誓いの大樹(前)
オルスロットが国境地帯から戻って来て2週間程経ったある日の夜。
「レイティーシア。来週からしばらくお休みになったので、旅行に行きませんか?」
「旅行、ですか?」
「はい。お休みは2週間程度なので、そこまで遠くへは行けないのですが」
にこやかに話すオルスロットの顔には、少々疲れの色が見えている。
王都に戻って来てからも、騎士団副団長であるオルスロットには色々と雑務があるらしく、なかなか休みが取れていなかった。そこでこの2週間の休みをもぎ取ったらしいが、レイティーシアとしては心配だった。
「でもオルスロット様、お疲れじゃないですか? ついこの間まで遠征に出ていたのですし、ゆっくりお休みした方が……」
「いえ、このくらい大したことないです。それよりも、レイティーシアと共に出掛けたいと思ったのですが、嫌でしたか?」
ソファーに腰掛けるレイティーシアの隣に座り、手を取って問い掛けるオルスロットの顔は悲し気だ。慌ててブンブンと首を横に振り、否定する。
「いいえ、嫌じゃないです。とても、嬉しいです」
「よかった。では、どこに行きましょうか」
はにかみながら喜びを伝えれば、オルスロットも安心した様子で微笑んだ。どこかまったりとした空気に体の力を抜き、隣に座るオルスロットに寄り添う。
そして旅行の行き先へと考えを巡らせる。レイティーシアは基本的に引きこもってばかりだったため、行ったことがある場所の方が少ないのだ。国内にある色々な景勝地も良いが、初めての二人での旅行ならば行くべき場所は一つだろう。
「ランドルフォード領へ行ってみたいです」
「ランドルフォード領、ですか? まぁ、名所も幾つかありますが、今の季節ならもっと良い場所も沢山ありますよ?」
「いえ、ランドルフォード領が良いのです。オルスロット様が生まれ育った場所に、行ってみたいです」
オルスロットの顔を見上げてそう言えば、驚いた様子で蒼い瞳を見開かれた。そして片手で口元を覆いながら、ふいと視線を反らされる。
「母上もランドルフォード領に戻られているので、今行くと色々と絡まれますよ?」
「絡まれる、だなんて。是非、ランドルフォードのお屋敷にも伺わせて頂きたいですわ」
「本当に、いいんですね?」
「ええ。ランドルフォード領なら王都からそんなに遠くないから、向こうでもゆっくり出来ますよね?」
微笑んで聞けば、観念した様子で一つ深いため息を落とされる。
「分かりました、ランドルフォード領に行きましょう。どこか、特に行きたい場所はありますか?」
「ん~……、オルスロット様が小さい頃によく行かれたのはどこですか?」
「そうですね、フォード湖とかは避暑によく行きましたね。あそこは魚料理が美味しいですよ」
「なら、是非行きましょう!」
「分かりました。両親にも連絡を入れておきましょう。ランドルフォード領に行ったのに会わないで帰ったら、次に会った時に酷い目に合います」
そう言うオルスロットは、やや虚ろな目をしていた。
§ § § § §
そしてやって来たオルスロットの休暇。初日は荷造りに費やし、翌日から馬車でランドルフォード領へと旅立った。
王都からランドルフォード領までは大きな街道で繋がっており、領都であるラルドの街まででも馬車でゆっくり行っても3日はかからない。今回はラルドの街へ行く前にフォード湖など、数ヶ所名所を巡る予定だ。
一緒の馬車に乗ったオルスロットやマリアヘレナたちと他愛ない話をしながら、穏やかに旅は進む。
流石に王都の近くの街道では野盗や獣が襲い掛かってくることもない。何事もなくフォード湖近くの街に到着した。
この街ではランドルフォード家の別荘に宿泊し、数日ゆっくりする予定だ。マリアヘレナ達使用人は荷解きするために忙しくしているが、オルスロットとレイティーシアは特にやることもない。
外を伺っていたオルスロットが、レイティーシアに声を掛ける。
「まだ日も高いですし、疲れていなければフォード湖へ行きますか? 少し離れているので、馬に乗る必要があるのですが」
「大丈夫です。連れて行ってください」
幸い動きやすい服装だったため、このまま一緒に連れて来ていたオルスロットの愛馬に乗せてもらう。この馬に乗せてもらうのは、王都近くの花畑に連れて行って貰った時以来だ。
今回も横乗りになったレイティーシアを後ろからオルスロットが支えてくれる。
「一応道は整備されてますが、しっかり俺に寄りかかっていてください」
「っ、はい」
耳の近くで囁かれ、思わず体が強張り掛けるが、意識して力を抜く。そしてしっかりと筋肉の付いたオルスロットの胸板に寄りかかるようにすると、まるで抱き込まれているかのようだ。
ほんのりと香るオルスロット自身の匂いに、緊張と安心感がない交ぜになったよく分からない感覚に陥る。
「あ、の、オルスロット様」
「どうかしましたか?」
「その、旅行に連れて来てくださって、ありがとうございます」
「どういたしまして。といっても、まだ観光らしいこともしてないですけどね」
軽く笑ってそう言うオルスロットは、馬を歩かせながらレイティーシアの肩をそっと撫でる。どうやらレイティーシアの緊張を感じ取っていたようだ。
道々に咲く花や成っている果実を教えてくれながら、オルスロットの小さかった頃の話などもしてくれる。
「あの木に成っているビルチェの実は子供のころ、よく食べました。どうしても大きいのが食べたくて、高い枝に上って降りれなくなったことがありますね」
「まぁ……! 大丈夫だったんですか?」
「半泣きでしばらく木の上に居たら、兄上が見つけてくれました。家の者たち総出で助けてもらうハメになって、母上にはものすごく怒られました」
「お義母様のお説教はとても怖そうです」
「ええ、トラウマです。それ以来、木に登るのはやめました」
「えぇ……、そこまでですか」
「はい。母上に怒られることは全力で避けたいですからね。さて、そろそろ湖に着きますね。前を見てください」
オルスロットに促され前方へ視線を向けると、道の先に輝く大きな湖が見えてくる。
フォード湖は周囲を森に囲まれ、美しい紺碧の水面が広がっていた。鮮やかな緑色と濃い青色に彩られたその場所は、とても神秘的だった。
湖の周囲は遊歩道として整備されているようで、何組か散策に訪れている人たちが居るようだ。
レイティーシア達も馬から降り、湖を眺めながらゆっくりと遊歩道を進む。
「とても美しいですね」
「ええ。でも、真夏だと、周囲の木々の色がより鮮やかで美しいんです。最も美しいフォード湖をレイティーシアに見せたかったです」
「ふふ。それなら、また真夏の頃に来ましょう。きっと、機会ならいくらでもあります」
小さく笑いながらオルスロットを見上げれば、オルスロットも柔らかく笑いながら頷く。
「そうですね。俺が、レイティーシアに見せたいと思っている景色は沢山あるので、あちこち旅行にも行きましょう」
「ええ、よろしくお願いします」
緩く繋がれていた手をギュッと握りしめ、和やかに微笑み合うのだった。




