花開くとき(後)
ソルドウィンの部屋から飛び出したフェリスリーアは、行き先も考えずに走っていた。既に日が暮れて薄暗くなっている街をがむしゃらに走り、辿り着いたのは良く知らない小さな公園だった。
無意識ながらにあまり治安の悪い方には行かないようにしていたようで、貴族街に近いらしいその場所は、他に人気はなかった。少し奥まった位置にあるベンチに腰を下ろし、耐え切れなくなった涙を零す。
「っ……うぅぅ。私じゃ、ダメ、なんだ……」
両手で顔を覆うが、ボロボロと零れ落ちる涙は止まらない。
今まで告白を躱され、諭すような言葉をずっと言われていたが、まだチャンスはあると思っていた。でも、今日のあの態度では、無理なんだと思うしかない。
いつまでも止まらない涙を流し続けていると、急に凛とした上品な声を掛けれる。
「ねぇ、貴女は、フェリスリーア・ランドルフォードさん?」
「ふぇ……?」
「あっら、酷い顔ねぇ」
扇の影に隠しながらも、明らかに侮蔑の表情を浮かべているその女性は、恐らく貴族だろう。上等な外出用のドレスを身に纏い、悠然とフェリスリーアに近付いてくる。
なぜ、こんな場所にこの女性は居るのだろうか。貴族女性が一人でうろついている時間でも、場所でもない。
意味が分からなくて呆然としているうちにフェリスリーアの前に立ったその人は、パチリと閉じた扇でフェリスリーアの顎を持ち上げる。
「ねぇ、わたくしの質問に答えてくださらない?」
「っ、私がフェリスリーアですが……」
「そう。こんな小娘がそうなの」
そう言って扇を外した女性は艶然と笑いながら、フェリスリーアを見下ろす。
「わたくし、ソルドウィン様と結婚しますの。だから、貴女はさっさと諦めて?」
「っ……!?」
この女性はわざわざそんなことを言うために、こんな場所に来たというのだろうか。
そんなこと言われずとも今日のソルドウィンの態度でズタズタにされていた心に、トドメが刺された。止まっていた涙がまた溢れ出す。
「あらあら、泣いちゃって。可哀そうに。でも、ソルドウィン様はわたくしのものですから。さっさと消えてくださる?」
「っ、ソルさんは、ものじゃないです」
「なぁに?」
「ソルさんは、ものじゃないです! そんなこと言う貴女なんか、ソルさんが好きになるわけない!」
「何言っているのかしら、この小娘は」
女性が握る扇がギシリ、と軋んだ音を立てる。美しく化粧の施された眦もキリリと吊り上がり、怒りも露わだ。しかしフェリスリーアも止まらなかった。
「諦めろ、って言われて諦められるほど半端な気持ちじゃないんです! ソルさんに拒絶されても、諦められないくらい、ずっと想ってるんです! だから、貴女になんか、渡すもんですか!!」
「っ、生意気な!」
バシリ、と思い切り女性が振りかぶった扇で頬を叩かれる。
身に付けた魔道具のお陰で痛みは無いが、思い切り叩かれた衝撃はある。思わず頭に血が上り、風の魔術を練り上げる。
ズタズタになってしまえ。
そんな思いで魔術を放とうとした時。背後に現れた存在に目元を覆われ、練り上げた魔術も拡散させられてしまう。
「ダメだ、フェリス。人に魔術を向けるな」
「っ、ソルさん……」
「ソルドウィン様っ!」
今は会いたくなかったその人に抱きしめるように包まれ、体が強張る。そして聞こえて来た貴族女性の喜んだような声に、胸が締め付けられる。
きっと、ソルドウィンは甘い言葉をこの女性に囁くのだろう。
そう思って身構えていた。
しかし、貴族女性に向けたソルドウィンの言葉は刃のように冷たく、鋭かった。
「アンタ、誰だっけ? 俺のフェリスに何してんの?」
「っ!? わたくしは! シュノーレリス伯爵家のライアリリナですわ。貴方の妻となる女です!」
「あー、シュノーレリス伯爵の。ソレ、断ったから」
「何を仰っているの!? シュノーレリス家は、貴方様が今後も宮廷で生きていくためには最良の相手ですのよ?」
「ホント、アンタ分かってねぇな。俺はジルニス家の人間なの。そういうの、要らないから」
「ジルニス家だからって……」
「事実だから。じゃ、もういい? フェリス、帰るぞ」
そう言うと返事も待たず、ソルドウィンはフェリスリーアを抱き寄せ、魔術を発動させる。
ふわり、と浮遊感を感じるとそこは既に王都の上空だった。そしてそのまま、ソルドウィンは一言も喋ることなくアパルトマンの部屋へとフェリスリーアを連れ帰る。
沈黙に支配された部屋の中、フェリスリーアをソファーへと降ろしたソルドウィンは盛大なため息を吐く。
「ソルさん……」
「とりあえずフェリス、魔術を使う場面は考えろ。あそこであの女を細切れにしたら、お前は殺人犯だ。分かってるか?」
「っ……。ごめん、なさい」
「オレも、すぐに見つけてやれなくて悪い。もっとお前を探る手段は沢山あったのに、テンパってて……。お前が魔術使うまでロクに探索出来なくて遅くなった」
ガシガシと黒髪を掻いたソルドウィンは、そっとフェリスリーアの頬に触れる。そして頬から赤く腫れた目元へ指を滑らせる。
「オレのせいで泣かせたな……」
「っ、これは……」
「今までちゃんと説明しなかったオレが悪い。だから、聞いてくれるか?」
「……うん」
ソファーに腰掛けたフェリスリーアの前で跪いた状態で、ソルドウィンは話し出す。
「オレにとって、フェリスは大切な子だ。生まれた時から、ずっとずっと、大切な女の子だ。そんな子に好意を寄せられて、嬉しくない訳がない。でも、お前は若い。他に好きなヤツが出来るかもしれないだろ?」
「そんなこと、ないっ!」
「嬉しいこと言ってくれるな。でも分からないじゃないか。だから、お前が大人になるまでは、絶対に手を出すつもりはなかった。少しでも触れてしまったら、止まれるわけがない。一瞬でも手に入れてしまったら、もう二度と、手離すことなんて出来るわけないからな」
そう言って苦く笑ったソルドウィンは、フェリスリーアの手を取る。そして掌にキスをしてフェリスリーアを見上げる。
金色の瞳には、願うような色が強く浮かんでいた。
「なぁフェリス。こんなオレの元に来てくれるか? お前のことが、好きだ」
「っ! もちろん!!」
叫ぶように返事を返し、勢いよくソルドウィンに抱き着く。
しっかりとフェリスリーアを受け止めたソルドウィンは、そっとその背に腕を回す。そして小さく息を吐くと、強く抱きしめる。
「あー……。オルスロットに斬られるな」
「父様に?」
「アイツ、心狭いからな」
「ふふ、きっと大丈夫。母様が助けてくれるわ」
「フェリスは助けてくんねぇの?」
「私じゃ一緒に斬られちゃう」
「じゃあオレが頑張んなきゃな」
抱き合ったまま、額を合わせてクスクスと笑い合うのだった。
レイティーシアとオルスロットより何倍も書きやすかったです。
ソルドウィンが38歳にしては落ち着きがないとかは、突っ込まない方向でお願いします。
ちなみにライアリリナがフェリスリーアの所に来れたのは、家の者にソルドウィンの家を見張らせてたため。実質ストーカー。




