むかしの話2
オルスロットに乞われるまま、彼の向かい側のソファーに腰掛けた。そして握りしめていた書類をテーブルに置き、彼の顔を見つめる。
一方のオルスロットはしばらく目をつぶって思案すると、小さく息を吐いて口を開く。
「この書類は、俺が私的にナタリアナ・ウィンザーノット公爵令嬢について調べたものになります」
「……お仕事ではなく、私的に公爵家について調べるなど、なぜそのような危ないことを?」
貴族が他家について調べること自体はそう珍しくはない。貴族社会で渡り歩くには、情報が何よりの武器だからだ。
しかし、その相手が王族である公爵家となると話が違う。王族は貴族とは格が違うのだ。こそこそと調べ回っては、不敬に当たる。
もちろん、これはあくまでも暗黙の了解であって、明確に決められていることではない。今回のオルスロットのように、勝手に調べることも不可能ではないし、実際に行っている者も居るだろう。
しかし調査していることに先方が気付き、そしてそのことに対して抗議でも行おうものならば、明確な理由が無ければ大問題になりうるのだ。
そんなこと、オルスロットならば百も承知だろう。それなのに、一体なぜ。彼のことをそこまで詳しく知っている訳ではないが、こんなリスクを犯す人とは思っていなかった。
小さく首を傾げながら、分厚い眼鏡のレンズ越しにじっとオルスロットを見つめる。
「先日の、ウィンザーノット公爵夫人主催のお茶会での話を聞いて、必要だと思いましたので」
「でも、確証がないのに……」
「だからこそ、です」
「しかし……」
「レイティーシア」
予想はしていたが、リスクを犯してまで行うと思っていなかった理由だった。なおも言い募ろうとしたが、オルスロットに強く名を呼ばれ、言葉を止められてしまう。
「レイティーシア……」
「はい?」
また名を呼ばれ、困惑気味にオルスロットの顔を見る。彼の蒼い瞳は、どこか不安げで、しかし強い決意を秘めた様な光を宿していた。
「俺は、貴女の夫です」
「はい」
「書類上の夫、と思っていらっしゃるとは思います。でも、俺は……」
一度そこで言葉を切り、ギュッと眉間にシワが寄せられる。そして厳しい眼差しのまま、彼は強い意志の込められた言葉を言い切るのだった。
「貴女を守りたいのです」
「……!」
思いも掛けない言葉に、言葉もなく目を見開く。
この結婚生活が始まるとき、はっきりと女避けのための結婚であることを聞いた。そしてレイティーシアを選んだ理由として、妻の機嫌を取るのが面倒なのでそんな手間のかからなそうな女だから、ということも聞いた。
それなのに、レイティーシアを守りたいから、公爵家について調べていただなんて……。
「そんなこと……」
「信じられませんか?」
「ええ……」
困惑を露わにレイティーシアが頷くと、オルスロットは苦笑しながら短い黒髪をかき上げる。
「そうですね。俺自身も、意外なんです」
「え……?」
「しかし共に暮らし、貴女に助けられて感謝していることが、色々とあるのです。だから、そこまで疑わないで欲しい」
あまり理由になっていないと思う。
しかしオルスロットの乞うような眼差しに、これ以上反論するのも、こちらが悪いような気がする。無理矢理納得するしかなかった。
「そう、ですか……」
「はい」
まだ納得し切っていない、といった様子が露わなレイティーシアに、オルスロットはまた苦笑を浮かべた。そして一度執務机へ行くと、少しくしゃくしゃになった封筒を持って来る。
「それから、レイティーシアに謝らなくてはならないことがあります」
「謝ること、ですか?」
「はい。……貴女の昔のことを、勝手に調べました。これが、その調べた情報です」
そう言ってオルスロットは、封筒を差し出す。
「……」
受け取った封筒は、思った以上に分厚かった。そして何気なく裏返して見た面に、レイティーシアはそっと小さく息を吐く。
封が、まだしっかりと閉じられていた。
「旦那様」
「はい……」
「この中身は?」
「え?」
「中の内容は、既にご存知なのですか?」
「……いいえ。情報は集めさせたのですが、見るのは止めました」
緩く首を横に振るオルスロットに、レイティーシアはにっこりと笑みを向ける。大きな眼鏡のせいであまり分からないだろうが、彼を安心させたかった。
「ご覧になっていないのであれば、私が怒ることではありません」
「しかし……」
「確かに、勝手に昔を探られるのは、嬉しくありません。でも、その情報をまだご覧にならず、そしてこうして謝罪して頂いているのです。それを怒るほど、私も狭量ではありません」
「……ありがとうございます」
深く息を吐くオルスロットはホッとした様子で、先程までの不安げな雰囲気は無くなっていた。このことを気に病んでいたのだろうか。
少し意外だ。
先程から意外、というか以前と少し違う感じのオルスロットに、驚かされてばかりだ。だから、つい聞いてしまった。
「なぜ、せっかく集めた情報を見るのをやめたんですか?」
「……そうですね」
そしてしばらく考え込んだ彼は、苦笑を浮かべながら、レイティーシアを見つめる。
「やはり、貴女から聞くべきだ、と思ったからでしょう」
そして眉間にシワを寄せ、申し訳なさそうな表情で、乞うのだった。
「どうか、貴女の過去を。ソルドウィン達が、貴女に二度と味わうことが無い様にと気遣う、その事を教えて頂けないですか?」
有言不実行すぎて、申し訳ありません……。
とりあえずお詫び代りというのもおこがましい、山もオチもない小話ですが、活報に上げてます。よろしければ、そちらもご覧頂ければと思います。




