準備
「はぁ……旦那様と顔を合わせにくいわ」
そう小さく呟いて深々とため息を吐くレイティーシアは、自身の顔を覆う眼鏡を弄る。
結局、昨夜はオルスロットの言葉に驚き、逃げ出すように書斎から自室に戻ってしまった。そして未だ忙しいらしいオルスロットは早朝に仕事へ向かったらしく、朝食の席には居なかった。
おかげで一人の時間を取れたのだが、面と向かってああ言った言葉を向けられたのは初めてであり、ふとした瞬間に思い出しては赤面していた。
本当に、オルスロットはどうしたのだろうか。
最初の頃の無関心さが嘘のようだ。
昔の事を知りたい、そして守りたいと言われ。さらに、瞳を美しい、隠さないで欲しい、と望まれるなど。
そのようなことを男性に言われて嬉しくないわけがない。恥ずかしいけれど、胸がときめいてしまう。
まさか自分が、こんな少女の様な反応をするとは思わなかった。そしてこういったことに疎く、更に言ってしまえば苦手でもあるため、自身の感情を今一つ掴めずにいた。
オルスロットのことは、嫌いではない。自由にさせて貰い、色々と取り計らってくれていることに感謝もしている。疲れているようであれば心配だし、力になりたいとも思う。褒められれば、嬉しい。
しかしこれは、マリアヘレナ等が好む恋愛小説で描かれるような愛情とは全く違うと思うのだ。
なんだかもやもやとして気持ち悪い。こういったことはさっさと解決してすっきりしたいものだが、掴みかねている自身の感情など、悩んでも答えが出そうにない。
それならば誰かに相談するのが一番とは思うのだが、マリアヘレナだろうと、こういったことを説明するのは気恥かしい。
いっそ考えるのを止め、なにか気晴らしが出来ればいいのだが、魔道具作成は社交シーズンが近いために怪我でもしたらとんでもない、とクセラヴィーラに禁じられてしまった。外出も、近頃はなにかと物騒だから控えてほしい、とオルスロットから言われておりそう気軽にできない。
結果、居間のソファーに座ってもんもんと答えの出ない考えごとをし、時々昨夜のオルスロットの言葉を思い出して赤面することを繰り返していた。
「さっきから百面相してるけど、姫さん、どしたの?」
「ひゃっ!? ソルドウィン?」
「久しぶり~」
いつの間にかレイティーシアの向かいのソファーに腰掛けたソルドウィンがひらひらと手を振っている。金色のつり目は、楽しげに細められていた。
「いつから居たの?」
「ん~5分くらい前から?」
「そんなに前から!? もう、早く声を掛けてくれたら良いのに……」
羞恥で赤くなっている気がする頬を両手で覆い、軽くソルドウィンを睨む。しかし、未だに分厚いレンズの眼鏡を掛けているため、その睨みも全く通じていない。
楽しげな様子が一切減らないソルドウィンに、小さくため息を吐く。
「もう……。それで、ソルドウィンは一体どうしてここに居るの?」
「俺? 姫さんの作業部屋の結界のメンテナンス。と追加でアイツに頼まれたオシゴトしにね」
「お仕事?」
「そう。門とか、何箇所か結界を追加でね」
「結界を……?」
意外な仕事内容に、目を見開く。
別に、貴族が自身の邸宅に防犯のために結界などを張るのは珍しいことではない。それに社交シーズンが近づき、人が増えるこの時期に防犯対策を行うのも不思議ではない。
しかし、オルスロットが自身の屋敷にそこまで防犯対策を行うのは意外だったのだ。
騎士団の副団長であり、侯爵家の二男のため勿論比較的裕福ではある。だが、高価な美術品などを飾る趣味は無いようで、屋敷内は至ってシンプルである。
「意外だわ」
「そう? 俺としては今更、って気分だけど?」
「え?」
「だって、姫さんっていう唯一無二のお宝が居るわけじゃん」
「……でも、私がレイト・イアットってことは秘密だもの」
首を傾げながらソルドウィンを見れば、大きくため息を吐きながら自身の黒髪を掻き毟っていた。
「はぁ……。ま、姫さんだもんね~」
「なに?」
「ん~ん、別に。何でもない。でも、姫さん。王都はチェンザーバイアット伯爵領とは違って色々物騒だし、気を付けなよ?」
軽い調子の言葉とは裏腹に、金色の瞳には真剣な光が宿っていた。常のソルドウィンとは違うその様子に眉を顰めながらも、レイティーシアはしっかりと頷く。
「ええ。旦那様にもこの前注意されたし、気を付けるわ」
「そ、じゃあ良かった」
にっこりと笑うソルドウィンはいつもと同じ飄々とした調子に戻っていた。レイティーシアも、小さく息を吐きながら笑う。
「あ、そういえば、前に俺があげた石とかで何か出来た?」
「あぁ、ごめんなさい。そっちはほとんど手がついてないの……」
以前結婚祝いとして珍しい鉱石や金属を貰ったのに、それらを使った魔道具作成は全く進んでいなかった。色々ごたごたしており、なかなか魔道具作成に時間が取れないのだ。これから社交シーズンが始まれば、もっと時間が取れなくなるだろう。
そう思うと深いため息が出てしまう。
「あ、そうだわ。それとは別なんだけど、新しい魔道具を作ったから、持ってくるわね」
そう言い置いて取ってきたのは、昨夜も使った、ランファンヴァイェンから教えて貰った呪を組み込んだ魔道具だ。ブローチの形をしたそれをソルドウィンへ見せる。
「これっ!! ランファンヴァイェンのおっさんの呪印じゃん!」
「やっぱり、ソルドウィンは分かるのね」
「うん、俺も教えて貰ったからね。でもアレ、描くのメンドクサイ割に使い捨てになるから、使わないけど」
呪は呪印に魔力を流し込むことによって発動するのだが、発動と共に呪印は燃えて消えてしまうのだ。ランファンヴァイェン曰く、呪とは呪印と魔力を糧に発動するものであり、糧となったものが消えるのは当たり前、とのことだ。
そのためランファンヴァイェンの国では呪印を描いた札を多量に常備するのが常識らしい。しかし、普段そんなことをしないソルドウィン達魔術師にしてみれば、非効率的で面倒極まりないことだ。
術の系統が違うため出来ることも異なるが、わざわざ取り入れたいと思う程のものではないらしい。
「魔道具に取り入れたってことは、一回で消えるわけじゃないんでしょ?」
「ええ。実際、この魔道具は昨夜試しに使ってみたけど、まだ消えてないわ」
「すっごい。どうやってんの!?」
「呪印を彫り込んだ金属がね、発動のための糧になっているの。だから、多分何回か使うと消えてしまうとは思うけど……」
「金属に彫るのかぁ。じゃあ俺は作るのムリだな……」
がっくりと落ち込むソルドウィンに、レイティーシアは笑いながら声を掛ける。
「ふふ。ソルドウィンに作られちゃったら、私の立つ瀬がないわ。これ、まだ試作品だけどソルドウィンにあげるわ」
「いいのっ!?」
「ええ。作業部屋の結界のメンテナンスもしてもらっているから。きっと、伝達とかに使えるわ」
「ありがとう!」
先ほどまでの落ち込みぶりが嘘のように喜びに満ち溢れたソルドウィンに、レイティーシアは微笑む。
そして昨夜から悩んでいたことはすっかり頭から抜け落ちていたが、レイティーシアは一切気付いていなかった。




