に役に立てるようにこの調子で頼む」
「もちろんでございます、殿下」
この歩兵連隊を任されている将校はハルの言葉を聞くと、胸を拳で叩く敬礼をしながら答えた。
(マスケットか……)
ハルは目の前で行われる訓練を眺める。
この世界においてはこのマスケットを使った戦場が占めている。いち早くマスケットを取り入れた帝国はその技術とそして厳しい訓練による強靭な軍隊を作り上げ、この大陸の半分を収めるまでに成長したのだ。マスケットによって大国に成り上がったと言ってもいいだろう。
(だから我が国の成長を支えた偉大なるマスケットには敬意を払うんだが……『記憶』がある今だとなんだかなー)
ハルは複雑そうに、兵士達が手に持つその銃を見ていた。
『記憶』には『乙女ゲーム』以外の知識があった。それはマスケットよりも高度な、そして性能の良い兵器の数々……そのどれもは今の戦場を様変わりさせてしまうだろうと思えるほど強力な武器ばかりだ。
(まぁ、今の技術レベルだとこの兵器の再現なんて無理だけどさ)
そう思い少し落ち込む。落ち込んだのは再現が出来ないからというわけではない。自分たちの国など一瞬で吹き飛ばしてしまうような、抵抗なども出来ないほど圧倒的に強力な兵器というのが存在しているのかと思うと、目の前で真面目に訓練する兵士達が馬鹿馬鹿しく見えてしまうのだ。
(……そんな相手とは戦わないとは思うけどさ。悔しいんだよな……一応自国の技術には自信があったからさ)
ハルは落ち込むが、しかしこの『記憶』は可能性を秘めている。いや、秘めすぎているのか。
『記憶』にある知識の一つに、マスケットの次なる武器となりうる存在の知識があった。その武器ならば、この世界でも再現ができるだろう。
(それを使えば戦争に楽に勝てるかもしれんが……強力な武器ほど怖いものはない)
『記憶』が教えていた。過ぎたる力ほど、強力な兵器ほどそれだけ犠牲者は増えていく。戦争には勝てるかもしれないが、生み出した存在が与えた影響に対して責任を持たなければならないだろう。
(その責任を負えるほど、俺は強くないんだよ……)
できればこのまま、今のままで戦争に勝ち、生き残れればいいのにと思うハルであった。
(俺は、死にたくないんだ……)
取り出した懐中時計を見つめる。
秒針は動く。止めどなく動き、ゆっくりと時を刻む。しかし。いつかは動かなくなる。
――手を加えない限り、必ずやその時はやってくる事だろう。
◆◆◆◆◆
昨日から倒れて以来、寝ていたモニカは昼を過ぎた頃に起きた。国境を超えるという長い旅を女の足一つで乗り越えてきたのだから、その疲労は凄まじかっただろう。しかも失踪した聖女を探す捜索隊の目を掻い潜っての旅だったのだ。
その間にいくつも危険にさらされたが、親切な旅商人のキャラバン達に助けられたのが幸いだった。彼らと共に国境を越え、近くの村で世話になっていた時に戦争の知らせが来たのだ。
(……ハルさんも戦争に参加するのでしょうか?)
