小さな花
レイティーシアが産気づいた、という知らせをオルスロットが受け取ったのは会議中だった。
他の騎士団の団長や財務関係の人間も集まる重要な会議だったが、この知らせだけは何があっても優先して報告するよう見習い騎士に言い含めておいた甲斐があり、無事早々に情報を得ることが出来た。若干見習い騎士の顔色が土気色だったから、後で特別報酬を与えておこう。
「というわけで、俺は帰ります」
「何が、というわけで、なんですか!?」
きっぱりと言い切って席を立とうとすると、第一騎士団の副団長に思い切り噛みつかれた。普段は常識人同士、非常に頼もしい人間なのだが、融通が利かないのも考え物だ。
小さくため息を吐いて、自身の上司であるバルザックを見る。
今まで散々熟してきた尻拭いを無言で訴えていると、ガシガシと髪を掻いて苦笑される。
「わーったっての。そんなに圧力掛けんな」
「圧力だなんて心外な」
「ほんっと、お前良い性格になったよ……。とりあえずオルスは今日は帰っていい。明日も休みでいいぞ」
「ありがとうございます」
「第二騎士団長殿っ!?」
バルザックがオルスロットの帰宅を許すと、第一騎士団の副団長が目を剥いていた。第一騎士団ではこの無茶苦茶な采配など有り得ないだろう。だが今日の会議も重要な議題は既に終わっているのだ。
これ以上長居したくないとバルザックを伺えば、追い払うように手を振られた。
「後は俺がやっとく。奥方によろしく伝えといてくれ」
「承知しました」
さっと一礼して会議室を後にする。出てくる間際まで第一騎士団の副団長が色々と言い募っていたが、バルザックがのらりくらりと躱してそれなりな感じに片付けておいてくれるだろう。
そんな考えを持った自分に、小さく笑いが零れる。レイティーシアと結婚する前、いや結婚した当初でもこんな考え方はしていなかった。
人間、随分と変わるものだ。
知らせを持って来たのとは別の見習い騎士に準備させていた愛馬に乗り、許されるギリギリの速さで王都を駆け抜ける。そして屋敷に辿り着いた時はまだ日もまだ高い時だった。
普段ならばあり得ない時間の帰宅に、しかし屋敷の者たちは一様に笑みで迎え入れてくれる。
「レイティーシアは?」
「まだです。初産ですので、恐らく時間はかかるだろうと」
「そうですか……」
出迎えてくれた執事に聞けば、オルスロット同様どこかそわそわした様子で状況を教えてくれる。
出産、というイベントに男は役立たずなのだ。出産の経験のある女性の使用人などは手伝いに駆り出されているが、それ以外の人間は待つことしかできない。皆、いつも通りそれぞれの仕事をしているようで、どこか上の空だ。
オルスロットもレイティーシアの部屋には入れないため、近くの部屋で持って帰ってきた書類に目を通して待つが、書類の内容は全く頭に入ってこない。気が付けば、レイティーシアの部屋の方の壁を見つめ、耳を澄ませている。
そしてほとんど仕事に手が付かないまま、時間は過ぎていた。
「旦那様、もう日も暮れていますよ。書類も見えないでしょう」
「……っ、もう、そんな時間ですか」
明かりを持って来たクセラヴィーラに苦笑交じりに声を掛けられ、はっと意識を戻す。耳を澄ませながら、頭を過る様々な考えに意識を全て囚われていた。
「ダメですね。何も手に付きません……」
「あの旦那様がこうまでお成りになるとは」
「悪いですか……?」
「いえ、とても喜ばしいことです」
茶色の瞳を優しく笑みに細め、クセラヴィーラはオルスロットに紅茶を差し出す。
「早く、元気なお子が生まれると良いですね」
「ええ。つい、もしも何かあったら、と考えてしまうと……」
「イゼラクォレル様が手配された産婆さんですから、任せておけば間違いはないですよ」
「もしものために治療術師まで手配して、母上もすごい張り切りようでしたし……」
思わず苦笑が零れてしまう。
兄の子が既に居るため初孫ではないのだが、子供が生まれるまで王都に残ると言ってきかなかったのだ。産み月が冬になることは分かっていたので説得してランドルフォード領へ帰らせたが、人員の手配は何があっても譲らなかった。
おかげでイゼラクォレルの伝手の最上級な産婆と治療術師が今日は対応してくれており、とても心強い限りだ。
そんなちょっと昔を思い出している時だった。レイティーシアの部屋の方が俄かに慌ただしくなった気配がした。
クセラヴィーラを顔を見合わせ、慌ててレイティーシアの部屋へ向かう。そして部屋の前に到着した丁度その時、微かに赤ん坊の泣き声が聞こえて来た。
「っ!!」
「旦那様!」
思わずクセラヴィーラと手を取り合い、部屋の扉を見つめる。そしてしばらくの後、扉を開けたマリアヘレナに部屋の中へと招き入れられた。
ほぎゃほぎゃ、という小さな泣き声と喜びの空気で満たされたその部屋で、レイティーシアは疲れた様子でベッドに横になっていた。しかし胸に抱いた、白い産着姿の小さな我が子へ柔らかい微笑みを向けている様子に、安堵のため息が出る。
「レイティーシア……。お疲れ様です」
「オルスロット様」
そっと声を掛けると、顔を上げたレイティーシアと目が合う。紫の瞳は優しい慈愛の色で満たされ、今までになく美しかった。
「女の子、だそうです」
「そうですか。二人とも、元気そうで良かった……」
レイティーシアの胸の中に居る小さな赤ん坊は、その小ささとは裏腹に力強く声を上げている。そっと小さな小さな手に指を近付ければ、驚く程しっかりと握られる。
触ることすら恐ろしいほど小さく柔らかいこの子は、とても力強く、そしてどこまでも幸せの象徴だ。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
レイティーシアとオルスロットは優しい微笑みを浮かべ、赤ん坊を見つめる。
後にフェリスリーアと名付けられた赤ん坊との、忙しくも幸せな日々はこれから始まる。
ちなみにクセラヴィーラは独身。なので通常業務でした。




