消えた招待状4
ランファンヴァイェンからは飲みやすく、体の冷えに効果があるというお茶を買い取って公爵夫人のお茶会へのお土産にすることにした。冷えは女の敵である。
そしてドレスは仕立て屋の手配が間に合わないため、以前仕立てたドレスの胸元にレースを増量することで対応することになった。針仕事が得意な侍女たちの、なんとかします、というセリフに申し訳なさで涙が出そうだ。
魔道具作成では器用なレイティーシアだが、針仕事はどうにも苦手で、白いレースが赤く染まることがしばしばだった。おかげで、今回のドレス改良も手出しは無用、と前もって宣言されてしまった。
そうやってバタバタと準備をしているうちに時間は経ち、珍しく早めに帰宅したオルスロットに公爵夫人のお茶会の件を報告する。
「申し訳ございません、旦那様。この前の噂も払拭できていないのに……」
「いえ。起きてしまったことは仕方ありません」
そう言うオルスロットの眉間には深いしわが寄っているが、蒼い瞳には労る様な色が宿っていた。なんとも複雑な表情に驚きながらも、レイティーシアほっと息を吐く。
先日の噂に引き続いての失態に、近頃は幾分柔らかくなっていたオルスロットの纏う空気が、凍てつくものに戻ってしまうかもしれない、と少し恐れていたのだ。割とビジネスライクな夫婦関係と思っているが、出来れば良好な関係で居たい。
「しかし、その招待状はどこへ行ったのでしょうね」
「分かりません……。マリアも見覚えは無いと言ってましたし、手分けして屋敷中も探してみたのですが、ありませんでした」
「そうですか……。ごく稀に、使いの者が紛失してしまうこともありますし、そういった事故かもしれません。あまり気落ちしないでください」
俯いているレイティーシアの肩にオルスロットの大きな掌が載せられ、宥めるように軽く撫でられる。
しかし、そんなオルスロットの推論もあまり現実的ではない。鈍色の髪の毛が乱れるのを感じながらも、強く頭を横に振る。
「でも、ウィンザーノット公爵家の使用人がそのようなことをするとは考えられません。私が……」
「いいですか、レイティーシア」
強い声で言葉を遮られ、びくりと身を震わせる。恐る恐るオルスロットを見上げると、眉間に深々としわを作りながらじっとレイティーシアを見下ろしていた。
「起きてしまったことは、もう仕方ないのです。勿論、同じようなことがないように反省をすることは間違いではありません。しかし、いつまでも引きずっていては意味がありません」
「……はい」
「今、やるべきことは明後日のお茶会に備えることです。手土産等の準備はもう行ったと聞いています。あとは、レイティーシアの振る舞いです」
蒼い瞳には、厳しくもあるが労わりが多分に含まれた光があった。そっとオルスロットの手が、乱れて顔に掛っていた鈍色の髪の毛を耳に掛ける。
「本来ならば俺も同行すべきなのでしょうが、今は騎士団の方も手が離せません。難しい立場になると思いますが、どうか乗り切って下さい」
髪の毛を耳に掛けたオルスロットの手は少し宙をさまよった後、レイティーシアの肩にまた乗せられた。
肩を覆う程の掌の大きさと重さになぜだか安心感を抱き、ゆるく息を吐く。そしてオルスロットの蒼い瞳を見返し、大きな眼鏡であまり伝わらないだろうが、頬笑みを向けた。
「分かりました。公爵夫人にこれ以上失望されないよう、精一杯がんばります」
「はい。……ウィンザーノット公爵夫人は、ハートフィルト子爵家から嫁がれています。同じ貴族とはいえ、家格が釣り合っているとは決して言えない婚姻でした」
レイティーシアの返事に小さく頷いたオルスロットは、少し考え込んだ後語り出した。ゆっくりと、どう説明しようかと迷っているようなその口調に、レイティーシアは小さく首を傾げる。
「ウィンザーノット公爵夫妻は、互いが望んで結婚されました。しかし、周囲は家格を事あるごとに持ち出し、夫人を非難しました」
「はい……」
「そんなことがあり、夫人は完璧でなくてはならなかった。僅かでも不備があれば、すぐに家格を持ち出され、そして婚姻を問題視されましたから」
苦々しげに語るオルスロットに、レイティーシアも小さく頷く。
