お姫さまの願い5
ナタリアナは、ウィンザーノット公爵家の末娘であり、本家筋としては現在唯一の女子である。そのため生まれたその瞬間から、持ち込まれる縁談は山の様にあった。
しかし、幸か不幸か家格、年齢ともに釣り合う者は居らず、また待ちに待った娘ということでウィンザーノット公爵夫妻は率先して縁談を纏めようとはしなかった。さらにナタリアナ自身、持ち込まれる縁談には全く前向きではなかった。
なぜならば、ナタリアナは両親に憧れていたのだ。
歌劇になる程ロマンチックで、素敵な恋愛をした二人に。
そう、ナタリアナ自身が、恋愛結婚を望んでいたのだ。いつの日か運命の人と出会い、素敵な恋愛結婚をしたい、と夢見ている。
だからこそ、ナタリアナは社交界にデビューする時になっても、婚約者すら居ない状態だったのだ。
古くからある名家、ウィンザーノット公爵家の令嬢としては異例だ。おかげで色々と噂話は立てられていた。だが、そんなことは気にせずに運命の出会いを待ちわびていた。
そしてナタリアナの社交界デビューの日。
ついに、その日がやって来たのだった。
婚約者が居ないためエスコート役になってくれた長兄とのダンスが終わったあと、ナタリアナは次々と掛けられる誘いを断り続けていた。あからさまな野心溢れるその誘いに、全く心動かされることがなかったのだ。
あんまりな態度に、兄からは「程々にしないと恨まれるぞ」と注意を受けてはいたが、幸いにしてナタリアナの家は公爵家。面と向かって文句を言ってくる人は居ない。
だからこそ、油断していたのだろう。
それは、兄が友人に呼ばれて側を離れた時だった。
庭園に面した窓際で踊る人々を眺めていると、急に腕を引かれたのだ。突然の出来事に声も上げられぬまま、外に連れ出され、そして羽交い絞めにされる。
「お高く止まりやがって。あんただって、男を求めて夜会に来ているんだろ?」
「っ……!」
下卑た言葉を放つ知らない声と、背後から首筋に掛る酒臭い息。それにゾッとして声を上げようとするが、がっちりと大きな掌で口元を覆われ、くぐもった小さな音しか出なかった。
「静かにしてくれよ、お姫さま。あんたも、人に見られるのは嫌だろ?」
そう言いながら、男はナタリアナを抱え込んで暗がりへ、庭園の木々が茂る場所へと移動していく。必死に男から逃れようと身をよじっても、あっさりとその動きを押さえ込まれてしまう。
誰か助けて、と思って周囲に視線を巡らせるが、夜会で庭園に居る人間など、逢引をする人くらいだ。木の陰などに人が居る様子なのに、誰もナタリアナに気付く気配は無い。
このまま、この知らない男に純潔を奪われてしまうのか。それは、ナタリアナにとって死と同義だ。
体を開かれること自体も勿論だが、もう、貴族の娘として嫁に行くことは出来ないのだ。ずっと夢見ていた、両親のような人生を歩むことは出来ない。
恐怖と、絶望とで止まることのない涙が頬を濡らし、それでも逃れることの出来ない現実に最早諦めかけていた時だった。
「貴方の行動は犯罪だ、ヤールディーン第四小隊副隊長殿」
「っ!? ラ、ランドルフォード第二騎士団副団長……」
落ち着いた声と共に、ナタリアナを抱え込む男の手が捻り上げられていた。そして男から解放されてへたり込んだナタリアナが見上げた先に居たのは、冷え切った蒼い瞳が冴え冴えと輝く、黒衣の騎士。
慌てふためき、何やら弁解をしているヤールディーンと呼ばれた男を氷の様に冷たい視線で黙らせ、ナタリアナから少し離れた位置で膝をつく。
「騎士団の者が、大変申し訳ないことを致しました。この者を厳罰に処すことを、第二騎士団副団長であるオルスロット・ランドルフォードの名に誓います」
「…………」
声も無く、呆然と涙を流し続けながらオルスロットを見つめるナタリアナの様子に、薄く眉間に皺を寄せた彼はほんの少しだけ距離を詰め、ハンカチを差し出す。
「どうぞ、お使いください。もう間もなく、貴女の家の方が参ります」
その言葉に震える手でハンカチを受け取ると、ほんの少しだけ和らいだ視線でナタリアナを見据え、そして立ち上がる。それから、未だ座り込んだままのナタリアナから少し離れた位置でヤールディーンを捕まえつつ、屋敷の方から人が来るのを待っていた。
ナタリアナを放ってはおけないが、つい先ほど乱暴を働こうとした者を側に寄せるのも良くない、といった気遣いだろう。
そしてオルスロットの言葉通り、すぐに兄と侍女が駆けつけ、ナタリアナは夜会会場を後にすることになる。
そのすぐ後、兄や父であろうと男性が近くによると無意識で怯えてしまう自身を知り。しかしオルスロットからハンカチを受け取る時はそんなことは無かった。そのことに疑問を抱きながら、飾りっ気のないハンカチを胸に抱く日々を送り。
そして闇の中から救い出してくれた蒼に胸を焦がす日々を送り。
彼の人の隣に立てるようにと自分を磨き。自分こそ彼に相応しいと、間違いなく彼こそ自分の運命の人であると、そう思っていたのに。
それなのに。
「わたくしは、悪くない! わたくしは、間違っていない!! あの女がいけないの! あの女が、オルスロット様を誑かしたのよ!! わたくしが、わたくしこそがオルスロット様に相応しいのに!! わたくしは、間違ってなんかいないわ!!!!」
「ナタリアナ!」
錯乱したように叫ぶナタリアナをハロイドが抱きしめるように押さえ込みながら、顔を顰める。
髪を振り乱して暴れるその姿は、普段の可憐な姿の面影は欠片も無かった。
ハロイドの言葉にしばし呆然とした後、叫び出したその様子は、まるで心が壊れたかのようであった。痛々しくもあり、手のつけられないその状況にソルドウィンは深くため息をつき、呪文を唱える。
そしてその術が効いたのだろう。ビクリ、と一度体を跳ねさせた後、ナタリアナは糸が切れたように崩れ落ちた。
「すまない……」
「あんまり騒がれると、他の人も来かねないからね。こんなこと、他には知られたくないでしょ?」
意味ありげにハロイドとオルスロットを見遣ると、苦々しい顔をしながら二人は深く頷く。
人に襲われた、ということも、その首謀者であることも、醜聞以外の何物でもない。
さてどうするのか。そう思いながらハロイドとオルスロットを見ていると、ナタリアナを抱えたハロイドが口を開く。
「ナタリアナは私が責任を以て引き取ろう。ウィンザーノット家にも、偽ることなく伝える。今日の所は一旦それで許して貰えないだろうか」
「…………分かりました。俺としては、レイティーシアを早く休ませてやりたいですからね。後ほど、ランドルフォード家からもウィンザーノット家には話を致します」
眉間に深い皺を刻み、オルスロットは固い声でそう告げると、ベットからレイティーシアを抱え上げる。そしてナタリアナを見ることなく、部屋から出て行くのだった。




