驚きの事態
その夜、オルスロットは帰宅した途端、再び頭を抱えることとなった。
屋敷の居間で、レイティーシアと楽しそうに談笑しているアンゼリィヤ。そしてその話題は、一週間後に迫った御前試合についてだった。
「シアはあまり王都に居たことがないから、御前試合は初めてだろう?」
「ええ。でも、私は剣術については分からないから……」
「シアは真面目だね。大抵の貴族の女性は、見目の良い男共を見ることを目的にしているくらいなのに」
ブランデー片手に笑うアンゼリィヤは、騎士団では見ることがないくらい機嫌が良さそうだ。しかし、レイティーシアに余計なことを吹き込んでいそうだ。
眉間にしわを寄せながら、オルスロットは声を掛ける。
「アンゼリィヤ・ジルニス。何故ここに居るのです」
「副団長か。休暇中に、従妹に会いに来て悪いことはなかろう?」
「旦那様! お帰りなさいませ」
慌てたように立ち上がるレイティーシアとは対照的に、座ったまま首を傾げる様子は、なかなかにふてぶてしい。金色の瞳は、オルスロットが声を掛けた途端に不機嫌そうに眇められていた。
オルスロットは諦めを多分に含んだため息を吐き、アンゼリィヤからレイティーシアへと視線を移す。
「レイティーシア、ただ今戻りました。構わず、ゆっくりしていて下さい」
「えっと、でも……」
「構いません。それよりも、御前試合について、聞いていたのですか?」
立ったまま困ったように視線を彷徨わせるレイティーシアに、オルスロットは青色の瞳を緩め、話題を変える。そして騎士服のままだが、レイティーシアを促して共にソファーに座る。
対面に座ることになったアンゼリィヤは不満そうにブランデーを呷り、オルスロットを睨んでいた。
「はい。来週にある御前試合に、旦那様も出場なさると伺いました。その……、微力ながら、健闘をお祈りしております」
「ありがとうございます。…………レイティーシアは、御前試合に興味がありますか?」
「え、はい。っあ、いいえ、そんなことは……」
一度頷きながらも、レイティーシアは慌てて否定をする。あたふたと揺れる紫色の瞳には、我慢するような色が見え隠れしていた。
魔道具のこと以外で何かを望むことはほぼないレイティーシアだ。珍しいその望みは叶えたいところではあるが、なるべく危険は避けるべきだろう。オルスロットは眉間のしわをさらに深くし、どう説明しようかと悩む。
しかしその様子を見ていたアンゼリィヤは、事もなげに言い放つ。
「何を悩む必要がある。私が共に居れば問題なかろう」
「えっ? リィヤ姉様?」
「御前試合は、魔法騎士は出れぬのだ。おかげで私はシアと共に観戦出来るというものさ」
口の端を上げて笑うアンゼリィヤは、さらに続ける。
「ずっと屋敷の中に押し込められていても、息が詰まるというものだ。それに、外出と言ってもこの屋敷と王宮の間だけだ。そうそう危険なこともあるまい」
「しかし……」
「勿論、私が屋敷までの送迎をする。貴殿は部下の力量を信じられぬのか?」
金の瞳が射抜くようにオルスロットを見据える。それは、誇り高き騎士の目であった。
オルスロットは深く深く息を吐きながら、眉間を揉む。
こんなこと、今までのオルスロットとしてはあり得ない判断だ。脳裏に私情やら職権乱用やらといった言葉が駆け巡るが、軽く頭を振ることでそれらを払い、決断する。
「…………貴女の言うことも、一理あります。分かりました、席を二席手配します」
「旦那様……!?」
「レイティーシア、年に一度の催しです。是非、楽しんでください」
驚いたようにオルスロットを見るレイティーシアに、笑顔を意識しながら、そう告げる。上手く笑えていればいいが、意識して笑ったことなどここ数年ないため、自信がない。
すぐにレイティーシアから視線を反らし、アンゼリィヤへと向き直る。
「アンゼリィヤ・ジルニス、御前試合の日は休暇とします。お手数を掛けますが、よろしくお願いします」
「貸しにしておこう」
ニヤリ、と笑うアンゼリィヤに、ソルドウィンと同じ血を感じた気がする。
しかし今回は間違いなく、大きな借りだ。そのことについては反論せずに、先ほどから気になっていた点を突くことにする。
「それよりアンゼリィヤ。先ほどから気になっていたのですが、貴女が着けているそのピアス、団長と同じものですか?」
「っ!!」
「まぁ! リィヤ姉様……!」
バッと右耳を押さえるアンゼリィヤの顔は、常になく赤い。
北の国境の砦に行く前よりは伸びた紅の髪にほぼ隠れていた、紅い石が付いたピアスはつい数時間前にバルザックの左耳から外すように忠告したものと似ている様な気がしたのだ。何より、バルザックは左耳のみ、アンゼリィヤは右耳のみピアスを着けていた。
もしや、と思い指摘してみたのだが、どうやら正解だったらしい。
極秘任務に赴いていたはずなのだが何をしていたのか。
そんな思いから深くため息を吐く。しかし、プライベートなことに首を突っ込む気はない。深く追求はせずに告げる。
「まぁ、何ですか……。団長が迷惑を掛ける様な事があれば、言って下さい。可能なことであれば、手を貸しましょう」
「不要だっ!! シア、また来る!」
そう言い放つと、あっという間に屋敷から出ていった。
あまりの勢いにあっけに取られていたレイティーシアは、我に返ると恐る恐るオルスロットに尋ねる。
「旦那様、リィヤ姉様と団長さんが……?」
「恐らくは……。レイティーシアがアンゼリィヤに直接尋ねれば、きっと答えてくれるでしょう。俺が聞いたら、斬られかねません」
「ふふ、そうですね。リィヤ姉様は照れ屋さんですから」
「照れ屋……?」
あまりにもアンゼリィヤに似つかわしくない言葉にギョッとしてレイティーシアを見るが、にっこりと微笑みを返されるだけだった。
「それよりも旦那様。御前試合のこと……」
「あぁ、レイティーシアは気にしないでください。何も、問題はありません」
「でも……」
レイティーシアの白い頬にそっと右手を添え、心配そうに揺れる紫の瞳を真っ直ぐ見据えて告げる。
「俺が、是非レイティーシアに試合を観て欲しいのです。俺の我儘です。だから、どうかレイティーシアは心配せず、楽しんでください」
「…………はい」
小さく微笑みながら頷くレイティーシアに、自然とオルスロットも笑みを返していた。