貴族、特に古くからある家は身分や家格を非常に重んじる。そしてウィンザーノット公爵家は古くからある家であり、また親族や付き合いの深い家も同様だ。そんな中に子爵家の娘が嫁ぐなど、容易には受け入れられないだろう。
「今は夫人も公爵家や周囲にも認められ、公爵家の女主人として頼られています。ですがご自身が苦労されたこともあり、周囲には常日頃からしきたりなどには気を付けるよう説いておられます」
しきたりや礼儀をしっかりと守り、振る舞いに気を付ければ、周囲にとやかく言われることもない。自身の経験から周りの若い人にはそう教え、そして守れない人には指導を行っているらしい。
そのためウィンザーノット公爵夫人は厳しい人、と評されることもしばしばだった。
「恐らく、今回の件は、強く咎められることは無いとは思います。しかし、釘は刺されるでしょう」
「はい……。これ以上の失態をしないよう、心しておきます」
固い決意と共に緊張を多分に含んだ声で返事をすると、肩を軽く2、3回叩かれる。優しく宥めるようなソレに、首を傾げながらオルスロットを見上げると、優しげな苦笑が返ってくる。
「あまり気負っても、良いことはありませんよ」
「……そうですね」
「はい、そうです。さて、レイティーシア」
レイティーシアが小さく息を吐いて頷くと、オルスロットも満足げに頷く。そして、話題を切り換えるようにレイティーシアの名前を呼び、その手を取る。
「貴女もまだ夕食を摂っていないと聞いています。大分遅くなりましたが、食事にしましょう」
「あっ! そうですね。旦那様、お疲れのところ長くお時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「いえ、そんなことありませんよ」
さぁ行きましょう、と手を引くオルスロットに連れられて食堂へ向かったのだが、その途中で意外な人物に遭遇したのだった。
「……コルジットくん?」
「奥方様!」
「知り合いですか、レイティーシア?」
玄関ホール近くの廊下で出会ったのは、ランファンヴァイェンと共に帰ったはずのコルジットだった。屋敷の使用人に先導されるような形で居るため、先日のバルザックの様に勝手に侵入した訳では無いようだが、一体どうしたのか。
首を傾げながら声を掛けると、大きく肩を跳ねさせたコルジットは、金茶色の瞳をまん丸に見開いていた。商人の助手なのに、こんなに感情を表面に出して大丈夫なのだろうか。
余計なことを考えながら、眉間に再び深いしわを寄せたオルスロットへコルジットを紹介する。
「彼は、私の伯父が懇意にしている商人、ランファンヴァイェンさんの助手をしているコルジットくんです」
「はじめまして、旦那様。コルジットと申します」
「はじめまして。ガルフェルド殿が懇意にしている商人……あぁ、あの件ですか」
ランファンヴァイェンの事は以前説明しており、また今回のレイト・イアットの魔道具の納品の件も、元々はオルスロットがガルフェルドへ相談して手配してくれていたらしい。特にそこまで紹介せずともオルスロットは納得していた。
しかしそれでも今ここに居る理由は分からない。オルスロットの眉間のしわは消えないまま、問いかける。
「それで、その商人の助手が何故ここに?」
「今日、お昼に伺わせていただいた際に忘れ物をしたので、取りに参りました」
「そうでしたか。忘れ物は、ありましたか?」
「はい。大変ご迷惑おかけしました」
深々と頭を下げるコルジットに、オルスロットの眉間のしわも取り除かれる。
「それならば、良かったです。これからもお世話になると思います。よろしくお願いします」
「はい!」
「コルジットくん、気を付けてお帰りになって下さい」
「ありがとうござます、奥方様」
頭を下げて礼をするコルジットを残し、オルスロットとレイティーシアは食堂へ向かう。
一流の商人でも忘れ物をすることはあるし、その忘れ物を助手に取りに行かせることもある。誰もがそう考え、特に注意していなかった。だから、頭を下げたまま遠ざかる二人の様子を窺うコルジットの顔に一瞬、苦々しげなものが浮かんでいたことには、誰も気付くことは無かった。