ここヴォルケブルク城は前線より遠い。ハルの事を教えてくれた村人達は、王子は後方支援の指揮を取るからここに留まるだろうと言っていたから彼は戦争には参加しないのかもしれない。それ以前に第一王子は前線など未だ立ったこともない、帝国の皇族の中でも珍しい人であると村人達は言っていた。
『だけどねぇ……表立ってはそうあるように振る舞わないけど、あの皇帝陛下とは似ても似つかぬ臆病者の王子らしいじゃない。少しばかりは私達国民の事を考えて行動はしてくれるけど、陛下に怯えているあの様子じゃあねぇ……。皇位を継いでも大丈夫なのかと心配だよ。だからと言って第二王子に継がれでもしたら、国は終わりだろうけどさ……』
そう話してくれた村人は、暗い表情だったのを思い出す。
「あの……カンナさん」
「はい? なんでしょうか、モニカ様」
湯浴みをして乾いたモニカの髪を梳かしていたカンナと名乗ったメイドが返事をする。起きた時に出迎えてくれたのはこの優しい笑みが特徴的なカンナであった。彼女はハルに仕えているという。だから、その優しい笑みに釣られるように聞いた。
「あの、ハルさんはどうして戦場には行かないのですか? この国の王族は皆、戦場に立って戦う事が普通らしいのですが……」
そう聞くと髪を梳かしていたカンナの手が止まる。聞いては行けないことだったのだろうかとモニカが振り向くと、難しそうな表情をしたカンナの姿があった。
「……ハル様が戦場へ出ないのは父親である皇帝陛下への反抗心からでしょうか?」
「反抗心?」
「はい、昔からハル様は皇帝陛下とはあまり仲がよろしいとは言えませんでした。それが表面化するようになったのは、ハル様の母君であるヒナタ皇妃が亡くなった事が原因でしょう」
その昔、ハルが幼い頃に母であるヒナタ皇妃は亡くなっている。原因不明の病でどんな薬も、どんな治療を施しても助かる見込みがなかったらしい。
「私は元々、ヒナタ様に仕えておりました。ですからその時の事はよく覚えています。ヒナタ様が苦しく呻くのをその側でハル様は見守っていました」
そんな母を助けたいと思った幼きハルは父親を頼ったらしい。
「母を助けて欲しいと陛下に何度も頼んでいました。しかし、ヒナタ様は助からないことは誰もが知っておりました。それは陛下も、そしてハル様も……」
その時を思い出したのか、カンナは表情を暗くする。
「そうだったんですか。……ですが、それだけではハルさんが皇帝陛下に対して反抗心を持つ理由がわからないのですが……」
「そうですね。ここで終わっていれば、あのお二人の仲がここまで冷えたものになることも無かったでしょう」
そう言ったカンナは、さらに辛そうな表情をしながら、モニカを見ていた。
「陛下は、病に侵されるヒナタ様を置いて戦場へ向かってしまいました」
「えっ……」
その言葉を聞いてモニカは言葉を失う。普通夫ならば苦しむ妻の側に居るものでは? そんなことはせず、あまつさえ戦場へと向かったというのか。
「……ハル様はその時の陛下の行動をとても憎んでいらっしゃいました」
たとえ、治る方法がなくとも、せめて最期まで母の側に付いていて欲しいと願っていた。だというのに、そんな母を無視するように皇帝は、父は戦場へと出向いてしまった。
その後、亡くなった母と入れ替わるように、戦利品と称して第二皇妃マルグリットが迎えられた。
ここまで来れば、たとえ息子でなくとも誰だって皇帝の行動には異を唱えることだろう。しかし、その声も皇帝によってねじ伏せられた。
「だから、ハル様は戦場には行かれないのでしょう。あの時、母を残して戦場に行かれた陛下に対する反抗心から……――もしくは、死にたくないからかもしれません」
「……死にたくない?」
「――カンナ、喋り過ぎだ。その女は一応捕虜だぞ」
それは一体どういう意味かとモニカが尋ねようとするが、それは鋭い一声によって遮られた。
開け放たれた部屋の扉の前には、こちらを警戒するようにハルの近衛兵ギルバートが立っていた。
「申し訳ございません、ギルバート様」
カンナはギルに向かって頭を下げる。モニカにこのような話をしてしまったのは、彼女がハルを愛称で呼んでいた事が原因だろう。ハルが自分の事を愛称で呼ぶ事を許可する人間など、滅多にいないのだから。
