約束1
食堂から飛び出したレイティーシアは、作業部屋に入ると大きなため息をついて机へと突っ伏す。
近頃あまり良く眠れていないのは事実であった。なかなか寝付けず、やっと眠ったと思っても先日の光景が目の前に広がり、飛び起きる毎日なのだ。
どうしても、コルジットの言葉や、目の前で動かなくなったランファンヴァイェンが忘れられない。そして繰り返し思い出すせいか、その恐怖は日が経つにつれて増していき、どんどんレイティーシアの精神を削っていた。
そのせいもあり、久しぶりに顔を合わせたオルスロットに対し、酷い対応をしてしまったと思う。
しかし、オルスロットは毎日帰宅も遅く、騎士団の仕事が忙しいのだろう。こんな瑣末なことに時間を割かせるのも申し訳ない。
「…………最悪だわ」
小さく呟いて自嘲する。
きっと、オルスロットやマリアヘレナたちには心配を掛けてしまっている。こんな自分のことなど、見放してしまって欲しいと思っているくらいなのだが、そんな人たちでないことも、分かっている。
なんとか、心配をこれ以上かけさせないためにも、自分でどうにかしたい。今までであれば、魔道具作りに没頭してしまえば、他のことなど忘れられた。
しかし、今回はそれが上手く出来ないのだ。
大きく息を吐いて、机の端に寄せていた魔道具作りの材料を手元に引き寄せる。
今までもたくさん作った、癒しの魔道具を作るための材料だ。普段ならば、苦もなく作り上げられる。
基盤となる金属に魔術式を刻み、発動させる魔術の媒体となる石を取り付ける。癒しの魔術式は複雑なものでないため、一刻もあれば完成出来る代物だ。
それなのに。
机に置いた金属板へ魔術式を刻むため、専用の道具を取るのだが、どうしても手が震えてしまう。それでも無視して金属板へ魔術式を刻んでいくが、震える手は思うように動かず、まともなものは出来上がらない。
これでは、魔道具ではなくただのガラクタだ。
乱暴に道具を机に放り出し、レイティーシアは両手で顔を覆う。
「…………どうしたらいいの……」
「レイティーシア……」
「っ!? 旦那様……?」
そっと掛けられた声に驚いて振り返ると、心配そうな顔でオルスロットがレイティーシアの様子を伺っている。いつの間に作業部屋に入って来ていたのだろうか。
そもそも、多忙な最近は言うまでもなく、普段ならば既に屋敷を出ている時間のはずだ。
「旦那様、お仕事は……?」
「今日は休むことにしました。ある程度落ち着きましたし、なにより、御前試合前からほとんど休んでいませんでしたから」
「でも……」
今もオルスロットは騎士服を身に付けている。急に休むなんて、騎士団の副団長がそうそうできるわけがない。明らかに、無理を通している。
そんなことを言い募ろうとしていることを察したのか、オルスロットは微笑みながら、レイティーシアの頬へ手を伸ばす。
「レイティーシア。今日は、貴女と共に居たいのです。だから、俺の我儘を通させて下さい」
「……」
「レイティーシア」
乞うようなオルスロットの眼差しに、レイティーシアはそっと目を伏せる。
「旦那様が、お決めになられたことですから」
そう告げてオルスロットの顔を伺うと、小さく息を吐いていた。そして心配した様子でレイティーシアの顔色を確認しながら、尋ねてくる。
「レイティーシア。もし、体が辛くないのでしたら、共に行きたい場所があるのですが。大丈夫ですか?」
「? ……えぇ。少し、夢見が悪いだけですから」
首を傾げつつも頷けば、微かに微笑んだオルスロットに右手を取られる。
「そうですか。もし辛くなったら、すぐに言ってください。俺の我儘に付き合わせて、申し訳ありません」
「いいえ。気に掛けて頂いて、ありがとうございます」
小さく頭を下げれば、オルスロットはどこか困ったような表情を浮かべていた。首を傾げてオルスロットを見つめるが、なんでもない、とだけ返される。
そして右手を引かれ、準備を促される。
なるべく動きやすい服装で、という言葉を受けてマリアヘレナに用意してもらったシンプルなワンピースを纏い、銀色の髪の毛も邪魔にならないように緩く編んでまとめてもらう。さらに夏の盛りであることから、つばの大きい帽子を被る。
そして玄関ホールへと向かうと、既に身支度を終えていたオルスロットが待っていた。流石に騎士服からは着替えており、上等な仕立てではあるがシンプルなシャツとパンツ姿であった。かなりラフな格好に驚くが、屋敷の外に出てすぐに納得する。
馬車ではなく、オルスロットの愛馬が準備されていたのだ。
「体調があまり良くないところに無理をさせてすみません。馬車では、途中から歩く必要があるので」
「いいえ、大丈夫です」
荷物の準備を手伝ってくれていたクセラヴィーラはとても文句を言いたげな表情をしていたが、レイティーシアは小さく首を横に振って馬で外出することに同意する。
しかし、用意されている馬はオルスロットの愛馬1頭のみである。レイティーシア自身乗馬は得意ではないのでもう1頭準備されていても困るのだが、ワンピース姿であることもあり少々尻込みする。
だがそうこうしているうちにひょい、とオルスロットに抱き上げられ、馬上へと乗せられる。
「ひゃっ!?」
「大丈夫ですか、レイティーシア?」
「っは、はい。何とか……」
すぐに自身も馬へ乗ったオルスロットが横乗りになっているレイティーシアを支えながら、後ろから手綱を取る。
慣れない乗馬で、しかも不安定になりがちな横乗りであるため体を強張らせるレイティーシアを自身の体へ寄りかかるように誘導しながら、オルスロットは馬を歩かせる。
「遠くはないですが、その状態では疲れてしまいますから。体の力を抜いてください」
「え、えぇっと、はい。頑張り、ます」
「あまり、レイティーシアは乗馬に慣れていないのですね……。無理をさせてすみません」
早くも後悔を滲ませたオルスロットの表情に、慌てて首を振る。
「馬で出かけることに同意したのはわたしですもの。旦那様のせいでは……」
「ですが」
「大丈夫、です。少し、慣れてきましたから」
心配そうにレイティーシアの顔を覗き込むオルスロットへ小さく微笑み、意識して体の力を抜く。
そして他愛もない話をしながらゆったりと馬を進めていく。
王都を出てしばらくは街道沿いを行き、小さな森へと差し掛かると脇道へと入っていく。人の手がしっかり入っている様子の森は、細い脇道でも下草などはきちんと刈られており、進むのには全く苦労しない。
青々とした葉を茂らせた木々が陽の光を遮り、程よく涼しい森の空気はとても気持ちのいいものだった。さやさやと木々を揺らす爽やかな風が吹き、あちこちから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
とても長閑で、実家であるチェンザーバイアット領を思い出す。さらに、共に馬に乗るオルスロットの体温を感じ、どこか安心する。
自然と、レイティーシアの表情も柔らかなものになっていた。
「レイティーシア。もうすぐ着きますよ」
緩やかな登り坂となっている森の道の先に明るい光が見えてきたタイミングで、そうオルスロットが声を掛ける。
そして辿り着いたそこを見た瞬間、レイティーシアは感嘆のため息を吐いた。
「まぁ……!」
森を抜けたそこは、見渡す限りに小さな白い花が咲く、美しい花畑が広がっていた。




