お姫さまの願い2
その日、ソルドウィンが夜会に参加していたのはほんの気まぐれだった。
貴族ではないが、若くして宮廷魔術師として名が売れており、さらに魔術師一族のジルニス家の一員である。それに顔も悪くない。
おかげでソルドウィンを抱き込むために、夜会へと招待しようとする貴族は山ほど居るのだった。
しかし貴族との繋がりは欠片とも欲していないソルドウィンとしては、甚だ迷惑であった。だからほんのごく稀に、気まぐれが起きた時にふらりと夜会に訪れていた。
その日参加している夜会の目玉である庭園を、人気の少ない広間から離れた廊下で眺めていると、人が来る気配を感じた。ソルドウィンは少し眉をひそめると、そっと物影へ身を隠す。
こんな夜会で人気の少ない場所に来る人間と鉢合わせなど、面倒事でしかない。さっさと通り過ぎろ、と念じていたが、願いも空しくその人達は立ち止まったようだ。
「ねぇ、お願いしますわ。わたくしの願い、どうか叶えてくださいませんか?」
「だが……」
「願いを叶えてくださいましたら、あなた様の願いもきっと叶えますわ」
女の甘えた様な声に嫌気が差し、なんとか立ち去れないものかとちらりと覗き見ると、その女は見覚えのある人物だった。つい先日、王家主催の夜会でレイティーシアをきつく睨みつけていた人物だ。
純真無垢な少女のように振舞っていながら、権力と女の媚びで相手を動かそうとするやり方に吐き気がする。
しかし、女に擦り寄られている男はそうではないらしい。少し考えるそぶりを見せながらも、その女の腰を抱いて囁く。
「分かりました。必ず、ナタリアナ様の願いを叶えてみせましょう」
「まぁ! 嬉しいわ。どうか、お願いしますね」
「はい、勿論ですとも。その代わり、どうか私の望みも」
「ええ、きっと」
そう言って頷く女――ナタリアナは可愛らしい印象のドレスには似つかわしくない、毒々しい笑みを浮かべていた。
そのまま二人はソルドウィンには気付くことなく、メイン会場である広間へ戻って行ったようだ。物影から出たソルドウィンは、腕をさすりながら呟く。
「うっわ、あの女まじ怖ぇ。姫さん大丈夫かなぁ……?」
ナタリアナに目の敵にされている様子のレイティーシアだ。何かされなければ良いがと懸念しつつ、この夜会に来ているはずの彼女の姿を探すことにする。
しかしその対応では遅かったらしい。
ソルドウィンがレイティーシアを見つけた時には、既にナタリアナと共に広間から出て行く所だった。しかも後を追おうとするが、タイミング悪く貴族の一団に捕まってしまう。
「申し訳ありません、俺は用事が」
「そう言わずに、滅多に夜会にいらっしゃらないソルドウィン殿に是非お話を」
「そうですわ、どうかお話させてくださいな」
「いや、あの……」
「さぁ、どうぞこちらへ」
いくら普段傍若無人に振舞っていても、ソルドウィンとて王宮に仕える人間である。貴族に対してあまり酷い対応はできない。
おかげで、ソルドウィンの言い分など一切聞こうとしない貴族たちの対応をしているうちに、結局レイティーシア達の背中は廊下の先へ消えていく。
それでもせめて、と先日レイティーシアから貰った魔道具を起動させる。そしてたった一言だけ吹き込み、光る蝶を放つのだった。
§ § § § §
「それで、どういった情報ですか?」
ハロイドに連れられて広間から少し離れた控室となっている小部屋に入り、すぐさまオルスロットは話を促す。あまり時間を掛けたくなかった。
しかしそんなオルスロットの内心など知らないハロイドは、本題には入らず問い掛けてくる。
「何をそんなに苛立ってるんだ」
「……妻を一人、広間に待たせているのです。手短に用件を済ませたいと思うのは当然でしょう」
「いや、お前がそんなに愛妻家とはね」
そう言ってクツクツと笑うハロイドは、酷く不快だった。オルスロットは眉間の皺を深くし、冷たく言い放つ。
「いい加減本題に入って頂けませんか。まだ他の話を続ける、というのならば俺は戻らせてもらいます」
「そう怒るな。情報というのは、団長をうちの領地で見かけた、というものだ」
「ハートフィルト子爵の領地で、ですか?」
「そうだ。1週間程前らしいが、ハールトの街で見かけた、とうちの家の者から連絡があった」
「1週間前に、そんなところで……」
北の国境の砦へ調査に行ったのだから、ハールトの街に居るのは別にいい。国境のすぐ側の街だ。何かしら用事があったのだろう。
しかし、騎士団にとってメインイベントとも言える御前試合が目前に迫っているのだ。未だに国境付近に居るというのは、非常に喜ばしくない。
しかも、結局団長からの連絡は一切なく、こういった変なルートで情報を得るハメとなった。
オルスロットは、痛むこめかみをグリグリと押さえながらため息を吐く。
「情報、ありがとうございます」
「もうすぐ御前試合だぞ? こんな状況で第二騎士団はいいのか?」
ただでさえ第二騎士団に対して良い印象を持っていないハロイドは、不信感も露わに問う。緑色の瞳を眇め、オルスロットを見据えている。
オルスロットとしても、内心ではかなり不安もあり、山積みの問題に頭や胃が痛くて仕方ない。しかしそんなことはおくびにも出さず、きっぱりと言い切る。
「問題ありません。御前試合の準備は既にほとんど終わっています。それに元々第二騎士団は、副団長や各隊長にもある程度の裁量権が委ねられています。団長が不在程度で、どうこうなりません」
「だが、御前試合に団長不在ということは許されないだろう」
「団長も長いこと第二騎士団団長を担っている方です。そのくらいの事は重々承知です」
「だが……」
早く広間へ戻りたいという焦りが募り、なおも言葉を続けるハロイドをどう止めるか考えている矢先だった。
ふわり、と見覚えのある光の蝶がオルスロットの目の前を舞っていた。そしてその蝶から、ソルドウィンの声が一言放たれる。
「姫さんが東の棟へ連れてかれた」
それを聞いた瞬間、オルスロットは何かを言い募るハロイドを放置して駈け出していた。