「カンナさんは悪くありません。聞いてしまった私が悪いのですから……」
そんなカンナをモニカは申し訳無さそうに庇うも、その姿はギルにとっては芝居のようにしか思えなかった。
「おい、モニカとか言ったか? ハルが呼んでいるから付いて来い」
ギルは用件を素早く言うとさっさと部屋を出て行く。慌ててモニカは彼の背を付いて行った。
◆◆◆◆◆
モニカは少し早足で歩くギルの後ろを歩きながら、今の自分の姿を振り返る。
整えられた髪の毛と清潔になった身体。その身を包むのは綺麗な若草色のドレス。先程、頂いた遅い昼食はジャガイモばかりの料理であったが空いていた腹にはちょうど良かった。
(だけど忘れてはいけない。私は捕虜なんだから……)
このような待遇をなされたが、自分は捕虜だという認識をモニカは改める。敵国へと侵入してきた王国で特別な扱いを受けていた聖女。それが自分の元の地位。
王国での扱いはけして嫌ではなかった。魔力を持っていたがゆえに捨てられた彼女にとって、自分を求めてくれるというのはとても嬉しかったからだ。
しかし、それも度が過ぎれば別である。時間が経つに連れ、自身は何も『聖女』としての力は発現しないというのに、周囲の期待はエスカレートしていった。
(……まさか王子含めた四人に求婚されるなんて)
《月の宴》の時にフィリップに告白された。その時の返事は曖昧に返したが、数日経って今度は王子と、さらには他の者からも告白をされてしまう。しかもその場で誰かを選べなどと彼らは言ったが……
(誰も……『私』の事を見ていなかった。見ていたのは私じゃない『誰か』みたいだった……)
自分に群がる男達に、どこか不気味さを覚えた。瞳に写しているのは自分ではなく、他の誰かのような気がしたのだ。
それがとても怖かった。幸い、彼らの前からはサロモンの手を借りることで逃げ出すことに成功し、そのまま王国を出てきてしまったため、その後の彼らがどうなったかは知らない。
どうしてこんな事になったのだろうか? 最初こそは自分が聖女としての力を持っているか悩みつつも、必死に頑張った。それは自身を求めてくれる周囲の期待に応えようとしたこともあるが、一番はハルの存在があったからかもしれない。
唯一、自分のことを『聖女』として接しず期待も何もしない。だが、困ったときは助けてくれたし、愚痴を聞いてくれ、そして励ましてくれた。
――そんな彼の隣が、自分にとってとても心休まる場所だった。
(でも……聖女として見なかったのは王国の人じゃないから。励ましてくれたのだって……私を利用する為の嘘だったんだよね)
――『お前の力を利用しようと近づいただけだ!』
あの時の彼の言葉が響く。別れた時に言われた言葉はとてもよく覚えている。自分は利用されていたに過ぎないのだ。
(そう、私は利用を……)
だが、ふと思う。一体ハルは自分を何のために利用しようとしたのか。自分の力が目当てと言っていたが、自分には聖女の力も魔法の力も何もない。
(私を頼ろうとしていたみたいだけど……)
何の力もない自分の一体何を頼ろうとしたのかが分からない。
あの男達と同じように、自分を見ていたのだろうか? しかし、自分を見る彼の瞳は、どこかあの男達と違っていた。あの赤い瞳はきちんと『自分』を映していたように思える。それは本当に人を利用するような人間の目だっただろうか?
そんな人間だったならば、今の自分に対するこのような待遇はしないのでは? 自分を利用していたに過ぎないなら、そのまま牢にでも閉じ込めておけば良かったのだ。
いや、それとも――
(……まさか)
小奇麗になった身体。泥を落とされ香水の良い匂いを漂わす亜麻色の髪。日は落ちていないがじきに夜になるであろう時間帯。
以前彼は言っていた。国に魔法の力を持ち帰らねばならないと。その力が欲しいと。それに彼自身も魔法に興味を抱いていた。あの魔法の申し子と呼ばれていたサロモンに聞きに行くほどに。
自分は何も持っていない。しかし、絶対に何も持っていないわけではない。その体には使えはしないが、魔力が宿っている。
つまりは――
(…………身体目当て!?)
そんな結論に至ってしまった彼女の前を歩いていたギルが、立ち止まったのであった。




