情報2
「やはり、そう簡単に証拠は見つからないですね……」
そう小さく呟きながら、オルスロットは先ほどまで眺めていた資料を執務机の上へ放り投げる。ひらり、と一枚机を滑り床へと落ちて行くがそれも放置して、目元を手で覆って椅子へと寄り掛かる。
ランドルフォード家の者から情報を手に入れたその日。さすがにウィンザーノット公爵令嬢などの情報は騎士団の執務室で見るわけにもいかなかったため、数日ぶりに屋敷へ戻って資料を見ていたのだ。
夜もだいぶ更けた時間。日中は山のように積み重なった騎士団の仕事を片付け、そして目を通した情報は有力なものが何一つなかった。とても、疲労感が大きい。
普段ならば絶対に取らないだらしない姿勢で椅子に座り、深いため息を吐く。
元々、他家の情報だから、そう有力な物は手に入らないだろうことは予想していた。貴族ならばどの家でも、情報は細心の注意を払って取り扱われる。
それでも、何かしら手がかりがつかめればと思っていたが、空振りだった。
オルスロットが求めている情報。それは、ナタリアナがレイティーシアを陥れようとしていることの証拠。
先日のウィンザーノット公爵夫人主催のお茶会での話をレイティーシアから聞き、調査をしていたその結果を眺めていたのだった。
しかしその報告書には、ナタリアナは招待状送付の手配をしたような証言や、またレイティーシアを慕っているような様子であることが書かれている。強いて疑わしい部分としては、近頃レイティーシアへ嫌がらせをしている令嬢たちと頻繁にお茶会を行っている点だ。
しかし、あの令嬢たちはナタリアナに心酔しているようである。ナタリアナがレイティーシアの事を、ほんの少しでも悪く言えば、勝手に暴走してこの程度の嫌がらせを行うだろう。上位の貴族に取り巻く者たちは、そういう者たちだ。
だからその程度では何も証拠にはならない。
もしかすると、ナタリアナがレイティーシアを陥れようとしていること自体、勘違いなのかもしれない。そうとも思うのだが、ここ数年のナタリアナの様子から、そう楽観視できずにいた。
ナタリアナとは、元々公爵家と侯爵家ということで家ぐるみの付き合いがあり、彼女が幼いころから知っていた。とはいえ10歳も年が離れていることもあり、あまり接点があったわけではない。
しかしなぜかここ数年、特にナタリアナが社交界デビューして以後だろうか。会えば熱い視線でオルスロットを見つめ、またあちこちでオルスロットとの結婚を望んでいるようなことを発言していたと聞いている。
その程度であれば、王都の貴族女性ではよくあることだったので、あまり気にしていなかった。しかし、結婚後の今となってもナタリアナからの視線は変わっていなかった。
レイティーシアのことを歯牙にもかけず、オルスロットに執着するその態度に、不快感とともに疑問を感じた。
オルスロットよりも条件の良い男は他にもいるのだ。それなのにオルスロットに拘っているようなその態度は、なぜなのか。
「…………とりあえず、こちらで注意をするしかないですね」
先日ソルドウィンからもたらされた、ジルニス家の職人が行方不明になっている件もあるのだ。レイティーシアの守りを堅くする必要は大いにある。
そう結論付けたオルスロットは目元を覆っていた手を外し、もう一つの封筒を眺める。
まだ封も開けていないこちらは、チェンザーバイアット家の情報――正確には、レイティーシアの幼少期の情報を集めさせたものだ。
本当は、レイティーシアが自ら話してくれるまで待つつもりだった。勝手に探るなど、いくら夫婦になったとはいえ最低な行為だ。
しかし先日のソルドウィンの言葉と、頑ななレイティーシアの態度に、情報収集を命じてしまった。しかし、冷静になった今となっては、とてもこの封筒の中身を見る気になれなかった。
グシャリ、と封筒ごとその資料を握り潰す。そして頭を過った言葉に、自嘲気味に嗤う。
「執着、か……」
バルザックに指摘されたことだった。それを、ナタリアナの自身への態度で不快に思っているそれを、自身がレイティーシアへ抱いているのではないだろうか。
ソルドウィンがレイティーシアを返せ、と言ったその言葉が酷く不快だったのは。それどころか、レイティーシアが浮気をしている、という噂が出た時に不快だったのは……。
そんな考えに至り、オルスロットは短い黒髪を掻きむしり、項垂れる。
レイティーシアは普通の貴族の女とは全く異なり、とても面白い女性だ。その変わった考えなどに触れて居るのはとても面白く、共に居るのも心地良い。
そう思っているだけだと、思っていたのに……。
そんなことをグルグルと考えている時だった。視界の隅に、ぼんやりと光りながらヒラヒラと舞っているものが映り込む。
一体何だと顔を上げると、ちょうどそれがオルスロットの目の前にやって来た。
それは、うっすらと白く発光する蝶のようであった。
しかし、発光する蝶など聞いたことない。普通の蝶ではないだろう、と警戒をしていると、その蝶からレイティーシアの声がするのだった。
「旦那様。もし、お時間があるのでしたら、扉を開けていただけないでしょうか?」
「は……?」
予想もしない事態に呆けているうちに、その蝶は細かな光の粒になって消えていた。幻覚だろうか……?
しかしもしかしたら、という思で慌てて扉を開けてみると、そこにはレイティーシアが立っていた。ほのかな湯気をたてるカップを乗せたトレーを両手で持った彼女は、長い前髪と大きな眼鏡で分かりにくいが、小さく笑ったようだった。




